12
窓から差し込む日差しが暑い。じわじわと汗ばんでいく体を感じながらも、私は頭からかぶったタオルケットの中から出て行こうとはしなかった。
「お姉ちゃん。いいの?」
和奏の声が聞こえる。
「十時の電車に乗るからもう行くけど。お母さんに会わなくていいの?」
私は何も答えなかった。
母と和奏は今日、この家を出て行く。駅で蒼太と、蒼太のお父さんと待ち合わせをして。四人でこの町を出て行く。私をこの家へ残して。
――琴音は強いから大丈夫よね。
昨日、母から言われた言葉。母が私を見て力なく笑った。
――お父さんのこと、お願いね。
父はもう何日も、この家へ帰って来ていない。
勝手だ。母も父も、大人はみんな勝手だ。
「あ、そうだ。これ渡すの忘れてた」
和奏の声が近づいてきて、私が体を丸めているベッドの脇で止まる。
「昨日お姉ちゃんがいない時、蒼太くんが来たんだった」
「……え?」
タオルケットをはずして体を起こすと、和奏がふっと口元をゆるませた。
「ごめんね。渡すの忘れてて」
和奏がすっと差し出した手には、小さなメモが握られていた。
「和奏ー?」
「はーい。いま行く!」
タクシーのクラクションと母の声が聞こえる。
和奏は旅行へでも出かけるかのように、軽々と荷物を肩にかけると、ベッドの上に座る私に言った。
「じゃあね、お姉ちゃん。私、この狭い町から出て行くから」
私の目に、日差しを反射して光るガラスのドームが見える。
「お姉ちゃんはこの場所で頑張ってね」
そう言って微笑む和奏を、私は黙って見つめた。
閉じ込められた世界に残されるのは私。ガラスを割って飛び出して行くのは和奏。
和奏が私に背中を向ける。長い黒髪がさらりと揺れる。
去って行く和奏を目で追ったあと、私は手の中のメモを開いた。
部屋を駆け出し、自転車に飛び乗った。ギラギラと眩しい太陽の下、ありったけの力を込めてペダルを踏み込む。
いつもの道を走り抜け、海沿いの道路へ出た。風を切って走りながら、汗と一緒に涙があふれてきた。
――もう一度だけ、琴音に会いたい。
和奏から渡されたメモには、蒼太の字でそう書いてあった。
――明日の朝、堤防のところで待ってる。
腕時計の針がにじんで見えない。もう電車が出る十時になるはず。
だけどもしかしたらまだそこで、蒼太は私を待っていてくれるかもしれない。
息を切らしながら、堤防の前で立ち尽くした。いつも待ち合わせをしたその場所に、蒼太の姿はなかった。
「……いるはずないよね」
そうつぶやいたあと、なりふり構わず必死で走った自分が、おかしくなって笑えてきた。時計の針は十時を過ぎた。
私はポケットからメモを取り出し、それを破って空へ投げる。
潮風に吹かれた紙切れは、そのまま海へと飛んで行く。
遠い遠い海の彼方。私の行けない、私の知らない世界。
涙を拭って、自転車を押して歩き出した。
もう一度ここで蒼太と会えていたら……私たちは変わっていただろうか。
海沿いの道を歩きながら、遠くを走る電車を見つめる。東京へ向かうあの電車に、きっと蒼太は乗っている。和奏と一緒に。
ぎゅっと唇を噛みしめて、涙をこらえた。自転車のハンドルを握りしめ、また一歩を踏み出す。
――変わらないよ……ずっと。
ふとよみがえった蒼太の言葉を振り払う。
変わらないでいられるわけなんてない。あんなおだやかな毎日は、もう決して戻ってこない。
自転車を押しながら、ひとりで家へ帰った十七歳の夏の日。
私は蒼太への想いを、胸の奥底へ深く閉じ込めようと心に誓った。
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