7
自転車を押して庭から出ると、近所のおばさんたちが立ち話をしていた。
おばさんたちは私に気づき、手に持っていたものをさりげなく隠して、わざとらしい笑顔を浮かべる。
見覚えのある桜色の封筒――私はおばさんたちに駆け寄った。
「あ、あら、琴音ちゃん。おはよう」
「今持ってたもの、何ですか!」
私の叫ぶような声におばさんたちが顔を見合わせる。
「今持ってた封筒……」
「何でもないのよ、何でも……」
あわてたおばさんの手から一枚の写真がはらりと落ちる。すぐにもうひとりのおばさんが拾ったけれど、私にはその写真が何の写真だかわかった。
「それ、うちのお母さんの……」
「まさか、違うわよ。嫌ねぇ……誰かしら、こんなものポストに入れた人」
「ほんとに。悪戯にもほどがあるわぁ」
おばさんたちが笑いながらそう言って、ちらりと私の顔をうかがった。そして写真と封筒をエプロンのポケットに押し込んで、そそくさと家に帰って行く。
どうして? 近所の家にまで、あの写真がばら撒かれているの?
背筋にぞくりと寒気が走った。だけどそれを振り払うように、私は自転車に飛び乗りペダルを踏み込んだ。
海沿いの道を自転車で走る。学校へ続く曲がり角を通り過ぎ、もっと先へとペダルを踏む。
やがていつもの堤防の上に、見慣れた背中が見えてきた。
――蒼太も誕生日七月なの?
――俺、三十一日。
そう、今日は蒼太の十八歳の誕生日。
――なにか欲しいものある?
――琴音と一緒にいたい。
一日中一緒にいようと約束した日。
自転車を止めて、座っている蒼太の背中を見上げる。どんよりとした曇り空の下、私は蒼太の手に持っている桜色の封筒を見た。
「蒼太……」
私の声に蒼太がゆっくりと振り返る。怒っているような泣いているような、なんとも言えない複雑な表情で。
私はその一瞬で、すべてを悟った。
「その手紙……私も見た」
蒼太がぼんやりと、自分の持っている封筒を見つめる。そして息を吐くように声を出した。
「今朝、ポストにこれが入ってて。父さんに詰め寄ったら、この人のことを好きになってしまったって……」
ああ……私は静かに目を閉じる。波の音がかすかに聞こえた。
「母さんが死んで、もう十年以上経って。好きな人ができてもおかしくないけど、なんで結婚してる人なんだろうって。それって不倫だろ? それになんで……琴音のお母さんなんだろうって」
蒼太は苦しそうにそう言うと、手に持っていた封筒をぐしゃりと握りしめ、そのままその拳をコンクリートの上に叩きつけた。
「バカじゃないのか、あの親父! いい歳して、何が好きになってしまっただよ! こんな写真ばら撒かれて、恥ずかしくないのかよ!」
「蒼太……」
「俺、絶対許さないから。あの親父のこと」
蒼太がうつむいて背中を向ける。私は堤防によじのぼり、そんな蒼太の隣に座る。
「蒼太も……今まで知らなかったんだね」
「知るわけないだろ。琴音は知ってたのかよ?」
「私も知らなかった」
知っていたのは和奏だけ。
「私たち、どうなっちゃうの?」
しばらく黙り込んでいた蒼太が口を開く。
「……どうにもならないよ」
「でもうちのお父さんすごく怒ってて。その男と一緒に町を出て行けって、お母さんに……」
顔を上げて蒼太の横顔を見る。蒼太はにらみつけるように、目の前に広がる海のずうっと先を見つめている。
今日の海は荒れていた。低気圧が近づいているせいだろう。雨はまだ降っていないが、さっきよりも雲が厚くなっている。
そして私は蒼太の、こんなに思いつめたような表情を見たのは初めてだった。
「……琴音」
海から吹く生ぬるい風と一緒に、蒼太の声が聞こえてくる。
「今日はずっと一緒にいてくれるんだろ?」
「……うん」
少し考えて私はつなげる。
「今日は家に……帰らなくてもいいよ?」
海を見たままふっと口元をゆるませた蒼太が、私に視線を移す。
「どこか行こうか?」
「うん」
「金、持ってる?」
「持ってない。親と喧嘩したまま、家、飛び出して来ちゃったから」
蒼太がポケットの中をあさって小銭を取り出す。
「俺もこれだけ」
「どこにも行けないよ、これじゃあ」
くすくすと笑った私の前で、蒼太が指をさした。
「あれで行こう」
蒼太の指先をゆっくりと目で追う。そこには私の乗ってきた自転車が止まっていた。
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