6
それは七月三十一日の朝だった。私は何かが割れる音で目を覚ました。
驚いてリビングへ駆けつけると、恐ろしい形相で立ち尽くす父と、床にうずくまって頭を抱えている母の姿が見えた。
「ど、どうしたの!」
母の後ろにある棚の、ガラス扉が割れていた。窓辺に並んでいた置物が、飛び散ったガラスの破片と一緒に、床に転がっている。
私が買ったスノードームも。
「お、お父さん?」
両手を握りしめ、唇を震わせながら立っている父。
父が家族に暴力をふるうことなんて、一度もなかったのに。
「お母さんに物を投げたの?」
うつむく母は、黙って涙をこらえている。
「どうしてそんなことするの! ひどいよ!」
「うるさい! ひどいのはどっちだ!」
そう叫んだ父が、持っていた紙の束を床に投げつけた。
バラバラと散らばったのは、うちの住所が書かれた桜色の封筒と何枚もの写真。
「何なの? これ」
私は一枚の写真を手に取った。写真の中に写っているのは、男の人と女の人。
遠くから撮られたその写真では、誰なのかがよくわからない。
ただ、女の人が着ている服に見覚えがあった。
「お母さん?」
咄嗟にもう一枚を手に取ると、ふたりの顔が確認できた。
幸せそうに微笑む母と――見覚えのある男の人。
「母さんはその男と浮気してたんだ」
父の言葉に血の気が引いた。震える手でさらにもう一枚の写真を見ると、寄り添い合うようにしてホテルへ入っていくふたりの姿が写っていた。
「う、嘘だよ……こんなの」
「何が嘘だ。決定的な証拠写真じゃないか」
「誰がこんな写真を……」
「さあな。親切な人がわざわざ教えてくれたんだろう。今まで何も知らなかったバカな俺たちに」
ふっと鼻で笑った父が母に言う。
「出て行ってくれないか? この家から、いや、この町から。その男と一緒に」
「お父さん!」
「琴音だって知っているだろう? その男のことを」
父の声を聞きながら、持っていた写真をぎゅっと握りしめる。
「お前の同級生の父親だよなぁ、確かそいつ」
知っている。この人は――この人は、蒼太のお父さんだ。
父が部屋を出て行った。私は床に膝をつき、うつむいたままの母を見る。
「お母さん……どうして?」
どうして浮気なんかしたの? どうして蒼太のお父さんなの?
「お母さんだって……寂しかったのよ」
母の震える声を聞いていたら、無性に腹が立ってきた。
「お父さんはお母さんのこと見てくれないし……お母さんだけを見てくれる優しい人に、そばにいて欲しかったのよ」
「何なの、それ。もしかして和奏の入院とか言って、実はその人と会ったりしてたの?」
「そんなことはない。そんなことはないけど……彼と時々会っていたのは事実よ」
私は散らばった写真をにらみつける。ふたりが並んで歩いているのは、隣町のショッピングセンターだ。
友達と会ったと言っていた日の服を着て、私が一度も見たこともないような嬉しそうな表情で、母が微笑んでいる。
「琴音、お母さんの気持ちもわかって……」
「わかるわけない! お母さんだって私の気持ちなんて、何にもわかってないくせに!」
涙をこらえて床の上に手を伸ばす。ぎゅっとつかんだのは蒼太と一緒に買ったスノードーム。
「好きになっちゃったのは仕方ないじゃない。どうして琴音はわかってくれないの? 和奏はわかってくれたのに……」
和奏は知っていたんだ。母が蒼太のお父さんと付き合っていたこと。だから……。
――お姉ちゃん、きっと傷つくよ?
知ったような顔をして、そう言った和奏のことを思い出し、私はつかんだガラスのドームを振り上げ床に叩きつけた。
「きゃあっ」
母の叫び声と同時に、スノードームの破片が床に飛び散る。
「何するの! 琴音!」
私は母のことをにらみつけ立ち上がる。
部屋を出ようとしたら、ドアのところに和奏が立っていた。
すべてわかっているような表情で、うっすらと笑みを浮かべて私を見ながら。
私はそんな和奏を押しのけて、家を飛び出した。
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