ことの起こり


 次男が幼稚園のプレクラスに通えるようになった年、私は34歳だったかな。少し自由な時間がとれるようになった。でも、息子が園に行ってる時間は、午前中の2、3時間しかない。慣らし保育が目的だから、送ったと思ったら帰ってくる。ぼやぼやしていると、家事が終らないうちに、その貴重な一人時間が終わってしまう。そこで、なかなか戻らない産後太り解消の為、スポーツクラブに行ってみる事にした。

 ヨガやエアロビみたいなのは、腰や膝にきそうだし、マシントレーニングは、昼間っからいるストイックなジジイに圧倒されて、なんか嫌。という感じの消去法でプールで泳ぐ事に。

 学生の頃は水泳部だったんで、ある程度泳げる。経験者であるがゆえに、無駄な動きが少なくって燃費が良い。イコール、あまりダイエットになってない?薄々気づいていたが、チマチマとプールに通った。

 平日の午前中のプールは、年配者で溢れていた。オープンの時間から受付前に並んでるし、ロッカーの番号に何やらこだわりがあるらしく、ぐずぐずゴネていて鍵を受け取るのが遅い。こっちゃ~時間が限られてるからイライラする。

 プールサイドに行けば、タオル掛けのバーをめぐって、ばばぁの縄張り争い。何故そんな、タオルを掛ける場所ごときで争う。

 水に入れば進路を妨害される。ターンするはずの壁際で、井戸端会議するばばぁ。蹴るぞ。朝から元気なオッサンは、コースのど真ん中でバタフライもどき。腕で水の抵抗を最大限にひきだし、岩のごとく不動の胴体、膝下のパワーのみの推進力で天井までしぶきを飛ばし、波のあるプールの源になっている。

 長く泳げる人用の「完泳コース」に行くも、5メートルで床に足をつくご年配に邪魔されて、満足に泳げない。監視員は見て見ぬふり。

 (なんだか無法地帯だなぁ…全然運動にならないし、ストレスたまる一方じゃないか?ていうか水で冷えて皮下脂肪が溜まってる気さえするよ)

 泳げないのはいいけど、マナーの悪さに辟易してしまう。うんざりして、ダイエットもやめちゃおうかな…と思い始めていたとき、運命の出会いをした。


 その日、ノロノロ泳ぎでコースを譲らない年配者に辟易して、さっさとプールサイドのジャグジーに引き上げた私は、そこからぼんやりと完泳コースを眺めていた。そのコースには、たった一人。綺麗なフォームで個人メドレーをしている女性がいた。個人メドレーは、バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、クロールの4種目を連続で泳ぐ種目だったから、このジジババしかいない時間には珍しい人もいるもんだ。と感心してしまった。つい見とれていると、さらに驚くことに、彼女は200メートルの個人メドレーを泳いでいた。最後、クロールで戻ってくると、タイムを確認して、またバタフライで泳ぎだした。200メートルは学生時代には何本もやらされたが、大人になってからやろうと思ったことはないくらい疲れるものだ。この迫力があれば、誰も同じコースには入ってこない。

 (やるなぁ。何本泳ぐんだろ)

 私はそのコースに入り、彼女の泳ぎを邪魔しないようなペースのクロールで泳いでみた。常に25メートルプールの端と端で同時にターンするようなタイミングで。彼女が立っても話しかけることはしない。頸動脈に指をあてて心拍数もとっていたようだからだ。そのまま、彼女は200メートルを5本泳いだ。私は久々に途切れることなく泳げて、かなりテンションが上がった。だから、彼女がクールダウンをして帰ってきたとき、つい、話しかけてしまった。

 「すごいですね。200個メ泳ぐ人、この時間帯ではじめてみました」

 「そお?貴女も結構泳げるんですね。同じコースで全然気にならなかった。珍しいですよ、ここ酷いから」

 その女性は、すらりと背が高く、気の強いおばさんって印象だった。何歳くらいだろう。目元をみるとゴーグルの痕がしっかりと深く刻まれている。でも、体には余分な脂肪がなく、とくにお尻や太ももがスッキリとして弛みがなかった。とても年令不祥の女性だった。

 そのあと少し雑談をしたけど、お仕事やらなんやら、既婚なのかすら、バックグラウンドが全く見えない人だなぁと思った。

 そして、彼女が言った。

 「ねえ、バレエに興味ある?」



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ばばあっばれえ 雪波小石 @yukinamikoisshi

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