七.決断
十三
八手は雪の中を歩いて楠の村にたどり着くと、出会った村人に工房の場所を尋ねてすぐに分かった。
「工房
入口の戸に手を掛けようとした時、戸の向こう側から察したように開いた。
「おや、刃士様かい?」
刃士――その初老の男はすぐにそうだと分かった。髪こそ白髪交じりだが、その力は衰えているように見えない。
「俺は、今は刃士じゃない。『元』刃士の
八手の心中を見抜いたようにそう言った。
八手は蜉蝣に促されるまま中に入り、囲炉裏の前に座らされた。
蜉蝣は左足を引きずりながら囲炉裏に向かうと、八手に茶を入れてくれた。これは寒い中歩いてきた八手には随分と有難かった。
蜉蝣は八手が茶を飲み終わるのを待って言った。
「さて……お前さん、何が望みだ? まさか鍋の穴を塞ぎに来たわけではあるまい?」
「刃士の八手です。薊にここに来るように言われて――」
「薊か……懐かしいな。あいつの鎖鎌は俺が作った物だ」
蜉蝣はその様子を思い出すかのように天井を見上げた。
「で? どうだ? あいつは鎖鎌をうまく扱えていたか?」
「ええ、はい……」
どうにも話しづらい――八手は妙に馴れ馴れしいこの男との距離感が掴めなかった。
しかし、来てしまった以上、話すしかあるまい。
「薊に……言われました。武器が合っていないと、それでここを訪ねればいいと」
「なるほど、それで今のお前さんに合った刃の武器がほしい、と?」
「そうです」
八手は短く答えると、蜉蝣の目を見つめた。
この男、口こそ軽いがその目は鋭い。片足が不自由では村々を回る刃士としては致命的だが、それでも内面は刃士のままではないかと思わせる目だった。
「今使っている刃の武器を見せてくれ」
「はい」
八手は鉈刀を鞘から引き抜くと渡した。
蜉蝣は丁寧にそれを受け取ると、じっと眺めた。
「鉈刀か……随分と古い物のようだな。だが、手入れはされている。悪い物ではないな」
そう言い終えると鉈刀を返した。
そして、八手に近付くといきなりその右の二の腕を掴んだ。八手はとっさに反応できず、されるがままだった。
「ふむ……なるほど」
蜉蝣は独り言のように呟いた。
「ちょっと待ってくれ」
そう言うと今度は奥に引っ込んで、両刃の大剣を手にして戻ってきた。
「鉈刀を持って外に出てくれ。こういうのは試してみるのが手っ取り早い」
蜉蝣は足を引きずりながら外に出た。八手はそれに続いた。
外は地面には雪が積もり、吹雪いていた。
蜉蝣はそれを気にした様子もなく、大剣を正面に構えた。
「殺す気で打ち込んで来い――遠慮は要らんよ」
平然とそう言った。
「そんな……無茶な――」
「構わん。それともお前さんは刃士なのに人も斬れんのか?」
蜉蝣はおどけた口調で言った。
だが、刃士にとってそれは最大限の侮辱でもある。八手は斬りかかった。
金属がぶつかり合う音がして、鉈刀が大剣に弾き返された。
「ほら、遠慮は要らん。全力で来い」
さっきの一撃がかすかに躊躇いを含んでいることを見抜いている――八手は、全ての考えが見透かされているのではないかと不安になった。
今度こそ、と全力で斬りかかった。
また弾かれる。
その次も、また弾かれる。
剣戟の音が響いていたが、八手の刃は決して蜉蝣には届かなかった。
「もういい。もう分かった」
蜉蝣は大剣の構えを解いた。八手も鞘に鉈刀を収めた。
「お前さんの武器は確かに合っていない。その武器は八手、お前さんには重すぎる。その鉈刀を扱うのには、体格も筋力も足りていない……武器に振り回されているんだ」
その通りだ――それは疑いようが無かった。自分には師匠のような体躯や腕力が無い、それは分かっていたからだ。
「それでは、自分に合う武器を――」
「まあ、待て。続きは中でしよう。ここは寒い」
今になって気付いたかのように蜉蝣は言った。
二人は中に入ると、囲炉裏を挟んで座った。
「さあて、お前さんの今までの経緯を全て話してもらおうか?」
蜉蝣はのんびりとそう言った。
「全て?」
「そう、全て。お前さんがどこで生まれ刃士になろうとしたか、師匠とどんな修行を積んだか、そして今どうしてここに居るのか」
「なぜ?」
「その人に合った刃の武器を作るのなら、その人のことをより深く知る必要がある。さっき体格や筋力等の表面的なことは分かったが、それは全てではない。
いや、むしろそれは下準備に過ぎなくて、本当に大事なのは内面を知ることだ。それを知ってようやく、武器を作る段階に入れる」
蜉蝣の口調は熱を帯びていた。さっきまでのどこか軽い口調と違って真剣だった。
「しかし、かなり長く――」
「構わん。この雪の中鍋を直してくれと言ってくる輩もそうそう来ないだろう。
いいか。全て話せ。何があって、どう感じたか。どうすべきだと思ったか」
「分かりました――」
八手は話し出した。
八手はこれまでの全てのことを話した。
八手の村が村喰いに襲われたこと。そこで青柳に助けられて、そのまま弟子になったこと。
そして、青柳の弟子として各地の村を渡り歩いて、様々な経験をしたこと。
しかし、その青柳も刃士連合の刃士に殺され、自分だけが生き残ったこと。
それから、八手自身が刃士として経験してきたこと。刃士連合の薊と共闘し、薊を迎えに来た烏から修羅のことを聞いたこと。
――それら全てを話すのには長い長い時間が必要だったが、蜉蝣は時折相槌を打ちながら聞いてくれた。
「修羅がまた現れたとはな」
全てを聞き終えた後、蜉蝣がぽつりと言った。
「知っているのですか?」
「ああ、本隊を討伐したのは別の刃士たちだが、その末端の者と戦って殺した。当時、勢力を拡大しようとしていた修羅たちは各地にその一員を送り込んで、新たな刃士を集っていた。もっとも、それが兵力を分散させる結果となり、逆に討たれることとなった訳だが……」
蜉蝣は考え込んでいるようだった。
「おそらく、まだ当時程の力は得ていないはずだ。赤の国を隠れ蓑にしていることからも、本格的に事を交えるにはまだ早いと踏んでいるのだろう」
蜉蝣は八手を見据えていった。
「それで、お前さんはどうするつもりだ? 刃士連合と戦うのか? それとも修羅と戦うのか? いっそのこと、何もせずにこのまま刃士として働き続けることもできるが……」
八手は答えに困った。
よくよく考えてみれば、明確な目標があった訳ではない。ただ、刃士としての仕事をこなしつつ、このままではいけない、もっと強くならなければならない、そんな焦燥に駆られていたからだ。
「分かりません」
八手は正直に答えた。
「……分からない? なら、なぜ力を求める?」
「このままでは……必要となった時に十分に戦えない。今は強くなれるだけ強くなりたい――それではいけませんか?」
試されている――そう感じていた。おそらく、この受け答えで新たな刃の武器を与える価値があるか見極めるつもりだろう。
「確かに、今のお前さんは強いとは言えない。お前さんに合った武器ならば、倍とは言わないまでも、二、三割は強くなるだろうが……」
蜉蝣は思案している様子だった。
「それなら――」
「まあ、待て。新たな武器を作るにはそれなりの対価が要る」
「お金はそんなに持っていませんが……」
「いや、金は要らん。欲しいのはお前さんのその武器、鉈刀だ」
その晩、八手は蜉蝣の工房兼自宅に泊まることとなった。
だが、眠れなかった。
八手は抜き身の鉈刀を手に外に出ると、降りしきる雪の中でそれを見つめた。
――その鉈刀。師匠から受け継いだものだと聞いたが、それをくれるのなら新たな刃の武器として打ち直してやる。
――八手、お前さんは、師匠の影に囚われている。師ならどうするかではなく、自分自身がどうするかで判断できなければ、一人前の刃士とは言えない。
本当の意味で独り立ちするならば、その刃の武器を手放すべきだ。そして、新たな武器、自分自身の武器で「道」を探す必要がある。
――朝まで待つ。それまでにどうすべきか自分で決めろ。
蜉蝣が言った言葉を
確かに、八手は今まで「青柳ならば」と考えて行動していた。それは無意識に師の影を追っていた行動だった。
自分自身の道を見つける――それでも、師匠の鉈刀を手放すのには抵抗があった。師である青柳が命懸けで振るってきた刃の武器――それを自分が手放して良いものだろうか……考えても分からなかった。
前に進むためには、そうするより他はない。それが分っていても、辛い決断には違いなかった。
蜉蝣は八手が外に出ていく気配を察していた。
しかし、声を掛けようとは思わなかった。
これから、八手は悩みに悩むだろう。一晩中悩むかもしれない。だからといって、自分がかけてやれる言葉はない。
八手から聞いたその師匠、青柳はまさに刃士の中の刃士といえる生き様だった。そうであるからこそ、乗り越えるのは難しい。修行を終えて独立したならともかく、修行中に死別したならなおのことだ。
――それでも、越えなければ未来はない。
蜉蝣はそう確信していた。
この激動の時代、多くの刃士たちにはより過酷な運命が待っているに違いなかった。それは八手も巻き込んでいくことだろう。師の影を越えて、新たな武器を手にしなければどこかで命を落とす。
できることならば背中を押してやりたい。だが、それをしてしまっては意味が無い。
今はただ、八手が決断するのを待とう。それがどちらであっても、受け入れる気だった。
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