二.難題


 あれから数週間、八手は青の国に戻り、村々を渡り歩き刃士としての仕事をこなしていた。最初、八手が若すぎるので刃士としての技量を疑惑の目で見る者も居たが、課せられた仕事をこなすと疑惑は敬意に変わった。

 風はすっかり冷たくなり、あと少しで冬になろうという時期だった。

 刃士連合に赤の国――それらを忘れた訳ではなかったが、まずは刃士としての通常の仕事をすべきだという意識があった。その根底には、青柳が植え付けたいかなる時でも一刃士としての生き方を貫くべき、という堅実な考え方があった。

 そういった事情もあり、今も村から村へと続く山道を歩いている最中だった。急峻な地形を一歩一歩踏みしめて進む。

 千の葉の道の大半はこういった険しい山道で成り立っており、整備された幅広の道というのは各王国の王都付近でしか見られない。

 そのため、長距離を旅する者はなんらかの必要に駆られてのことが多く、物見遊山の者というのはあまり居ない。よく長距離を旅するのは、鍛え上げた刃士を除けば旅芸人か行商ぐらいである。

 ――気の、せいか?

 ふと、八手は足を止めて周囲を見渡した。

 最近、時折だが何者かの気配をかすかに感じるようになった。

 先に挙げた通り、この世界では長距離を旅する者自体が少ないので、偶然ずっと同じ道を歩いてきているというのは考えにくい。

 つけられている――なら、刃士以外にありえなかった。兵士では刃士の研ぎ澄まされた感覚をこうも誤魔化すことができるとは到底思えないし、獣ならずっとつけてくる意味が無い。

「誰か知らないが、出てきたらどうだ?」

 八手は背後の道に向かってそう言った。それから数十秒待った。

 誰も出てこない。

 八手はまた歩き出した。

 この結果に満足した訳ではないが、それ以上構う気にもなれなかった。

 つけているのが刃士連合の者ならば、やがてまた斬り合うことになるかもしれない。

 だが、それをするのは今ではない。必要が生じた時にそうすればいい。

 今はただ、為すべきことを為そう――かつての青柳がそうであったように。



 「隈笹くまざさ」の村に着いたのは、もう夕暮れ時だった。

 その村は随分と貧しい村だということが、最初に出会った村の男二人からもはっきりと分かった。二人とも酷く痩せていて、顔色も優れなかった。

「村長の家はどこだ?」

 八手がそう言うと、二人とも明らかに困惑した顔をした。

「あんた……刃士様か?」

「ああ、そうだ」

「ああ、なんてことだ」

 八手にはさっぱり分からなかったが、どうにもまずい事情があるらしかった。

 これは珍しいことだった。地蜂の時のように他の刃士との接触を禁じているならともかく、刃士が来て困る村などまず無いからだ。

「村長の家を教えてくれ」

 それでも、八手は繰り返し言った。

 片方の男が渋々といった感じで答えた。

「そうか……ありがとう」

「刃士様……」

 もう片方の男が何か言いたげに口を開いたが黙った。


 村長の家に着いて刃士だと名乗ると、村長は満足げに八手を迎え入れた。

「やあやあ、よく来てくださった」

 その村長は狸の置物のように太った腹をして言った。あの村人たちとは酷い違いだ。

 八手は大広間に通され、そこで豪勢な夕食が運ばれてきた。

 このような山間の村ではこれ以上ない程の歓迎ぶりだが、八手にはあの痩せ細った村人たちが思い出されてかえって不審に見えた。

「あの……何か大事な仕事があるのですか?」

 八手は料理に手を付けず言った。

「はい、罪人を処刑してほしいのです。それはそれは、酷い罪人でして――」

 村長は話を続けた。彼が言うには、その罪人の男は、夜更けに村長の蔵に忍び込んで溜めてあった金を盗もうとしたのだという。今は捕まえて、柱に縛り付けてあるそうだった。

「私は私財を投げうって、村のために尽力してまいりました。それなのに恩を仇で返すようなこの所業――ここは是非とも、刃士様に衆人の前で首を落としていただきたい、そう思っております」

 八手は少し顔をしかめた。刃士に処刑を頼む村はあったが、何も見せしめにするようなことをせずとも良いだろう……。

「しかし、何も他人に見せるようなものではないでしょう……」

「おや、八手様は一太刀で首を落とせる自信がないと?」

 村長の口調がやや挑発的になった。刃士とはいえたかが若造――そんな考えが透けて見えた。

「いえ、それが依頼ならば果たすまでです」

「ならば結構! 処刑は明朝に私共の庭で行います。準備は既に整っております。ささ、冷めないうちに料理をどうぞ……今夜は私共の離れでゆっくりと休んで明日に備えてください」

 八手は勧められるままに料理を口に運んだ。いずれも料理は上等な物だったが、味わって食べる気分に離れなかった。

 村長はそれとは対照的に美味そうに料理を口に運ぶと、時折酒を口に含んだ。

「離れの戸は開くようにしておいてください」

 村長に酔いが回ってきた頃、空になった料理の器を下げに来た女中の若い娘がそう囁いた。


 深夜、客人用の離れに通された八手はごろりと横になりながら考えていた。

 その離れも、凝った造りの一目見て贅沢だと分かるものだった。

 この村はどうにもおかしい。村人は痩せ細っているのに、村長だけ丸々と肥えている。

 青柳と旅をしていた時に、貧しい村にも寄らなかったこともない。ただ、そういった村では村人も村長も共に痩せていた。

 そういえば、そういった村では青柳は大して報酬を受け取らなかった。全く受け取らないこともあれば、小さな袋に入った干し柿だけのこともあった。

 八手はこうして青柳のことを思い出す度、胸の奥が温かくなるのを感じた。しかし、その後その青柳が死んだのだという陰鬱な気分にもなるのだった。それでも、その死をどこかで受け入れ、冷静に見ている自分が居るのにも気付いていた。

 離れの戸のつっかえ棒はしていなかった。

 あの娘が何を言いたいのか分からないが、あの村長の前では言えない用があるのだろう。

 ふと、気配を感じた。

 八手は鞘に入った鉈刀を手にすると立ち上がった。あの娘――だけではない。十数人は居る。刃士とは違う、もっと戦い慣れていない普通の人間の気配だ。

 それは離れを取り囲むように動くと、やがて戸口に集まってきた。

 戸が開こうとした時、八手はとっさに鉈刀を抜いて構えた。

 戸が開くと、枯れ枝のような生気のない老人が立っていた。

「ああ、刃士様。お願いします。どうか罪人を斬らないでください」

 老人は地面に土下座してそう言った。

 その背後では、娘を含めた老若男女二十人程が同じように頭を下げていた。

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