八.襲撃

十六


「青柳様! 大変です!」

 いつの間にか眠ってしまっていた八手は、そんな声で目を覚ました。

 見ると、あの老人の姿が目の前にあった。

「どうした?」

 八手の隣で、青柳は落ち着いた声で答えた。

「村を……刃士様が、村人を……」

 老人は声を震わせながら、それでも懸命に何かを訴えようとしている。

「刃士が……だと?」

 青柳はそれを聞くや否や、鉈刀を片手に外に出ていった。八手も細剣を手に後に続いた。

 村には、既に血の臭いが漂っていた。

 村人たちの死体が、あちこちにあった。

 死体から流れ出した新しい血が、まだ高い太陽の光を浴びててかてかと輝いていた。

 その中で、長槍を振るう男の姿があった。

 男は、逃げようとした村人の腹に槍を突き立てると、一気に横に裂いた。

 血が噴き出し、腸が傷口から溢れ出る。村人は悲鳴を上げながら倒れた。

 どうやら、男は刃士のようだった。その手並みは刃士以外に考えられなかった。

 青柳はすぐさま男に斬りかかった。

 男はそれを槍で器用に受け止めると、脇に弾いた。

「……刃士がなぜ、村人を襲う?」

 青柳は強い口調で言った。

 それに対して、男は表情を変えずに淡々と答えた。

「この村は我々を裏切った。赤の国の軍に加担する者も、それと同罪だ」

 このやりとりの間も、青柳と長槍の刃士は刃を交えていた。互いの刃が何度も火花を上げた。

 八手は、その間に長槍の刃士の背後に回り込み、突然斬りかかった。

 だが、長槍の刃士はそれにも機敏に反応し、槍の根元で弾いた。

 それでも、青柳を手助けするには十分だった。青柳はその隙を突いて斬りかかった。

 青柳の刃はまたしても弾かれたが、長槍の刃士はわずかに体勢を崩したように見えた。

 八手は攻撃の手を止めなかった。果敢に斬りかかるが、何度も弾かれた。青柳もそれに答えるように、何度も斬りかかった。

 長槍の刃士は、前後を挟まれて、前進も後退もままならない状態となっていた。槍の穂先では青柳を、根元では八手を相手せねばならなかった。

 この刃士は相当な腕前のようだったが、この状態では防戦一方となっていた。それにより、徐々にだが強固な守りも崩れつつあった。

 ついには、体勢が大きく崩れることが多くなり、隙がちらほらとでき始めた。

 青柳はそれを見逃さなかった。八手の剣を乱暴に弾いた瞬間に一気に距離を詰めて、左手で槍の柄の部分をつかんだ。

 次の瞬間には、鉈刀を相手の頭に振り下ろしていた。武器を封じられた長槍の刃士はなすすべなく、頭を鉈刀で叩き割られた。

 血に混じって脳漿と脳味噌が飛び散り、頭部が欠けた亡骸が地面に横たわった。

「よく、手伝ってくれたな」

 青柳は八手にそう声を掛けた。

 しかし、それで終わりではなかった。

 突然、茂みの中から大斧を手にした刃士が飛び出してきたのだ。

 青柳は間一髪のところで斧を受け止めた。

 その時、別の所から悲鳴が聞こえてきた。それは悲鳴というよりは、断末魔の叫びに近かった。

 この時、青柳と八手は悟った。複数の刃士が、この村を滅ぼそうとしていると。少なくとも、殺した刃士を含めて三人以上の刃士がこの村を襲撃しているのだと。

「八手、向こうは任せた!」

 青柳は大斧を鉈刀で受け止めたまま、そう叫んだ。

 叫びながらも青柳は後悔していた。

 おそらく向こうにいけば、別の刃士が居ることだろう。未熟な弟子を一人前の刃士と戦わせようというのだ。あまりにも無謀な決断だった。

 それでも、村人たちのことを考えると、青柳はそう決断せざるをえなかった。この村で刃士と戦えるのは、青柳と八手しか居ない。兵士になど任せる訳にはいかない。

 八手は、師の意図を理解して駆けだしていた。自分一人で他の刃士と戦うことに不安が無かった訳ではない。それでも戦わなければならない状況であると確信していたのだ。

 ――初めて、一人で他の刃士と戦う。

 八手はそう考えただけで、全身に震えを感じた。

 その背後では、大斧の刃士と青柳が刃を交える音が響いていた。


 八手が向かった先には、幅広の剣を手にした老刃士が居た。

 老刃士は倒れた兵士にとどめを刺しているところだった。幅広の剣が、兵士の心臓のあたりを背中から突き刺している。

 その周囲には、既に「物」と化した村人たちが幾人も倒れていた。

 八手は迷った。このまま一気に斬りかかって、先制するべきだろうかと。

 老刃士は一見すると隙だらけに見えたが、一人前の刃士ならそんなにも隙だらけだとは思えなかった。不用意に斬りかかれば、こちらが返り討ちにあうかもしれなかった。

 そのうち、老刃士はのんびりとこちらを見た。

「刃士……いや、若いな。弟子か」

 その言葉にはどこか余裕があり、少なくとも警戒しているような様子ではなかった。

 自分は負けないという絶対の自信……八手は頬に冷や汗が流れるのを感じた。

「……それで、わしをどうするつもりだ?」

 老刃士は笑った。お前など恐れる対象ではない……そう言っていた。

「なぜ? 村を襲った?」

 八手は細剣を構えると、喉の奥から絞り出すようにしてそう言った。

「分からんか」

 老刃士は、足元の兵士の死体を突き刺しながらそう答える。

「彼らは、わしら刃士の誇りを汚した。『罰』が必要だ……そう思わんか?」

 八手は何も答えなかった。

「見るがいい……赤の国はわしらを真似て兵士どもに刃の武器を持たせたが、その結果がこれだ」

 老刃士は兵士の死体を何度も突き刺しながら語り続ける。

「愚かしいとは思わんか?」

 老刃士は八手をじっと見つめて言った。その目に敵意は感じられなかった。

「……どうだ? お前はまだ若い。わしらと一緒に来んか?」

 八手は迷った。この老刃士と一緒に行くかどうかを迷ったのではない。この老刃士に斬りかかって良いものかどうかを迷ったのだ。

 相手が自分よりは強い。それは間違いない。

 そして、普通に戦えば八手は死ぬだろう。これも間違いない。

 ……だとしたら、斬りかかることに意味などあるのだろうか。今更斬りかかったところで時間稼ぎにすらならない。既に村の人間の大半は殺されたことだろう。

 それでも、八手は構えを解かなかった。

 明確な理由があった訳ではない。それでも、八手を突き動かす何かがあった。それは言うなれば、刃士としての本能。より強い相手に戦いを挑むことのできる闘争心であった。

 八手は迷いを振りきるかのように、一気に老刃士に斬りかかった。

「やめておけ」

 老刃士は難なくそれを受け止め、弾き返した。

 八手はひるむことなく、また斬りかかった。

 それも同様に弾かれた。

 老刃士は言った。

「ふむ、あくまで退く気はないか。……愚かな」

 最後の一言は、ぞっとする程に冷たかった。

 老刃士の目に殺意が宿った。

 次の瞬間、幅広の剣が八手の左耳を裂いた。

 鋭い一撃と、痛み。もしとっさに避けていなければ、頭を真っ二つにされていたことは確実だった。

 それでも、八手はひるまなかった。

 何度も何度も、ただひたすらに斬りかかる。

 もはや、守る対象がどうとかはどうでもよかった。ただ、相手を殺すためだけに刃を振るっている。

 実力差は明らかだった。八手の剣は老刃士に一向に届かない。

 老刃士の剣が八手の右脇腹をかすめ、服を裂いた。それでも八手はひるまない。

 ――斬る。

 八手の頭の中には、他には何もなかった。

 八手は細剣を振るい続ける。その切っ先は、老刃士には決して届かない。

 ――斬る。

 ついには、老刃士の剣は八手の右肩を大きく斬り裂いた。

 その瞬間、激しい痛み、焼けるような痛みがはしった。

 だが、大きく肉を斬り裂いた瞬間にわずかに隙ができたことを、八手は見逃さなかった。

 八手は剣を真っ直ぐに構えると、体ごとぶつかるようにして老刃士の体に刃を突き立てた。

 背中まで刃が貫通し、血が噴き出す。八手は右肩の痛みに耐えかねて剣を手放した。老刃士は腹に刃を突き立てたまま、地面にゆっくりとあお向けに倒れ込んだ。

 終わったのだ。

 本来、八手が勝てるはずのない戦いだったが、老刃士にはその実力差ゆえの油断があったのだろう。

 老刃士の亡骸には、驚愕の表情が浮かんでいた。自分が一撃を受ける、更には敗北するということが信じられないとでも言うように。

 勝った……。八手は全身から力が抜けていくのを感じ、地面に両膝をついた。

 八手の服は右肩からの血と返り血で真っ赤に染まっていた。ふいに、肩の傷口の痛みがじわじわと強くなった。

 しかし、これで終わりではない。

 八手は残った力を振り絞って立ち上がった。

 まだ、師匠の所には、もう一人の敵刃士が居るかもしれなかった。もちろん、青柳が既に殺してしまっていることも考えられなくはなかったが。

 自分もそこへ行かなければならない。手助けになるかは定かではないが、早く。

 八手は歩き出した。それが駆け足になるのに、それ程時間は掛らなかった。


 金属音が響いていた。

 両刃の大斧が鉈刀を弾いた。

 青柳は、少し下がって距離を取ると、鉈刀の柄を改めてしっかりと握りしめた。

 目の前には、両刃の大斧を手にした大柄の刃士が居た。

 強い。その大柄の刃士の実力は、地蜂などとは比べ物にならない。もっとも、あの時の地蜂は酔ってはいたが、そうでなくともこの刃士の方が実力ははるかに上だろう。

 大柄の刃士は、斧を叩きつけるように振るった。

 青柳が避けると足元の土がえぐれ、土煙がもうもうと舞いあがった。

 その刃士の一撃は異常に重く、荒々しかった。下手に受け止めようものなら、武器ごと真っ二つにされてしまうと思える程だ。

 それでも、青柳が全くの不利かというとそうでもなかった。大斧の刃士は一撃一撃が大振りであるために隙が大きく、振る速度もそれほど速い訳では無かった。

 青柳は鉈刀を小刻みに振るい、慎重に様子をうかがっていた。いつか大きな隙ができるという確信があった。

 しかし、そううまくはいかなかった。一度大斧で防がれると鉈刀は大きく弾かれ、体勢を崩されそうになる。その衝撃はすさまじく、下手をすると武器の重さと腕力に押され気味になるのだった。

 大斧が振るわれる度に青柳は徐々に後退していった。

 大斧による攻撃を何度も受け止めたためか、利き腕の感覚が鈍りつつあった。握りしめ過ぎた手は血の気が無くなり真っ白となり、握力が徐々に弱まっていた。

 もはや、誰が見ても青柳の方が不利な状況に陥っていた。それでも青柳が抵抗を続けるのは、刃士としての誇りゆえにだった。

 十中八九、自分は死ぬだろう。青柳はそう確信しながらも、冷静だった。

 八手が戻ってくることも、考えなかった訳ではない。しかし、二人がかりでも勝てる相手かどうかは確信が持てなかったし、何より八手が無事戻ってくる確率は低いと考えていた。

 それでも、今は後悔していなかった。自らの弟子を死地に送り出したことも、自らが死ぬであろうことも。

 刃士とはそもそも、そういうものなのだ。死と隣り合わせの生き方をしながらも、それを不安や恐怖に思うことはない。ただ命続く限り斬り続け、尽きれば死ぬ。そういうものなのだ。

 青柳はそういった刃士としての心得を忘れたことがない、ある意味では最も刃士らしい刃士だった。

 大斧の一撃がとうとう握力の弱った青柳の手から鉈刀を弾き飛ばした。鉈刀は二人から少し離れた地面に落ちた。

 次の一撃が青柳の胸に叩きつけられた。刃が肉と内臓を裂き、肋骨と胸骨は砕け、傷口から血を噴き出しながら青柳はうつ伏せに倒れた。

 この様子にどこからか叫び声が上がった。

 八手だった。ちょうど戻ってきた時に、青柳が倒れるところだったのだ。

 八手は躊躇うことなく、大斧の刃士に斬りかかった。

 だが、手負いの状態で冷静さを失った八手の刃はむなしく空を斬っただけだった。

 大斧の刃士は斬りかかった。金属音が響き、火花が散った。

 その一撃で八手の細剣は折れ、折れた刃がくるくると回転しながら後方に飛び去っていった。

 八手の腕と武器では、そもそも戦える相手では無かったのだ。

 八手は後退しながらも、短剣を抜いた。その短剣は、大斧に対してはあまりにも弱々しかった。

 目の前には、大斧を構えた刃士の姿があった。次の一撃で八手はこの刃士に殺されるだろうと確信していた。

「待て」

 ふいに、大斧の刃士が言った。

「……お前、この刃士の弟子か?」

 大斧の刃士は何か考えているようだった。

「……そうだったら、なんだ?」

 八手は相手を睨みつけながら答えた。

「そうか……まあいい」

 大斧の刃士は構えを解くと、そのまま八手に背を向けた。

「お……おい!」

 八手は訳が分からなかった。刃士の戦いに情けは要らない……そのはずだった。

「どうにもこういうことは気が進まん。お前が一人前の刃士だったら斬ることも考えたが、今は見逃してやろう」

 大斧の刃士は背を向けたままそう言った。

 そんな無茶な……八手に納得できるはずがなかった。今すぐにでも斬りかかって、この刃士の背中に刃を突き立てたかった。

 幸い隙だらけだ。今ならできる。それなのに、八手はそうできなかった。

 誇りがどうとかそういう問題では無かった。刃士が斬られた場合、斬られるような隙を見せた方が悪いのだ。背後から油断しきった相手に襲いかかっても、それは正しいことだ。

 それなのに、八手はできなかった。

 ただ、八手は青柳の亡骸の傍に座り込んで、その死に顔をじっと見つめた。

 八手はいつの間にか泣いていた。頬に付いた返り血と涙が混じって、赤っぽい水となって地面にしみを作った。

 大斧の刃士は、ゆっくりとした足取りで遠ざかって行った。

 強いと信じていた師が、死んだ……。

 八手は、目の前にある現実を受け入れられずにいた。刃士は危険な職業であると分かってはいたが、実際に青柳が死ぬことなど考えられなかったのだ。あの、強い青柳が……。

 だが、確かに死んだのだ。

 遠くで鳥が鳴いていた。今ここであったことを無視するかのような、のどかな鳴き声だった。

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