六.動乱

十二


 翌朝、青柳たちは国境の山を越えて、赤の国に入ろうとしていた。

 青柳は今の状況を特に気にする様子もなく、山中を堂々と歩いていく。八手は少し神経質に辺りを見回しながらそれに付いていく。

 そのため、先に気付いたのは八手の方だった。

 大柄な刃士、それも遠くからでも目立つ大きな槍を手にしている男が歩いていた。先端には布が巻かれていたが、その膨らみ方から槍だとはっきりと分かった。

「師匠!」

 八手は真っ先に青柳に呼び掛けた。

「ああ、居るな」

 青柳は動揺した様子はない。

 槍を手にした刃士も、こちらに気付いたのかゆっくりと近付いてくる。

「おや、あんたらも『刃士連合』に参加するのかい?」

 槍の刃士は、目の前まで来るとすぐにそう言った。その刃士は、無精髭で頭に鉢巻きを巻いていた。

「刃士連合? 何だ、それは?」

 青柳はそう返した。

「なんだ。違うのか……まあいい。あんたらも、一緒に来るか?」

 槍の刃士は特に気にした様子もなく、そう呼びかけた。

「その前に刃士連合とはなんだ?」

「ああ、その説明が要るな」

 槍の刃士は、地面に槍を置き、自分もどっかりと腰を下ろした。それから、青柳たちにもそうするように促した。

 青柳は立ったまま動かない。八手もそれに従うことにした。

「まず、俺は蜻蛉とんぼという刃士だ。そこそこ名は知れているが、あんたらは聞いたことはあるかい」

 青柳たちは同時に首を横に振る。

 蜻蛉は少し悔しそうな顔をしたが、それもすぐに元に戻った。

「刃士の青柳だ。こっちは弟子の八手だ」

 青柳も自己紹介する。

「そうか。あんたらも、聞いたことが無いな」

 蜻蛉は少しにやりと笑った。

「それで、刃士連合とはなんだ?」

「ああ、あんたら赤の国が掟を破ったことは知っているだろう。刃士連合はそれに対抗するための刃士の組織だ。今、腕の立つ刃士に声を掛けて頭数を集めている」

 ――刃士が徒党を組む?

 八手は意外に思った。刃士は単独、もしくは弟子だけを連れて行動することが多い。大規模な村喰いの退治などでは、刃士を二、三人まとめて雇う村もあるにはあるらしいが、それもその仕事が済むまでである。ましてや、自分から進んで徒党を組むことはまずない。

 蜻蛉は八手の意外そうな顔を確認すると得意そうに言った。

「まあ、今は時代が時代だ。刃士とて個々で動いていては解決しない問題もあると気付いたんだ」

「それで、その大将は誰がしている?」

 青柳は表情を変えることなく尋ねた。

「唐草……『百人斬りの唐草』といえば、あんたらも聞いたことがあるだろう?」

「なるほど、道理で刃士が集まる訳だ」

 青柳は納得したように頷いた。八手は唐草という名の刃士をどこかで聞いたことがある気がしたが、思い出せなかった。だが、話の筋から推測するに、かなり腕の立つ刃士だと見当が付いた。

「ところで、あんたら一緒に来ないか? 今はとにかく人手を集めてる……いきなり来たところで、断られることはないだろう」

「いや、結構だ」

 青柳は即座にそう答えた。

「そうか、そりゃ残念」

 蜻蛉はにやりと笑うと、立ち上がってまた歩きだした。その笑い方には、旧時代のあり方を続けようとする老刃士に対する嘲笑が含まれているようだった。

 青柳もそれとは別の方向に歩き出していた。八手もそれに続いた。

 ――このままで、良いのだろうか?

 八手はふと、そう思った。

 青柳は優れた刃士だ。それは間違いない。

 しかし、時代は変わりつつある。このまま青柳のような生き方で良いものだろうか。

「気になるか?」

 ふいに青柳が尋ねた。

「いえ……」

 八手はそう答えつつも、心の中を見透かされたような気がして動揺していた。

「刃士は、あくまでこの世界を守るために存在する。その力を自らの主張を押し通すために使うのは間違っている……」

 青柳は遠い目をしてそう言った。

 その目は、青柳自身が今まで生きてきた道筋を辿っているようだった。

 八手は何も言えなかった。

 ただ、黙々と歩き続けた。


十三


 日が沈む頃、赤の国の隊長・ほおの木は自らが統括する部隊を眺めていた。

 約八十人の隊員が天幕を広げ、野営の準備を着々と進めている。その様子を見ていると、自分がこの部隊の隊長であるということが時々信じ難くなるのだった。

 思えば、半年ほど前までは、部下である兵士はたった五人しか居なかったのだ。それが徴兵による兵士の急激な増加で、今ではこれほどまでの大部隊となった。もっとも、この「巡回」でかなりの兵を失ってはいたが。

 巡回――そう称して、赤の国の王は増強された部隊に自国内の各地を回らせていた。それにより国内の村喰いを退治し、治安の回復を図るというのが建前だった。その結果、この部隊は四つの村喰いの集団を滅ぼしはしたが、同時に十数名の犠牲を出していた。

 とはいえ、これは単なる治安回復のためというよりも、訓練を兼ねた実戦であることは明らかだった。これが済めば、他国に遠征を開始するというのが、部隊内でのもっぱらの噂だった。

 今、他国にはこれほどまでに本格的な軍隊は居ない。この部隊と、国内に散らばっている兵士の数を合わせるとおよそ五百……それだけで圧倒的な数だ。青の国にしても黒の国にしても、せいぜい王城の門を守るわずかばかりの衛兵に毛が生えた程度の兵力しかない。

 しかも、刃の武器を持った軍隊は赤の国だけだ。それだけでも棍棒や木槌で戦う他国の軍と差が出るというものだ。

 それでも、朴の木は奇妙な不安に襲われていた。我々は掟を破ったのだ、いつかその罰がくだるのではないか、と。

 もちろん、その不安は誰にも話すことはなかった。今、弱気な姿勢を見せることは避けなければならない。過度の徴兵にしても、他国への遠征の噂にしても、あまり納得できることではなかったがそれを口に出すことはままならない。一旦口にしたら最後、朴の木はこの地位から転落するだろう。なにしろ代わりはいくらでも居るのだから。

 朴の木の所に天幕の設営の完了を告げる兵士が来た。朴の木は適当に頷いておいた。

 こんな日は、早く寝てしまうに限る。一晩眠れば、この不安も消えていることだろう。


 夜中、天幕の中、朴の木は当然の悲鳴で目を覚ました。悲鳴……それも、一つ二つではない。やむことなく続いている。

 すぐさま副隊長が天幕の中に飛び込んできた。

「じ、刃士が……」

 声が震えている。尋常ではない。

「刃士が、どうした?」

 朴の木は冷静を装って尋ねる。

「刃士が数人攻めてきました。我が軍は既に劣勢です」

 ――劣勢、だと?

 朴の木はすぐにはその話を信じられなかった。八十人もの兵士が、刃士とはいえ二、三人が攻めてきたところで負けるとは思えなかった。訓練された八十人の兵士、それも刃士と同じ刃の武器を携えた者たちだ。

 朴の木はとても信じられなかったが、確認するために天幕の外に出た。副隊長がすごすごとそれに続いた。

 信じられなかった。

 刃士たちが、縦横無尽に駆け巡っていた。兵士たちはほとんど一方的に斬り捨てられ、地面に倒れていく。かがり火が倒され、その炎が天幕を焼いていた。

 刃士たちの戦い方は様々だった。巨大な斧を携え獣のごとく突進する者、二本の短剣を操り舞うように斬り裂く者……だが、その数は決して多くなく、せいぜい三、四人といったところだった。

 兵士たちは、その中の何人かは未だに戦意を失っておらず果敢に斬りかかろうとしていたが、残りの者は立ち尽くしていた。それは、並んで斬られるのを待っているようなものだった。

「指示を……」

 副隊長がそう言っているのが、悲鳴の中かろうじて聞き取れた。

 だが、朴の木はそれに答えることはできなかった。既に出せるような指示は何もなかった。たとえ出したとしても、この状態で誰が聞くのだろうか。

 朴の木は呆然としながら、その地獄絵図を見つめていた。

 もはや、刃士たちに斬りかかる兵士は居なくなっていた。朴の木と同様にただ呆然と立ち尽くすか、よたよたしながら逃げ回るか、その二種類だった。

 炎に照らし出された兵士たちの顔には、皆一様に恐怖の色が表れていた。それは、村喰いを相手にしている時には、決して見られない表情だった。

 朴の木は、夢だと思いたかった。これは悪い夢なのだと。そうでもなければ、いかに奇襲されたとはいえ、この大敗の原因が思いつかなかった。

 立ち尽くす朴の木にも、一人の刃士が襲いかかった。その刃士は槍のような武器を手にしていた。

 朴の木はもはや抵抗する気すら起きず、刃士が自分に向かって槍を突き出そうとするのをただ見ていた。

「待て」

 ふいに、いつの間にかその背後に立っていたもう一人の刃士が止めた。その刃士は、異様に長い剣を手にしていた。

 槍の刃士は、渋々といった様子で、その手を止めた。

「お前は、この兵士たちの大将か?」

 朴の木は声を出すことすらできず、ただ首を縦に振った。

「戻って王に伝えろ。我々、刃士連合は掟を破った者を許さない。すぐさま軍を減らし、刃の武器を捨て、元通りにせよ、と」

 朴の木は首を縦に振るばかりだった。

「もういい、帰るぞ」

 長剣の刃士は、仲間にそう呼びかけた。

 その声に集まってきた刃士はたった四人だった。四人の刃士は、平然と歩いて去っていく。

 いつに間にか、悲鳴は聞こえなくなっていた。それどころか、彼ら以外には動いているものすら見えなかった。

 朴の木は夜の闇のせいだと思いたかった。暗いせいで見えないだけで、生き残っている兵士はかなりの数が居るのだと。

 無情にも、天幕に燃え移った炎が辺りを照らし出している。少なくともその中には、動いているものの気配はない。

 それどころか、すぐそばに居た副隊長の姿すら見えないことに気付いた。

 斬り捨てられたことに気付いていないのでなければ、まだ生きているはずだ。そう思って辺りを探すと、天幕の陰に副隊長の姿を見つけた。

 生きていた。

 生きて、そこらに転がっている木の枝をばりばりと噛んでいた。

 その目は、既に正気ではなかった。

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