五.予兆


 青柳たちは村を離れ、山道を歩いていた。

 今頃、村を支配していた地蜂たちが退治されたことで、村ではちょっとした騒ぎになっていることだろう。

 その報酬も、村にもう少し留まっていればおそらく受け取れたことだろう。

 八手はちらりと青柳を見た。

 だが、青柳はそれを望まなかった。それならば、八手も従うよりほかはない。

 元々、これは青柳にとっては依頼というよりも当然のことだったのかもしれない。

 刃士の不始末は刃士が片付ける。それだけのことだったのだろう。

 それでも、あの後、地蜂の剣を渡された八手は内心喜んでいた。短剣よりも鋭利で、刃渡りもある。何より新しい武器というだけでも興奮していた。

 二人は黙々と歩き続けた。

「刃士の時代が……終わる、か」

 唐突に八手が口を開いた。

「どうした?」

 青柳が答えた。

「いえ……地蜂が最期に言っていた言葉を思い出しただけです。あの言葉、何か確信があるような言い方だったので……」

 八手はその言葉が妙に引っ掛かっていた。

 あの言葉は、単なる空想ではない。どこかそう思わせる雰囲気があった。

「師匠は、もし刃士の時代が本当に終わるのなら、どうしますか?」

「どうもしない、ただ今まで通りに、刃士としての仕事をこなすだけだ」

 青柳は迷うことなくそう答えた。

 これは、青柳らしい答えだった。たとえ周囲がどうであろうと、自分の仕事を淡々とこなす――それは今までの青柳の生き方そのものだった。

 もっとも、八手にはその生き方が正しいのか判断に迷うことも多々あったが……。



 「赤」の国の領地、うっそうと茂る森の奥深くで、二人の刃士が話していた。

「やはり、赤の国は掟を破る気のようですね。大規模な徴兵と刃の武器の生産……これらはいずれも掟に逆らうものです」

 若き刃士・蟋蟀こおろぎは静かにそう言った。

 その報告を聞くと、もう一人の刃士、黒々とした髭を蓄えた中年の刃士・唐草からくさは少し考え込むような仕草をした。

「そうか……やむをえんな」

 赤の国はこのところ、やたらと徴兵を行い、刃の武器までも所有しだしていた。

 それらは表向きは、村喰いが増え、もはや刃士だけに任せてはおけないという理由であったが、それだけではないことは明確だった。

 それは他国への侵略開始の準備であるとともに、刃士たちへの反逆であった。

 本来、刃の武器を持つということは、刃士だけに許された特権であった。それは四百年前から途切れることなく続いており、どの国もそれを守ってきた。

 しかし、近年その状況は変わりつつあった。赤の国は掟を破ってでも、国家がもう少しちゃんとした軍事力を持つべきだと主張した。そして、とうとう独自にその軍事力を生産するところまでこぎつけた。

 これは、四百年間の比較的平和な時代が終わることを示していた。

「制裁が必要だ……分かるな?」

 その言葉に、蟋蟀は頷いた。

「その通りです。彼らは我々に宣戦布告したも同然です。……まずは警告すべきでしょうね」

「警告を、聞くと思うか?」

「さあ、どうでしょう?」

 蟋蟀はそうは言いつつも、警告など聞くはずがないと確信していた。唐草にしても、内心そう思っていた。

 彼らは刃士の居ない世界を創るつもりなのだ。国家のみが武力を保有し、それによって支配する仕組みを。

「ところで、集まり具合はどうだ?」

 唐草は髭をいじりながら言った。

「はい、順調です。……数こそ多くないですが、思いあがった小国を叩き潰すには十分です」

「そうか」

 唐草は満足そうにそう言った。


十一


「ためらうな。……一気に斬れ」

 細剣を手にした八手に、青柳は背後からそう呼びかけた。

 目の前には、顔を布で覆われてござの上に座らされている男の姿があった。そして、その前にはたらいが置かれていた。

 男の体が微かに震えているように見えるのは、気のせいではないようだった。

 それでも、ためらってはいけない。八手は自分にそう言い聞かせた。

 もし自分がためらい、剣の切れ味を鈍らせるようなことがあれば、男の苦痛は更に増すこととなる。それを防ぐには、一太刀で斬り捨てるしかない。

 意を決して、八手は男の脇に立った。

 狙いを定めると、力一杯に斬りつけた。

 ごとん、と音がして、たらいの中に男の首が落ちた。

 首から上を失った胴体が倒れた。

「そうだ……それでいい」

 青柳が満足げに頷いた。

 地蜂を退治してから一ヶ月後、青柳たちは青の国の端、山を挟んで赤の国との国境沿いにある「赤土」の村に居た。

 青柳たちはそこで、罪人の処刑の仕事を頼まれていたところだった。

 多くの村では、処刑する場合は絞首刑とするが、こうして刃士に頼む村も少なくない。それは、罪人とはいえせめて苦痛なく死なせてやろうという配慮なのかもしれなかった。

 もっとも、頼まれる刃士にしてみれば責任重大である。一太刀で絶命させなければかえって苦痛を長引かせることになってしまう。また、自分の刃士としての評判も落ちてしまうことになる。

 そんな責任のある仕事を青柳が八手に任せたのは、八手の腕をそれだけ信頼しているといえた。

 それだけではなく、あれ以降、青柳は八手に仕事を手伝わせることが多くなっていた。

 村人たちが、死体を運んでいく間に、八手は刃に付いた血をぬぐった。

 空はよく晴れていた。青空の下、生々しい血の臭いが漂っていた。

 八手は剣を鞘に納めると、青柳に近寄った。

「この人は……なぜ処刑されたのでしょうか?」

「さあ、それは我々の詮索するようなことではないな」

 八手の予想した通りの答えだった。

 青柳は余計な詮索をしない。しかし、八手は時々色々と聞いてみたくなるのだった。


 その後、村長の家で昼食をとることとなった。

 その昼食は、村の多くの者を集めたにぎやかな食事だった。大皿に盛られた料理が机の上に幾つも並べられていた。

 どうやら、今日は村の何かの集まりがあるようだった。

 青柳が小皿に盛った料理をつまんでいると、問いかける者があった。

「赤の国は、兵士を集めて、刃の武器まで持たせているといいますが、大丈夫でしょうか?」

 問いかけたのは中年男の一人だった。

 その話は、青柳たちも知っていた。赤の国が掟を破った……その話を途中の村々で耳にしていた。

 八手は青柳がどう答えるのかと、耳を澄ませた。

「大丈夫、というと?」

「赤の国は、今でこそ自国の村喰いを退治しているだけですが、そのうちに他国に攻めてくると皆言っています。

 だから、ええ……刃士様に……」

 中年男は言葉を濁した。

「ふむ……」

 青柳は少し考え込むような仕草をした。

「もしそれが本当だとすると、我々も何とかせねばならんだろうな」

 どことなく間延びした答えだった。

「では、刃士様は実際に赤の国が攻めてきたらどうされるおつもりですか!?」

 別の声が言った。さっきよりも若い男の声だ。

「それは……斬るしかあるまい。しかし、我々はまつりごとには関わらぬのが昔からの慣習だ。今のところはどうにもできん」

 青柳は淡々と答え、また料理をつまみはじめた。

 村人たちの間でざわめきが起こった。それはどちらかといえば、失望のざわめきだった。

 皆、不安なのだ。赤の国が攻めてきたとしても、青の国の兵士の数は限られている。そうなると頼りになるのは刃士だけだ。

 だが、この老刃士はのらりくらりかわすだけで、一向に勇ましい言葉が出てこない。村人たちしてみればそれが不安のようだった。

 八手は黙って料理を食べていた。

 青柳が本当は何を考えているのかは、八手にも分からなかった。それでも、この老刃士のことを八手自身が信頼していることは確かだった。

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