二.狩人
三
青柳たちが昼過ぎに着いた「樫の木」の村は、一見すると平和なものだった。
だが、刃士の仕事がないとは限らない。一見すると平和そうに見える村でも、実はそうでもないことも多いのを彼らは良く知っていた。
青柳は、村のはずれの畑を耕している男に会うと尋ねた。
「
男は鍬を持った手を休め、顔を上げた。
「ああ、あんたら、刃士様かね?」
「ああ、そうだ。この村に仕事が無いか探している」
男は額の汗をぬぐうと、少し喜んだような顔になった。
「仕事……ああ、ちょうどええ」
「何かあるのか?」
「へえ……まあ」
青柳は村長の家を訊くと、そこへ向かった。
刃士の仕事は大抵こういった村の代表者から受けることになっているからだ。もっとも、これは強制ではなく、単なる村人からも頼まれることもあるが。
「刃士様、よくぞおいでなさった」
その村の村長、禿げあがった頭と白い髭を蓄えた老人は、彼らが着くとすぐさま家に招き入れ、お茶を出した。そのお茶は高級なものらしく、香りが良かった。
どうやら、それなりの仕事があるらしい。
その対応だけで、二人は悟った。用がある時は、どの村でもその扱いはひときわ良くなる。逆に用がない時はぶしつけに扱われることもないわけでもない。
「刃士の青柳だ」
「弟子の八手です」
ひとまず自己紹介して頭を下げる。
「この村では、どうやら困っていることがおありのようだな」
青柳がそう問いかけた。
八手は、それをじっと見ていた。こういった場では、師匠が話すのを黙って見ているべきだ。弟子の自分が口を挟むべきではない。
「ええ、この村では最近、ヨツバイノシシに畑が毎晩のように荒らされていましてな。是非とも刃士様に退治していただきたい」
「村のものでは無理だと?」
「ええ……恥ずかしいことに、村のものでは歯が立たんのです。先日も、夜の畑に見張りを立てていたのですが……」
「やられた、と?」
「ええ……そのイノシシは体が大きいだけでなく、とんでもなく凶暴な奴でしてね。鍬やら棍棒やらで殴りかかっても、こちらが牙で切り裂かれる始末で……」
村長は額にしわを寄せた。
ヨツバイノシシは凶暴で好戦的な獣だ。しかも、一旦人里に下りて畑を荒らすことを覚えると、何度でもやってくる。
「それで、刃士なら歯が立つだろうと?」
「ええ、そうです。ああいう奴は、棍棒でいくら叩いても、首を斬り落とさんことにはどうにもならんのです」
「分かった。今夜の見張りに立とう」
青柳はそう言うと力強く頷いた。
その後、青柳たちは村長の家でごろりと横になった。相手は夜行性の獣だから、一晩じゅう見張りに立つために、昼間のうちに寝ておくつもりなのだ。
とはいえ、青柳はともかく八手はそうする必要があるのかは微妙なところだった。八手は今回の見張りに付いていくことを許されておらず、村長の家で青柳の帰りを待つしかないからだ。
これまでにも、八手は青柳から同行を許されないことが多かった。
八手は青柳から見るとまだまだ修行不足らしく、実戦に出すには時期尚早だと考えられているようだった。
それでも、八手から見ればこれは不満だった。まだ一人前と呼ぶには早すぎるという自覚はあったが、それでも自分の身は自分で守れる、足手まといにはならないという自信はあった。
しかし、師匠の青柳から見れば、その過信こそが危なっかしいものだった。どんな状況でも「絶対」はない。それなのに自身を過大評価すれば、下手をすると命を落としかねない。
師匠と弟子のこの食い違いが、問題となるのだが、その時はまだ知る由もなかった。
四
夜中、畑の脇で青柳は耳を澄ましていた。
風で木の葉が揺れる音が、時折耳に届くだけの静かな晩だった。
周りには誰もいない。青柳が余計な被害を出さないようにと、村人の手助けを断ったのだ。
こうして、抜き身の鉈刀を手にした影が一つ、暗闇の中にたたずむこととなった。その影は月の光で長く伸びて、丈の低い作物だけの畑では異彩を放っていた。
もっとも、それで相手が逃げる訳ではない。畑を荒らしたヨツバイノシシは既に見張りの目の前に何度も現れているのだ。人間に対する警戒心など、とっくの昔に忘れてしまっているのだろう。
ふいに風向きが変わった。
青柳は風の臭いを嗅いだ。わずかだが獣臭さが混じっている。
――来る。
そう判断した時に、傍の森の中で洗い鼻息のような音が聞こえた。
その頃、八手は村長の家に居た。
ぼんやりとしながら、鞘から抜いた短剣を眺めている。
今頃は、師匠はもう相手に遭遇しているのだろうか。それとも……。
じれったかった。今回だけではない。師匠が仕事に出ているというのに、自分は待機を命じられた時はいつもこうだ。なんともいえない無力感が込み上げてくる。
「あの……」
背後から声がかかった。
短剣を鞘に収め、振り向くと老婆が居た。村長の妻だ。
「あの……刃士様に、お夜食を届けてはだめかしら?」
老婆の手には、葉で包まれた弁当があった。
「いえ、今夜は家から出るなと……」
そうだった。
青柳は、誰かが巻き添えをくわないようにと、夜の外出を控えるように村人たちに言い聞かせていたのだ。
「そうですか……それは残念で……」
老婆は本当に残念そうな顔をした。
ふと、自分が行けばいいのではないかと、八手は思った。
自分なら、村人たちに比べればまだ安全だ。武器もあるし、修行もそれなりには積んでいる。何よりも、自分が見に行きたかった。実を言えば、これはその理由付けに過ぎなかったが、この時の八手にはそれらしく思える理屈だった。
「分かりました。俺が渡してきます」
八手は老婆の手からひょいと弁当を受け取ると、外に出た。
森の奥から、巨大なヨツバイノシシが姿を現した。
その名の通り、四本の牙が出ている。体長は三メートル以上あり、飛び出した鋭い牙の長さだけでも三十センチはあるような大物だ。
そのイノシシが青柳をじっと見つめ、動きを止めた。
どうやら、今夜の見張りが今までとは違うことを肌で感じ取ったようだった。
だが、それも一瞬だった。畑に入ると、当然のことのように作物を漁りだした。
その瞬間、青柳は鉈刀をその頭に打ちおろしていた。
あと少しのところでイノシシはとっさにかわし、下がって青柳を見据えた。
柔らかい地面がえぐれ、刃がめり込む。
イノシシは怒号の鳴き声を上げると、青柳に突進していった。
今度は青柳がかわしたが、牙の端が正面に構えた鉈刀に当たり、金属音を立てた。
イノシシはそのまま真っ直ぐに何メートルか進むと、またこちらに向き直った。
互いににらみ合い、敵意を放つ。
そのまま膠着状態にも入りそうな様子だったが、青柳が仕掛けた。
またさっきと同じように打ちおろす。
元々、先端部分で突き刺すことのできない鉈状のこの刃では、攻撃方法が打ちおろすか横に薙ぐしかないのだ。
イノシシもさっきと同じようにかわそうとしたが、今度は反応が少し遅れた。首を横に逸らすのが精いっぱいで、打ちおろされた刃が牙に当たった。
硬い音がして、牙の一本が折れた。その牙はそのままくるくると回転しながら地面に突き刺さる。
その前にイノシシは青柳に対して背を向けていた。悟ったのだ。相手の力量を。
そのまま、その場から逃げようとする。
青柳は後を追う。
優れた刃士は、獣と同じぐらいの速さで動くことができる。この場合も、後を追うのは造作もないことだった。
青柳には確固たる勝算があった。
このまま相手が疲れ果てるまで追いまわし、首筋に鉈刀を打ちおろせばそれで終わる。この「追いかけっこ」がいつ終わるとも知れないが、それでも朝日が昇るまでには相手が疲れ果てるだろうと踏んでいた。もっとも、これらの勝算は青柳の刃士特有の常軌を逸した体力と運動能力があればこそだが。
事実、この作戦は何も問題ないように見えた。このまま人里離れた森の奥まで追いかけていき、そこでとどめを刺す。それで終わりになるはずだった。……目の前に八手が姿を見せるまでは。
物陰から走ってきた八手は、目の前に飛び出してきたイノシシに反応が遅れた。
「馬鹿! 何をしている!?」
八手はかわそうとしたが、遅すぎた。
右側から叩きつけられるようにイノシシの突進を食らうと、そのまま数メートル跳ね飛ばされて倒れ込んだ。
八手は青柳の言葉に答えることすらできずに地面に横たわった。
青柳はその瞬間、わずかだがイノシシの動きが鈍ったのを見逃さなかった。
弟子の心配をしながらも、体は的確な動作をし続け、その一振りはイノシシの頭蓋を叩き割っていた。
イノシシは鉈刀がめり込んだ傷口から血を噴き出しながら、なおも逃げようと手足をばたつかせたが、それもすぐさま弱まっていく。
ついには、自重を支えることすらできなくなり、地面に倒れ込んだ。
青柳は冷静な様子でそれを見届けると、刃を引き抜き、弟子の方に歩み寄った。
「八手……」
呼びかけるが返事はない。
それでも何度か呼ぶと、八手の体からうめき声が漏れた。
「全く、あれ程出るなと言ったものを……」
青柳は八手の体をひょいと肩に担ぐと、村長の家の方に歩き出した。
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