△▼△▼刃士伝△▼△▼

異端者

第一章 師匠と弟子

一.弟子

 これは、「千の葉」と呼ばれる世界での物語。

 果てしない森が広がるこの世界では、小国に属する村々がその中にぽつりぽつりと散在していた。そんな中、かつては国や村同士が争うことも少なくなかった。

 それらを未然に防ぎ、平和な世界を造るため、今から四百年程前に、小国の王たちはある「掟」を定めた。

 その掟とは、武力の象徴ともいえる刃物、特に戦に用いる大型の刃物の所有を限られた人間のみに許し、国家は大規模な軍事力を持たないというものであった。これにより、多くの人々が包丁などの生活に必要な刃物のみを所有することとなり、小国はわずかな兵士を有するのみとなった。そして、大型の刃物の所有が認められるのは修業を積んだ一部の人間だけとなった。

 その一部の人間は「刃士じんし」と呼ばれ、人々から敬われる存在となった。



「今日は、ここで少し休むか」

 刃士・青柳あおやぎは、そう言うと草の上に腰を下ろした。

 その弟子の八手やつでは荷物をその脇に下ろすと、焚き火の準備にとりかかった。

既に空は薄暗くなり、コウモリたちが森の木々の間をせわしなく飛び回り始めていた。

 八手は燃えやすい枯れ草や木切れを集めると、その上で火口と火打石を火打ち金と打ち合わせた。その何度目かに少し燃え始めると、息を吹きかけた。

 青柳は何をするでもなく、その様子をじっと見ていた。炎に照らし出された白髪が薄闇の中で光っていた。

「刃士は、この世界に何人ぐらい居るのでしょうか?」

 若き弟子、まだ十四歳の少年である八手は、青柳にそう問いかけた。

 青柳は燃え始めた焚き火から目を離さずに答えた。

「さあ、分からん。昔は世界に数百人の刃士が居たというが、今はもう何十人残っていることか……」

 初老の男、青柳の目には炎が映り込んでいる。静かに燃えるその炎は、細々とではあるが確かに燃えてきた青柳の生き方を象徴しているようであった。

 昔はもっとたくさんの刃士が居た。それは青柳も八手も知っていた。しかし、今ではその刃士が減少の一途を辿っていることも知っていた。

 ある者は戦いに敗れ、ある者は自ら刃を捨て……理由は様々ではあるが、刃士が年々減っていることは確かであった。

「刃士は、滅びるのでしょうか?」

 八手が、少し不安そうに尋ねた。

「さあ、それも分からん。元々刃士というのは厳しい仕事だからな。なりたがる人間はなかなか居ないものだ」

 青柳は八手をじっと見つめた。

 この少年の目にも、小さくではあるが、確かに炎が映り込んでいる。

 炎が静かに燃えていた。それは広大な森の闇の中では、いささか頼りない明かりだった。



 少年・八手がこの老刃士・青柳の弟子となった理由は、一年半前にさかのぼる。

 一年半前、四月の半ばの頃であった。

 八手はまだその頃は、「桑の木」の村の単なる少年に過ぎなかった。刃士に興味がある訳でもなく、刃士となろうなどと、考えたことすらなかった。

 その日も、少し離れた村にお使いに出て、塩を買って村に帰ろうとしていた。山里の村では塩は貴重品だ。遠出して買いに行く価値は十分にあった。

 だが、村に近付くにつれて、異変に気付いた。

 村が燃えていた。黒煙がもうもうと上がり、嫌な臭いが鼻をついた。

 八手は荷物を投げ出して走った。

 「村喰い」の連中が襲ってきたのだと分かった。

 村喰い――略奪と虐殺を繰り返し、幾度となく村々を滅ぼしてきた連中。その行為は盗賊と呼ぶにはあまりに荒々しく、あたかも村ごと喰い潰すかのようなふるまいからそう呼ばれている。

 八手も、近頃は村喰いが増えているという話は耳にしたことがあった。それでも、自分の住む村が襲われることなど真剣に考えたこともなかった。

 八手は村のはずれに着いた。

 家が燃えていた。がまの穂老人の家だ。その前には、頭をかち割られて、とっくの昔に動きを止めたその家主が横たわっていた。

 八手は蒲の穂老人の前にしゃがみこむと、揺さぶりながら名を呼んだ。返答が無いのを確認すると、今度は自分の家へと走った。

 家は、燃えていた。父親も母親も、弟も姿は見えなかった。

 おそらく、まだ燃え盛る家の中に横たわっているのか、どこかで頭をかち割られてしまったのだろう。

 少年はそう思うと、体から力が抜けていくのが分かった。どうしようもない徒労感。悲しいというよりは、ただただ頭が真っ白になった。

 そのまま地面に膝を付くと、燃え盛る家をぼんやりと見ていた。

 そんな少年に、背後から近付く者があった。

 村喰いの男が一人。要領が悪くて略奪し損ね、何か残り物が無いか漁っている輩だった。

 少年は背後から近付く人間の気配に気付いたが、振り返って確認しようとも思わなかった。

 少年には分かっていた。村喰いの一人が残っていて、自分もこれから頭をかち割られて死ぬのだろうと。

 男は樫の木で作られた硬い棍棒を振り上げ、それを八手の頭に振りおろそうとしていた。

 しかし、その棍棒が振り下ろされることはなかった。代わりに、その男の首がゴトンと落ちた。

 ここでようやく、八手は振り返った。

 背後には、首を失った男の死体と、血に濡れた刃の長い鉈のような刃物を持った白髪の男が立っていた。

「何をしている! 死にたいのか!?」

 白髪の男、良く見ると細かなしわが幾重にも刻まれた顔のその男は、そう怒鳴りつけると八手を立ちあがらせた。

 刃士――その男は、そう呼ぶにふさわしい風体だった。手にした大振りの刃と、それを握りしめる力強い手がそれを示していた。

「刃士様……村が……」

 八手はそれだけ言うのが精一杯だった。

「ああ……」

 その老刃士は村を見渡すと、深いため息をついた。

 村では至るところから炎が上がり、もはや動いているものが見あたらなかった。

「この村はもう駄目だな」

 老刃士は静かにそう言った。

 八手は、倒れた首なしの男の死体とはねられたその首をぼんやりと見つめていた。

 この老刃士の力さえあれば、こうはならなかっただろうに。村喰いを追い払うこともできただろうに。

 いや、もしもう少し自分が強ければ、村喰いは自分が居るというだけで村を襲うことをしなかったかもしれない。

 ――力が欲しい。

 老刃士は、村の惨状をしばらく見つめていたが、やがて口を開いた。

「さて……少年、お前はどうする?」

 老刃士は淡々とそう尋ねた。

「…………で……」

「ん?」

「弟子にしてください、刃士様」

 こうして、八手は青柳の弟子となった。


 それから一年半、八手は青柳の弟子として村から村へと渡り歩いた。その間に、八手は一振りの短剣を与えられ、様々なことを学んだ。

 あの後、青柳は村を襲った村喰いの連中を退治しようとはしなかった。単純に探すのが面倒だというのもあったのかもしれないが、自分から戦いを挑むことはしないというのが、この老刃士の生き方のようだった。

 村から村へ渡り歩き、田畑を荒らす獣を狩り、罪人の処刑、村喰いの退治といった依頼を受ける。そんな日常を青柳たちは淡々と過ごしていた。

 この日も、村から村へ向かう途中、森の中で野宿しているところだった。

 青柳は枕元に鞘に入れた自分の鉈刀を置くと、眠りに就こうとした。

 向かい側では、弟子の八手が一足早く眠っている。その枕元には、青柳が与えた短剣が同じように置かれている。

 近頃では、村喰いが当然のように横行し、治安が乱れつつある。

 これは単なる一時的な現象に過ぎないのか、それとも四百年間続いた刃士が守ってきた時代が終わりつつあるのか……青柳は眠りに就く前に、ふとそんなことを思った。

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