6色目 珈琲とチョコケーキは本音を言わない

 重たい足を、引きずりながら向かったコンビニで、夕飯の準備を済ませ、近くでタクシーを拾い、俺は帰宅した。

 高層マンションの、最上階にある、ただ広いだけの部屋を目指し、エレベーターの扉が開いた。


「……七瀬?」


「あ、豊島……遅かったんだね」


 黒髪を、らしくもない高い位置で束ねた七瀬は、その頬を引きつらせ笑った。

 人ん家まで来るんだ、きっと今日は相当お怒りなのだろう……あぁ、サボんなけりゃ良かった。


「ごめん、今日の練習……サボった」


「そんなこと知ってるに決まってんでしょ? ただあんたに用事があって待ってただけなんだから」


「用事? 怒ってるんじゃないの?」


「言っときますけど、私は怒るだけのために、人に家に押しかけたりしませんー!」


「はいはい、で? 用事って何?」


「……千裕の誕生日会のこと……」


「千裕の……ってあー! そういやあいつ、この時期だっけ誕生日」


 去年は、ちょうどこの時期頃に、オケの方で大事なコンサートがあって、ろくに千裕の誕生日を祝えなかったのだ。その時に、来年はちゃんとやるからって、千裕と約束した覚えがある。

 つか、なんだよこいつら、なんだかんだ言って両想いじゃねぇか。くそっ……リア充め!


「あんた、もしかして忘れてたの!?」


「あ、はい」


「それでも親友なわけ!?」


「幼馴染には勝てないっすよ~」


「馬鹿にしてるでしょっ」


「でも、そんなのわざわざ話し合うことないっしょ、あいつの欲しい物って言えば……」


 そこまで言って、横目に、わざとらしく七瀬を見る。七瀬は、それに対し、ムッとしたようで、その瞳を鋭利に引きつらせる。その顔の恐ろしさといったら……


「何が欲しいのよ……」


「ンなもん本人に聞かなきゃ分かんないだろ? まぁ、あいつのことだし、七瀬のファーストキスでもあげりゃ、喜ぶんじゃね?」


「ファ、何がファーストよ!」


「え? 違った?」


「……そ、そう……だけど……で、でも!」


「はいは~い、なら明日、本人に聞くということで~、俺、ちょっと今日疲れてるから、じゃな」


 そう言って、半ば強引に話を終わらせ、俺は部屋の扉を開けた。背後で七瀬の唸り声が聞こえるが、聞こえないふりをして、部屋の中に入り、軽く手を振って扉を閉める。


 自動暖房がよく効いた室内は、湿度、温度共に完璧なまで、外とは異なっていた。

 キッチンへ向かい、コンビニで買った物をガサゴソと開き、軽い作業を終え、簡単な夕飯を片手にソファに腰掛ける。テレビの電源を入れようとするが、気が乗らず、なんとなく携帯を弄った。



 気づけば、外は明るくなっていた。


 いつ食べたのやら、空になった皿を、俺はぼっと見つめた。テレビをつけ、時間を確認。すでに時刻は昼過ぎだった。


「練習……終わってるよな」


 本当は、今すぐにでも夏花のところへ行きたかった。彼女に会って、もう一度、あの笑顔を見たかった。


「くそッ……」


 夏花は俺を店から出そうと声を荒げた。だから、俺は彼女を置いて、店を出てしまったのだ。あの時、店にはまだ、あの男がいた。それを分かっていながら……俺は……。


 俺は体を起こすと、洗面所で軽く顔を洗い、服を着替え、家を出た。


 マンションのエントランスから、ガラス窓の外を見れば、タクシーが数台ほど止まっているのが見えた。その内の一つを捕まえ、俺は乗り込んだ。


「どちらへ?」


 その声に聞き覚えがあった。

 バックミラーから、運転手の顔を見れば、やはり昨日の運転手だった。落ち着いた雰囲気のタクシードライバーと言えば、ここ最近では珍しいため、印象に残っていた。


「えっと……」


 昨日と同じ目的地に……なんて、言えるはずもないしな。


「最寄駅に、お願いします」


「了解いたしました」


 車が動き出し、俺はふぅと息をついた。



 最寄駅に着くと、タクシーを降り、少し入り組んだ路地を進んだ。すばらくすると、子供達で賑わう公園へ出る。この公園は、木の葉北公園といい、最近出来たばかりの公園だった。近所に暮らす坊ちゃん嬢ちゃんの安全面を、一心に考えた遊具があり、通常の公園には存在しないような、新感覚遊具なんてのもある……と千裕が言っていた。

 公園を横切り、少しだけ人通りが少なくなってきた辺りに、一際緑が生い茂る民家がある。そこを目印に、角を曲がり、三軒ほど民家を抜けると、喫茶店があった。


 店の扉を開けると、ガランガランという音に続いて、チャリンという鈴の音色が聞こえた。カウンターの向こうに、白ヒゲを長く伸ばした店主が一人いるが、彼は客に「いらっしゃいませ」を言わない。ただ、俺を見て、静かに会釈するのみだ。


「おーい! 健一~!」


 声の方を向くと、テーブル席に座り、苦い珈琲と、チョコケーキを頬張る千裕の姿があった。俺は、軽く「よっ」と言って手を挙げ、千裕の向かい側に座った。


「急に呼び出しとかしてくるから、何かと思えば~……んで、何の用?」


「どーせお前、暇だろうと思って、俺も暇だったし」


「って、なんだよそれぇ! 俺だって、家に帰ってレポートとかなんとかしなきゃなんねぇんだぞー!」


「お前、レポート書くの得意だから良いだろ」


「そういう問題じゃねぇよ!」


 そこまで言って、二人同時に沈黙する。

 店内には、若い女性客が二人、世間話の合間合間に、俺たちの会話を小耳を挟んでいるのが伺えた。それ以外の客は、銀縁の眼鏡をかけた女子大生が一人、熱心に読書をしているだけだった。


「……なんで昨日、オケ練休んだんだよ」


「…………好きな奴がいる」


「そっか……俺もその気持ち分か……ってぇえ!?」


 千裕は、大声をあげると、大袈裟に椅子から転げ落ちた。そんな千裕に、二人組の女性客が反応し、じっと冷たい視線を送ってくる。女子大生の方は、一瞬チラリとこちらを見ただけで、何事も無かったかのように、すぐに読書に戻った。


「なんだよ」


「なんだよ、じゃねぇだろ! お前……なんで休んだんだよ! 女ができたからって休むって、な、なななな何してたんだよ! しかも一日中!」


「そいつの家にいた」


「……マジかよ……先越されたのかよ俺……」


「言っとくけど、お前が考えてるような卑猥なことはやってないから」


「そ、そっか、それなら良か……つか、お前、何が言いたいんだよ」


「つまり、俺はオケより優先して会いたい奴がいたってこと、だから練習をサボった、それだけ」


「……へ、へぇ~そうですかそうですか」


 千裕は、残っていたチョコケーキを珈琲で流し込み。おかわりの注文を始めた。俺もそのついでに、と珈琲とアップルパイを注文する。


「薫には……言ったのかよ、その理由」


「いいや、言ってないよ」


「……殺されんぞ、お前」


「昨日会ったけど、そんな気配は無かった、理由さえも聞いてこなかったし」


「会ったって、何処で?」


「家」


「誰の?」


「俺の」


「何で?」


「扉の前で、あいつが待ってた」


 再び俺たちの間に沈黙が生まれる。


「why?」


「それ、言うと思った。安心しろ、七瀬はお前の誕生日の件で、俺に相談しに来ただけみたいだったし」


「誕生日……あぁそっか、俺の……でも、なんでわざわざお前の家まで……まさかお前、七瀬に連絡先教えてねぇとか?」


「いや、教えてるけど……確かに、そう言われれば、直接会いに来る意味ないよなぁ」


 千裕の表情に、一瞬、影が差したように見えた。


「なぁ、健一……それってさ」


 ちょうどその時、千裕の小さな声を掻き消すかのように、頼んだ皿たちが運ばれてきた。コトンと小さな音を立てて、アップルパイが湯気をあげ、俺の前に置かれた。そっと伝票が裏返しにテーブルの隅に置かれ、無言で消えていくウェイターの後ろ姿を、俺はぼぅっと見つめた。


「なぁ、健一、俺、誕生日に遊園地行きたい!」


「遊園地?」


「うん! 知ってるだろ? 港町にある、パーク! ずっと行ってみたかったんだよね~」


「ガキかよ」


「あ、そうだ! メンバーはやっぱり、薫と健一と~俺と、健一の彼女な!」


「なんで、ちゃっかり俺の……ってか、彼女とかじゃ……」


「よーし! これで決まりだな!」


 そう言って、千裕は二個目のチョコケーキを口いっぱいに頬張り、笑った。「今年の誕生日は良い日になるぞ~」と言った千裕の顔には、やっぱり、少しだけ違和感を覚えた。

 きっと、千裕が言いたかったのは、もっと違う言葉だったはずだ。

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