4色目 露出狂と美少女

 次の日のオケの練習は、サボった。


『おーい、何で来てねーんだよテメェー』


「俺もいろいろあるんだよ、予定とか」


『なんだよ、女でも出来たか?』


「ちげぇよ阿呆か」


 俺は、千裕からの電話を無理矢理切ると、呼んだタクシーに乗り込んだ。

 寡黙な運転手は、落ち着いた低い声で、行き先を尋ねてきた。俺は、車内に合う声のトーンで行き先を告げると、了解しましたという運転手の言葉に、座席に深く腰掛けた。

 意味も無く携帯画面を指で弄っていると「そこへは何をしに?」という、運転手の質問が飛んできた。


「……えーっと、会いたい人がいて……」


「そうでしたか」


 昨夜、結局あの少女は目覚めず、俺は静かにあの店を後にした。特に、彼女に異常があるわけでも無かったので、誰かにそのことを話したりもしなかった。ただ、気になって仕方がない。

 あの子の、顔が見たい。

 話したこともない子だというのに、気になる。決して、彼女が美人だったから……というわけでも……ある、けど……。とりあえず、今日は、もう一度あの店に行こうと思い立ったのだ。


「それは?」


 運転手はそう言い、バックミラーに運転手の目が映った。その視線が、俺の膝にある楽器ケースに向いていることに気づき、苦笑いを浮かべた。


「トランペット……なんですけど、最近、不具合で、修理にと」


「そうでしたか」


 彼女の店は、見ると楽器店のようだった。今は営業しているかどうか分からないが、楽器の修理を頼みに来た、などと言えば、そう違和感は無いと思い、つい持ってきたのだった。

 質問はするものの、それ以上の追求のない運転手に、ありがた寂しくもあり、俺はさっさと着かないものかと窓の外を眺めた。


「ご利用ありがとうございました」


 最後の最後まで、妙に礼儀の正しい運転手に、何故か客である俺まで深々と頭を下げ、タクシーが見えなくなるまで見送ってしまった。


 しばらく歩くと、昨夜の小道に出た。携帯のマップを頼りに、辿っていくと、あの店が見えた。夜とはまた印象の違う、綺麗な街並みに、一際目を引く、年季ある店だ。看板は相変わらず読めないが……

 俺は、店のドアノブを回した。


 ギギィ


 ドアを軋ませ、店内に入る。昨日の温かさとはまた別の温かさがあり、ほっと息を吐いた。


「……あの……ど、どちら様でしょうか……」


 一瞬、時が止まってしまったかと思われた。


 清潔な白のTシャツに赤いサロペットスカートの少女。冬場だというのに、彼女の服装は夏の涼しさを思い出させた。

 驚いたように、見張った大きな黒い瞳。吸い込まれそうな白い肌に、やはり綺麗なあめ色の髪を纏っていた。


「そ、その……楽器を……」


 言い訳をするかのように、手にしていた楽器ケースを少女の方へ突き出した。

 しかし、何を思ったのか、少女は後ろに転び、ヒッと小さな悲鳴をあげた。


「だ、だいじょ……」


「来ないで! ろ、露出狂!!」


 ろ、露出狂!?


「待って、君、露出狂って言葉の使い方間違ってるよ、そういうのは自分の局部を他人に見せることが好きな、変わった人種のことをいっ……」


「いやぁあ! 来ないで! 来ないでよ!」


 あぁ、本当に露出狂になった気分だ。露出狂って何でこんなのが好きなんだろう……俺的にはメンタルズタボロなんだけど。


「分かった! 分かったから! 近づかないし、君に触れたりもしない! と、とりあえず、落ち着いて!」


 そうは言っても、少女は両手で目を覆い、俺を拒絶する態度をとる。

 面倒くさい女だ……と俺は、この瞬間に思った。


ー数分後ー


「見間違い……って、どうやったら露出狂に見間違うんだよ」


「ご、ごめんなさい……だって、灰色のズボンだなんて……」


 あれからなんとかして彼女を説得し、俺が露出狂でないことを、証明した。結局、彼女は「見間違えた」と言い、俺のメンタルは未だ壊れたままだった。

 露出狂と見間違われたら、誰だってそうなる。


「灰色のズボンって、確かに、変だろうけど、履いてる奴、結構いない? 俺的には違和感ないんだけど……」


「そ、そういう事じゃなくて……えっと」


 説得出来たからと言っても、少女は相変わらず居心地悪そうに、俺と目を合わせようとしなかった。


「灰色が、肌色に見えたり……とか?」


 これは、前に一度、授業で聞いた事だった。教授の余談ではあったが、最近、そういった障害を持つ者が稀に出てきているらしい。確か、色が……


「……私、色が見えなくて……」


 その障害は、世の中にある全ての色、例えば赤、青、黄があった場合、赤は灰色に、青は黒に、黄は白に、といったように、黒白以外のものは、脳が認識しないというものらしい。

 そう考えると、今日の俺の服装は、昨日の灰色のジーンズと比べて、少しだけ白に近い灰色だし、彼女から見たら、もしかすると……つまりは、露出狂同然に見えてしまうのかもしれない。


「分かったよ……こうすれば良いでしょ?」


 そう言って、勝手ながらに近くのテーブルにあったサロンエプロンを腰に巻いた。

 ほらっと言って、椅子から立ち上がり、彼女に見せると、少女はようやく俺と目を合わせた。


 ニャャアォ


 聞き覚えのある猫の声に、下を見ると、昨夜の灰色の猫が、俺の例のズボンに爪を立て、登ろうとしているところだった。


「珍しい……その子が、初対面の人に懐くなんて……」


「そうなの?……あー、そういや、初対面じゃないもんなぁ」


「え?」


「あ、いや……」


 昨日の事は黙っておこう。


「飼ってるの?」


「いえ、昔からここにいたらしくて、今は私が世話してるんです」


「そっか」


「そういえば……楽器がどーのって……言ってましたよね?」


「ああ、あれは……」


 そうか、そういやそうだった。


「ごめんなさい……このお店、私が住居として借りてて……だから、その……私、楽器には詳しくなくて……」


 それは好都合だ。なんせ、俺が持ってきたトランペットには、不具合など何もない、むしろそんな絶好調な状態で、故障したなどと言って見せたら、なんだこの男、やっぱり露出狂か、などと思われかねない。


「いいんだ! ただ、素敵な雰囲気の店があるから寄ってみただけだしね、そろそろ俺は失礼するよ」


 気づけば、窓の外は夕時のオレンジに染まっていて、差し込む光は、どこか切なかった。

 そう言って立ち上がった俺を止めたのは、猫でもなく、自分自身でもなく、その少女だった。

 少女は、俺の服の袖を引っ張り、顔を伏せ、その表情を隠す。


「へ? ど、どうしたの?」


「……もう、帰っちゃうんですか」


「え……」

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