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元々医学研究がやりたくて大学に進学したものの、やはり医師免許は取っておいたほうが後々つぶしも利くし、と臨床のコースに進み、二十代の前半はほぼ国家試験合格のための勉強に費やした。寝不足が続くのも、体調が悪いのも、常に勉強漬けの状態だったからだと思っていた。だからこの石が、自分の体にいつできたかなんていう記憶は曖昧なのだ。
その話をどこかの飲みの席で隼人にぽろりと漏らしたところ、大げさにため息をつかれて、もったいないと繰り返された。日々観察し、何をし、何を食べ、何を感じたのかを記録し、それによりどういった影響が出るか身をもって体験できたのに。自分の体を観察対象にできたのに、と。
呆れと羨望の入り混じったあの視線を、鈴はなぜか忘れられずにいる。あの時の隼人は、確かようやく二十歳を越えたころだったはずだ。飲みなれていないお酒に充てられ、少し顔を赤くしていた。
親の経営する病院を継ぐ関係で、隼人も医師免許を取るべく臨床のコースを選択をしていたものの、鈴が所属する遺伝子疾患の研究室に大学入学早々から顔を出していた。研修が終わったらすぐに大学の研究室に戻ると息巻く彼に、鈴はかつての自分を重ねた。特別気にかけていたつもりもないが、なんとなく自分と近しい進路をたどろうとしている青年を、鈴はほかの学生よりほんの少しだけ気に入り、話しかける機会が増えていた。
「ね、相澤せんせ。その石、見せてよ」
石は腿の付け根にあるといったばかりなのに、隼人が赤くなった顔を机に伏せながらそんなことをいうもんだから、鈴はベッドに誘われたのかと思い、無駄にどぎまぎした。駄目に決まっているでしょう、とたしなめると隼人はわかりやすくむくれた顔をしてみせた。
今思えば、彼のあの言動はただの知的好奇心だった。別に十も上の女に色っぽい展開を求めていたわけではない。それでなくても、彼は異性というものにまるで興味がないらしく、彼の財産目当てで近寄ってくる美しい女学生たちを歯牙にもかけなかった。
鈴自身も、口説かれたと勘違いしてしまったから意識をしただけで、隼人に対して恋愛感情があるかと聞かれたらやっぱり「NO」だった。自分よりも薄い体の男と寝るなんてできない。
ただ、一研究者としては、鈴は隼人を高く評価していた。研究に打ち込む真摯な姿勢と、そのまなざし。高尚なものと捉えられがちだが、学問は所詮、娯楽なのだ。鈴も隼人も何のために学び、調べ、研究するのかを問われれば、それはただ「知りたいから」のみに帰結する。
隼人は己が知の探求のみに関心を示し、自分の後ろ盾を存分に利用し、潤沢なお金を使いながら、遊ぶように研究をする。
――
自虐的にそう思い、口元を緩める。実験動物。大いに結構。私を使いたまえ、若人よ。
「何にやにやしてんの。気持ち悪い」
隼人は目を細め、不快そうに舌を見せる。
「別にー。何でもないよー」
椅子を回転させ、自分のPCへ向き直る。無駄口もそろそろ終わりにしないと。
「あ、そうだ。隼人君。なんかさっき電話があったよ。従兄弟のイケメン君から」
隼人は研究に集中しだすと周りの音を完全に遮断する。机の上に投げ出されている携帯電話にはロックすらもかかっていない。大企業の子息としてこれはどうなんだろうとも思うが、鈴は隼人の電話の取次ぎにももう慣れてしまった。
「ああ、敦史か。今日来れるとかそんなとこだろ」
「うん、よくわかったね。今日十七時頃に取りに行くって伝えてくれって」
最近は特に多いのだ。この手の電話が。親兄弟からもあまり連絡が入らない、ほぼ待ち受け状態の携帯がやたらと鳴る。その相手は必ず二階堂敦史だ。敦史が研究室に顔を出すと、ほかの研究室の女学生たちも群がってくるから、彼の来訪はあまりありがたくはない。
「最近多いけど何か渡してるの? うちの研究室、そんなにお金ないんだから身内だからって機材や薬の横流しとかはやめてよね」
「失礼な。れっきとした研究の一環だよ」
そういいながら、隼人はごそごそと何かを準備し始めた。何やら白い粉を薬包に詰めている。
「あ、やっぱり。なんか
隼人とは個人的に仲は良いものの、鈴は一応講師という立場だ。規則は守らせなければならない。薬を取り上げようと腕を伸ばすと、不機嫌そうな顔で手を払われた。
「相澤先生。だからこれ、研究だって言ってるでしょ。成果が出たら報告するから邪魔しないでよ」
隼人が語気を強める。こうなったら説得はできない。彼はいつでも言えるのだ。邪魔をするならこの研究室からお前を追い出すと。
鈴は両手を上げて、ため息をつく。
「あーもう。わかったよ。邪魔しないからそんな睨まないで。ちゃんと成果が出たらまとめるのよ」
鈴がそういうと、隼人は表情を緩ませ、もちろんと頷いた。本当にわがままなお坊ちゃま。
「今度は一体、何の研究してるのよ」
あきれ顔で鈴がそう尋ねると、隼人は口元を歪にゆがませた。
「まだ、内緒」
鈴は隼人のことは気に入っていたが、この表情だけは苦手だった。腹のうちを決して見せない、いやらしい笑い方。背筋が一瞬寒くなるような、気味の悪い笑顔。鈴は思わず息をのみ、顔を背ける。
楽しかったおしゃべりの時間は唐突に終わり、ラットが走る音だけがからからと部屋の中で響く。隼人に自分の石を見せたら、やっぱりあの顔で笑うのだろうか。鈴は腿の付け根に手を当て、静かに息を殺した。
宝石人種―ジュエロイド 林間カルシウム @20Ca
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