ラットとおしゃべり

1

「川辺の症例は面白いと思うんだ。カフスボタンってまぁ二つ必要なわけじゃん。あいつは手首にちゃんと小さめの石が二つ付いているんだよね。レントゲンで見たらそれぞれ独立して二つ、体に石が埋まっている」

 相澤鈴あいざわすずは顔を上げる。斜め後ろの席に座る一氏隼人は古いオフィスチェアに斜めに腰かけ、足を机の上に投げ出していた。夏季休暇中で人はまばらとはいえ、自分より年次の高い大学院生や研究者たちも出入りをしているのに、その不遜な態度を不問にされているのはやはり照彦の孫だからだろうか。本人はいざ自分の身内、とりわけ祖父や両親の名前が出ると露骨に嫌そうな顔をするが、その名前の利用価値も十分理解しているのか、拒絶を口に出すことはしない。鈴は少し小生意気な研究生をいじめたくなって、わざと彼が嫌がるもう一人の人物の名前を出した。

「ああ、三条さんとこの宝石人種ジュエロイドか。晃君の運転手だっけ? 彼のところ、結構変わった症例の子が多いんでしょ。若いのにコレクターとしては優秀よね」

「……あいつのところは確かに、興味深い宝石人種ジュエロイドが多いけど、そもそも母体数が多いから。別にあいつが優秀とか俺は思わないけど……って、相澤せんせ。何笑ってんの」

くすくすと小さく笑う鈴に、隼人は顔をしかめる。ああ、面白い。本当にからかいがいのある子だ。鈴は普段は研究に没頭しがちな隼人が、宝石人種ジュエロイドや三条晃の話題になるときだけは饒舌になるのを知っていた。


 閉塞した男ばかりの研究室で、こうしてたまに学生が話し相手になってくれることを鈴はひそかに楽しみにしている。研究一筋でやってきたせいで、気付けば三十半ばに差し掛かり、同年代の友人たちはみんな母親になっている。男社会の中でも負けぬようにと、たった一人で頑張ってきたのだが、やっぱりなかなか成果は認められず、いまだに大学の講師どまりだ。人寂しさで誰か話し相手を求めるなんて、まるで隠居した老婆みたいだ。そんなことを考えながら、鈴はちょうど歳が十離れた隼人の寝癖がついた髪を見つめる。

「ごめんごめん。で、川辺さんの症例がどうしたって?」

「ああ、うん。川辺は変身するとまぁ体が二つにわかれるわけだよ。それを離しておいたら元に戻んないのかなって思ってさ、晃に頼んでちょっと別の部屋に置いておいてもらったことあったんだけどやっぱり戻らなかったんだよ。」

 戻れない時間が長引けば長引くほど、人間に戻った時の体力の消耗と疲弊は激しい。体を動かせなくなるからか、あまり長期間にわたり人間の姿に戻らないと筋肉が強張ってしまい、しばらくうまく関節を動かせなくなるのに。残酷なことを、と鈴は一瞬思ったが、それよりも好奇心が勝った。

「へぇ、やっぱりそうなんだ。どれくらいの距離、離れてたら戻れないんだろうね」

「そうそう、俺もそれ思った。とりあえず晃が着用しているときは戻ったことないみたいだからそれぞれ人の両手首についてるくらいの距離間でもダメみたい。使わないときはケースに蓋をしないで横並びにしてると、大体一日もしないうちに戻ってるって」

 でもパーティ参加してる時に、急に袖口から男が出てきたらビビるよなぁ、と隼人は笑いながら話す。

「でさ、晃の使用人で粂川って女の子もいるんだけど、その子はショットガンになるのね。銃だからパーツごとに分解できるわけだ。でもその子は石を一つしか持ってない。でっかいのが胸元に一つ。変身した時も銃床にだけついてる」

「へぇ。その子は分解したらどうなるんだろうね」

どこかが欠損した状態で戻ったりとかするんだろうか。なんか、グロテスクだ。

「そうそれ。それもやってみてもらったんだけど、やっぱり人間に戻らなかったって。その子の場合は完全に変身した時の銃の状態にしておかなきゃいけないみたい。弾を装填しているだけでも戻れなくなるみたいでさ。スイッチャーにとって都合の悪い時には戻らないようにできるから、便利といえば便利なのかな」

 隼人はそう、こともなげに言う。隼人に限らず、四日谷の一族はみんなこうだ。宝石人種ジュエロイドを人とは思っていない。人以外の何と思っているのかはそれぞれ違うようだが、隼人は少なくともただの実験対象としてしか見ていないようだ。研究室で飼っているラットと同じ感覚だ。

 ――私もそう見えてるのか。

 鈴は腿の付け根をなぞり、そこに確かに存在する硬い手触りを確かめた。

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