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「入学祝をやろう。今夜、俺の部屋に来いよ」

高校入学を目前に控えたある夜、葵は晃にそう呼び出された。

 当時、晃は二十を越えたばかりだったが、祖父と両親からの出資を受けてネット上でいくつか会社を立ち上げていた。それらが軌道に乗り始めていた時期でもあったので、何かブランド品でも買ってくれたのかと思い、葵は素直に兄の言葉に頷いた。


 夕食後、葵は兄の部屋にまっすぐ向かった。大きな扉を開くと、椅子に腰かけた晃とその横に立つ唯がいた。

 唯は石ができて早々に晃専属の使用人として三条に召し上げられてた。それ以降、彼女はほとんど晃につきっきりだったため、同じ学年に所属しあまつさえ居を共にしていたというのに、葵は唯と会話らしい会話をしたことがなかった。

 ボブ、というには野暮ったすぎるおかっぱ頭。そばかす顔の一重。初めて唯と会ったとき、葵は祖父の物置で見かけた古い市松人形を思い出した。

 晃は自分配下の石持ちたちには三条邸の中では石をわざと見せるようにさせていた。そのため唯も大きく胸元が開いた服ばかりを着させられているが、まるで似合っていない。剥きだしの胸元には大きなワインレッドの石がまるでブローチのように輝いている。 職人が丁寧にカットしたかのような形の良い石が華やかな分、のっぺりとした顔が余計貧相に見える。葵は兄のことを、残酷で悪趣味な人間だと思っていた。

「葵、お前もいよいよ高校生だな。おめでとう」

晃はにっこりと人好きのする顔で笑う。晃は祖父の照彦譲りのこの表情で、なんでも自分の思い通りにしてきた。葵はとっさに身構える。

「二階堂のデブも同学年だな。来年以降もどんどん従兄弟たちが入ってくるし。俺、ちょっと心配なんだよ。葵のことが」

 晃が背もたれに深く寄りかかり、椅子がきしむ耳障りな音がする。なぜか、その音を聞いた唯が体をこわばらせたように見えた。

「お前もじいさんの相続人候補の一人なんだ。宝石人種ジュエロイドを効率よく集めたいだろう。それなら学校でも使い勝手のいい駒があったほうが便利だろうし、貸してやるよ。これ」

そう言いながら晃は親指で唯のほうをさした。

「……え?」

「こいつ、お前と同い年だろ。今までほとんど俺の身の回りの世話をさせてたけどさ、高等部はしっかり通わせようと思うから、お前に貸してやるよ。それ用に調教したし」

 貸す? 調教? 葵は兄が何を言っているのかわからなかった。ただ、彼の使用人の尊厳をことごとく踏みにじっていることだけはわかった。

「お前、宝石人種ジュエロイドのスイッチャーになったことないだろ。ちゃんと調教すれば、本当にスイッチを押すように、好きな時に変身させることができるんだよ」

 晃は愉快そうに笑う。葵は何か理解したくないものが急速に自分の頭に入ってくるのを感じた。

 兄が養護施設にやたらと出入りすること。石持ちになった子供たちが、すぐに晃の専属の使用人になること。晃が見せびらかすように使用人たちの石を露出させること。――ずっとステージ2だった川辺が、最近ステージ3に入ったこと。

「できるだけ簡単な手順で変身するようにできないかってずっと考えてたんだけどさ、唯でようやく成功したんだよ。こいつは顔の真ん中殴ると変身するようにしておいた。これなら葵でもできるだろ」

 何がおかしいのか、晃はくっくっと声を殺すようにして笑う。深夜のくだらないバラエティ番組を見ているときのような笑い方。何も感じず、何も意味も持たず、ただその瞬間がおかしいから笑っている。

「よく見とけよ」

 がん、と唯の膝の裏を晃が蹴ると、そのまま唯は前のめりに崩れ落ちた。後ろに組んでいるように見えた手には手錠がかけられており、唯は受け身をとることもかなわず、顔から床に倒れる。

 うう、と唸るような声が聞こえたが、晃は構わず髪をつかむと乱暴に引き上げた。口の端には血が滲み、苦しそうに眉根を寄せている唯の顔が見える。

「ここ。鼻の先を狙えよ」

晃は右手で唯の鼻先を指したかと思うと、すぐにその手で拳を作り、まっすぐと彼女の顔めがけて振りかぶった。ばき、と音がし唯の鼻から血が垂れてくる。

「あ、ミスった。一発でいけなかったな。難点としては、結構力がいるところかな。お前、女だし足を使ったほうが早いかも」

 声を出せずに青ざめる葵を気に留めることなく、淡々と続ける。晃は唯を乱暴に床に倒すと、そのままサッカーでもしているかのように彼女の頭を蹴りあげた。

「あ……」

唯の喉から、つぶれたような声が漏れた。そして次の瞬間、バキバキと彼女の体が変形していった。

 光るわけでもない。煙が出るわけでもない。ヒーローものの大衆娯楽映画で見るような、派手な変身ではない。ただ、醜く体がゆがみ、別のものへと変わっていく。

 肌の色が変わり、質感が変わり、眼だったものがなくなり、足も硬直したように伸びたかと思うと、そのまま細く、黒くなっていく。

 葵は思わず目を背けた。

「よしよし、うまくいった。見ろよ、葵。かっこいいだろ」

 薄目をあけて、兄の声がするほうへ視線を向けると、そこに唯はもういなかった。黒光りする銃身が目に入る。晃は細身のショットガンを手にしながら嬉しそうにほほ笑んでいた。

 一瞬、何かのマジックかとも思ったが、ストックに大きな赤い石がついているのが見えた。ああ、あれは間違いない。唯の胸元を飾っていた、あの石だ。

「お前、変身するのを見るのも初めてだったっけ。すごいだろ。国のお偉いさん方が宝石人種ジュエロイドの存在を認めたくないのもわかるよな。質量保存の法則を完全に無視してんだもん」

 ぶは、と吹き出し、晃は声を上げて笑う。その姿を見て、葵は急に吐き気を催した。口に手を当て、兄から顔をそらす。晃は葵のその様子に気付き、彼女の後ろにまわりこむと抱き抱えるように腕を回してきた。

「何お前、吐きそうなの? やめてよ。俺の部屋が汚れるじゃん」

大きな手で顎を抑えられ、葵は身動きが取れなくなる。こらえきれずにこみあげてきたものは、口から出ることを許されず、通ってきたところを無理やり押し戻された。すべてを嚥下しきった後も、胃液の味が残る口内が気持ち悪く、葵の目からは涙がにじんだ。

「あー、そうだ。これもお前に渡しておかなきゃ」

 ぱっと葵をはなすと、晃は机の引き出しから箱を取り出した。

「こいつ、弾は別で準備しなきゃいけないんだよ。二十番のやつ。市販されてるのを入れたら普通に使えるから。気に入らないやつを威嚇することぐらいは簡単にできるぜ」

放り投げられた箱はずしりと嫌な重みがした。これが普通に使える? 鉛玉を装填して発射できる? 葵は床に転がる唯だったものに目をやった。本当にただの銃ではないか。

「高校卒業まで使ってみて、気に入ったらお前にやるよ。ただし一つだけ条件がある。卒業するときに宝石人種ジュエロイドを一人、俺に返してくれ。唯が気に入らないならそのまま俺に戻してくれたらいいし、もしほかの石持ちの宝石人種ジュエロイドを準備できるならそいつと交換でもいい」

 葵は、兄のその言葉を聞いて顔をあげた。部屋に入ってから兄に対する恐怖や嫌悪しか感じていなかったが、ここにきて急に悪魔的考えが彼女の脳裏をかすめた。

「……ねぇ、兄さん」

 この男はまずい。人としてどこかがおかしい。四日谷の一族はみんな狂っているけど、この人が頭一つとびぬけて危ない。この男の妹に生まれた時から、そんなことはわかっていたのに。

 葵は一瞬、自己嫌悪した。自分がこの男の妹であることを、こんなに強く実感したことはない。でも。

「誰か一人、準備できたら、兄さんが持っているほかの宝石人種ジュエロイドでも交換してくれるの?」

 川辺の優しげな顔が頭に浮かぶ。急に屋敷内での手袋の着用を禁じられた運転手。彼の左手にある、深緑の石と同じ色をしたカフスボタンを、晃は最近愛用している。

 晃は妹の目の色が変わったことを見逃さなかった。ゆっくりと口角を上げ、優し気な表情を作る。

「ああ、もちろんいいよ。お前が好きな宝石人種ジュエロイドを選べばいい」

 その言葉を聞いて、葵は息をのんだ。自分の夢が叶うかもしれない。彼女はもう、足元に投げ出された銃のことなど気に留めていなかった。


**


 三条邸に到着し、唯を連れだって玄関に入ると、珍しく晃が出迎えてきた。礼服を着込み、最近お気に入りのモデルみたいな女を連れている。

「おかえり、葵。あれ、川辺は?」

「川辺さんは今、車をガレージに回しているところ。どこか出かけるの?」

「ああ、急にじいさんに会食に呼ばれてさ。堅苦しい恰好って嫌いなんだけどな」

 晃の開いた袖口に気付き、葵は露骨に不快そうな顔をする。宝石人種ジュエロイドの平均寿命なんて、いつから変身するようになったかとか、その人間のもともとの体の強さや変身するものによっても体の負荷が違ったりするみたいだし、対して当てになるもんじゃない。いつだったか従兄弟の隼人はそのように言っていたが、それでも身体に影響を及ぼすものなのだから、四十過ぎの川辺を葵はこれ以上変身させたくはなかった。

 晃は妹の不満げな顔に気付き、なだめるように頭をなでてくる。

「大丈夫大丈夫。今日の会食終わったら、しばらくは使わないし。ちゃんともとに戻ったら医者の診断うけさせて、一週間は休暇取らせるから。そんな怖い顔をするなって」

 まるでわがままを言っている子供のように扱われて、葵は顔を赤くする。彼女が晃の手を払ったところで、川辺が戻ってきた。

「晃様、大変お待たせいたしました」

 川辺は葵の横を素通りし、まっすぐと晃のもとへ向かう。葵はさらに赤くなった顔を隠すようにうつむくと、そのまま自室へ帰っていった。

 その様子を見て晃が愉快そうに笑っていることに、使用人たちは全員気付いていたが、誰も何も言うことはなかった。

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