3
「これが、俺の石」
そういって諒太は、左足のズボンの裾を上げた。
左足の踝のあたりに鮮やかな青緑の石があった。向居さんの耳にできているものよりも少し小ぶりで、僕の石よりは一回り大きい程度。目立つ色をしているが、靴下を履くなりすれば隠すことは容易そうだ。
「これができたのが小学校に上がる前くらいのとき。父親がキャリアなんだけど石は持ってなかったから、俺にできた当時は大騒ぎだった。でも、一氏の病院には喘息の治療で通っていたから、すぐに投薬治療も始められて、石はあまり大きくならなかった」
一度ため息をつくと、諒太は充血した目を隠すように、組んだ手に頭を乗せた。
「ただやっぱり、できた場所が場所だけに走ったりすると少し足首に痛みがあってさ。体育なんかでは鈍足ってかなりからかわれた」
自虐的な、乾いた笑いが漏れる。
「でもそんな時、いつも悠人が助けてくれたんだ。休み時間に遊びに来てくれたり、放課後迎えに来てくれたり。あんまりひどくからかわれるときは、友達を引き連れて注意してくれたり。小学校の時って一学年上なだけで結構迫力あっただろ。悠人のおかげで、いつの間にかいじめられることもなくなった。まあ、同学年の友達もできなかったけど」
組んだ手を放すと、諒太は左手で足の石をなでる。内部進学生なのに一人で本を読んでいた諒太の姿を思い出した。
「ずっとそうだったんだ。俺が困っているときはいつでも助けてくれる。本当に俺にとって悠人はヒーローだったんだ」
ぐっと頭を上に向けたと思ったら、すぐに足元に視線を戻した。声が少し小さくなる。
「だから、喘息の薬がよくなくなるっていうのも、悠人がわざと隠していたとしても、俺は正直別に構わなかったんだよ。最後には見つけてくれるし、俺はそんなの差っ引いてでも悠人と一緒にいたかった。でも、……あの臨海学校の日」
諒太は左手で石をぐっとつかんだ。目を大きく開き、何かにおびえているような表情に変わっていく。
「苦しくて苦しくて、どうしようもなかった。悠人が助けてくれる、そう思っていたけど薬は見つからなくて、だんだんと意識が朦朧としてきて……悠人に手を伸ばした時、あいつ、笑ってたんだ」
顔が強張り、体に力が入っていくのが分かった。肩が上がり、口元がゆがんでいく。
「笑ってたんだ。すごくうれしそうな顔で。俺が助けてって言うたびに、笑って。気を失って、目が覚めた時はもう三日経ってた。それから……急に悠人のことが怖くなった」
絞り出すような、苦しそうな声。左手に力が入っていくのを見てられなくなり、思わず自分の手を重ねる。諒太の指先は冷たかった。
「悠人が俺のことを心配するようなことを言うたびに、頭ががんがん痛くなって、周りがゆがんで見えるようになった。別にほかの時は平気なんだ。普通に話せるし、今でもいい奴だって思ってる。でも、悠人が俺のことを心配するたびに、初めて変身した日のことがフラッシュバックするようになった。だから……」
言葉を切った諒太は、僕のほうをみて眉根を寄せた。目がひくひくと動き、苦しそうな顔をする。
「だから、
ふっと力を抜き、観念したかのように目を閉じる。
「悠人に言ったんだ。治哉よりもずっと、一組の向居菜緒のほうが友達がいなくてかわいそうだって」
「……え?」
急に向居さんの名前が出て、目を剥く。それと同時に悠人の横に立つ向居さんの姿を思い出した。
「二階堂の双子に絡まれた時からずっと心配だったんだ。悠人がお前のことをやたらと気にするようになったから、少し気をそらそうと思って……。そしたらすぐに悠人は向居に声をかけるようになった」
思わず絶句する。諒太は悠人が危険だと思っていて、それをわかっていて、僕から遠ざけるために向居さんを身代わりにしたのか。
「球技大会の時、お前、向居と一緒にいただろう。悠人がコート内から二人を見ていることに気付いて、その時本当に安心したんだ。悠人にとってかわいそうな奴は自分自身の手で救わないと意味がない。だから、自分が助けようとしている子がほかの人間と仲良くするのを面白くは思わない。そして予想通り、悠人は今、向居にご執心だ」
半ば吐き捨てるように諒太は言う。伏せた目を開くと、今度は僕の目をまっすぐ見た。
「治哉、俺はお前が向居のことを気に入ってることにも気づいていた。それなのに、俺はわざと悠人に彼女を近づけた。ひどいことをしたと思ってる。でも、悠人からお前の関心をそらせて本当に良かったとも思っている。これが今、俺がお前にやってしまったことと、思っていること全部だ」
重たい沈黙が流れるなか、ごうごうと、エアコンの音だけが響いている。
諒太が僕のためにやったことと、そのせいで向居さんが今、危ういところにいること。どうしてこんなことになってしまったのか。僕たちは三人とも
叱られるのを待つ子供のように、諒太は黙り込んで顔を伏せ、膝を抱え込む。
「諒太、僕のためにいろいろとつらいことをさせてごめん」
諒太は黙ったまま、姿勢を変えない。
「諒太は僕を怒らせたいんだろう。
少しむくんだ目と視線が交わる。まだ、彼は何も言わない。
「僕はこれからも諒太のそばにいるし、向居さんのことも助けたい。せっかく僕のそばにいるんだから、諒太も向居さんを助けるのに協力してよ。僕はほとんど四日谷のこととか知らないんだしさ」
今日、諒太と話したこと。僕が彼に返した言葉は、諒太にとって正しいものだったのだろうか。
少なくとも満点の答えではなかったのだろう。彼は少し不機嫌そうな表情をし、すんと息を吸った。
夕方、日が沈みかけて来た頃に、僕は諒太の家を後にした。夏で日が高くなっているとはいえ、かなり長居をしてしまった。
心配なことは増えてしまったが、とりあえずは諒太と話せてよかった。夏休みも何度か遊ぶ約束もできたので、僕自身としては満足している。
軽くなった鞄を肩にかけなおし、バス停へ急ごうと足を速めたその時。赤茶けたくせ毛の、小柄な少年とすれ違った。
なぜ彼が目についたのかはわからない。どこか遠くを見ているような、それともどこも見ていないような、不思議な目をした少年。小柄だが、歳はあまり自分と変わらそうな――。
その少年はこちらを一瞥もしないまま、僕が通ってきた道を進んでいく。ここは多くの人が住んでいる住宅街なのに、なぜか僕は、彼が諒太の家に向かっているような気がした。
思わず後を追いかけてしまいそうになったが、目の前でバスが横切った。あれを逃すと、あと三十分は駅への直行便が通らない。踵を返してバスのほうに走り、何とか滑り込みで乗り込んだ。バスの中で冷房に当たっているうちに、いつの間にかまどろんでしまい、先ほどの少年のことはすっかり忘れて駅まで眠りこけてしまった。
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