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夏休み初日。あらゆる教科から出された有象無象の課題を手に、諒太の家に向かった。諒太の家に遊びに行く話は一学期中に何度か出たことはあったものの、それはまだ実現していなかったため、これが初の訪問となる。担任から聞いた住所を頼りに電車とバスを乗り継ぎ、地名しか知らない町に降り立った。
ごくごく普通の閑静な住宅街。人の生活の匂いがするこの手のニュータウンは、住民以外は受け入れないような、どこか排他的な雰囲気がある。若干の居心地の悪さを感じながら、足早に諒太の家へ向かう。うだるような暑さに耐え切れず、途中の自販機で買ったお茶を口に含んだが、すでにぬるくなっていた。
到着したそこは、良くも悪くも特徴のない、普通の家だった。そこまで広くはない庭付きの一戸建て。車が一台だけ駐車できそうなこじんまりとしたガレージには、諒太が使っている自転車が置いてあった。
玄関の呼び鈴を鳴らすと、家の中からぱたぱたと誰かの足音が聞こえてきた。
「はいはい、お待たせしました。どちら様?」
玄関の扉が開き、エプロンを身に着けたショートカットの女性が顔を出す。諒太と同じ形をした、筋の通った鼻と薄い唇。どうやら諒太の母親らしい。
「あ、あの……僕、諒太君のクラスメートの荻原と申します。今日は諒太君に夏休みの課題を届けに……」
「あらー、諒太のお友達ね。わざわざありがとう。暑かったでしょう。どうぞ、入って。冷たいお茶でも飲んでいって」
そういって屈託のない笑顔を見せる。諒太は、まずしない表情だ。
部屋の中は生活感はあるものの、きれいに片付いていた。通されたリビングの本棚の上には写真が飾ってあり、その中の一枚に、十歳くらいの少年が二人並んで映っているものがあった。山の中だろうか。周りには草木が生い茂っている。肌が小麦色に焼けた少年が、カメラに向かって満面の笑顔でピースをしている。その少年の服の裾をつかむもう一人の少年は、対照的に肌の色が白い。カメラには目を向けず、少しすねたような表情で足元に視線を落としている。
悠人と諒太だ。二人とも今とは少し印象が違うものの、なんとなく面影がある。よく見ると何枚かほかの写真にも悠人らしき少年が映っており、その横には必ず諒太がいた。
「荻原君、ちょっと待っててね。諒太、二階にいるから呼んでくるわ」
諒太のお母さんがそういった瞬間、階段を下りてくるような足音が聞こえてきた。
「治哉。来てたのか」
聞きなれた声がする方向へ目線を移すと、そこには数週間ぶりになる諒太の姿があった。久しぶりに見た彼の顔は、少しやつれている。
「母さん、俺の部屋で話すから飲み物だけ持ってく。治哉、こっち」
そういって諒太が手招きをする。以前と変わらぬ態度で心底ほっとした。
「あら、そう。お菓子もあるから一緒に持っていきなさい。お母さん、今から買い物行ってくるから。じゃあ荻原君、何のお構いもできないけど、ゆっくりしていってね」
諒太のお母さんは、てきぱきと諒太に二つのグラスとスナック菓子を載せたお盆を渡すと、こちらにひらひらと手を振りながら家から出て行った。たぶん気を使ってくれたのだろう。諒太には色々と聞きたいことがあったので、二人きりになれたのはありがたかった。
諒太の後について二階に上ると、突き当りの部屋に通された。六畳くらいの部屋にカーペットが敷き詰めてあり、パイプベッドと机、それと文庫本がぎっしりと詰まった本棚が置いてある。
すすめられるままに、カーペットの上にあったクッションに座ると、諒太はベッドを背もたれにしながら僕の横に腰を下ろした。
「……本、たくさんあるんだな」
本棚には純文学を中心にいろんなジャンルの文庫本が並んでいる。一番下の棚には絵本が数冊入っていた。きょろきょろと部屋を見渡していると、諒太が急に口を開いた。
「治哉。お前、誰にどこまで聞いた?」
空気が急にピリッとする。僕のほうをじっと見つめる諒太の目には光がない。僕は思わず黙り込んでしまい、諒太は膝に顔をうずめてしまった。どうしよう、このままではまた諒太を傷つけてしまう。正解を考えてる暇などない。何か言わなければ。何か。
「聞いたのは……諒太がステージ3に入った時のことと、悠人さんとの関係くらい。これはみづきさんに聞いた。で、その……変身したら諒太はすぐには戻れないから学校休んでるって、これは委員長から聞いた」
聞かれた質問に応えてはみたものの、おそらく諒太が本当に聞きたかったのはこんなことなんかじゃないんだろう。顔を伏せたまま、びくともしない彼の肩に手を乗せる。
「勝手にいろいろ聞いてごめん。えっと、その、今まで諒太は僕のことを心配してくれていたのに、僕は何も気づいていなくて……何もできなくて……」
「俺のこと、怖くなったか」
思わず、目を見開く。諒太はうずくまったままの姿勢で言葉をつづける。
「ステージ3だって、悠人のトランサーだって黙ってて、怖くなったか。四日谷の関係者に近づくな、なんて言いながら俺自身が関係者だったんだ。騙していたようなもんだ。お前を、ずっと、心配するような顔して、お、れは……」
言葉の勢いはどんどんなくなり、涙声に変わっていく。それでも姿勢を崩さずに、こちらを見ようともしない諒太の肩をぐいと引き、無理やり顔を上げさせた。
「怖いなんて、思っていない。騙されたとも思ってないよ。僕が諒太に何も聞かなかったからだ」
「違う、俺がお前に何も」
「最後まで聞けって!」
諒太に向かって、初めて声を荒げた。伝えなければ。話さなければ。僕はこの友人を、失いたくはない。
「僕が聞かなかったんだ。諒太はいつも僕のことを気遣ってくれていたのに、僕は一度も諒太のことを聞かなかった。一度もだ。僕のほうがずっとひどいことをしてきた」
諒太は目に涙を溜めたまま、首を小さく横に振る。すん、と息を吸う音がした。そうだ、これだ。この癖、本当は――。
「僕に、聞いてほしかったんだろう。四日谷のことも、
話を打ち切りたいときの癖なんかじゃない。話を聞いてほしい時の癖だったんだ。一方的に諒太から情報を僕に与えるだけだと、その話の責任は彼一人のものになる。僕が、僕自身の意思で、責任で話を聞かなければならなかったんだ。
――守るって何? 助けるって何するの?
みづきの声が頭の中で反響する。守るなんて、助けるなんて、そんな大それたことはできないかもしれないけど、でも。
「一人で悩ませてごめん。僕もいっしょに背負うから、諒太のことを、諒太の思っていることを聞かせてほしい」
他人事なんかじゃない。僕も
諒太の肩から力が抜ける。僕より少し背の高い友人は、手の平で顔を覆うと、背を丸めてどんどん小さくなる。僕が背中に手を回すと、押し殺したような声が漏れてきた。
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