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 みづきは駅ビルを出ると治哉と別れ、バスターミナル側へ向かった。治哉はみづきを改札まで送ると言ってくれたが、それは断った。近くに父の勝が代表を務める子会社があり、連絡すれば車を回してくれると思ったからだ。治哉は特に気にも留めず、その場を去った。学園では気を付けてはいるが、たまにこうした「お嬢様感」を出すと露骨に嫌な顔をする友人もたくさんいる。治哉が何も言わないこと、何もしてこないことはみづきにとってとても好ましいことのように思えた。

 みづきが父にメールを送るとすぐに向かうと返事が来た。別に誰か会社の人をよこしてくれるだけでいいのに、ちょうど仕事が終わったからと、勝は直接迎えに行くと言い張る。なんどもやり取りをするのも面倒くさかったので、みづきはそれを了承した。


 ターミナルのベンチに座り、スマホを触りながらみづきは荻原治哉のことを思い出す。優しい、普通の少年。人見知りでどもりがち。特に女に対して免疫がない。ものの善悪の判断もごく一般的。友人が困っていたら助けましょう。はい、助けます。そんなタイプ。

 あの手の人間には脅すよりもずっと、同情を引いたほうが効率が良いじゃないか、とみづきは考えた。彼女の双子の兄はどうも人を集めるときに高圧的な態度をとる。黄色の陣営には薬や暴力といった非道徳的な噂が絶えないが、そのほとんどは、敦史と和史の雰囲気から生まれたただのデマだった。おびえられているくらいがちょうどいい、と敦史もいうのでそのまま噂だけが独り歩きをしている。

 なめられたら終わりだと思っているんだろうけど、そんな虚勢を張らずに弱いものなら弱いものらしく、同情票をすなおに集めるべきだ。虎の威を借るキツネより、穴ぐらで震えるウサギのほうがよっぽどかわいげがある。

 みづきは三人の兄を憐れんでいた。

「かわいそうだなぁ。かわいそう」

 空を仰ぎながらみづきは独り言をつぶやく。かわいそうな兄たち。弟の顔色を窺う長男。ほかの兄弟を見下す次男。次男を妄信するの三男。

 クラクションが鳴ってそちらに目を向けると、勝の車が見えた。ハザードランプを点灯させ、路肩に止めると助手席側の扉が開いた。

「パパぁ、また自分で運転してるのぉ?」

みづきはあきれた声でそういいながら車に乗り込んだ。二階堂家にもお抱えの運転手は何人かいるが、勝は車好きで、基本的には自分で運転をしていた。

「いいんだ、運転は父さんの趣味みたいなものだからな。それよりもどうしてこんなところに来ていたんだ。寄り道か」

「うんー。ちょっと買い物ー」

「そうか。無駄遣いはするなよ。お小遣いは足りているのか」

「うん、大丈夫。……あー、ちょっと洋服欲しいから今度一緒に買い物付き合ってよぉ」

仕方がないな、と言いながら勝は嬉しそうにほほ笑んだ。その笑顔を見ながらこのおじちゃんもかわいそう、とみづきは声に出さずに思う。血のつながらない四人の子供を育てる、くたびれた中年男性。


 二階堂真子とその夫・勝は子供に恵まれなかった。一氏と三条が立て続けに男の子を生み、焦りを感じていた矢先に輝彦の相続人の話が持ち上がった。相続権が一人の孫にのみ与えられる。そう決まってからの真子の行動は早かった。体外受精で子供を作ったのだ。

 はじめは勝の精子と真子の卵子で受精を試みたが、それもうまくいかないことがわかると、真子はあっさりとほかの男性の精子を使うことを決めた。するとすぐ子供はでき、一年後には巴瑞季が生まれていた。長男の誕生後、勝は完全に家庭内での発言権を失い、真子は複数の男性の精子を使って体外受精手術をつづけた。結果、二階堂家には四人の子供が生まれたが、そのいずれもが遺伝子上の父親は異なる子となった。敦史、和史ですら、別のシャーレで生まれた二つの受精卵を同時に真子の腹の中に戻したというだけで、二卵性の双子といいながらも半分は別の血が流れている。

 みづきがこの話を聞いたのは中学に上がる少し前のことだった。本格的な性教育や遺伝についての生物授業が行われて、兄弟の血液型の差異に決定的な疑問を持つ前に教えてしまえ、ということだったようだが、真子は仕事を理由に子供たちへ出自の説明するという責務から逃げた。その結果、勝は一人、その説明を血のつながらない子供たちにしなければならなかった。

 みづきの前に正座した勝は、いつかの学級会で糾弾された同級生の顔によく似ていた。勝から自らの出生についての話を聞いて、みづきはなぜか妙に納得したのを覚えている。兄たちも中学進学の前に同様の呼び出しがあったこと。それを境に、そろいもそろって勝を「お父さん」と呼ばなくなったこと。巴瑞季の過食・偏食に拍車がかかったこと。敦史が茶室にこもりがちになったこと。和史が悪い遊びを覚えたこと。

 自分の生まれの背景を知っただけで、多少なりとも生活を変えてしまう兄たちの繊細さにみづきはひどく同情した。自分の血が半分、そしらぬ男のものだったとしてそれが何だというのか。四日谷の一族での立ち位置において、重要なのは照彦の孫という事実のみなのに。

 みづきはその話を聞いてからも勝のことを「パパ」と呼び続けた。勝はそれがよほど嬉しかったのか、末の娘をことさら甘やかすようになった。兄たちとはほぼ顔を合わすことすらなくなった勝と、未だに会話するのはみづきだけとなっていた。

 二年前に勝が買い替えたこの外車も、助手席に座ったことがあるのはみづきだけ。ほぼ自分専用の特等席となったその場所で、みづきは街中を行きかう人の群れに目を向ける。

 

 携帯を握りしめながら、何かを必死に謝罪するサラリーマン。

 制服のまま煙草をふかす男子高校生。

 スーツ姿の男性と腕を組む女子高生。

 疲れた顔をした塾帰りの小学生。

 赤ん坊を抱えた母親の目の下には隈ができている。


 ――かわいそう。かわいそう。みんなかわいそうだ。


 みづきは自分の膝に視線を落とす。全身ブランドもので身を固めているはずなのに、周りからは安っぽいギャルにしか見えていないであろう自分の姿を確認し、安心する。

 

 ――大丈夫、みづきもちゃんとかわいそう。


 そんなことを考えながら、みづきは座席の背もたれを少し倒して、目を閉じた。

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