4

 ――どうしよう。どうしよう。どうしよう。

 柳楽諒太は廊下を走りながら考える。

 ――どうしよう。治哉にはいつか自分から言うつもりだったのに。谷本にも知られてしまった。どうしよう。

 足首のあたりがずくずくと痛んだ。左足首の、くるぶしの少し上。長ズボンと靴下を履いていればまず見えない位置。これができたのはちょうど小学校に上がる前だったか。


 小さいころはひどい喘息もちで、入退院を繰り返していた。体を動かすことも苦手だったから、病院でも自宅でももっぱら絵本ばかりを読んでいた。特に好きだったのはシンデレラや眠り姫といった少女向けのものばかり。別にお姫様になりたかったわけではない。ヒロインを絶望的な状況から助ける王子様にあこがれたのだ。ただ、周りの子供たちにはからかわれてばっかりだった。祖母に買ってもらった新しい絵本を破かれたこともある。

 そんな状況の中で、唯一笑わなかった人。いじめっ子たちから救い出してくれた人。まさしくヒーローのような……。


 諒太は一階まで駆け下りたあたりで鞄を忘れていることに気付いたが、とにかく学園から離れたい一心で靴箱に駆け込んだ。その先に、一つの人影が見えた。

「諒太、どうした」

 ――ああ。なんで。

 腕をつかまれて立ち止まる。ぜえぜえと息を切らし、青ざめた顔でその人物に視線を返す。

「…………ゆう……と……」

 ――なんで。よりにもよって一番会いたくない人に。

「どうした。何があった。また誰かにいじめられたのか。

悠人が何かを話すたびにガンガンと頭の中で声が響き、諒太は膝から崩れ落ちた。やめろ、やめてくれ。

「大丈夫だ。諒太。から。落ち着いて」

悠人の手がそっと諒太の背に置かれた。手の平から生暖かい温度が伝わり、諒太は吐きそうになるのをぐっとこらえる。

「心配するな。だよ」

精一杯の力を振り絞り顔を上げる。諒太の目に恍惚とした表情の悠人が映った。

 ――ああ、あの日と同じ顔だ。

そんなことを考えながら、諒太は意識を手放した。


**


 向居菜緒が学園の玄関まで降りると、そこには一氏悠人が一人で文庫本を読みながら立っていた。菜緒が降りてきたことに気付いた悠人はにっこりと笑って片手を上げる。

「先輩、別に良いんですよ。私に登下校を合わせないで」

「俺が菜緒と一緒に帰りたいんだよ。迷惑だったらやめるけど」

何度か繰り返したやり取りをなぞる。菜緒は少しあきれたように眉を寄せた。

 悠人はにこにこと機嫌よさそうに笑ったまま、ズボンのポケットから金属製の栞を取り出した。薄い金属板に青緑のガラスがステンドグラスのようにはめ込まれており、チャームの先端には同じ色の小さな石がついている。

「綺麗な栞ですね」

菜緒がそういうと悠人はとてもうれしそうな顔をした。

「でしょう。これ、すごくお気に入りなんだ。俺の宝物」

そういうと悠人は文庫本に栞をはさみ、それを大事そうに鞄にしまった。

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