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七月の席替えでも運よく窓際を引き当てた僕は、相変わらず暇なときには窓の外を眺めていた。今日は比較的バスがスムーズに動いたため、かなり早めに教室につけた。諒太もまだ登校してきていない。
ちょうど校門の当たりで二人で連れ立って歩く男女の姿が見えた。一氏悠人と向居菜緒だ。最近は登下校の時に見かけると必ず一緒にいる。
せっかく球技大会で仲良くなれたのに、ちょうどそのあたりから悠人と向居さんが二人でいる頻度が増えたような気がする。この状況は正直言って面白くはないが、廊下ですれ違う時にきちんと挨拶をできるようになっただけでも良しとすることだろうか。のんびり構えていると、そのままあの二人が付き合ってしまうんじゃないかという嫌な想像もするが、結局僕は動き出せずにいた。
放課後、諒太が理科の先生に呼び出された。今日は理科の教科委員の生徒が休んだため、諒太が代理で課題を届けることになったとのことだ。まぁ少しの時間だしと、まだ人の残る教室で文庫本を読みつつ待っていると、ユニフォームに着替えた谷本がこちらを見ながらほかの陸上部員とこそこそと話しているのに気が付いた。
あの一件以来、諒太が谷本に対してかなり警戒をするようになり、一度も近づいていない。谷本がたまに話をしたそうにこちらを見ていたことには気づいていたが、僕自身も谷本に対して不信感が生まれなかったわけでもなかったので、その視線も極力無視していたのだ。
絡まれる前に逃げてしまおうと本を閉じ腰を上げたところ、谷本とその連れに囲まれた。
「あ、ごめん。僕ちょっと用事があるから急がないと。どいてもらえるかな」
できるだけ穏便に済まそうと申し訳なさそうな表情を作りながらそう言うと、谷本の右隣に立っていた生徒に肩をつかまれた。隣のクラスだろうか、話したことはない人だ。
「そんなこと言うなって。さっきまで本読んでたじゃん。少しだけ話したいだけだから。ほかのところに連れてこうってわけじゃないし、俺たちも部活あるから。な。五分だけ」
谷本が手を合わせながら頭を下げてくる。しぶしぶと無言で鞄を下すと、それを了承と受け取ったのか谷本はぱっと顔を明るくした。
「この間はほんとーにごめん! 和史さん、編入したての時に俺にめっちゃ良くしてくれててさ。その人にどーしてもお前と話したいって頼みこまれたから断れなくて……。ほら、和史さんってあんななりしてるだろ。会いたいってことをお前に話すときっと緊張するだろうから、放課後遊ぶ機会があったら呼んでくれればいいって敦史さんに言われて、つい……。騙したみたいになっちゃって本当にごめんな」
谷本がまくしたてるように一気に話してくる。騙したみたい、じゃないだろう。かなり意識的に図ったんだろうが。口には出せず、そんなことを思う。
「……で、あの時、黄色のバッチもらったんだろ。なんでつけてねぇの」
脅しているわけではなく、本当にただ不思議そうに谷本が聞いてきた。
「なんでって……僕は別に……つける義理もメリットもないし……」
うつむいて小声になる。好き好んで面倒ごとに巻き込まれる馬鹿がいるか、と目を見てまっすぐ言えたらいいのに、がたいのいい陸上部に囲まれて弱気な態度になってしまう。
谷本はおおげさな身振りで額に手を当て、まるで分っていないというように天を仰いだ。
「いいか、荻原。あの二階堂だぞ。四日谷傘下で一番会社を持ってるのはあそこだぞ。その上、お前は石持ちなわけだ。よく考えろ。石持ちが入れば好きな会社で出世コース確定だ。メリットしかねぇじゃん。和史さん、黄色バッチつけてる生徒にはめっちゃ優しいぞ。まじで。なぁ、つけろって」
説得するように僕の顔を覗き込んでくる。そのとき。
「治哉」
諒太の厳しい声がした。谷本の肩越しにこちらをにらんでいる諒太が見える。
「早く帰るぞ」
谷本たちを乱暴にどかして僕の鞄と腕をとる。
「おいおい、柳楽、ちょっと待てって。お前さぁ、いつも荻原と一緒にいるんだから少しぐらい譲れって」
谷本が茶化すような声色で谷本の肩に手を置いた。諒太はすぐにその手を払い、まっすぐに谷本を睨み付けた。
「谷本、お前どうせ二階堂に石持ちの勧誘に成功したら大学と就職を確約するとでも言われたんだろう。そんなことで治哉を巻き込むな」
そういわれた瞬間に谷本の目の色が変わった。
「……は? だったらなんなわけ。別にそっちに不利益になるようなことしてないんだからさぁ、いいでしょ。俺たちみたいなキャリア持ってるだけでほかはパンピーと変わらない
急に谷本が言葉を詰まらせる。諒太が胸倉をつかんだからだ。諒太が谷本の体を壁に押し付けて、近くにあった机といすがガタガタと倒れた。教室にまだ残っていた女生徒が小さく悲鳴をあげ、全員の視線がこちらに集まる。
諒太と谷本はそのままの状態で睨み合い、教室全体が静かになる。「先生を呼んでくる」と誰かの声がし、谷本の連れが思い出したかのように二人を止めようとした、ちょうどその時。
「あー、諒タン喧嘩してるー」
急に間の抜けた声が割って入ってきた。教室の入り口には明るい金髪で奇抜な服装をした、派手な化粧の少女が立っている。――確かこの子は二階堂の妹だ。彼女はその派手な格好で学内でもかなりの有名人だった。底の高いブーツをカツカツと鳴らしながらこちらにまっすぐ近づいてくる。
「だめだよー、諒タン。興奮したら変身しちゃうよー。諒タンは変身したらしばらく戻れなくなっちゃうんでしょー」
その言葉を聞いて諒太の顔からさっと血の気が引いた。力が緩んだのか、谷本が諒太の腕を振りほどく。
「あれ、なんだよ。お前も石持ちか。じゃあお前でもいいからこっち入れよ」
谷本が挑発的にそんなことを言っていたが、諒太は顔を真っ白にしたままうつむいていた。
「……諒太」
声がかすれた。こっちに顔を向けた諒太はかわいそうなくらい動揺した表情をしている。お前もか。お前も石持ちだったのか。そしてお前はトランサーなのか。聞きたいことは声にならず、口だけがひくひくと動く。
諒太はきゅ、と口を結ぶとそのまま僕の横を通り過ぎ、廊下を走っていく音だけが聞こえた。引き留めようと動いた手も空で止まったまま行き場をなくす。
「陽ちゃんたち、部活いかなくていいのー? さっきゴリ男がおこぷんしてたよー」
相変わらず静かなままの教室で二階堂の妹の明るい声だけが響く。谷本たちがやべぇやべぇと言いながら教室を出て行ったのを皮切りに、周りの生徒たちも次々と動き出した。
「ねーえ、君が荻原くんだよねー。荻原治哉くん。とりあえずおっぎーでいいかな」
動けないままでいる僕に顔をぐいと近づける。甘ったるい化粧の香りがして気持ちが悪い。何も言えずについ顔をそむけてしまった。
「二階堂みづきっていうのー。知ってるよね。かずくんとあっくんの妹でーす」
こちらの反応を気にも留めずにみづきは話を進めてくる。この子、苦手だ。
「ねぇ、おっぎー。みづきとちょっと話そうよ。悠ちゃんと諒タンについて教えてあげる」
目をくっと細めるような笑い方をする。口角が吊り上がり、いかにも愉快そうな表情でこちらを再度覗き込んできた。二階堂の双子に絡まれたあの日。カフェから出る前に見た張り付くようなあの笑顔。みずきの表情はその時の敦史によく似ていた。恐怖なのか焦りなのかよくわからない感情が沸き上がり、背中に冷や汗が流れる。
生唾をごくりと飲み込んだが、やっぱり声は出なかった。
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