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 名前も知らない男子生徒にそのまま腕を引かれ、駅の裏手にある公園のベンチに座らされた。この人は一体誰なんだ。

「ごめんな、急に割り込んじゃって。迷惑だったかな」

優し気な表情でこちらを覗き込んでくるので、ぶんぶんと頭を横に振る。

「そんなことないです。本当にありがとうございました」

お礼を言うと彼は満足そうににっこりと笑った。胸元には校章だけがついていて、何色のバッチもついていない。それに気づき言いようのない安堵感に包まれた。

「僕、荻原治哉といいます。さっきは二階堂さんたちに絡まれちゃって……帰れなくてどうしようと思っていたんですけど、声をかけてもらって助かりました」

「うん、ごめんね、うちの従兄弟たちが怖がらせちゃって。俺は一氏悠人」

 ……あれ。聞いたことがある名前でぎょっとする。この人、四日谷の家系の人だ。すう、と血の気が引くのを感じた。結局さっきとあまり状況は変わっていないんじゃないか。

「君のことはある程度聞いていたんだけどね。まあ直接的に何かするとしたらあいつらくらいだから、心配しないで。諒太ももうすぐここに来るよ」

急に諒太の名前が出てきて驚く。この人は確か二年生のはずだから、諒太と接点なんてないんじゃないか。僕の表情に気づいたのか、悠人は苦笑しながら続けた。

「ああ、聞いていないんだね。俺、あいつと幼馴染なんだ。昔あいつがうちの病院に入院したことがあってさ、そこからの付き合いなんだよ。学年が違うから学校ではほとんど話さないけど」

 この人が諒太の幼馴染だったのか。内情に詳しかったのにも合点がいった。ただ、そうなると……。

「あの……失礼かと思うのですが、なんでバッチを付けていないんですか」

諒太もこの人も、なぜ一氏の青を付けないのか。一氏兄弟は相続に関心がないとは言っていたけど、それならば僕のことだって助ける義理もないだろうに。

「ああ、あれは桐吾から聞いたと思うけど、もともとはただの生徒会章だからね。別につけろなんて校則もないだろう。俺も別に相続には興味ないし。じゃあなんで助けたんだって思うかもしれないけど、ただ身内がほかの人に迷惑をかけているのを見ていられないだけだから」

さわやかな笑顔をこちらに向けてくる。そういえば諒太が言っていたな、「正義感が強くて良い奴」って。

「淳史も和史もあんなことしてきたけどさ、あんまり心配しなくていいよ。二階堂は長男の巴瑞季に宝石人種ジュエロイドの票を固めようとしているから、あの二人が無理やりスイッチャーになろうとしてくることはない。巴瑞季自身も弟たちに人員集めを任せてるから直接何かを仕掛けてくることはないだろう」

 そこまで話すと悠人は立ち上がり、公園の隅の自販機で缶ジュースを二本買った。うち一本を僕に投げてもう一本をそのまま自分で飲みながら、スマホをいじりだした。

「あの、ありがとうございます。お金……」

「いいよ、気にしないで。なんていうかな、身内の迷惑料。あと、諒太と友達になってくれてありがとうってことで。あいつさ、本ばっかり読んでてあんまり友達作らないから。高校に入って気の合う友達ができたって聞いてほっとしたんだよ 」

あたりはもう暗くなりかけていて、悠人の表情はよく読み取れなかったが、スマホの画面の明かりで照らされた口元は笑っているように見えた。

「諒太、駅に着いたって。もうすぐここに来るんじゃないか」

そう悠人が言った瞬間に後ろから「治哉」と諒太の声がした。普段聞かないような大声で思わず驚く。

「諒太」

振り返ると諒太が息を切らしながらこちらに走ってくる。

「治哉、大丈夫か」

肩をがっしりとつかまれ揺さぶられる。

「だ、大丈夫。何もされてないよ。一氏先輩が助けてくれたし」

がくがくと頭が揺れて気持ち悪い。その様子を見て悠人はにっこりと笑った。

「荻原、今後も何かあるようだったら連絡ちょうだい。これ、俺の連絡先。あと呼び方悠人でいいよ。嫌いなんだこの苗字。堅苦しくてさ。じゃ、俺は先に帰るよ。あんまり遅くなるなよ」

悠斗はメモ用紙を僕に手渡すとさわやかな笑顔を向けてその場を立ち去った。諒太と二人だけで残された後は、気まずい沈黙が流れた。

「……あの、諒太。ごめん」

耐えきれなくなって思わず謝る。

「何が」

明らかに不機嫌な声で諒太が返してきた。やっぱり怒っている。

「忠告してくれたのに、ごめん。谷本と一緒に帰ったら二階堂さんたちを呼ばれちゃって……でもその、悠人さんが助けてくれたから大丈夫だったよ」

諒太は長いため息をつくと僕の額に思いっきりでこぴんをしてきた。

「本当に馬鹿か。バッチを付けている人間全員気を付けろ。あんなにわかりやすい目印もないだろう。今日はたまたま悠人が通りかかったからよかったものの」

「そういえば、悠人さん、よく僕が諒太の知り合いって分かったよね」

すごい勢いでまくしたててくるので、思わず遮ってしまった。でもそうなのだ。悠人のあの様子は初めから僕が諒太の友達だということを分かっていたかのようだった。

「……悠人には石持ちの友達ができたことを話していたんだ。お前とあの帽子の子はほかの学年でも有名人になってたから悠人も誰かすぐにわかったみたいで。あの双子と同じ学年だからとりあえず気を付けて見ておくとは言ってくれてたんだ。二階堂の双子は石持ちにはすぐに接触しようとするから。委員会が終わったときに、淳史がさっさと教室を抜け出したからちょっと気になってたんだけど、悠人から連絡が入ってさ。駅前でデートしていたら和史が似合わないカフェに入っていったって。そのあと淳史も入ったからちょっと見てくるって連絡してききり、電話にも出なくなるからとりあえず駅前に移動して、カフェとかも探したんだけどいないからかなり焦った。そしたら治哉と一緒にいるから公園に来いって」

公園についた直後の諒太の様子を思い出す。休み時間も本を読んでばかりで、基本的に動くことが嫌いな彼が体育の授業以外で走っているのは初めて見たかもしれない。

「心配してくれてありがとう」

嬉しくなって礼を言うと諒太は急に立ち上がり大きな声でうなった。。

「あー。慣れないことをしたからすごく疲れた。もう帰ろう」

先に歩き出した諒太の耳は少し赤くなっている。こんなに友人思いなのになぜ彼は今まで友達を作らなかったのだろう。小走りで彼の横に並ぶと、諒太は声を落としてこういった。

「治哉、何かあったら悠人に相談する前に俺に言え。悠人に呼び出されるようなことがあっても、絶対に俺を連れていくようにしろ。いいな」

見上げると彼の顔からはもう赤味は引いており、ひどくまじめな表情になっていた。なぜ、と思ったもののすぐにすん、と音がしたので僕は結局その真意を問うことはできなかった。

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