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あの日以来、諒太とは
学内ではほぼ二人で過ごしていたせいか、諒太に心配されていたバッチを付けた人間からの勧誘も今のところない。また、向居さんはおろかほかの女子とも話す機会がなかったので、あの時受けた彼女を作るなという忠告についても図らずとも守られていた。
放課後、諒太が珍しく先に帰っておいてほしいと言ってきた。六月末にある球技大会についてクラス委員と体育委員で打ち合わせがあるらしい。図書館で待っていようかとも言ったのだが、長引きそうだということだったので先に帰ることにした。
下駄箱まで降りたところで、誰かに肩を軽くたたかれた。振り返ると、そこには谷本が立っておりにっこりと笑いかけてきた。いつも黄色バッチの誰かと一緒にいるため、一人でいるのは珍しい。
「よ、お前も今帰りか。一人なら一緒に帰らねぇ? 柳楽も委員会の打ち合わせだろ。俺もゴリ男がそっちの会議にでてるからって部活が休みになっちゃったんだよ」
谷本は運動ができるタイプで、入学して早々にいろんな部活から勧誘を受けていたが、結局陸上部に入ったようだった。ゴリ男とは陸上部の顧問で筋肉質な体をした体育教師で体育委員の指導もしている。六月に入り雨の日が多い中で、今日はせっかく晴れている日なのに練習できないのか。
「そっか、残念だったね。じゃあバス停まで一緒にいこう」
諒太の手前、学内ではバッチのついている人間と話すのは極力避けるようにはしていたものの、学園から出た後についてはむしろ自由に行動していた。何か仕掛けようにも学外の人間がいるところでは目立つような行動もとれないだろうし、谷本も今日は連れがいない。いざとなれば逃げだせるだろうと思い谷本の申し出を受け入れた。
自由な学校生活を送るためにこの学園に入ったはずだったのに、かえって不自由になってしまったな、とぼんやり考えていたら急に谷本が顔を覗き込んできた。
「おいおい、顔色が悪いぞ。なにかあったか? 明日は土曜だから気が抜けたか。あ、さては帰りに女の子でもひっかけようと思っていたのかぁ。抜け駆けは許さんぞ」
変なポーズをとりながら谷本が僕の顔を指さした。毒気が抜かれて思わず頬が緩む。中学の時の友人たちを思い出させるような馬鹿みたいなノリは嫌いじゃない。こいつが黄色バッチをつけていなかったらひょっとしたら諒太と三人でいられたのかもしれない。
「ごめんごめん、なんでもないよ。行こうか」
谷本とはバス停までくだらない話をして歩いた。来週の小テストの範囲が思っていたより広いだの、部活の女の先輩の胸がでかくて走るのに集中できないだの、実のない会話を続けた。数学の教科書を忘れて友達経由で別クラスの生徒に教科書を借りた際に、卑猥な落書きをして返したら、その教科書の持ち主が女子で散々な目にあったという話では久しぶりに声をあげて笑った。仲介してくれたクラスメートといい感じになっていた女子だったらしく、しばらく口をきいてくれなかったと谷本はぶちぶち話していたが、むしろそんなことをやらかしておきながら仲直りできただけでも十分すごいと思う。
「な、な、荻原はT駅から電車だよな。俺、そっちの駅からもR線使えば帰れるから駅前のカフェ寄らねぇ? うまいドーナツがあるんだよ」
バス停でお互いに乗るはずだったバスを一本ずつ見送った後、谷本がそのようなことを言うから二つ返事でOKした。谷本の胸元には相変わらず黄色のバッチがついていたし、諒太の忠告を忘れたわけではなかったが、普通の男子高校生のような会話に飢えていた僕はこの時間を引き延ばしたくて仕方がなかったのだ。
――谷本は僕と同じ転入生で、深い事情はあまり知らなそうだし。他の黄色バッチも近くにいないし大丈夫。
誰に対してというわけではないが、心の中で言い訳を繰り返す。五分後にT駅行きのバスが停留所にとまり、谷本と二人で乗り込んだ。
駅前のカフェでは店の奥まった窓際のボックス席に通された。谷本がおすすめする半分チョコがかかったドーナツは外側がサクサクしながらも、中はしっとりしていておいしかった。谷本はこれを未来の彼女に食べさせてあげたいといっていたが、今のところその予定はないらしい。三十分ほど店で話してそろそろ帰るかと腰を上げようとしたときである。
「あ、ねぇもうちょい待ってよ。なんかさ、荻原と話したいって人がいて紹介したいんだ。あと少しでここに来るらしいから」
急に谷本が焦ったような顔でそのようなことを言う。誰かここに来るのか? そんなの一言も言っていなかったのに。
「いつか話してみたいって言っててさ、今日たまたま荻原一緒にいるって連絡したらここに寄るって。大丈夫、いい人だから」
腕をつかまれて説得してくる。目が少し泳いでいて、明らかに先ほどまでと様子が違う。
「誰が来るんだよ。悪いけどもうそろそろ遅い時間だし、帰らせてくれないか」
大方予想はついている。この感じだとここに来るのは、黄色のバッチの誰かだ。早いところ逃げなければ。腕をつかんでいた手を振りほどいて鞄に手をかけた時である。
「十分くらいで大丈夫だから。待ってって。……あ、和史さん、こっちです」
谷本はどこかで聞いたような名前を呼び、僕の背後に向かって手を振っている。後ろを振り返ると大柄な影がこちらに近づいてきている。ツーブロックに剃りこみを入れた、眉の薄い人相の悪い男。明らかに不良というような風貌で血の気がひく。
「おう、谷本。こいつが例の転入生か」
「はい、こいつが荻原っす。荻原、こちらが二年生の――」
「二階堂和史だ。どうせ桐吾に名前くらい聞いてんだろ。よろしくな」
男は片側の口角だけ上げてにやりと笑う。口元からは八重歯がのぞき、目元は品定めするように薄くなった。
――二階堂の双子は囲い込んでいる人間を使って暴力沙汰もたびたび起こしている。
諒太の言葉が頭の中で鳴り響く。一刻も早くここから逃げなければ。頭ではそう思っているのに、膝から下がうまく動かせない。
「谷本、サンキューな。ここの会計は俺が払ってやるよ」
「え、まじっすか。ごちっす。ラッキーだな、荻原。和史さんがおごってくれるって」
谷本がなつっこそうな顔をこちらに向ける。やっぱりこいつには他意があってこんなことをしたのではなさそうだ。ただの善意で連れてきている。谷本は棒立ちになっていた僕をてきぱきと席に戻すと、今度は自分の鞄を手に取ってこちらに敬礼をしてきた。
「じゃ、荻原。和史さん、お前とゆっくり話したいらしいから俺は先帰るわ。大丈夫、こんななりしてるけどマジいい人だから」
お前一言多いよ、と和史に小突かれながらも谷本は嬉しそうにしている。待ってよという暇もなく、谷本は手をひらひらとさせてその場から立ち去ってしまった。
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