晴れの六月
1
六月。入学してから二か月が過ぎ、学校にも慣れてきた。僕の目の前では
入学初日、一番初めに声をかけてくれた谷本とは、結局つるむことはなかった。入学式の次の日、ラーメンを一緒に食べに行ったらしい谷本の胸元には黄色のバッチがついていた。「お前、どうする?」とこそこそと話しかけられはしたものの、「少し考えたい」と言ったら「そうか」とだけ返してすぐに他のやつらの輪の中に入っていった。その後も何か機会があれば言葉は交わすものの、いわゆる「友達」という分類にはならず、「クラスメート」としての距離感を保っている。谷本との縁がつながらなかった僕はそこそこに絶望はしたものの、生徒会長のあの話を聞いてからバッチを付けている人間が少し怖くなっていたので、正直ほっとしたところもあった。
しばらくは一人で過ごしていたが、社会の選択授業(僕は世界史を選んでいた)の教室移動の際に一人で座っている諒を見つけ、胸元に何のバッチもつけてなかったので声をかけてみた。自分から他人に声をかけるのなんてかなり久々のことだったから、変にどきまぎしたものの、ことのほか話が合ってすぐに仲良くなれた。好きなジャンルこそ違ったものの、お互いに読書が趣味だったのだ 。話をするようになった次の日に「治哉」とファーストネームで呼ばれたのはかなり驚いたけど。
諒太が本を読むさまをじっと眺めていたら、彼が顔をふと顔を上げた。
「ごめん、なんかずっと本読んでて。これ、昨日幼馴染に薦められたんだけど面白くて止まらないんだ」
諒太は自分の時間は自分で使いたいタイプらしく、内部進学生にしては珍しく特定の仲良しはどうやらいないようだった。唯一、「幼馴染」なる存在とはかなり親密な仲らしく、たびたび会話の中に出てくる。
「ねぇ、その幼馴染ってどんな人なの」
何の気なしに聞いてみる。今まで特に深くは聞いてこなかったが、諒太の会話の半分はその幼馴染で占められていた。
「んー……そうだな。正義感が強くて良い奴だよ」
あまり詳しくは話してこない。すん、と鼻を鳴らすと諒太は視線を本に戻した。諒太とはまだ短い付き合いだが、話を打ち切りたいときや話題がつまらないと感じているときに、鼻から小さく息を吸う癖があるらしいことに最近気が付いた。これは深くは聞いてくるなということかと判断し、会話はそこで打ち切った。自分も読みかけている本を取り出しページをめくる。ちょうど主人公の刑事が真相にたどり着くシーンで僕はすぐに本の内容にのめり込んだ。
窓から心地の良い風が入ってくる。教室内は騒がしいはずなのに、諒太と向き合いながら本を読むとなぜかお互いがページをめくる音だけが静かに聞こえてくるように感じた。中学の時の友人たちはうるさいタイプが多く、読書などしようものならすぐ邪魔が入ったので、友人と一緒に静かに過ごすことなんてできるとは思わなかった。物言わずとも気まずくならないこの友人との生活を、僕は案外気に入りはじめていた。
その日は雨続きの六月にしては珍しく、外はきれいに晴れていた。月に一度の席替えで運よく窓際の席を引き当てた僕は、授業に退屈するたびにグラウンドを眺めていた。今まで通っていた公立の中学や小学校とはまるで違う、広いグラウンド。経営母体の四日谷財閥からの莫大な援助で建てられたらしいこの学園の設備はとにかく行き届いていた。大きな体育館、清潔な室内プール。カフェテリア形式の学食は休み時間や放課後も利用できる。図書館の蔵書も多く、昼休みはほとんどそこで諒太と一緒に過ごしていた。
ピーっと笛の音がし、グラウンドでランニングをしていたらしい生徒たちが体育教師のところへ集合している。その中に相変わらず運動するにはそぐわないニット帽子をかぶっている向居菜緒の姿が見えた。
入学式後、クラスの違う向居さんとはあまり話すこともなかったが、廊下ですれ違う時に軽く会釈はするような間柄となっていた。はじめの印象では性格がきつそうなイメージだったが、それは気の強そうな大きな瞳と高い身長のせいで、彼女自身はただの口下手なだけなのかもしれないと思えてきた。勘違いじゃなければ、会釈をするときに、少し僕と話したそうな雰囲気を出しているのだ。しかし、中学では女子との交流はほぼなく男友達に囲まれて過ごしていたせいで何か気の利いた言葉をかけることができるわけもなく、ぎこちなく目線を返すので精一杯で、結局彼女とは会話らしい会話をしていない。
正直に言うと、ちょっと、いやかなり彼女のことが気にはなっているのだが、何もアクションは起こせていない。諒太に相談したところでおそらく何かアドバイスをくれるわけでもないだろうし、むしろかなり反対されるだろう。諒太からは石持ちは恋愛すべきでないと釘を刺されたことがあるからだ。
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