9日目
次の日。朝からお昼のことが気が気でなかった。未だにつかない既読。僕は不安が焦りへと変化していく。
どうして……。彼女は本当に……。
心中はそんなもので満たされていた。
それでも時間は止まってくれない。ただ無情に一秒、一秒を刻んでいく。
「あぁ、くっそ」
二限の英語の講義中、幾回もその言葉を吐く。
誰に宛てたわけでもなく、ただどこにぶつけていいか分からないこの感情を言葉に出す。
「こらっ、井上! ぶつぶつうるさいぞー」
恰幅のいいジェントルマン風の先生は優しい口調で注意する。
「すいません」
小声でそう答え、LIMEを開き通知の確認をする。
しかし返事は愚か既読すらまだついてない。
約束の時間まで後三十分ほどになっている。
ぎゅっと拳を結び、僕は千尋が図書館に来てくれることをただただ祈った。
過ぎ行く刻のなか僕はひたすらに願った。
* * *
時刻は十二時十五分。ニ限の終わりを告げる鐘が鳴る。
僕は慌てて立ち上がり、教科書や筆記用具をカバンに詰め込むと足早に大学図書館に向かった。
千尋がそこで待っていてくれることを祈って……。
いつもなら気にしないおばあさんの学籍番号を打ち込む遅さに苛立ちを覚える。
早く……、早く……。カウンターに置いた手の人差し指でカタカタと音を鳴らしておばあさんを急かす。
「ご、ごめんよ」
しゃがれた声で申し訳なさそうに言う。
そんなことは良いから早くしろよ。
おばあさんには申し訳ないがそんなことを思ってしまう。
「は、はい。終わったよ」
そう言って学生証を差し出すおばあさんから勢いよく、奪いとるかのごとく取ると何も言わず、即座に僕と千尋がはじめて逢ったあの席へと向かう。
しかし、そこに彼女の――千尋の姿はない。
心の奥から込み上げてくる哀しみを押し殺しながら図書館内を一周する。
見落としのないように隅々まで見回る。
だが、千尋の姿はどこにもない。
哀しみから落胆へと変わり、僕はいつもの席に腰を下ろす。
深く長いため息を吐きながらカバンの中から菓子パンを取り出す。
「食欲でねぇーな」
力なくつぶやきながら飲食禁止の図書館内で菓子パンの封を開ける。
ポロッとこぼれる涙を意識的に理解しながら甘ったるい味がする菓子パンにかぶりつく。
そしてそれを食べ終わる頃には昼休みが終わる五分前となっていた。
結局彼女は来なかった。これが全てを意味する事実。
奥歯をキリキリと噛み締め、こぼれる涙を抑える。
全てを受け入れる覚悟を決め、千尋とはもう逢わない……いや逢えないことをしっかり受け止める。
「やっぱり……あれは正しかったんだ」
誰にも聞こえないほどの小声で呟き、立ち上がる。
刹那、眼前が白い光に包まれる。
暖かい陽だまりのような光。でも、触れれば儚く消えてしまいそうな気配がある。
そしてその光の中からなにかのシルエットが見受けられた。
何だあれ……。人……なのか?
音すら発さない口がひたすらにぱくぱくする。
「まだ……居てくれたんだ」
消え入りそうな弱々しい声だが、好きな人の声は間違えようがない。声の主は千尋だ。
光の中から現れたのは千尋だったのだ。
「まだって……。そりゃあそうだよ」
光から現れたことに驚きを隠せないが今はそれよりも話したかった。純粋に千尋と話したかった。
「ごめんね、遅れちゃって……」
そう告げる千尋の顔は青白く、今にも倒れてしまいそうなほどだった。
「それはいいんだけど、体調悪いのか?」
千尋は首を横に振る。
「外行かない?」
そしてこう言った。
* * *
僕は午後の演習の授業をすっぽかし、千尋と一緒にいることを選んだ。
僕たちは図書館を出て、近くのカフェに入った。
平日お昼すぎのカフェには裕福な暮らしをしていると思わせる服装や振る舞いをする主婦やおばあさんがちらほらいるだけだった。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
正午のピークを乗り切った後で表情に疲れが滲み出ている三十代くらいの可愛いらしい店員さんが声を出す。
「二名です」
僕は右手の人差し指と中指で二を表現しながら言う。
店員さんは何故か一瞬戸惑ったような表情を見せてから元気を振り絞ったような笑顔で「こちらです」と席の誘導をした。
角席で陽当たりのいい四人掛けの席だった。
僕が窓側で千尋はそれに向かい合うようにして座る。
近くに設置してある観葉植物が昼過ぎの店内を爽やかに彩る。
「ご注文は?」
お冷を運んできた席の誘導をしてくれた人と同じ店員さんが訊く。
「アイスコーヒー二つで」
「二つともすぐお持ちしてもよろしいでしょうか?」
困惑気味にされた質問の意味がわからなく僕は「はい」と答えた。
まもなくして二つのアイスコーヒーがテーブルに運ばれてきた。
「ごゆっくりどうぞ」
二つのアイスコーヒー、そのどちらも僕の前に置き、そう告げると店員さんはさっさと立ち去った。
「これでわかった?」
一つを千尋の前に移動させると、彼女はアイスコーヒーの中にミルクと砂糖を入れながら声を重くして呟いた。
「わかったって?」
固唾を呑み千尋の言葉を待つ。
「私のこと薄々気づいたんじゃない?」
「……。《あのこと》か?」
言葉なく千尋は頷く。
「薄々な。でも……まだ分からないことが多すぎるんだ」
体を乗り出し言う。ちゃんと……ちゃんと話してくれよ……。
奥歯の奥で言葉にならない言葉が込み上げてくるも音として発せられることは無かった。
音にする前に千尋が話し出したのだ。
「十四年前、私とあなたは出逢ったの。きっかけは今でははっきりと覚えてないわ。でも、毎日遊ぶような仲だったわ」
「記憶に定着してないけど、二年生に上がるまではだろ?」
アルバムの件を思い起こしながら言葉にする。千尋はこくりと頷き肯定の意を示す。
「そう。それまでに私たちは逢ってた。工くんに最後に逢ったのは十二年前。あなたは私の家に居候するって言い出したわ」
遠い昔を思い出し口元に綻びが生まれる。
「引越し、だったらしいな」
自分のことを他人事のように吐く。いや、実際記憶は無く他人事のようなものなのだ。
「そうなの。それで子どもながらに反抗したんだろうね。私は嬉しかったのを覚えてる。でも、お母さんたちがそれを許さなかった。だから工くんのお母さんたちに工くんが私の家にいることを伝えたの」
「それで……、おれは連れ帰られたってことか?」
千尋は汗をかいたように水滴がたらたらと流れるコップに手をかけ、アイスコーヒーを口に含む。
差し込む光が千尋の顔をより一層白く見せる。
「そう。それで私とあなたはお別れ……。でも、その年の夏に事件は起きたの」
「夏……」
元自宅の僕の部屋で見た幾枚かの紙を思い出した。それは新聞の記事スクラップで、確か日付は八月四日。
「そうよ。工くんはもう知ってるはず。工くんの部屋で見ちゃったはず」
バレてたのか。僕は息を呑む。何を話せば……。そう考えた時、彼女は口を開いた。
「私が大火災に巻き込まれたこと……」
「えっ……。やっぱり、そう……なのか?」
自分でも驚くほどかすれた声が口をつく。
「うん。ごめんね、黙ってて……」
溶けだしたコップの中の氷がカコン、と音を立てる。
「いいんだ。でも……あの記事には」
「そうだよ。それがもう現れてたでしょ?」
意味のわからない言葉に戸惑う。
「どういうことだよ」
苦し紛れに絞り出した言葉。だって、僕はもう薄々気が付いていたから……。
「ここに入った時さ、工くん何人って言った?」
「えっ、そりゃあ二人って言ったけど」
「そうだね。その時、店員さんはどんな表情だった?」
そう言われ、数十分前ここに来た時のことを思い出す。
二名って言って……。
「『え?』みたいな表情だったような」
あまり記憶に残ってない日常の一部をどうにか思い出し答える。
「そう、あからさまでないにしてもそれに近い表情をしてたの。どうしてって思わなかった?」
「どうして?」
どうしてって、どうして?
「じゃあ、もう一つ。注文した時いつもと違うことなかった?」
それは覚えていた。いつもなら絶対に言われない台詞を言われたからな。
「それは覚えてる。『二つともすぐお持ちしてよろしいでしょうか?』だろ」
少し誇らしげに言うのに対し、千尋は冷静に返す。
「それを言われる時ってどういう時だと思う?」
「えっ、えーと……。あ、後から来るって言った時だ」
「そう。ということは、店員さんにとって工くんは何人に来てるように見えたってこと?」
えっ、思わずしゃがれた声が洩れる。つまりはそういうことなのか……。手が小刻みに震える。
店内の空調器が効きすぎているのか、少し寒く感じる。
「一人ってこと……?」
震えのおさまらない声で訊く。
「そういうこと。それに運ばれてたアイスコーヒー、全部工くんの前に置かれたでしょ? そういうこと」
そう告げる千尋の表情は悲しみで押しつぶされそうだ。どうにかそれを和らげてあげたいって思う。何をすればいい、僕は何をすれば……。
そう思った刹那。千尋は小さな嗚咽を漏らし涙をこぼし始めた。
「ごめんね……。ごめんね……。私、約束守れない……」
店員に見えてない、恐らく他の客にも見えてない。
だから……、僕だけに向けられた言葉。心の奥に深い染み込んで来る温かい言葉は哀愁の色が濃く出ている。
「だからどういう事なんだよ……。約束って……、約束ってなんだよ!」
口調が徐々に強くなっていくのがわかる。それに、大体は理解できていた。ただそれを認めたくなっただけだった。
「約束は約束だよ。工くんが引越す時に二人で交わした《あの》約束」
蘇る記憶の中で約束はあれしかない。
でもあれは、いい年超えた奴が信じるようなものではない。あくまで小学生が言いそうなそんな約束。
だからそんな……、ありえるのか。
頭の中を駆け巡る一つの約束。それはこの年齢になると大きな意味を成すもの。
「どうしたの、変な顔して。そうだよ。あの約束。《結婚》しよって約束だよ」
千尋は瞳を濡らし、涙声で丁寧に告げた。
「何で泣くんだよ……。しようよ、結婚」
好きな相手と結婚できるのなら幸せ。しかも相手がこんな美人でスタイル抜群の千尋なら断る理由がどこにもない。
千尋は僕の言葉を聞いても泣き止むことはなく、ただ黙って首を横に振った。
「ありがとう……。でも、無理なの……」
そこでようやく思い出した。僕の部屋で見た記事のことを。今こうして普通に話してるから忘れていたけど……。途端、涙がこみ上げてくる。抑えようにも抑えられない。言葉では表現しきれないあまりにも巨大な悲しみ。
「っ……」
嗚咽が漏れ、それと同時に堰を切ったように洪水の涙をこぼした。
傍から見れば一人で泣いているただの変人だろう。でも……、それでも泣かずにはいられなかった。
「ごめんね……。あの日、あの大火災で死んじゃって」
僕は何も言わずひたすらに涙を流した。
差し込んでいた陽も雲に覆われたのか届かず、カフェ全体は暗く沈んだ雰囲気となった。
それはまるで、僕の心を投影してるようなそんな風に感じられた。
コップの中の氷は全て溶けており、ブラックで飲んでいた僕のコーヒーの色は薄くなっている。
ほとんど手をつけてない僕とは逆に千尋は涙ながらにコップに手をかけ残り少なくなったコーヒーを飲み干した。
それを見て僕は想像していた《あの単語》をいう前に四分の三以上残っていたアイスコーヒーを一気飲みし、意を固め告げる。
「千尋……、きみは《幽霊》なのか……?」
元自宅に行ってから幾度となく思ったことを訊いた。
頼む……、違うと言ってくれ。
自分で聞いておきながら強くそう願う。
「そうだよ。あの大火災で私は死んだの。そして私はあの約束を果たすために……」
決意のこもった千尋の言葉は僕にとっては耐え難いものだった。心の奥を強く熱くさせる。
幽霊とそんなの関係なく、僕は彼女と一緒に居れるだけでいい。でも、それを言葉として紡ぐ前に彼女が言葉を放った。
「好きだったよ。だからこの年で戻ってきた」
千尋の目から涙はもう流れていない。頬に残る最後の涙が宙へと舞い、テーブルの上に落ちる。
「好きだったじゃない。僕は今、現在進行形で千尋が好きだ」
雲が晴れたのかまた強いお昼すぎの陽射しがカフェ全体を温かな光で包み込む。
「それだけ聞けただけでも満足だよ」
優しい笑顔。だがどこか弱々しい。
そんな千尋は、色素が薄くなり病気でも患っているように思える。
「あはは、もう限界が近いね」
言葉通り、力無く笑い、告げる。
「限界が近いって……?」
「消えちゃうってことだよ」
その言葉に僕は何も反応できず、フリーズしてしまう。
消えるってどういうことだよ。意味が分からねぇーよ。
そんな僕の思いを横に、千尋は寂しげな表情で呟く。
「そういう運命だったからね。それでね、どうして私はこの歳でこの成長した姿で工くんの前に現れたと思う?」
突然の質問に僕は答えることなんてできなかった。ただでさえ理解するので精一杯の事が起きているのにその上質問なんて……。
「わかんないよ」
消える本人が泣き止んでるのにいつまでも泣いたままではダメだ。
そう思い、どうにか込み上げる涙を殺し、できるだけ普段通りの声で答える。
「結婚だよ。男の子って十八歳からでしょ? 結婚できるの」
「そうだけど」
「だからこの歳で現れたの。それで成長してたのは結婚するって言ってるのに体が小学生じゃダメだからだよ」
その時、ちょうど陽が千尋の顔をまっすぐに照らし出した。
流れなかった目元に残ったままになっていた涙が反射して顔がキラキラ光る。
「そうか」
僕それが完全に蘇った記憶の中にある幼い頃の千尋と重なり、それしか言うことができなかった。
「うん。でも不安だったの……」
「不安?」
いつの間にか客が増えてき出し、世間話やらでざわつきが増す。
「工くんに好きになってもらえるか不安だった。もしかしたら見向きもしてもらえないかもしれない……。そう考えると不安で不安で。
だから初めて会った時、お昼休みの鐘が鳴るまで話しかけられなかった」
千尋の凛とした声がざわつきの中でも僕にしっかり届く。そんな千尋の表情は和やかであるように感じられた。
「そうだったんだ。僕も声かけようかなって思ったんだけど、あまりにも千尋が可愛くて、美しくて、それができなかった。だからあの時、千尋に声かけてもらえた時は、本当に嬉しかった」
僕と千尋のファーストコンタクト。互いに初々しさがあり、緊張があった。
僕の言葉を聞き、千尋は本当に嬉しそうな表情を浮かべ「ありがとう」と述べた。
陽射しにより照らされた千尋の顔に一切の曇りは無く、本当にただまっすぐ僕の顔だけを見つめていた。
時刻が午後三時を回ろうとしていた。カフェ内は席がいっぱいになるほど客が来ていた。
「出るか?」
回りに目を配り、静かに訊く。
「そうだね」
千尋は苦笑を浮かべながら肯定の言葉を呟く。
会計を済ませた僕たちは僕の現在の家へと向かった。
あと数分でホームに来る快速電車に乗るため、駅員に定期を見せ改札を抜ける。
千尋は切符を買い、改札にそれを通すとゲートが開く。僕は千尋が通り過ぎるのが見える。だが、駅員たちには千尋が見えてないらしく勝手に開いたゲートを不審がり、確認に来ている。
「本当……なんだな……」
その光景を目の当たりにして言葉を漏らす。
千尋はそれに答えることなく、代わりに行こっ、と僕の腕を引っ張った。
* * *
僕の家に着く頃には陽は傾き始めていた。僕の影は長く伸びるも、千尋に影ができることは無かった。
「なぁ、影。できないの?」
「もうこの姿だからね」
少し顔を歪め苦い顔で答える。
この姿? そう思い僕は千尋を見るとその言葉の意味を理解した。徐々に透けがひどくなっており、光が体を透過し始めている。
カフェで見たときのそれよりまた少しそれが強くなっている。
「後、どれくらいもつんだ?」
「一日が限界かな」
体が強く震えるのがわかる。幽霊であると言われた時より僕は千尋が消えるという事実のが怖かった。
「どうして……」
誰にでもなくこう呟い。千尋はそれには答えずただ黙って僕を見ていた。
部屋に入った僕たちはテーブルを挟むようにして向かい合うようにして座る。
美しい顔がそこにある。姿がある。でも……、明日にはもういない……。
「ねぇ、今日泊まっていいかな?」
千尋は恥じらう様子を見せながら訊く。
「あぁ、いいよ」
「ありがとう」
こんなことになるなら……ずっと一緒にいればよかった。
その思いと同時にある疑問が浮かび上がった。
「あのさ、今までどこで寝泊まりしてたの?」
千尋の家は燃えてもう存在しないはずだから、アパートとかマンションとか借りてたのかな。でも、少しの間しか存在しないのにそんなことするか?
「工くんの前の家に勝手に住み着いてた」
悪びれた様子を見せながら答える。
「えっ……」
「だから、いきなり工くんが来た時は驚いたよ。咄嗟に逃げ出したよ」
思い出し笑いを浮かべながら話す。
「そう……だったんだ」
でもその割には足跡なんて……。
「足跡なんてつくわけないじゃん。私、幽霊なんだから」
「じゃ、じゃあ僕の部屋の足跡は?」
「あれはね」
千尋は含み笑いを浮かべ続きを話させない。僕はただひたすらに続きを待つ。
「……。私がつけたの。靴を持ってきてね。折角ここまで来てくれたんだから知ってもらおうと思ってね」
「そう……だったんだ」
千尋の覚悟。千尋の思い。それを知った今、僕は無意識的に体を乗り出し、千尋の唇に自分の唇を重ねていた。
柔らかな感触。鼻腔をくすぐる千尋の匂い。間近で見る千尋の顔。
美しいという言葉がどれほど陳腐なのかを知らされた。
千尋は僕からのキスに、驚きを示したが、それを拒むことなく、瞳を伏せ受け入れる。
僕のファーストキスだった。幼くして亡くなってしまった千尋もおそらくそうだろう。
恋人同士ならどうってことないことかもしれない。ただ僕らはそうではなかった。長い時を経てやっと触れ合うことが出来た。だからこそ、二人のキスは小学生のが上手くやるんじゃないのか、というほど不格好なものだった。
「いきなりで……ごめん」
してしまってから言うのは反則だな……。
「うんん、嬉しかった。工くんから来てくれるとは思わなかったよ」
そう言う千尋の顔はうっすらと透けているが、それでも朱に染まっているのが分かった。
* * *
それから二人で夕食を取り、お風呂に入った。
この前はしなかった《一緒のベッドで寝る》という行為をした。
互いに恥ずかしさが勝ち、最初は背中を向けて転ぶ。
しばらくして恥ずかしさが落ち着くと僕はそっと手を伸ばし、細い千尋の手をとる。
そして手を握る。
それをきっかけに二人は向かい合う。
目と目が合う。真っ暗な部屋でも分かる千尋の瞳はうっすらと濡れていた。僕はそんな千尋目尻を撫で、溜まっている涙をぬぐう。彼女は嬉しそうに微笑み、そして目を瞑る。
僕は言葉もなく彼女の体に手を回し、ぐっと抱き寄せ、ゆっくりと唇を重ねた。
長い接吻を終え、僕はそのまま彼女の体に手を這わせた。
* * *
たった一日にしてあらゆることを経験した。
大人になった、のかもしれない。
僕と千尋は布団の下で衣類を纏うことなく互いのぬくもりを感じながら眠った。
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