7日目
いつもと同じようにいつものベッドで目を覚ます。
昨日、何時に寝たっけ……。
目を擦りながらいつもと同じ通りにテレビをつける。
子ども向けヒーロー番組が目に入る。時刻は八時二十三分。終盤のせいかもう既に変身ポーズを取っている。それから少しの間戦闘シーンが繰り広げられ、怪人に対してキックをキメる。
懐かしいな。僕も昔こんなの見てたな。いつから見なくなったんだっけ。
苦笑しながらも僕は残り数分を見切った。直後、女の子向けアニメ番組の予告が入った。
そうだ、ヒーロー番組の後はプリキョアだったな。
僕はチャンネルをそのままに朝食の準備を始めた。
* * *
時刻は午前九時を過ぎた。ゆっくりと朝食を一人で食べるのは久しぶりな気がする。
ぐだぐだしながら食べた朝食は妙にお腹にどっしりときたように感じた。
「あぁ、これぞ日曜日だ」
バカバカしいほどに休みを満喫する。床に横たわりゴロゴロとする。
不意に本棚に目がいく。
「懐かしいな」
僕は本棚に並ぶ幼稚園、小学校、中学校、高校のアルバムと文集に順に目をやる。
「高校から見るか」
時間もあるしな、思い出に浸るか。
懐かし過ぎる。
僕は一人でくすくすと笑ってしまう。
「居たよな、猿島」
ニカッと輝く笑顔にピースをしている坊主頭が良く似合う青年。名前を猿島織波。カッコよく、よくモテていた、と思う。
お笑い担当だったよな。ほんの一年前まで一緒に居たのにな。こんなに懐かしく感じるものなんだな。
「次、中学見よ」
遥かに昔のように感じる中学のアルバム。こんな奴らいたっけって思える奴もいる。
順々にページをめくる。そんななか、僕は「あっ」と思わず声を漏らしてしまった。
「これ……」
一人の女子生徒を見て苦い思い出が蘇る。
「思い出しただけで恥ずかしい」
僕の甘くほろ苦い初恋の思い出。
春崎光優。中学生とは思えないほど整った顔をしていた娘だった。大きなぱっちり二重の眼が印象深い、そしてそこに惹かれた。
多分、一目惚れだったんだろうな。って、今回もそうだったような気がするよ。
あぁ、でもこの時は若かったんだろうな。僕、勇気出して告白したんだっけな。
場所も時間もはっきりと覚えている。日付もだ。
中二の五月十二日。放課後四時三十五分。東棟の理科準備室だ。夕焼け色に教室が染められていた。僕はそんな中彼女が来るのを待った。そして彼女は来たんだった。少し恥ずかしそうに、でもどこか微笑みがある、そんな風に思っていた。
「初めて見た時から好きでした。僕と付き合ってください」
昨晩、何度も何度も練習に練習を重ねた言葉を思いの限りぶつけた。
光優さんは戸惑った様子を見せた。今でもよく覚えてる。下唇を人差し指でちょんちょん弄っていた。
成功したかな、僕は心の中でそう思った。
それからしばらく沈黙が流れ、光優は口を開いた。
「ごめん、私、あなたのこと生理的に受け付けないの。出来れば話しかけて欲しくもない」
この言葉は一生心の傷となる。その時そう思った。
はぁー、ヤなこと思い出した。
堪らず涙が溢れ出てくる。この事がきっかけで僕は人見知りになった、といっても過言ではないかもしれないな。
「もういい、小学生の頃のやつ見よ」
忘れていた嫌な思い出を上書きするかのように小学校のアルバムを広げた。
あれ?
僕は学校名を見て首を傾けた。しかも何故だか小学校のアルバムは二冊ある。
「五九楽小学校と楽歯隊小学校か。場所もそこそこ離れてるし……、僕転校なんてしたっけな?」
子どもの頃の曖昧な記憶が呼び起こそうとするがなかなか呼び起こされない。
更に言えば、少し頭が痛い気もする。
僕は頭の隅にそれらを追いやると記憶にある楽歯隊小学校の方のアルバムを広げた。
写っているのは……、ニ年生からだ。二年生と言えば……、あぁ給食のパン事件があったな。
よくある話だ。クラスメイトの一人、確か……正夫くんが自分のロッカーに持ち帰ろうとその日の給食のパンを置いていて、それが持ち帰られ無かった為にパン本来の茶色っぽい色から真緑になったのだ。
そんなことを思い出し、僕は一人でに鼻で笑った。
でも、二年生のこんなどうでもいいようなことを覚えているのに……どうして一年生の時の記憶は全く無いのだろう。
僕は少し頭を掻きながら記憶のカケラも無いと思われる五九楽小学校のアルバムのページをめくる。
全く見てなかった、ということもあり各ページ同士が張り付いておりめくる度にベリベリという音を立てる。小学校等で貰うアルバムは一枚一枚が厚く、写真印刷に適したアート紙を用いている。これが音の正体だろう。
河口さんに、向田さん、山崎さん。誰も分からない。見覚えがあるなんてのも無く、どこか知らない、誰のかも分からない、そんなアルバムを見ている気分になった。
そう思いながらも、僕はページをめくった。そして三組で目が止まった。
井上工。という名前があったのだ。僕は目を見開き、目の前にあるアルバムに体を突き出し覗き込むようにして見た。
やっぱり僕、居るじゃん。この頃、何やってたんだ。
そう思い、過去を振り返ろうとした刹那、激しい頭痛が起こった。
こういうこと、前にもあったよな。鈍器で殴られ続けられてるような感覚に陥る。
それに負けじと、クラスメイトの顔と名前を順番に見ていった。
そこで僕は唯一知ってる人物を発見した。
* * *
僕はすぐに五九楽小学校の場所を調べた。場所はこの前、工達と飲んだ居酒屋がその区域だった。
寝間着を脱ぎ捨て、僕は急いで服に着替えた。そして夘時駅に向かった。電車待ちの時間ですらイライラを感じる。
そんな時に千尋からLIMEが入る。
『やっほー。何してるー?』
正午ちょうどだった。普段なら気にしないような事も今は敏感に反応してしまう。
何か返そうかな、と一度は携帯を手にするも思い直しポケットへと戻す。
その後も何度かブーブーと携帯が震えていたが僕はそんな事に気も止めなかった。
電車は普通電車しかなく、約一時間ほど掛けて夘時駅に着いた。足早に駅から出ると僕は目的地である公園に向かう。この前来た時に突如として襲ってきた頭痛により気を失い、千尋に介抱してもらったあの公園だ。
これといった特徴はなく、滑り台にブランコ二つ、それに鉄棒がある、一般的な公園だ。僕は、日曜の昼過ぎだっていうのに子どもの姿が全く見受けられない寂しい公園のベンチに向かう。手入れのされてないベンチの周りには雑草が生えており、座るのさえためらわれる。
意を決して座る。思った通り、座り心地は最悪。痛いし、座ったときにミシミシと不快な音もした。つい先日、千尋の膝の上に寝ころんだ時は、そんなこと感じなかったのに。
僕はそこで大きく息を吐いた。ため息ではない、ただただ普通に。
瞳を閉じる。視界は閉じ、暗黒に包まれる。外にいるのにどこか懐かしく感じる。
頭の中に子どもの頃の声が流れてきた気がする。
「どんな声してたのかな、僕」
静寂で包まれた公園で一人呟く。
そして覚悟を新たにし、過去の自分を思い出すことを試みる。
ずきずきと頭が痛む。でも、我慢できないほどではない。
小学校一年生。クラスは三組。仲良かった子は……くっそ思い出せねぇ。
僕は自身の記憶力の弱さを嘆く。
「あっ、そうだ」
僕は家を出るときに携帯の入ってない方のポケットに押し込んだ一枚の紙を取り出す。
ハガキだ。四月十二日付けとなっている。下の方に書いたある年は今から十三年前だ。
住所は夘時三丁目二ー六となっている。僕は立ち上がり、もう一方のポケットから携帯を取り出すとその住所を打ち込んだ。打ち込む手が震えているのが自分でも分かった。
機械的な声が北方向へ向かうように指示する。僕は重たい足取りでそれに従う。
荒波の如く心が揺れている。しかし、携帯から流れるアナウンスは感情の起伏を感じさせない無慈悲な声だった。
* * *
「着いた」
見慣れない風景に息を飲む。そして眼前にはごく一般的な大きさの赤い屋根の家があった。玄関前には二つの花瓶が並んでいるが長年手入れされてないせいか、どちらにも花らしきものは確認できなかった。それに玄関回りも雑草が生え放題になっている。表札には欠けた石製のものに《井上》と書かれていた。
やっぱりここが……僕の家だったんだ。
感慨深さが込み上げてくる。とりあえず一回りした後、僕は思いきってドアノブを回してみた。案の定、鍵がかかっていた。ため息をつき、諦めかけたその時。不意に頭の中に声が流れた。
『玄関前にある二つの花瓶のうち右側の下』
誰の声だろう。懐かしいものだ。よく聞いた声だ。そう思いながら僕はどうすることもできない。だがその声に従うべきだと、本能が叫ぶ。
あった!!
錆び付いているものの、そこには鍵が存在していた。
僕はそれを手に玄関の前に立つ。強く懐かしさが込み上げてくるのが分かった。
やっぱり僕の家、だったんだ。始めての場所でこんな感じになるなんて変だからな。
錆びているため、なかなか鍵穴に入らない。僕は思い切り頭を捻る。そこで僕はスマホを取り出し、神崎忠夫のトーク画面を開く。
その際、千尋から十八件のLIMEが届いていることが分かった。それに気づいたことでキュッと胸が締め付けられるような気がした。そして、心の中で「ごめん」と、謝り、忠夫に無料通話を掛けた。
何度目かコールが鳴ると懐かしの声が耳の中に伝わってきた。
「もしもし」
「もしもし、僕。工」
「久しぶりだな」
声を聴くのは約一ヶ月ぶり。
「久しぶり。っていっても、この前LIMEで話したばっかだけどな」
その言葉に、忠夫は小さく笑う。
「そだな。つか、急にどうしたよ」
「錆びた鍵を使えるようにするにはどうすればいい?」
真剣にただ真っ直ぐに訊いた。
一瞬の沈黙が訪れる。何とも言えない、焦燥感に襲われる。
「自転車の鍵と同じように、油させば大丈夫じゃないのか?」
他人任せっぽい口ぶりだが、これが忠夫だ。
「そうか。わかった、ありがとう」
「おう。また、会おうな」
「あぁ」
そう答えると僕は電話を切った。
そして気合を入れ直す意味を込め、両手で顔をはつった。静寂な住宅街にパンっという音だけが高らかに響いた。
* * *
僕はホームセンターへと急いだ。足取りは早く、大股で歩いているのが分かる。
目的は鍵にさす油を買うためだ。あの家に入れば何か分かるのではないのか、そう思っている。
以外にもあっさり見つかったそれは七九八円とそこそこの値がしたが僕は躊躇うこともなく購入する。
それからまた元自宅に踵を返す。時刻はいつの間にか四時を回ろうとしている。空はもうオレンジに染まろうとしている。
「くっそ、こんな時に信号かよ」
行きは捕まらなかった信号に捕まり、イライラが募る。青に変わる瞬間、僕はフライング気味に駆け出す。一分一秒が惜しいと感じる。こんな気持ち……、初めてかも。
走ったことが幸をなし、まもなくして元自宅についた。
僕はまず鍵に油をさした。すると入らなかった鍵穴に鍵がすぽっと入った。思わず感嘆の声が漏れる。
しかし、まだ回ろうとしない。そこで僕は鍵穴にも油をさした。
ガチャン。
聞きなれた鍵が開く音がした。
「やった」
声が漏れる。数時間かけてやっと、やっとここまで来たんだ。その思いが強く込み上げてくる。
ドアノブに手を掛け、そっと右方向へ回す。キィー、という音とホコリが僕に襲いかかる。
「ごほっ。んだよ、すっげぇホコリじゃん」
床がホコリで真っ白になっているのを一瞥して言う。
その上を靴を脱いで歩くのは躊躇われ、僕は泣く泣く靴のまま家に上がった。
まるで泥棒になった気分に陥る。
ホコリまみれの床や棚。クモの巣の張った天井。家の面影すらなくした、使われてない物置のような、そんな風に感じる元自宅の一階を物色する。
がらんとした部屋に寂しさがこみ上げる。そして懐かしさを思い出した。
壁の一箇所には年数と共に段々と上にあがっている黒の線が引いてある。
不意に脳裏に笑い声が蘇るのを感じた。あれは恐らく僕の笑い声だ。幼き頃の自分が見えたような気がする。そして、その線の引いてある部分に体を預け、お母さんに線を引いてもらっている。
「大きくなったね」
優しさが一杯に詰まった声で話す。
「えへへ、お父さんより大きくなるんだー!」
子どもらしいことを言う。
「へぇー、工にはそうなって欲しいな」
姿は見えないがお父さんの声もする。
ここで僕は過ごしてたんだな。改めてそう実感した。
それから階段を登り、二階向かった。こちらも予想通りホコリまみれ。
数個の扉がある。そしてその中の一番右にある部屋の扉に《たくみのへや》と幼い字で書いてあるプレートが掛けてあった。
階段を駆け上がり、この部屋に直行していた頃の自分が脳裏にかすむ。頭痛は来ない。
鍵などは存在しないので、ドアノブを回すとその扉はすんなりと開いた。
同時に妙な違和感を抱いた。ホコリ塗れの空虚な部屋なのは変わりない。だが、ここまで来る途中、一度も見なかった靴跡がそこにはあり、その足跡の向かう先には何故か手入れされてた本棚があった。それが不気味で、まるで何かを知らせるためにそうなったいるようで、怖くなった。
そしてその本棚の中には一冊の冊子があった。本と言うにはおこがましく、紙と言うには少々分厚い。
僕はそれを手に取り、中身をペラペラとめくる。
新聞の記事のスクラップのようだ。
そしてその内容に僕は思わず息を呑む。全てが分かったわけではない。しかし、大体のことは理解できた。
体が震えて仕方がない。どうすればいい、どうすればいいんだ。
僕の頭の中はそれだけが流れた。
* * *
僕が元自宅から現在の自宅に帰宅した時には既に辺りは真っ暗だった。
とりあえずかなり溜まったLIMEの返事を返す。
千尋に関しては返すのを躊躇わされる部分が多々あったのだが、無視するということはできなかった。
微かに手が震えるのを感じる。
『返事遅くなってごめん。色々と忙しかったんだ』
『大丈夫だよー! お疲れ様』
驚くほど早い返事が届く。
このことが更に僕の結論を確信へと変えていく。
『ありがとう。でも、ごめん。今日は眠いや』
恐怖は消えることなく、僕は頭を整理する意味も込めそう送った。
『そっか。残念。でも疲れてるなら仕方ないね。おやすみ』
『おやすみ』
彼女の返事に簡単に応えると僕はそのままお風呂へと入った。
頭を流しながら今日一日を振り返る。振り返るや否や、激しい眠気に襲われる。
早急にお風呂から上がり、僕はベッドに横たわった。
少しの間、頭は動いていた気はするがあっという間に眠りについていた。
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