【小説】 黄金のまどろみ

のうみ

黄金のまどろみ

 夕方、夏の縁日えんにちから帰って間もなく、金魚がコロリと死んだ。

 水槽すいそうに移しかえるひまもなかった。


「うごかなくなっちゃったよ……」


 幼稚園にかよう弟は、水袋みずぶくろの水面に浮いた小さな茶金ちゃきんを見て、眉根まゆねを不安げにせる。

 金魚は一匹もすくい上げることのできなかった残念賞として、出店のおじさんから弟がもらったおまけだった。


「死んだんだ」


 小学校最高学年の兄が端的たんてきに言うと、弟は目尻めじりに涙をたたえた。

 前年の夏場、兄弟の祖母が他界たかいしていた。生まれてからの年月が片手におさまる弟にも、『死』というものがどういうことであるのか、わかっていた。

 悲壮ひそうにくれる幼い背中を不憫ふびんに思い、兄は金魚のはかをいっしょに作ってあげることにした。

 兄弟きょうだいの家の裏にはこじんまりした畑がり、その奥は山になっている。祖父そふは弟が生まれる前にくなっており、祖母そぼもこの世を去ったことで、農作業を行うものは誰もいない。

 ふたりは名前も知らない草が伸び放題になった畑を横ぎり、裏山との境界に来ると、そこを墓地ぼちに選んだ。


「ぼくにやらせて」


 砂場遊び用シャベルを兄からゆずけ、弟は自ら地面を掘った。

 もとが畑という土地柄とちがらのため、土はやわらかく、幼児の手でもたやすく穴を広げることができる。カラスとひぐらしの声にまじり、サクサクと土をり返す音がオレンジ色の空へと広がった。

 墓穴はかあな安置あんちされた金魚のうろこは、きらびやかに夕陽を反射させ、目玉にはまだにごりがない。今にもねだしそうに死んでいた。


「これだけじゃ、さみしいよ。オバアチャンのおはかのようにしてあげよう?」


 土をかぶせおえた弟は、墓の装飾そうしょくを希望する。

 つぶらなひとみをハの字眉でうるませられたとあっては、「面倒くさい」などと言えない。兄は畑から板状の石を見つけ出し、石碑せきひにすることにした。

 ひらがなとカタカナをあやつれるようになっていた弟が石面せきめんに「ギョッピーのおはか」と、黒マジックで銘記めいきする。金魚の名前を決めていたようだ。

 それからみ取った野花を墓前ぼぜんかざり、仏壇から拝借はいしゃくした線香をさす。最後におやつの食べ残しである飴玉をそなえた。

 金魚は飴をめないだろう、と兄は思いつつも好きなようにやらせ、ふたりは即席そくせき墓標ぼひょうの前にかがんで金魚の成仏をおがんだ。

 格式張かくしきばった埋葬まいそうをおこなった所為せいか、金魚に対してなんの情念じょうねんも持ちあわせていなかった兄も、だんだん心悲こころかなしくなってくる。そんなつつしまやかに手を合わせる兄の半袖はんそでを、弟がちょんちょんひっぱった。


「おはかをつくるのって、たのしいね!」

「…………」


 どうやら弟は、墓をつくる行為に面白味を見出したようである。ポックリってしまったギョッピーのことなど、念頭ねんとうには欠片けっぺんも残っていなかった。

 満面まんめんに咲いた笑みを目の当たりにした兄は、心のめつけを綺麗さっぱり霧散むさんさせたのだった。


                 □□□


 その日以降、弟は墓掘りに熱中した。

 猛暑もうしょにもめげず、かさつず視聴していた夏のアニメ番組特集もそっちのけで、庭や畑を探索たんさくし、生きものの死骸しがいに巡りあうと大喜びする。砂場用シャベルで土をほじくり返して、墓石を打ち立てた。

 お墓が次々に建設されていく景色はあまり小気味こきみ良いものではなかったが、兄はめさせようとはせず、縁側えんがわからしずしず作業を見守るだけだった。

 ふたりの両親は共働ともばたらきのため、日中のうちは兄が弟のおもりをすることになっている。弟が一人遊びに夢中になっていてくれれば、兄は一人プレイ用のポータブルゲームにきょうじることができるのだ。


 夏休みもなかばにさしかかった頃には、荒れていた畑に石の一群が芽吹めぶいていた。家と裏山との中間地点まで、立派な霊園れいえんに様変わりしていたのである。

 ずらりと並んだ墓碑ぼひはアメリカの戦没者墓地を連想させる。弟がきずきあげた霊園も、弱肉強食の自然界の争いで戦死した生物たちの共同墓地だった。

 きっぽいことに定評のある弟だが、今回の墓遊びは長続きしている。

 まだゲームの単独プレイにいそしんでいたかったが、みつきになっている弟をそろそろ止めなければならないと、兄は思った。でなければ、家の縁側までメモリアルパークに飲み込まれそうである。高度墓場成長の波が押し寄せていることを両親はまだ知らないでいたが、バレればしかめっつらをされ、いかるだろう。そしておこられるのは、監督不行き届きの兄なのだ。

 そう考えていた昼下がり、


「おせんこうに、ヒをつけて」


 弟が縁側で寝そべっていた兄の元へ、てくてくやってきた。

 お線香は墓づくりの仕上げである。弟はマッチをって出る炎が怖いので、線香に火をける役目だけは、当初から兄がになっていた。

 弟は午前中いっぱい眠りこくっていたため、本日最初の供養くようとなる。

 今回でラストにするよう説得することに決め、兄はゲーム機の電源を落とした。



 …………

 アゲハチョウのおはか

 カミサマトンボのおはか

 スズメのおはか

 ダンゴムシのおはか

 セミノヌケガラのおはか

 カのおはか

 モグラのおはか

 …………


 一部亡骸なきがらではないものがじっていたりするが、よくもまあこれだけのむくろを集めて墓を掘ったものだと、兄は連立する墓標ぼひょうに感心しつつあきれつつ、畑の中央に新造しんぞうされた墓前ぼぜんに線香を立てる。

 深緑色の先端に煙をたて終え、合掌がっしょうすると、仮初かりそめのいのりをささげる相手を確認した。


 オネエチャンのおはか


 マジックで書かれた字を見定みさだめるやいなや、兄の眉間みけんに深いしわがきざまれる。

 オネエチャンとは、どういうことなのだろう。

 先陣を切ってほうむられたギョッピーのように、弟が生物につけた愛称あいしょうなのだろうか。しかし、家でいそびれた金魚以外に愛称を与えられたものは、これまでに皆無かいむである。その他大勢は、昆虫や小鳥それぞれの固有名詞だった。


「この、オネエチャンっていうのは、何?」

「オネエチャンは、オネエチャンだよ」


 間近で拝礼はいれいしている弟にけど、きょとんと返されるので、理解に苦しむ。


「どんな生き物? 大きさとか、形とか、色とか」

「うんとね、しんちょうはオニイチャンよりおおきくて、カミがながくて、やせてて、おムネがふくらんでた。それでね、フクは、エリのおおきいシロいシャツをきてて、アカいチョウチョウがついてて、クロいスカートをはいてた」

「それって……ヒト、女の子? 人間のお姉ちゃんってこと?」

「そう」


 さも当然とうなずく弟に、兄は総身そうみこおらせる。

 「オネエチャンのおはか」と表記されている石は、お隣の「ドバミミズのおはか」と不自然なへだたりができていた。

 よくよく見れば土壌どじょうの掘り返しあとは、ほかの墓穴に比べると何倍も大きい。地中深く掘り下げれば、人が体育座りをして入れるだけの口がいていそうだった。

 弟は無邪気な心の持ち主である。嘘をつくことをまだ知らない。そのことが兄を震撼しんかんさせた一因だ。それにくわえ、舌足らずな物言いでべたオネエチャンの服装は、現実味をびていた。

 来年、兄は町の中学校に進学する。その女子中学生が着用する夏用セーラー服が、弟がいうとおりの様式なのである。


「……死んだお姉ちゃんを埋めたっていうの?」

「うん」


 あどけない面構つらがまえがコクンと首肯しゅこうするが、やはりそれは不可能だ。

 弟の背丈は150センチ近い兄の腹部に頭がある。兄よりも身長があるというオネエチャンをどのようにして運ぶのだ。いくらやわらかい地面とはいえ、人がおさまるほどの穴を掘り出すことはできまい。

 だいいち、女子中学生の死体など、畑に転がっているはずがない。

 兄が当惑とうわくしている真っ只中、「でも」と、弟が口を開く。


「ツチをかけたのはぼくだけど、アナをほったのはオネエチャンなんだ」


 わけのわからないナゾナゾを吹っかけられたように、兄の脳みそが混迷こんめいきわめる。


「お姉ちゃんは死んでいたんだろう? ……なのに、自分で自分の墓を掘った?」

「そうだよ」

「それはウソだ。死んだ人間は、ううん、人間じゃなくても、生き物は死んだらみんな動かなくなっちゃうだろう?」

「ちがうよ。だってオネエチャンは、うごいていたけど、じぶんで『わたしはシんでるの』っていってたもん」


 どうやら弟が死を理解していたというのは間違いだった。

 死人に口無し。息を引き取っているのに歩きまわっていたら、それはゾンビである。だけどゾンビは空想上の存在だ。となれと、「わたしは死んでいる」と発話はつわして、自ら墓穴を掘り、弟に埋められたオネエチャンなる人物は、つまり、生きた人間。

 ……弟が、人を生き埋めにした?

 足元から血が一滴いってき残らず流れ出ていくように感じる兄は、ひとまず、動揺を懸命に押し殺し、ことのいきさつを聴取ちょうしゅすることにする。


「オニイチャン、おこらない?」


 なにやら物案ものおじして言いしぶる弟の頭をやさしくで、怒らないことを約束した。


「きのうね、ウラヤマにはいったんだ……」


 弟はちらちら兄の顔色をうかがう。

 裏山への出入りは禁止事項きんしじこうだった。木々は鬱蒼うっそうとしているし、ヘビハチが数多く生息していて危険。それに、縁側にいる兄の目の届かない場所になるからである。

 兄は叱責しっせきしたくなる感情をぐっとこらえ、裏山に足を踏み入れた訳と、話の続きを穏和おんわうながす。

 とがめられないとみるや、弟はぺらぺら口をった。

 昨日の昼過ぎ、いつものように、畑でしかばね探しに専念していた弟だったけれど、生き物の死骸しがいがちっとも見つからなくなってしまった。それで、裏山にならたくさんありそうだと思案しあんし、兄がゲームに没入ぼつにゅうしているのを見計らい、ご法度はっとになっていた山中へこっそり分け入ったのである。弟が低木ていぼくける音は、セミの鳴き声にかき消された。

 話に耳をかたむけていた兄は、そういえばと、前日ことを想い返す。

 たしかに、一定の間隔かんかくで「おせんこうに、ヒをつけて」とやってくるはずの弟が、長い間こない時間帯があった。探しあぐねているだけかと、さして気にもめず、かえって好都合こうつごうとも思っていた。そのとき、ゲームで強敵を倒すことに没頭ぼっとうしていたのである。子守りなど二の次になっていたのだ。弟が禁忌きんきやぶった責任は、兄にもあった。

 裏山を散策さんさくする弟は、何かにさそわれるかのように、獣道けものみちから道無き道へと折れ曲がる。そして少し進んだ先で、オネエチャンを見つけた。太い木のみきに背中をあずけ、両足を投げ出して座っているオネエチャンは、ぐったりしていて動かない。


「シんでるんだ。うめてあげよう!」


 ようやく死骸しがいを探し当てた弟は、さっそく畑に持ち帰ろうと足をつかんで引きずって行こうとする。けれど、重たくてびくともしない。

 いろんなところを引っぱって悪戦苦闘していると、閉じていたオネエチャンの目がやおら開いた。


「……キミ、何してるの?」


 声をかけられたことで、弟は落胆らくたん

 オネエチャンは、寝ていただけだったと判断する。


「おこして、ごめんなさい」


 あやまって死者捜索に戻ろうとするが、


「待って」


 と、オネエチャンの白い指に腕をつかまれる。

 早く墓掘りをしたい弟だったが、しぶしぶ理由を話した。


「ぼく、ハタケにおはかをつくってるんだ。だから、シんでるものをさがしてるの」


 その場を離れたがる弟をひきとめて、詳細しょうさいを話して聞かせるようにと、オネエチャンは強く要求した。

 山をくだった先に家が隣接りんせつしていること、手つかずになっている畑で兄とお墓をつくっていることなど、物問ものとわれるがまま、弟は洗いざらい教えたらしい。

 寸刻すんこくだまりこくったあと、オネエチャンは優しそうな目で言った。


「あのね、ボク? 私ね、じつは死んでいるのよ。だから、私を畑に埋めてもらえるかしら?」


 弟はびっくりする。死んだものは動かないと信じていたからだ。

 オネエチャンは、弟の概念がいねん勘違かんちがいであることをやさしくせた。日頃から目上の人の言葉をよく聞くように教育されている弟は、うたがうことなく、虚言きょげん鵜呑うのみにした。


「うん、わかった、オネエチャンも、うめてあげる!」


 弟が了承りょうしょうすると、彼女は安らかな微笑ほほえみを浮かべたという。

 一旦、話をやめさせ、兄はたずねる。


「……そのお姉ちゃんは、なんで、山の中にいて、木に寄りかかっていたんだい?」

「ん~、わかんない。きいてなかった」

「じゃあ、どこか変わったとこはなかった?」

「かわったとこ? ……あ、オネエチャン、ワンコがしてるようなクビワをつけてたよ」

「犬の首輪くびわ?」


 長い黒髪に隠れるように、白い首輪が首元に巻きついていたそうだ。それは犬の散歩に使うリードのごとく伸びて、地表までっていたようである。さらに、オネエチャンがしていた首輪と同じものが、もたれかかっていた木の枝にも巻きついていたらしい。

 兄は総毛立そうけだちながら、出来事の顛末てんまつをつむがせる。

 弟は意気揚々いきようようになってオネエチャンの手を引き、庭まで連れ帰ろうとしたのだけれど、


「今はまだダメ、夜になってから私を埋めて欲しいの」


 注文の多い死体に即時埋葬そくじまいそうを断られてしまう。

 一刻も早く墓を形成したかった弟は不服ふふくになるが、どうしてもと哀願あいがんされたため、死骸発掘作業を手伝ってもらうことを条件に、申し出を受け入れる。


「私を埋めたら、一番おっきなお墓をつくれるよ」


 という発言も、弟の創造心そうぞうしんをゆさぶる要素となった。

 そうして、首からひもを垂れ下げるオネエチャンとふたりでめぐり歩く。死んだヤモリ、カナブン、アマガエル、ドバミミズの調達ちょうたつした弟は、満足し、両手いっぱいの亡骸を宝石のように大事にかかえて裏山をおりる。


「このことはお兄ちゃんにも、お父さんお母さんにも内緒ないしょだからね。夜になったらキミを家まで起こしにいくから。一番おっきいお墓だよ」


 別れ際、弟は自分の部屋の位置をつたえ、縁側の鍵を開けておくことを約束し、指きりげんまんをした。

 その約束は、きちっと守られた。

 真夜中になると、申し合わせたとおりにオネエチャンが現れ、眠い目をこする弟を畑にさそい出す。

 ちっちゃな手ににぎられたライトで照らされながら、オネエチャンは納屋なやから携行けいこうした大きなシャベルで土を掘りおこした。

 これまでで一番おっきな墓穴が完成すると、まるで湯舟ゆぶねにでも浸かるかのように、オネエチャンはくぼみのなかでおだやかに体育座りをする。そして、

 弟が穴をふさいだ。


「ありがとう、ボク。さようなら」

「バイバイ」


 土をかぶせきる前に、オネエチャンはお礼と別れの挨拶あいさつをし、弟は手を振って応じたのだと、話をめくくった。

 ……なんてことだろう。

 兄はひざをガクつかせて尻込しりごみする。

 こねくり返され、色が変わっている土地を凝視ぎょうしした。

 弟が裏山で遭遇そうぐうしたのは自殺志願者だったのである。白い首輪は、首を吊るためのロープだ。木の枝で首吊り自殺をはかるも、息がえる前にロープが千切ちぎれ、失敗。落下して気絶していたところに出くわしたのが、弟だったのである。中学生と思しきお姉ちゃんは、墓づくりのとりこになっていた弟をだまくらかして利用したのだ。

 自殺を手伝わせたのである。


「オニイチャン、ぼく、まだねむいや」


 おのれがしでかしたあやまちを知ることなく、おさない弟は眠たそうに欠伸あくびをする。

 午前中いっぱい寝入っていたのは、そういうことだったのだ。




 弟の話は本当に本当か?

 にわかには信じがたい、信じたくない。

 睡眠を所望しょもうする弟を部屋に寝かしつけると、兄は母屋の小脇にある納屋なやへと向かう。

 そして息を飲んだ。


「…………」


 古い板張りの壁に無造作に立てけられていたのは、真新しい畑の土がこびりついたシャベルである。父も母も土いじりの趣味は持ちあわせていなかった。それは弟の話がいよいよ真実であると物語っている証拠しょうこと思われた。

 兄はシャベルのに震える手を差し伸ばす。

 現在の時刻は午後一時。生き埋めになったとすると、少なくとも半日以上が経過している。掘り返したところで、地中で生存している可能性は無いに等しい。

 しかし、事の真偽しんぎははっきりあらわとなる。

 兄は遮二無二しゃにむひた走り、炎天下の畑中央にある「オネエチャンのおはか」の墓前に仁王立におうだつと、荒い呼吸を整える間もなく、鉄製の得物えものを高くかかげた。


 ――やめて。


 と、どこからともなく、女の人のかすかな声がした。

 周囲を見回せど、半ば墓場と化している畑には誰もいない。

 ……まさか。

 兄は固唾かたずんでひざまずき、地面に耳を押し当てる。


 ――お願い、そっとしておいて。


 げ茶色の土を媒介ばいかいにした物静かな口調が、兄の鼓膜こまくをわずかに震わせた。

 ひどくってはいたが、綺麗きれいなソプラノ声だった。


「まだ、生きてる!」


 光明こうみょうが差し、兄の口元ははなやぐが、悠長ゆうちょうにしてはいられない。

 一刻も早く助けだす必要がある。

 大急ぎで立ち上がると、ひざにとりついた砂粒をいもせず、シャベルの先端を突き立てた。


 ――私にかまわないで!


 三度目の拒絶は、大地を打ち震わせた。

 土の中からき出した大声が、兄の足裏から脳天までを射抜いぬく。地表の土は細々と振動し、ビリビリしびれる感触がシャベルを共鳴させる。

 その声質は、およそ人のものとは思えぬ低音域にわっていた。

 骨のずいまで縮み上がった兄は、すっかりシャベルを投げ出す。

 ほうほうのていで畑を後にした。

 

                 □□□


 弟は「オネエチャンのおはか」を最後に、ぱったり墓づくりをやめた。

 昼寝から目覚めると、まるでき物が降ちたように興味を失っていたのである。テレビアニメを見たり絵を描いたりするいつものように戻っていたのだ。

 兄はこの事案を両親に相談しようかと悩んだが、

 ――私に構わないで!

 と、絶縁を求む叫喚きょうかんさまたげとなり、思いとどまる。

 結局、胸の内を誰にも打ち明けられなかった。

 兄はときどき、自然に侵食されていく畑を、縁側から拝見はいけんした。

 管理人不在となった畑霊園は、みるみるうちに荒廃していった。雨風によって、線香の灰は溶けて土と同化し、ちゃちな墓石はバタバタと倒れ、路傍ろぼうの石となる。弟が自身のおやつから提供した供物くもつは、ありや小動物のえさとなった。夏の陽光と夕立で元気よく成長した雑草が生えそろうと、そこはもう、以前と変わりのない手つかずの荒れた畑である。

 少し落ち着いてから、兄は白昼の一件を考察してみたのだけれど、地中へ完全に埋没まいぼつした人間が口をく、しかも半日以上が過ぎた状態で、などということは、やはり無理なのではないのだろうかと思った。父にそんな芸当ができるか質問をぶつけてみても、


「馬鹿いえ、無理に決まってる。口を利くどころか、すぐに死んでしまう」


 という回答だった。

 弟が埋めてしまったオネエチャンとは、なんだったのだろう。兄が聞いたあの声はなんだったのだろう。

 新聞やニュース、町内放送でも、中学生の女の子が行方不明になったことを告げる情報が公になることはなかった。

 どこのだれとも知れぬオネエチャンは、埋められたときに、生きていたのだろうか、死んでいたのだろうか、そもそもほんとうに人だったのか……。

 すべての答えは、土の中である。



 時が流れ、半年後の春。

 ふと、兄が縁側から畑を見てみると、桜の木が一本、敷地しきちに生えていることに気づいた。それは弟が入学祝いに小学校から授与じゅよされた幼木ようぼくである。

 桜を植樹しょくじゅしたのは母だった。


「何年かしたら、家の裏でお花見ができるようになって風流ふうりゅうでしょう。縁側の正面に見えて、みんなでになれるように、畑の真ん中に植えたのよ」


 れない土いじりの一仕事終え、縁側で休んでいた母に、木を植える際に変わったことが起こらなかったと、兄はたずねた。


「変わったこと? 無かったわよ? あっ、でもそういえば、――」


 植え終わったとき、女の子が「ふふふっ」とうれしそうに笑うような声が、風に乗って幽かに聞こえてきたそうである。


「ここに植えてくれてありがとう、って喜んでいたのかもね」


 と、母は桜の木を見て言った。


「そうかもしれない」


 と、兄は桜の木の下を見て言った。


(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【小説】 黄金のまどろみ のうみ @noumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ