第36話 第二章 未来烙印編 -迷い猫-

私は猫として生を受けた。


心は常に誰かに囚われる事なく、自由奔放な生き方。それが当たり前の人生だと、暗い路地裏で習った教訓でもあった。


彼に、彼女に出会うまでは本当の自分なんてないものと同じだったのだと思う。


特別な意識はなく、人間の姿を与えてくれた恩人に報いる為の目標として定めた存在。ただ、それだけだった筈なのにいつの間にか芽生えた気持ちは、柵を受けてもいいと思える程の愛と呼ばれる恋心だった。


彼女に振り向いて欲しくて、私は同じ部隊、仕事に就いて後を追いかける毎日を過ごした。彼が、同じ性別になったあの日から、同性という網に囚われているのは私の方で彼女は何も悪くない。


それに、彼女を好きになってしまう異性が出る事も時間の問題ではあったーーー。


「ねぇ、アナタの心は何処にあるの?」


月明かりの無い沈黙が保たれた暗い病室の中、双子の姉が失踪したあの日から、カグラは目を覚ましていない。


時間置きに私達は見張りをつけては、襲撃に備えて警戒をするという毎日。そんな中で、私は不謹慎にも目の前に眠る相手に張り詰めた想いを向けていた。


勿論、安静に眠った相手が起きない保証もない。ただ、私が向けたこの狂気にも似た想いは反動を抑える事が出来ない程、沈黙は欲情に餓えた夜に刺激が強すぎた。


目の前で寝ていたカグラの顔を跨ぐように私は、疼いてしまった肉体を自らで鎮めようと、好きな彼女の前でシャツを口に咥えながら、声を出さないように自慰行為を何度も行った。


ダメだとわかっていた。やってはいけない事という意識も持っていた。だが、相手の顔を見つめる度に抑え切れない想いが込み上がってしまう。


成長しないこの肉体を、子ども染みたこの身体をもう気にしてもいないのだと思っていた。目の前の彼女には、異性の想い人がいる。こんな行為をする事自体がキチガイだという自覚もあった。


それでもーーー。


「それでも私は、カグラが好きなのぉ! 嫌...誰かにカグラを盗られるのは嫌ァ!!!」


盛大に達してしまった愛液が、相手の顔に飛び散った。その様子に満足を覚えたのか、見張りという役目を忘れて、私は同じ布団の中へと潜り込んで、柔らかい相手の胸に顔を寄せながら、昔に戻れたと安心感に浸りながらその日を何事もなかったかのように過ごした。


このひと時が永遠に続けば、それだけでいいとーーー。



次の日の朝。私は何事もなかったかのように見張りを交代して、自室へと戻っていく。


フィアに教えてもらった料理を今日も勉強して、目覚めた彼女に食べてもらう。それが私にとって、越えてはいけない一線の中でカグラにしてあげる唯一の行為。


ゲル状を出していた時よりは進歩した筈だと、見栄えは完璧なものの味は納得出来ていない。


どうすれば美味しい料理を作る事が出来るのか。今のフィアは部屋に塞ぎ込んでいて、アドバイスを貰える状態ではない。


「出来た......」


今までの中で一番、出来が良い。これなら彼女に食べさせてもーーー。


紙にメッセージを書き込んでいた最中に起きた爆発音。それは、飛空挺に取り付いた魔族による襲撃だと艦内放送で知らされる事になった。


「こんな時にーーー」


冷蔵庫に料理を載せた皿とメッセージを入れると、出撃可能な魔導師の確認をしようとカタパルトデッキに向かう。


幸い艦は魔力フィールドで覆われている為、しばらくは防ぎきれるかもしれない。しかし、ほとんどが空戦経験が皆無な者が多い。飛空挺が墜落するまで残された時間は、多いとはいえない。


「ルリの部隊は、まだ合流出来そうにない。無茶を承知なのは分かっているが」


「わかってる。私しか現状、戦えないんだね?」


ブリッジにいるシキと話をすると、カタパルトデッキに身体を固定して外の空間へと確認の為に甲板近くに排出される。


「疾風、デバイス・オン!!!」


身体に纏わせた戦闘服と、魔力で足場を空挺に固定しながら取り付いた魔族に近づいていく。


ゲル状の打撃が効かないタイプだろう。攻撃を仕掛けずに艦に張り巡らされた魔力を中和して内部に潜り込もうとしている。


「これがシラユキの言っていたタイプの敵。触れたら、命の保障はないって事みたいだね」


それならと、風を圧縮した斬撃を魔族目掛けて放つ。地面で踏ん張りが利くならば、それなりの威力は出せたかもしれないが、相手を切り裂くにはこの程度で十分だと悟っていた。


案の定、ゲル状の魔族は真っ二つに裂かれて、飛び散った液体は私の背後の方へと水溜りのように沈黙をしていた。


「残りも排除すr---」


脚から再び、斬撃を放とうとした瞬間に背後で沈黙していた筈の液体が私の身体を被うようにヘバりつく。


「くっ、離しなさい! 離せ...うっ!?」


金色の液体と残った本体が、同時に私の肉体の組織に侵入するかのように除々に蝕んでいくのが痛みを通して脳に直接、憎しみ、悲しみの憎悪となって伝わる。


「ハッ...ハァ......」


胸に抱いたカグラへの想いを無理やりに表に出させようとしている魔族に抵抗するように目や口から血を流しながら、耐え抜こうとするが幻覚を見せられるかのように心を開きそうになってしまう。


「ごめん、ごめんなさいーーー」


フラフラと立ち上がると胸を押さえながら、海域全土に通信を送る。情けない上司だけど、あの人なら私の代わりにカグラを護ってくれる筈だという願いからの行動であった。


「私は、もう...ダメみたい.......。だからお願い...カグラを.......」


足場に込めた魔力を解いて、空挺から海へと落下しながら静かに内部で魔力を暴発させて自爆を謀ろうとした。


最後に見えた思い出は彼女の笑顔。それだけで十分だったーーー。


大きな爆発の衝撃と共に私は暗い闇の底へ落ちていく。助からないのはわかっていた。


過ぎ行く空挺を見ながら、沈んでいく海は凍えるように寒く、とても寂しかった。


手を伸ばしても誰も助けてくれない事は分かっていた。ただもう一度、彼女に会いたい。その心が悔いとなってしまった。


意識を失いそうになりながらも、海面を切り裂く黒い閃光を目の当たりにした。


「イヅナ、貴女は私と共に来なさい。過去の私は何もしてあげられないけど、私は貴女を愛してあげられるよ?」


伸ばした手を握りながら、宙にお姫様抱っこで連れ出してくれたのは、黒く染まってしまったカグラだった。


私の内部に残った魔族の因子を活性化させるように黒い霧に包まれていく。快楽にも似た衝動にすんなりと心を許してしまった。


「本当に私を選んでくれるの.......?」


「知ってたよ。イヅナがいつまでも私を愛してくれていた事を、それに私は貴女の事を今でも愛しているんだからーーー」


優しく柔らかな相手の唇が私の開いた口に重なると、抱え込んでいた想いの全てが彼女の、未来のカグラへと移り変わっていく。後悔はない。目の前にいる彼女もカグラなのだから。


私が彼女の道具でもいい。ただ必要とされたいと、悪魔の誘いを受けたその日。私はカグラの敵となった。

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