4.恵美子の決意
いつもと違う感覚を感じながら目を覚ました。手には柔らかい感触、目の前には寝息を立てている川村さんの顔がすぐそばにあった。ぼんやりと昨日のことを思い出しながら習慣的に時計を見ると、もう9時を過ぎている。普段なら遅刻だけど今日は休みだ。僕は川村さんが起きるまで彼女の寝顔を眺めていた。
しばらくして彼女が目を覚ました。そして僕の顔を見るなり布団の中に隠れてしまった。
「お、おはようございます」
「おはよう。何で隠れるの?」
「昨日は、その、すごく出すぎたマネをして、ごめんなさい」
「気にしてないよ。むしろ、あれくらい積極的な方がいいかもしれない」
「そ、そうでしょうか…」
川村さんが布団から顔だけ出して答える。同時にくしゃみをする。部屋は昨日より寒いかもしれない。カーテンの外からは日の光が見えるので雪は止んだようだ。寒さを我慢してコタツのスイッチを入れて布団に戻った。
「寒いですね」
「やっぱり灯油買って来るよ。布団から出られないし」
「…私はそれでもいいと思います」
「えっ?」
「なんでもないです」
川村さんはすっぽりと顔を隠してしまった。これから恋人としてお付き合いしていくわけだけど、どんな風になっていくのかな。そんなことをぼんやり考えていると昨日聞いた電子音が鳴った。
「私の携帯です」
布団から出る川村さん。僕は側においてあったドテラを掛けてあげる。鞄から携帯電話を出して少し話をした後布団の中に戻った。
「部屋の鍵を職員さんが車で持ってきてくれるそうです。あと30分ぐらいでアパートの前に来る予定です」
「そっか、それじゃあ着替えないとね。僕はお風呂の脱衣所で着替えるから着替え終わったら呼んで」
「脱衣所は更に寒いですよ。わ、私は気にしませんから」
「いや、大丈夫、大丈夫」
さっさと脱衣所に入った。扉を開けた瞬間に強烈な冷気に襲われる。換気のために窓を開けていたせいで外と気温があまり変わらない。素早く着替えを済ませて川村さんの着替えが済むのを待っていた。
「お待たせしました」
川村さんに呼ばれたので部屋に戻った。昨日と同じ服装でコタツに入っている。僕もコタツに入って暖を取った。それと同時にお腹の虫が鳴る。
「鍵が届いたら、どこか食べに行こうか」
「外にですか?」
「とにかく寒いしね。いつもの喫茶店に行こう」
「分かりました。ところで…」
川村さんが鞄から何かを取り出した。出てきたのはラッピングされた小さな箱。
「クリスマスプレゼントです。昨日は渡すタイミングがなくて」
「ありがとう。でも…お返しする物がないや…」
「気にしなくていいですよ。私が送りたかっただけですから」
「と言ってもな…あ、そうだ」
タンスから透明のビニール袋に入ったマフラーを取り出した。川村さんが「あっ」と言う顔をする。
「もしかして、早良さんが編んだマフラーですか?」
「男が編み物って変だけどね」
「そんなことないですよ。それにすごく上手です。機械織りみたいに精密に編んであります」
コタツに戻りマフラーを渡した。さっそく首に巻いてみる川村さん。僕用に編んだので少し長いけどきちんと巻けたようだ。
「ありがとうございます。大事にしますね」
「こちらこそ、ありがとう」
その後すぐに川村さんの携帯が鳴った。職員さんが来たのだろう。すぐに外に出て行った。少し待っていると鍵を受け取った川村さんが戻ってきた。「一度自分の部屋に戻って着替えてきます」と言って部屋に戻っていった。
残された僕は講義のノートに紛れ込ませた「クロノノート」を取り出した。今日の0時にみらいから返信があったはずだ。さっそく前回の続きを開くと機械的な文が最初に書かれていた。
『同期に成功しましたが角度X軸1度未満、Y軸1度未満、Z軸1度未満の誤差の可能性があります』
前は同期に失敗した時に似たような文章が出たけど、今回は同期に成功して誤差が出ている。どういうことだろう。よく分からないが本文に目を移した
『今回、かなり重要な事実が判明しました
申し訳ないのですが前回の質問はこの次にお答えます
前回、同期に失敗した原因が分かりました
原因はやはり私です
「浩平さんに勉強を教えた」ということが時代を少し変えてしまったのです
説明が難しいので私が介入しなかった歴史を「正史」
私が介入してしまった歴史を「介入史」と呼称して説明します
「正史」では浩平さんは最初の1年は講義になんとか着いていく学生でした
しかし「介入史」では私が授業をしたことで講義の内容を十分にこなし
余裕がある学生になってしまいます
結果として浩平さんはバイトの時間を増やすことができて
自転車を購入することができました
これが歴史を変えてしまった原因です
合コンの次の日に「正史」では浩平さんは徒歩でアパートに帰り、
その時初めて川村恵美子さんときちんとした
一対一の会話をするはずでした
しかし自転車の購入により帰宅時間が早まった結果
川村恵美子さんが寝ているときに部屋を訪れたため
会うことができませんでした
「正史」ではその後お互いに少しずつ会話をしていくことで
距離を詰めていきました
「介入史」ではきちんと会話できなかったことを
花屋に勤める従姉妹のお姉さんに
相談したことでお姉さんが喫茶店で会話をする場を準備したり
川村恵美子さんを後押しするアドバイスを送りました
結果として浩平さんと川村恵美子さんの交際開始
が大きく変動してしまう結果となりました
ほんの些細な変化ですが、今後大きく変動する可能性を含んでいます
できればこのまま歴史を変えずにいければいいのですが
既に「正史」から逸脱した歴史を進んでいるため何が正しく
何が間違っているのか分かりません
だから私からは何も言いません
浩平さんが思う通りに過ごしてもらえれば歴史の改変は
抑えられると思われます
それが一番問題がない解決法だと思います
次の日記に前回の質問にお答えします
また、今回の内容で分からなかったことがあれば質問して下さい 』
自転車を買ったせいで歴史が変わったらしい。にわかに信じがたいが、川村さんの従姉妹のお姉さんである美咲さんに相談するきっかけを作ったのは何となく理解できる。こうなると、ほんの小さなきっかけでさえ未来が変わってしまうんじゃないかと不安になった。
しかし悩んだところでどうしようもできない。みらいにとっては過去でも僕にとっては今が現実で、何が間違っているのかなんて分かるはずがない。ここはみらいの助言どおり思う通りに過ごすのが一番いいと思う。返事は夜書くことにして僕も外出の準備を始めた。
しばらくして川村さんが着替えを済ませて僕の部屋に戻ってきた。さっきと違いきっちり化粧をしたように見える。首には既に僕の編んだマフラーが巻かれていた。僕もキッチリと厚着をして一緒に部屋を出た。雪がまだ残っていたが歩くには支障がない程度だ。川村さんと二人、並んで商店街に向かった。
雪のせいか商店街は閑散としている。いつもの喫茶店に向かうと、川村さんが働いている花屋さんの前を通った。川村さんの従姉妹の美咲さんが店の中で黙々と何かを書いている。僕は川村さんに先に喫茶店に言って注文しておくようお願いした後、美咲さんが待つ花屋に向かった。
「こんにちは」
「おや、君は確か早良浩平君だったね?」
顔を上げて僕の方を向いた。どうやら年賀状を書いていたらしい。
「そうです。あの、今日はお礼に来ました」
「お礼?私が何かしたかな?」
「喫茶店のチケット、あれは美咲さんが作ったんですよね?」
「なんのことかな~」
知らない風を装ってるがバレバレだった。報告した方がいいのかな。
「僕と川村さん、付き合うことになったんです。美咲さんがアドバイスしてくれたんですよね?」
「付き合うことになったんだーよかった。私も協力した甲斐があったわ」
「それで、今日はお礼と言っては何ですが、売り上げに貢献したいと思って。花束をお願いします」
「恵美子ちゃんへのプレゼント?いい心がけだね。とびっきりのを作ってあげる」
美咲さんが水に指してある花を数本ずつ抜いていき1つの花束を作っていく。さすがプロ。赤を基調としたクリスマスカラーの花束ができていく。
「浩平君、恵美子ちゃんに何かプレゼントした?」
「ええ、僕が編んだマフラーをプレゼントしました」
「まあ、男の子なのに器用ね。恵美子ちゃんは器用そうに見えるけど、本当はもの凄く不器用なの。だから、浩平君がうまくカバーしてあげてね」
「ええ、それはもちろん」
「よろしくね。と、こ、ろ、で、どっちから告白したの?」
「えっ…それ聞きますか?」
「マネージメントしたのは私だからね。それに、あの恵美子ちゃんがどういった反応をしたのかも聞きたいし」
目を輝かせる乙女のような美咲さん。なんとなく、美咲さんがOGの立場を利用して合コンを企画したりチケットを偽装できたのか分かる気がする。花束のラッピングができる間の時間に少しだけ話した。
「まさか恵美子ちゃんからラブキッスとはね。君がよっぽど魅力的だったのかなー?」
「どうでしょうね」
「いいなー私もそんなに夢中になれる彼氏が欲しいなー。はい、完成」
紅いバラをメインにした華やかな花束で両手で持たないと持てない大きさがある。
「ありがとうございます。いくらになりますか?」
「うーん、それじゃあ3000円でいいや」
「本当はもっとするんじゃないんですか?」
「まあね。お祝いってことで」
「ありがとうございます」
美咲さんにお金を渡した。美咲さんは僕に花束を渡して入り口の扉を開けてくれる。
「浩平君、恵美子ちゃんをよろしくね」
「もちろんです。ありがとうございます」
喫茶店のいつも座るシート席には既にパンケーキとコーヒーが並んでいた。川村さんが僕に気付いてビックリしている。こんな大きな花束を持ってきたらさすがに驚くだろうな。席に座る前に川村さんに花束を渡した。
「あの、これは・・・」
「プレゼントだよ」
「えっと、クリスマスプレゼントはもらいましたよ」
「あ、そうだな。それじゃあ、初めてのデートってことで」
「デート…」
僕はパンケーキとコーヒーが置かれた席に座る。すると、目の前に座っている川村さんが泣いているのに気がいた。
「な、何で泣いてるの?!」
「ごめんなさい、嬉しかったんです。こんな大きな花束を貰ったことなかったので」
花束を壁に立て掛け、ハンカチで涙を拭いている川村さん。僕は落ち着くまでその様子を見守った。
「さあ、食べましょうか」
川村さんが落ち着いたところでブランチとなった。初めてここで話した時と同じパンケーキとコーヒー。今回のパンケーキとコーヒーは少し冷えていた。ただし味は格別だった気がする。
「あの、早良さん。一つお願いがあります」
「なんですか?」
一通り食べ終わった後、川村さんがコーヒーを両手に持って尋ねてきた。
「名前で呼んでもいいですか?浩平さんって」
「ああ、うん。僕も恵美子さんって呼びたいと思ってた」
「恵美子、でいいですよ」
「ん、それじゃあ。恵美子」
「はい。よろしくお願いします」
名前を呼ばれフッと笑顔になる恵美子。そして話を続ける。
「浩平さん。もう一つ聞いてもいいですか?」
「どうぞ」
「浩平さんは積極的な性格の女の子が好きですか?」
「え、どうしたの急に?」
川村さん、じゃなかった恵美子は口ごもりながらもきちんと聞こえる声で答えた。
「昨日の私は普段から想像できないくらい頑張りました」
「そうだろうね。本当にビックリしたよ」
「それで、もし昨日の私がいいと言うならこれからも頑張ろうと思います。その、少しずつですけど。どうでしょう?」
真っ直ぐに僕の目を見て尋ねてくる恵美子。今までになかったその表情にこちらが圧される気さえする。僕はそれが普段の恵美子ならそれでもいいと思う。昨日の積極的な恵美子は特別だったのなら、無理に頑張らないでもいいと。だから答えは「No」。…と思ったがふと今日のみらいの日記を思い出した。「ほんの些細な変化ですが、今後大きく変動する可能性を含んでいる」と言う一節。もしこの選択が時代を変えるものだとすれば慎重に選ばなければいけないのでは?恵美子の性格が変わって何か影響が出るんじゃないか?と悩まされる。
「あの、浩平さん!!」
「あっ、はい?!」
恵美子の少し大きな声で我に返った。驚いた僕を見て悪く思ったのか、今度は少し小さな声で聞いてきた。
「そんなに悩むんだったら、無理に答えなくても…」
「い、いや、いいんじゃないかな?」
勢いで答えてしまった。そして何となく嫌な予感がした。この選択は本当に未来に影響する選択だったかもしれないと。
「分かりました、私頑張ろうと思います」
「うん、それがいいかもしれないね…」
恵美子は巻いていたマフラーをギュッと握って僕を見ていた。
食事が終わり、それからクリスマスケーキを食べていないと言うことでケーキを食べてのんびり過ごしていたら午後2時近くになっていた。そろそろ部屋に戻ってバイトの準備をしないといけない。名残惜しいが喫茶店を出てアパートに戻った。
恵美子はバイト中の僕を見たいと言っていたが、厨房なので難しいと言って諦めてもらった。その時は諦めたと思っていたが、バイト中に急にカウンターに来るように店長に言われて出てみると、恵美子がカウンター席に座っていた。店長いわく「あんなに必死にお願いされたら呼ばないわけにはいかない」とのこと。その日は少し早い夕食のまかないを恵美子と食べることになった。積極的というか、突っ走ってるような、これから彼女に引っ張られるような気がする。まあ、なるようになるだろう。
家に帰り風呂に入った後、みらいの日記の返信を書いた。恵美子からクリスマスプレゼントとしてもらった万年筆。少し慣らした後に日記帳に書いていく。恵美子が彼女になったことをまず書いて、歴史が変化したことに対する疑問をいくつか書いた。
『僕はSFとかタイムトラベルに詳しくないのでよく考えてみました。それで思ったんですが、歴史が変わったことにどうやって分かったんですか?今この日記を書いている50年後の歴史は「介入史」であって、「正史」の情報は残っていないはずです。比べる物がないはずですがどうやって調べてるんですか?よかったら聞かせてください』
書き終わったところでチャイムが鳴った。こんな時間に誰だろう?玄関を開けるとコート姿の恵美子が立っていた。枕を持って。
「あの、もし良ければ、今夜も一緒に寝ませんか?」
控えめな口調だけど言ってることが大胆だな。僕はとりあえず彼女を部屋に招き入れた。恵美子が部屋に入りコートを脱ぐと既にパジャマ姿で泊まる気満々。断る理由もないし今夜も一緒に寝ることとなった。
後で分かったことだが、なぜ「正史」と「介入史」を比べることができたのか。実は僕以外に数人交換日記をしている人がいるそうだ。その人達に「正史」の年表を送っており、必要な時に「正史」と「介入史」を比べているらしい。
そして今日の日記も未来との同期ミスを起こした。原因はやはりあの選択だと思う。というかそれしか思いつかない。みらいが悪いというわけじゃないけど、その言葉で考えさせられる時間を作ってしまった。結果として流れで答えてしまったわけで、未来にどういった影響が出るのか分からない。たぶん、そのうち教えてくれるだろう
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