第2話

「三本とは!」

 目撃された鬼の角の数を聞いてのけぞる婆沙(ばさら)丸。

 だが、狂乱(きょうらん)丸はまだ納得できかねるという顔で、

「フン。恐怖のあまりその童は見間違えたのかも?」

「鬼を見たものは他にもいる」

 たくましい胸の前で腕を組みながら成澄(なりずみ)は言う。

「ほとんど同時刻、騒動のあった屋敷近くの川で、浅瀬を渡って行く〈三本角の鬼〉を見た清目(キヨメ)が河原で腰を抜かしたと報告があった」

※清目(キヨメ)=清掃や葬儀を生業にする技能集団

 とうとう狂乱丸も頷いた。深く息を吐いてから、

「そうか。そんな災厄が持ち上がっているとは知らなんだ」

「巷に漏れないよう使庁も躍起になっているのだ。と言うのも──実はこれが最後ではなくてな。この一ヶ月の間に続けて二回、〈花喰い鬼〉は出た……」 

「二回だと?」

「では、やはり、同様の殺され方をしたのか?」

「その通り。いずれも名のある美しい公達(きんだち)だった。これ以上惨劇を繰り返すわけにはいかぬ。使庁の面目にかけて何としても鬼を絡め取れ、と別当(べっとう)殿も狂乱の体じゃ」  ※公達=貴人の若者 ※別当=最高長官

 ここでいう使庁とは検非遺使庁のことで、京師(みやこ)の治安維持に設置された、警察と司法の両方を担う機関である。その起こりは嵯峨帝の御代に遡る。以来、検非遺使(けびいし)には左右衛門府より武略軍略に卓越した官人が抜擢されて来た。蛮絵と呼ばれる獣文様の黒装束を纏い、一目でそれと識別できる人気の重職である。

 さて。

 成澄は色違いの水干姿──今宵、兄の色目は萩、弟は花薄(はなすすき)である──の田楽師兄弟を交互に眺めて話を締め括った。

「どうだ? これで流石の俺もこの一ヶ月、田楽どころではなかったのがわかったろう?」

 真実、ほとほと疲れ果てた。

 今日ばかりはちょっと息抜きしようと久々にここ、一条堀川に足を向けた成澄だった。

「そういうことなら、我等、存分にお慰めいたそう! ──おーい、酒じゃ!」

 狂乱丸が手を叩いたのとほとんど同時に襖(ふすま)が開いて、縁に膝をついて小者が告げた。

「中原様! 只今、使庁より使いが参っております!」

「何?」

 成澄、大刀を引っ掴んで茵(しとね)より立ち上がった。 ※茵=座布団

「もしや、またしても……〈花喰い鬼〉が現れたか!?」


 その〝もしや〟である。

「処は左京……八条北……堀川の……」

 使者の報告ももどかしく愛馬に飛び乗った検非遺使を呼び止めたのは双子の田楽師だった。

 手綱を引き絞って振り返った成澄に、射千玉(ぬばたま)の垂髪を揺らして二人は懇願した。

「成澄、俺たちも同道させろ!」

「〈鬼〉の仕業というもの、ぜひ、この目で見てみたい!」


 



極楽浄土とは、よく言ったものだと兄弟はつくづく納得した。

 八条堀川の一町家。豪奢を極めたそこは公卿(くぎょう)藤原顕頼(ふじわらあきより)の屋敷である。  ※一町家=約120m四方の豪邸


 蹴り殺されたのは、名を顕光(あきみつ)と言うこの家の令息。  

主である父の顕頼もその妻も主殿の方にいたが、西の対屋(たいのや)に寝起きする息子の異変には全く気付かなかった。

 昼を過ぎても起き出してくる気配のない若殿を怪訝に思い家司が部屋を覗いて発見した。

 部屋の前の縁から庭の砂子の上に血の足跡が点々と染みていた。が、それも池から向こうでは消えている。

「きっと、あの池で足を濯(すす)いだのだろう……」

 毎度のことながら貴人の広すぎる庭に成澄は舌打ちした。自分の屋敷も似たようなものなのだが。

「これでは鬼がどの方向へ去ったのか丸っきりわからないではないか!」

 藤原顕頼と言えば、今をときめく権門。仕える家司、郎党も多く、警備もしっかりしていたはず。

 にもかかわらずこの有様だ。

 昨夜は〈名残の月〉で、夜を徹して酒盛りをしていたとか。夜明けころには皆、酔い潰れて眠りこけてしまった。

 季節は九月である。秋たけなわの庭には趣向を凝らして面白く植えられた花木が競うように咲き誇っている。萩、蘇芳(すおう)、紫苑(しおん)に竜胆(りんどう)、撫子(なでしこ)、菊……

 死体の周りに撒かれていたのと同じ庚申花(こうしんばな)も見うけられた。

 その名の通り冬に至るまで隔月に花をつけるこの木は貴人の庭ではさして珍しくもない、ありふれた花なのだ。

 だが、勿論、庭に咲いている庚申花には噛み痕はない。

 死体に撒かれている花にだけ、その不気味な印があった。

「……では、鬼はこれを摘み取って、噛んだ後、ばら蒔いたのか?」

 枝を揺らせて庭の庚申花をためつがめつしながら成澄は呟いた。


 噛みちぎられた花の間に横たわる若者の死に顔は、またしても端然として美しかった。

 これも先の犠牲者たちと等しく眉目秀麗な公達ぶり。

 常通りきちんと烏帽子(えぼし)をつけ、髻(もとどり)から零れ落ちる乱れた髪の一筋だにない。

 それが却っておぞましくもあった。

 グシャグシャに踏み潰された下半身と比べて、あまりに残酷な静謐……

 そして、寿祝のごとく部屋中に散華した紅い花と赤い血……

 婆沙丸はそっと一つ手に取ってみた。

 確かに、花びらの一片が喰い破られている。

「──……」

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