幕間 陰る星道

 時見旬は、割り振られた自分の隊の人間とともに町を歩き回っていた。兵士長に言われたように、思い残すことがないように自分の記憶を確かめていたのだ。

 しかし、どうしても、そんな状況でも割り切れない気持ちがあった。


「どうしたんだ、旬」


 何度も聞いた耳慣れた声が聞こえる。

 その音源の場所へと振り返ると、そこにはソフトクリームを二つ手に持った、少し野生的な男がいた。


「陽介か」

「おうよ、なんか辛気臭そうな顔をしていたから声をかけちまったよ。隣いいか」


 陽介の提案に、旬はただ首を縦にふる。

 それを了承と取ったのか、陽介は旬の隣に座り込み、持っていたソフトクリームの片方を彼に渡す。そういえば、おつかいを頼んでいたなと思い、彼からソフトクリームを受け取る。

 旬は陽介を見る。陽介は、ソフトクリームに夢中のようで表情に出て、嬉しそうな顔をしていた。

 彼と同じように、ソフトクリームを舐める。かかっている、ソースのせいか少しほろ苦く感じた。


「どうしてそんな顔をしていたんだって聞かないんだな」

「そりゃあそうだろ。わかったところで、所詮他人の俺にはよくわかんねえし。それに、大方予想がつく。百合薔薇について考えていたんだろ?」

「……ご明察の通りさ」


 旬は、記憶を辿る。

 その先には、百合薔薇の四人の姿があり、そのどれもが先にある輝かしい光に照らされてとても美しく見えた。旬にとって、その記憶がとても印象的であり、そして忘れられないものだった。

 過去にすがる旬の姿を見た陽介は、はあとため息をつく。


「まだ、あいつらのことを想ってんのか。あの時の前も言ったはずだ。あの四人だけはやめておけと」

「ああ、確かに陽介の言う通りだと思う。でも、この身も心も彼女たちに囚われたままらしい」

「完膚なきまでに振られていながら、よくもまあそう思うな」







 辿った先の記憶を、拡大する。

 それは、高校一年生の夏の時、百合薔薇の四人の一つ上の高校二年生であった時見旬は他の男子の霊に紛れずに、彼女たちの姿を本能的に目で追っていた。特に、生徒会の副会長であったからか、入学早々に生徒会に加入して書記になった花咲輪花の事は何度も見ていた。

 自分の今までに出会ったことのないほどに、整った容姿とそれに比類する圧倒的な才覚は今までの自分の努力が馬鹿らしくなるほどに圧倒的だった。

 一年生の頃、旬はどこか飛び抜けた才能のある人間が集まっていた学園屈指の天才として学園中に名が通っていた。スポーツ万能、成績優秀、そして容姿端麗。それも、ただの優秀という範囲ではなく、天才的という一つ上のクラスに踏み入っていた。

 自分を上回る人間などこの世には存在していない。若気の至りだが、そう思うには十分すぎるほどの能力を持っていた。

 しかし、百合薔薇の四人が入学してから旬の自信は粉々打ち負かされることになった。

 それは、入学式の新入生挨拶の時の花咲輪花の圧倒的なカリスマであったり、飯島優佳の文化部側の仮入部での技量であったり、桐嶋好の運動部の蹂躙であったり、時雨アリスの常に満点を取り続ける勉学力だった。

 それらは、天才という言葉で片付けるにはあまりにも矮小すぎて、怪物というにはひどく可憐であった。


 初めて出会った、自分という存在を圧倒的に上回る人間の出現に当然憧れを抱かないわけはなく、旬は彼女たちに恋心を抱いた。いや、それが初めて感じる感情であったから、それがそういう感情だとはわからないが、おそらくそうなのだろうと思い込むことにした。

 彼女たちの入学式からしばらくたって、秋の文化祭の後夜祭の時。生徒会の仕事が終わり、旬は百合薔薇の中の同じ生徒会である輪花に告白をすると決意した。

 周りの人間に聞き、彼女がどこにいるのかを問いただして屋上にいることがわかった旬は彼女のいる場所に向かっていった。

 屋上の扉が少しばかり開いていて、そこから声が聞こえていたので覗ききこむようにして屋上を見る。

 そこには、輪花を含めた百合薔薇の四人がいて、何かを会話をしていた。耳を研ぎ澄ませて、会話を聞こうと奮闘する。どうにかして集中すると、彼女たちの会話が耳に入ってきた。


「ねえ、彼の姿は見つかった?」


 そういったのは屋上のフェンスに座り込みながらもたれかかっていた花咲輪花。彼女は頻繁に、指を叩いていたり足踏みをしていたりと落ち着かない様子だった。

 一体誰を探しているのだろうか。もしかしたら自分だろうか。そう自意識過剰気味に思いつつ、もっと話を聞きたいと思いさらに耳に集中を傾ける。


「いいや、見た所姿を発見することができない。しかし、私のから今来たメールによると、彼らしき人物が学校を出たということだ」


 フェンス越しに校庭を覗いていた双眼鏡のレンズから目を離した桐嶋好は、少しばかり申し訳なさそうな表情でそう呟いた。

 そんな彼女の言葉に、フェンスに座り込んで寄りかかっていた飯島優佳が大きく笑い、時雨アリスが育ちの良いお嬢様のように口に手を当ててふふっと静かに笑う。


「あははは、さっすがあの人だねえ。相変わらず、協調性がなくて自分勝手だよお」

「そうね。でも、だからこそ彼は私たちの視線を独り占めしてしまうのよ」

「それもそうだねえ」


 ここにいない帰ってしまった誰かとは一体何者なのか。旬は、少しばかり疑問を覚えながらもどうせ学校の中でも有名な生徒なのだろうと予測する。そして、もしもそうであったならば十分に彼女たちを振り向かせることができると言いようにもない自信が湧き上がった。

 この学園に自分よりも魅力的で素晴らしい人間など存在しない。その感情が彼を支配していた。

 だが、その後に聞いた名前は彼の予想だにしなかったものであった。


「で、結局彼、勇君は帰っちゃったわけだけど、三人ともどうする?」


 その名前を聞いて、旬は驚愕した。その名前は、この学園では確かに有名ではあるがいい意味ではなかったからだ。

 特に手入れをしていると思えないぼさぼさな長髪に、瓶型レンズのメガネをかけて長い前髪によって鼻より上が完全に隠れている、少しばかり不清潔な印象を与える人物だ。

 しかし、世間一般的な目線で見てみれば、かなり引き締まった体をしており運動部とそこまで変わらない体つきをしていた。体育の時間に少しだけ見たことがあるが、様々な筋肉が見事に鍛えられておりとても帰宅部には見えなかった。

 だが、天海が有名なのは他にも理由があった。

 共学の高校ともなると、青春時代の真っ最中であるため異性を意識してなるべく丁寧に振舞おうとする。

 例えば、男子がライトノベルを読んでいることを隠したり、女子が裏ではかなり性格が悪いのに男子の前ではとても当たり障りのない性格で振舞っていたりだ。

 しかし、そんな敏感な時期に天海は、何ら躊躇なく萌え絵と呼ばれるイラストが表紙に描かれたライトノベルを何ら周囲に配慮する気もなく、開いて熟読したのだ。

 当然、そんな男が存在しているのだから他の生徒にとってストレスのはけ口にはちょうど良かった。教師に対する恨みや、うまくいかない人間関係の苛立ちの全てを彼にぶつけるように悪意を持って彼のオタク趣味を学園中に広め、虐めの対象にしようとしたのだ。


 だが、彼を虐げようとした人々は例外なく次の日には違う学校に転校することになっていった。

 どうやってかはわからない。だが、直感的に彼に手を出してはまずいと思ったようで、以降天海への虐めの未遂は一つもなくなり、彼がオタクだという噂だけが先走りしていった。

 その結果、彼は学園という他人と交流を深める場所でただ一人で過ごすことになった。

 無論、記憶が薄れていき彼をいじめようとする人間もいたが、天海の席の後ろには学園最恐の百合薔薇がどうしてか陣取っており、手を出すことが叶わなかったのだ。


 思えば、その時からおかしいとは旬は思っていたのだ。

 どうして、百合薔薇の四人が天海勇という孤独でカーストの低い人間の後ろで毎日のように雑談をしていたのかと。

 その思考が結論に行き至る前に、彼女たちの会話が唐突に遮った。


「まあ、当然追うだろう。こうなってしまってはこんな後夜祭に用は無い」

「そうだよねえ。私たちにとって、この学園に通っているのもいさみんがいるからだし」

「私も同意するわ。もしかしたら、私たちの見れていない現場で彼が変な女に捕まっているかもしれないし」

「まあ、そう言うと思ったけど。私としても、こんな貧相でどうでもいい催しなんてボイコットして勇君を追跡したいところなんだけど……まあ、一応生徒会だから出席していなくちゃいけないわけ。だから、私の分までよろしく頼むわ」


 旬は彼女の発言がとても信じられなかった。

 こんな貧相でどうでもいい催しといったこの文化祭と後夜祭を一番熱心に取り組んでいたのは間違い無く彼女だった。あらゆる方面に交渉に交渉を重ね、そうして実現した今回の文化祭は過去最大規模で最高峰の出来だった。そのほとんどが彼女の成果だったと言っても過言では無く、生徒会のみんなや実行委員会に教師も非常に高く評価し感心していた。

 だからこそ、彼女の言葉を旬は信じたくなかった。花咲輪花がそんなことを言ってしまば、この文化祭の楽しかった思い出が粉々に砕け散ってなくなってしまうような気がしたのだ。

 しかし、彼女はそんな旬の願いを無視するかのように再び面倒臭そうな表情で口を開く。


「ところで、文化祭は楽しかった、三人とも?」

「うん。人目を外れた場所でずっと本を読んでいたいさみんは格好良かったよ!」

「私は、クラスのお化け屋敷のような催しの雑用を押し付けられている勇を見て心が痛んだな。だがまあ、そんな様子の彼もそそるものがあったが」

「そうね。その催しの最中に人手が足りなかったのか彼が幽霊の役で脅かしに来た時は、とても心が温まったわ。もう、気が気ではないほどにね」

「まあ、私も生徒会の巡回という理由で彼を追跡したのが一番楽しかったわ。実際、この文化祭も彼を効率良く監視するためにいろいろと試行錯誤したものだったしね」


 パリンッと心が割れたような気がした。

 今まで懸命に行ってきた全ての行動が無駄だったということに旬は絶望した。彼女は別に生徒たちや来客者のために頑張っていたわけではなく、あの冴えないというよりも汚らわしい人間のために開いたパーティを開催するために努力していたわけなのだ。

 どうして、平静が保てるというのか。もはや、旬の目には潤いすらもなかった。


「じゃあ、彼を頼んだわよ。あの人、無意識のうちに美少女だけを骨抜きにするんだから」

「はいはい。お土産は期待していろ」


 桐嶋を含めた三人が、屋上の入口である旬のいる方へと向かって歩いてくる。

 その時、何かまずいと思い本能的に近くに隠れられる場所を探す。すると、旬は自分のいる踊り場の左側に掃除ロッカーを発見した。急いで、その中に隠れようと入る。

 なんとか、間に合い。三人を見送る。

 ほっと一息つこうとする。しかし、その前に屋上から花咲が出てきた。それを確認して、吐き出そうとした息を再び飲み込む。なんとなく、今の状態で彼女と会うのがまずいような気がしたのだ。

 音を何一つ立てずに、彼女を見送ろうとする。

 しかし、花咲は自分のちょうど目の前でふと笑い、胸に刺していたボールペンを忍者がクナイを投げるように放ってきた。その先は、寸分たがわず自分が目を当てている穴へと向かっていた。

 ここままでは失明してしまうと本能的にその攻撃を避けるようにしゃがもうとする。しかし、そうすると必然と下側の体積が大きくなりギリギリだった掃除ロッカーは力に抗えなくなり、開いてしまう。

 自分が掃除ロッカーの中でしゃがんでいる様子を、花咲に見られる。その瞳は、人間というにはあまりにも感情がこもっておらず機械的な印象を感じさせられた。


「私の目を欺けられと思ったんですか、副会長。その程度のストーキングなんて誰だってわかりますよ。邪な感情が溢れていましたから」


 彼女はそう言うと、ロッカーに刺さっているボールペンを引き抜いて、そのペン先を旬の額に向ける。おそらく、それが強く突き刺されば確実に絶命するだろうという恐怖とともに、思わず失禁してしまう。

 それを見て、花咲は鼻で笑う。


「汚いですよ。本当に汚い。ああ、恥ずかしい。なんて、恥ずかしいんでしょうか副会長。どうですか、想っていた後輩におねしょを見られる恥辱は。きっと、新鮮な気持ちでしょうね」

「……どうして、俺がお前を想っているとわかった?」

「漏らしながら言っても威圧感なんてないですよ。そんなのわかっているに決まっているじゃないですか。あなたの視線、鬱陶しいんですよ。体の全てを凌辱されているようで、とても不快でした」


 花咲は突き出していたボールペンを胸にポケットに差し、もはや旬に興味がないように反転し、歩き始めた。


「おい、待てっ!」


 しかし、旬にはどうしても聞きたいことがあった。

 花咲は、首だけを後方に向けて下衆に向けるような瞳を彼に向ける。


「なんですか」

「どうして天海勇なんだ。どうして、俺じゃないんだ。俺は、あいつよりもあらゆる面で上回っている。当然容姿もだ。なんでだ、なんでなんだっ!あんな男、ただの陰険で汚らしい男じゃないか……ひっ!?」


 旬の天海を罵倒する声が止まる。いや、止めさせられた。自分の言いようのない嫉妬をどうでもよくするぐらいに、目の前にいる修羅は恐ろしかった。


「それだけか」


 最初はただ冷淡に、小さく呟いた。しかし、その音に抑揚はなく、ただひたすらに平坦だった。その、あまりの冷たさに旬の体は凍えてしまう。それこそ、何かを言おうとしても、言葉を発せられないように。

 その態度が気に食わなかったのか、花咲は近くの柱を勢い良く殴る。すると、張られていた壁はめり込み、コンクリートがガラガラと流れるように零れ落ちていった。


「それだけかと言っている」

「あーーーぁ、ーーーーぅ」

「……ふん」


 花咲は、今度こそ見切りをつけたのか視線から旬を排除し、歩き始める。


「お前にとっては勇君はその程度の存在なのだろう。だが忘れるな、私たちにとってあの人は自分の命よりも大切な存在であり、永遠の愛を授けるに値する偉大な人だ。そして、刻みつけておけ。お前にとっての勇君の感情が私たちにとってのお前の感情と全く同じだということを」


 その言葉を発すると、花咲は階段を下り始める。

 旬は、彼女姿が見えなくなって親友の陽介に発見されるまで、彼女に楔を刺された言葉を反芻していた。








「で、どうするんだ」


 陽介は、旬に聞く。

 旬の心のうちは決まっていた。


「百合薔薇と協力関係を結びたい。これからの戦いは、文字どおり死闘だ。協力できる人間は多いほうがいい。第三小隊と第五小隊は第五小隊に所属する自由派の大和切羽を除いて勇者派しかいない。無論、共同戦線を張れるはずだ。これは、非常に合理的で一番の安全策だ。だからこそ、彼女たちも乗ってくると思う」


 旬の言葉を聞いて、陽介は頭をぽりぽりと掻きながらはあとため息を吐く。そして、吐き終わってから何かを決心したかのように両頬をパチンと叩いた。


「まあ、隊長であり派閥長の方針だ。俺はおとなしく従うことにするさ」

「否定しないのか」

「してもしょうがないだろう。お前が、奴らにとらわれている限りな」


 陽介は勢い良く、立ち上がり時計を見る。

 時計は 長針が6。短針が9と10の間を示していた。


「さあ、行こうぜ。そろそろ時間だ。他の二人も、もう向かっている頃だろうさ」

「……そうだな。行こうか」


 陽介に発破をかけられて旬は立ち上がる。

 そして、宮殿の見える方向へと歩き始めた。

 その先の街灯はどうしてか壊れていて光がなかった。

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