第3話 運命の日

 窓から入ってきた木の葉が、頰に触れる。

 座っている場所が、窓際だからだろうか。だが、学生生活のほとんどを、何かの因果かは知らないが窓際の席で過ごしてきた自分にとって、やってきた葉は心を和やかにしてくれるものだった。

 木の葉がやってきたことを確認して、今までの疲れを取るように背筋を伸ばす。


 空中庭園に流れる風は常に一定だ。それはここユミルフィアでも例外ではない。

 空中都市は、あまりにも魔物たちの発生させる瘴気の濃度が濃すぎるため、遮るように厳重な結界が何重にも展開されている。自分たちのような魔力を持つ人間はそれらの環境に適応することができるのだが、空中庭園で生活を送っている人間のほとんどは魔力を持っていない。

 昔はすべての人類が魔力を持っていたようだが、魔力の元である瘴気から長い間離れていたために子孫にな力が受け継がれなくなったそうだ。

 住み着いている多くの人間がそうなのだから、瘴気を遮ろうとする動きは当然だった。だが、空中庭園の自然を維持するには自然界の循環をほぼ完璧に再現しなければいけない。その流れをどうにかして解明した過去の人間たちはそれをシステムとして組み込み、見事に生活環境を手に入れることに成功した。だが、当然不完全ではあるので、徐々に自然は少なくなってはいるらしいが。


 自分のところに木の葉がやってくる時間帯は、ほぼ一定だ。そして、それは自分の魔導図書院での自主勉強が後半分の時間になったことを表している。

 肩の重りを下ろすように、ふうと息を吐いてから周囲を見渡す。

 周りには、本を整頓している司書の人間や、自分と同じように勉強している熱心そうな人間がいくらかいた。だが、自分と同じように転移してきた人間は全くといっていなかった。

 魔導図書院とは、あくまで学問としての魔法を学び、他には歴史書ぐらいしかない。自分たちは、ユミルフィアの尖兵として魔物と戦うのだから、戦闘のための魔法を学ばなくてはいけない。学問としての魔法と戦闘としての魔法には、確かに関連性はあるが、そこまで必須であるというわけだは無い。むしろ、短期間で戦闘員を育成する上では学ぶことを推奨されないぐらいだ。

 いわゆる、無駄知識として分類されるものらしい。


 しかし、自分はそれに意味があると思い。午前中のハードな戦闘訓練を終えてからこうして勉学に励んでいる。

 身につけている支給された、兵士服のポケットの中に入れている愛読書に外側から触れる。

 自分のファンタジーの知識が正しいとするならば、この無駄知識こそとても大事なことであると直感的に察知しているのだ。

 確かに、自分のいる場所は最早異世界だとしても現実の場所であるとわかっている。仮想の物語のように進むなど、そんな理想論はとうに捨てている。妄想主義者ではないのだ。

 だがそれでも、多くの情報を手に入れることに無駄はないはずだからと、勉学を続けている。というよりも、城下町に繰り出している他の転移者のように友達がいるわけでもないから、時間を無駄にしないように必然的に勉学をするしかないのだが。


「お」


 視線を動かしていると、見知った顔を発見した。

 そこには、長い髪の毛を何も結ばずに垂らしており、前髪はちょうど目を隠すぐらいまで伸びている少女がいた。雰囲気からして、消極さが目立っていて、根暗さはそこらで勉学に励んでいる研究者とあまり変わりがないように思えた。

 雪見野文ゆきみのあやという名前の、自分と同じ転移者にして一学年上の先輩だった女性だ。学園の頃は、図書室の女神だとか言われていたらしい。確かに、そう噂になるほどに美人な人だなと思った。

 彼女も、自分と同じく魔導図書院を利用する数人しかいない人間の一人だ。そのため、何度も顔を会わせるわけであって、知り合い程度になるのはすぐだった。

 彼女は、自分の姿を見ると少し鈍臭そうにお辞儀ををした。それに対して、こちらもお辞儀で返すと、彼女は最早彼女の場所となっている日の光の当たらない席に胸に抱えた積み重なった本の束を持って移動する。薄幸そうな雰囲気に反して、まあまあ力持ちのようだった。

 おそらく、単純に読書をするのが好きだからここに来ているのだろうと結論づけている。実際に、読書を始めた彼女は高い集中力を発揮し、積み重なった本を読み切るまで余程のことがない限り本を読み続けている。

 一度だけ彼女にしつこく付きまとう男に読書を邪魔されたことがあったが、その時の彼女は転移したばかりの『百合薔薇』の四人のような瞳にハイライトがなくなった無表情と変貌し、自身の憩いを阻害した男を気絶させるほどに強烈な威圧を披露した。

 その時以来、彼女はこの世界でも図書院の女神と呼ばれるようになり、彼女の座っている席は誰も座らず、毎日司書たちが丁寧に整備するようになった。彼女自身は、全く気付いていないのか最初にやってきたと変わらずに読書に励んでいる。


 そういえば、とふと思い返す。

 自分たちがこの世界に転移してから、すでに一月という時間が過ぎた。

 ユミルフィア曰く、自分たちは行方不明扱いになっているらしく、向こうの世界で洗脳の魔法を使ってどうにかしたようだ。自分は、両親や、下の妹とも仲が良くはなかったので別に家族の心配などしていなかったからいいのだが、転移した他の人間は違うらしく、そのことを聞いて大多数の人間が胸をなでおろしていた。

 意外だったのは、『百合薔薇』の花咲輪花が安堵していたことだ。普段の彼女は、まるで氷の女王のような振る舞いを他の人間にしていたので少々驚いた。


 気づくと、それくらいの時間が流れたわけで、当然派閥というものも出来上がっている。

 勇者の天職を得た、元生徒会長の時見旬が率いる『勇者派』。

 一人一人が勇者に匹敵する天職を持つと考えられている四人が所属する『百合薔薇』。

 そして、自由に行動しようと考えている極少数の『自由派」。

 現状、圧倒的多数が勇者派でその数は過半数の十人以上を集めている。やはり、勇者という肩書きは強いのだろうと思った。行動としては、特に飛び抜けていることはなく、与えられた内容を毎日こなして実力を高めている。

 『百合薔薇』に関しては、自分たちの情報をひたすらに隠蔽していて全く正体がつかめないが、何かしら陰謀を巡らしているのだろうという予感がしている。実際に、四人の中の時雨アリスの部屋が自分の部屋の隣であり、少なくとも毎日のように自分が寝る頃まで部屋が明るく、四人の声が聞こえてくる。長く生き残るためにも彼女たちにはあまり触れないようにしようと考えている。

 自由派、とはいっても現状は五人だけだ。自分と、雪見野文。加えて、半霧塔子に他の二人を加えた余りの人間をそう呼称するようにしているようだ。だが、一括りにしたといっても五人の行動は、全く異なる。

 自分は、戦場に行くまでの間になるべく多く学ぼうと思って誰よりも鍛錬を重ねていると思っている。文先輩の場合は単純に読書を楽しみたい。他の三人はよく分からないが、半霧は自分で望んで既に戦場に行っているとか噂がある。事実、彼女を最近見かけないからその情報はおそらく正しいのだろう。


 再び、木の葉が頰を叩く。

 それは休憩の終了の合図。本当に、この庭園は決められたシステムの上で動いているのだと理解する。

 気持ちを一新するように息を吸い、そして読みかけの分厚い本に再び手を伸ばした。







 ユミルフィアに自分の異能である『器』について聞いたことがある。それは、魔導図書院の関連性のある書物をおおよそ読んでからのことだ。他の天職の異能についてはある程度記載されてはいたのだが、どうしても『器』だけはその情報の一端すらもわからなかったのだ。


「ごめんなさい。それは私でもわかりません」


 しかし、返答は満足のいくものではなかった。ある程度は予想していたが、その回答を聞くと少しばかり落ち込んでしまう。他の人たちの場合は、すでに自分の天職や異能について情報があるからどのように鍛錬すれば能力を高められるかを理解している。

 しかし、自分の場合。社畜という向こう側を彷彿とさせる天職に加え、正体不明の異能を持つという前代未聞の存在だ。その能力はもしかしたら大きな可能性を持つものかもしれないが、その本質を理解できていない以上、ないに等しい。これでは、鍛錬するにしてもしようがないのだ。


「女神と言っても、空中庭園を統括する存在に過ぎないのです。ですが、一つだけ言えることがあります」


 彼女は右の人差し指を上に向ける。


「天職も異能も、必ず何かしらの関連性があります。それに、それらはすべてあなたの心から生まれた心理のかけら。よく見返してみるのです。自分が一体どんな存在なのか」

「自分の心理ですか」


 胸に手を当てる。

 今までの自分を振り返ってみる。

 一人で、過ごしてきた充実感のある日々。

 しかし、それらはあまりにも纏まりがなさすぎて自分という存在を考察するにはあまりにも情報が膨大で、無秩序だった。


「……よくわかりません」

「だと思います。そんなことがわかってしまえば、人間に激しい感情なんて必要はありませんから。悩み、悩み抜いてこそ人間なのですよ」

「どういうことですか?」

「簡単なことです。わからないのならば、わかるまで頑張り抜くということです。そうすればきっと、あなたの求めるものに手が届くはずですから」


 長い銀色が、黄金をまぶしていく。

 それは苗らかな曲線を描き、とても美しい宝石の塊のようだった。

 相まって、ユミルフィアの微笑みがまるで昼間に咲き誇る可憐な花のようで美しいと思った。


「そういうものでしょうか」

「ええ、そういうものです。それに、あなたならばきっとたどり着ける。そんな気がしますから」


 彼女は期待の眼差しで自分を見つめる。

 その視線は今までに受けたことのない温かいもので、とても心地の良いものだった。

 初めて受ける感覚に思わず顔を赤くしてしまう。

 その表情を見たのか、ユミルフィアはクスッと笑う。


「あなたでもそんな顔をするのですね。ずっと一人で仏頂面でしたから、そういう顔を見るのは新鮮です。少し役得ですね」


 彼女は意地悪そうに言った。目は、少し笑っていてこちらをからかおうとしていることは見え見えだった。

 自分が弄られるのはあまり心地が良くないので、やり返そうと口を開く。


「そういう、女神様こそ向こうの世界で俺のことを見ていたんですね。まるでストーカーですね。女神という立場なのにそんなことをするなんて……」

「心外です。私は確かにあなたのことをずっと見ていましたが、それは理事長として学園で不遇そうな立場な生徒を見守るため。決してやましい気持ちなどありません」

「いや、一言もやましいとか言った覚えなんてないんですが。そんなことを軽く想像するあたり、やっぱり……」

「だから、違いますって。誤解しないでくださいよ!」


 ユミルフィアは慌てた様子で避難する。その姿を見て、女神様でも自分たちと同じように感情を動かすんだなと思い、気づくと笑っていた。それは、嬉しさだろうか、彼女の慌てた様子が面白かったからか。どちらにしろ、無意識に笑顔が出るなんてしばらくなかったから、自分の無意識の所作に内心驚く。

 と、彼女の様子を鑑賞しつつもう一つの質問を投げかける。


「ところで、どうして俺を選んだんですか。他の人たちは確かにあなた方のいうような運命力が高いような気がしますが、俺の場合は特に学園の有名人でもなんでもないし、特に際立った成績なんてありませんよ」


 自分以外の周りに対して、自分はあまりにも役不足だとずっと思っていた。だからこそ、ここで転移させた本人であある彼女にその真意を問いたかった。

 ユミルフィアはその質問に対して、間髪入れずに答える。


「直感です」

「は?」


 彼女の回答に、思わず素っ頓狂な声を出してしまう。


「いやいや、転移した時に運命力の高い人間を選んだって言ったじゃないですか」

「ふふふ、冗談ですよ、冗談」

「じゃあ、一体どういう理由で」


 ユミルフィアは自分の人差し指を唇に当てる。その動作の一つ一つに視線がいってしまうのは、彼女の所作の部分部分が美しいからだろうか。

 太陽の光をスポットライトにして、彼女は言葉を紡いだ。


「それは、神のみぞ知るということで」







「あれ」


 目が覚める。

 窓を見ると、すでに辺りは暗くなっており夜になっていることがうかがえる。

 朧げな視界に、読みかけの本が見える。どうやら、勉強中に寝てしまったようだ。時計を見てみると、すでに閉館時刻ギリギリで辺りには誰もいなかった。


「ん?」


 何かの温もりに体が包まれている気がする。

 背中に触れる。すると、何かがあったのでそれを手に取る。

 それは、黄緑色の膝掛けでおそらく誰かがかけてくれたのだろうと見知らぬ誰かに感謝する。


「うーん、どうしようか」


 とりあえず、後日かけてくれた人に返すことにして、机に置いてある本を本棚に片付ける。

 その途中に、夢の中で見ていたユミルフィアと話した時のことを思い出す。


「というか、よくもまあ他人と話すことができたなあ俺」


 ぼっちとしての能力に極振りしていた自分にあるましきことをしていたことに驚きつつ、会話の内容を思い返す。


「異能についても天職についてもまだわからない。でも、まあじっくりと考えていけばきっとなんとかなるでしょ」


 そんな適当につぶやいて、魔導図書院を後にする。


 だが、その時はまだ理解していなかった。

 自分が、これからそんな呑気なことを考えられないような状況に陥ってしまうなんてことは。







 翌日の朝、すべての転移者が緊急に集められた。

 その面前で、女神ユミルフィアは強く言葉を発した。


「昨日深夜、地上の主要基地の一つが魔王によって壊滅しました。人材不足のため、緊急ではありますが転移者の皆様を派遣することに決定いたしました」


 それは、未来の人間から見れば誰しもが口にするだろう。

 あらゆる人間の運命を変えた日だと。

 

 

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