【其の拾四】始動

 朝のHR、普通は纐纈こうけつだけで済ませるものなのだが、今日は何故か八月一日も一緒に教壇の隅で纐纈の話す内容を聞いていた。八月一日の顔は自分でも分かるくらいに緩んでおり、生徒達はこれから何かが起こるのだろうということを何とはなしに予感していた。

 時間は朝の職員朝礼に遡る。

「え~それでは中学部主任の四万都しまと先生から、何かあるようで……。」

 六波羅ろくはらは先月米国で発表されたHAD研究所の学術報告、HADを抱える人間の社会復帰のケースデータを例にとって、これは自分たちの学校にもこれは当てはまる内容だということを話した後、この前に八月一日と一緒に陸連の役員と協議した四万都に話を振った。

「はい、では手短に……」

 四万都がうやうやしく立ち上がりお辞儀をすると、軽く八月一日に視線を送った。しかし四万都があまりにも無表情だったので、それがこの間の協議に関してのことだとはわかったが、それが良い情報なのか悪い情報なのかがわからなかった。

「先日、陸連に話し合いの席を設けていただき、そして私と八月一日先生でそこに赴いてきたのは、ここにいる方々もご存知と思います。こちらとしては中々の好感触でして、後は先方からの返答を待つばかりだったのですが……今日、陸連から正式な回答がありました。……我が校の地区大会参加、正式に許可されました」

 八月一日はその瞬間、「うしっ」と机の下でガッツポーズを取ったが、跳ね上げた膝が机を蹴り上げてしまった。周りを見ると、あれほど難色を示していた教員たちも驚き、中には一部には喜びをみせている者もいた。なんだか結婚に反対していたのに孫が出来た途端に喜ぶ親みたいだなと、八月一日は余裕の笑みを浮かべた。

「やりましたね、四万都先生」

「ええしかし問題が…………」

 HRでの纐纈が自分の挨拶が終わったので、朝礼での話題を話すよう八月一日を教壇に立たせた。

「えええと、何て言ったらいいのかな……良いニュースと悪いニュースがあるんだけどどっちから聞きたいですか?」

 八月一日が喜ぶのはいいが、生徒達は朝のだるい気分だったので「早く言ってよ」「思わせぶりなこといいから」「カッコつけんな、似合ってねぇし」とただ顰蹙ひんしゅくを買ってしまった。

「……分かりましたよ。実は先日陸連に掛け合ってきたんですが、先生達の努力の甲斐あって何と、我が蒼海学園がこの度、S地区で開催される地区大会に出場できることが決定しました」

 八月一日が言うと、バスケ部のなぎさ俊二しゅんじを始めとする生徒は騒いだが、他の生徒は驚いたもののそこまでの興味はないようだった。

「でも先生、それ良いニュースなんでしょ?悪いニュースの方は?」

 どうも既に内容を知っているようだった阿久津美鳩あくつ みくが、冷静な中にも笑顔を含ませながら八月一日に訊ねた。

「そうです、実は……参加できることになったのはいいんですが、部員が少ないのが問題でして……。チームは組めるんですが練習できないんですよ。そこで本日より、各学年からバスケ部への季節外れの入部希望者を募りたいと思っているんですが、どうでしょうか?」

 最初は一部の生徒が「メンドクセー」とボヤいていたが、美鳩の一言で状況が変わる。

「先生、マネージャーも募集してますか?」

 制服の袖から伸びる白い手を挙手して、一声どころか存在そのものが鶴のように目立った美鳩が言うと、教室は一転して静まり返った。

「おお、阿久津さんもちろんですよ。やってくれますか?」

「はい。西塔さいとうさんも一緒にやろうっ」

「え?わたし?」

「うん、一人じゃさみしいし」

「えと、じゃあ、はい。や、やります」

 美鳩の勢いに押されて、なし崩しにこよみは頷いてしまった。

「お、いいですね。一気にマネージャーが二人になりましたよ。どうです、他のみんなも?他の運動部の子もヘルプで来てもらえると非常に助かるんですが……」

 阿久津美鳩がマネージャーに立候補したことで、クラスの男子たちもにわかに色めきだったのが八月一日にわかった。しかしそこが中学生だろう、どうも阿久津美鳩目当てで入部するのが気恥ずかしく挙手しづらい様子だったので、八月一日は細かく切った用紙を配りそれに入部希望者は○を書くように言った。八月一日の企みは功を奏して、思いの外参加者は増え、日村寿ひむら ことぶき木根龍兵きね りゅうへい、その他二人が入部を申し出てきてくれた。

 とにもかくにも、これで蒼海学園バスケットボール部の発進となったのである。


 放課後の部活動の時間、八月一日は体育館の二階の席から望遠鏡で生徒達の練習風景を見ていた。

「八月一日さん、どうしたんです?こんな遠くから。四万都先生と一緒に指導すればいいのに」

 奇妙な行動を取っている八月一日に橋元はしもとが話しかける。面白そうなことがあると首を突っ込まずにはいられない性分なのだろう。

「いえね、地区大会まであんまり時間がないんで、出場メンバーの相手を……西塔さんと阿久津さんにしてもらってるんですよ」

「阿久津さん達に?」

 橋元は八月一日の真横まで行くと、「貸して」とは言ったが八月一日から望遠鏡を奪い取った。

「……どうして阿久津さんたちを?」

「それはですね、阿久津さんと西塔さんにHADを使用してもらってるんですよ。彼女達のHADを使うとバスケが初心者であっても上級者顔負けのプレーができますからね。時間がないので即戦力として」

「なるほど、だから八月一日さんがこんなに遠くから見てるんですね。また覗き趣味があるのかと思っちゃいました」

「ははは……。」

「あ、すごい西塔さん。大祝を抜きましたよ、すごいすごい。パスも阿久津さんがジャストなところにいるし、無敵じゃないですか」

「そうなんですよ、あの二人があそこまで動けるとは思いませんでした。まさかのHADの有効活用です」

「考えましたねぇ」

 最初は抵抗があった二人だったが、次第にHADをバスケに使用するのに慣れていき、ストレスのない環境で存分にゲームを満喫しているようだった。今までよりも断然明るい顔をしている。

「あの子達、ああいう顔ができるんですねぇ」

「そうですね、やっぱり地区大会、出場できるようになって本当に良かったです」

 橋元は「おつかれさま」と言うと、八月一日の胸元に突き出すように双眼鏡を返し、目を細めるようにして一階の生徒たちの様子を見ている。

「四万都さんも、いい顔してんじゃないですか」

「生徒が活き活きとしてて、嫌な顔をする教師はいませんよ」

 橋元が「アッハッ」と空気を吐き出すように笑ったので、八月一日は迂闊な事を言ってしまったと赤面した。

「あ、ミニゲーム終わったみたいですね」

 橋元がそういうや否や、八月一日は「そうですか……」と確認もせずにしたへ降りていった。

「逃げなくてもいいのに……。」

 八月一日が下に降りると、四万都はヘタっている部員たちを腰に手を当てて思案していた。ゲームの内容に不満だったのか、表情が険しそうに見える。

「どうですか四万都先生、感触としては?」

「……以前も言いましたがスタメンの体力が無さ過ぎます。たったこれだけのゲームで息が上がってますから」

「そういうもんなんですか……。」

 八月一日は山岳部だったので、あれだけ走ったり跳んだりすれば普通息切れするものだと思ったがそういうものでもないらしい。

「ちょ、お前ら、体力無さ過ぎやぞ、普段ほとんど走り込みばしとらんな。特に経験者の風間かざま大祝おおほうりが息切らせとるっちどうなっとうとや?今からグランド十週な」

 コートに座り込んでいた面々が「鬼~」「軍隊じゃねぇんだぞ~」と口々に文句を言う。

「何ば言いよっとかっキサンらっ、素人の女二人に抜かれとって恥ずかしいち思わんとかっ」

 四万都の博多弁は本格的に素に戻っていた。

 当の女子二人は運動量を節約していたのだろう、息を切らせているが、座り込むほど疲れてはいない。男子達は「だってアイツ等……」と、不満があるようだが、美鳩の一言で流れが変わる。

「先生、小学校の頃に体育でやっただけだったんですけど、結構簡単なんですね、バスケットって。これならわたし達がちょっと練習すればHAD使わなくても男子達よりうまくなりそうです」

 その一言で男子達は互いに顔を見合わせ、渋々とグランドに出てランニングをし始めた。

(なんと単純な……)

 八月一日が呆れて走り出した男子部員達を見ている後ろで、美鳩は「じゃあコヨミンわたし達はストレッチしよう」と暦を誘ってストレッチを始め「すごーい、柔らかーい」などと言い合いながらはしゃぎ、四万都はホワイトボードに様々な練習メニューを書き始め「レイアップ左右×20 フリースロー×20 失敗したらシャトルダッシュ」などと記していた。

「四万都先生、この、レイアップというのは……?」

「これはシュートの一つで、ゴール付近でこう……ドリブルしながらジャンプして、片手でリンクに投げ入れるものです」

「……なるほど、高等技術……ですね」

「いえ、基本動作です」

「あぁ、そうなんですかぁ……。で、このフリースローというのは……こう遠くから投げるやつなんですか?」

「そうですそうです、よくご存知で」

「あれですよね、左手は添えるだけのやつですよね」

「……ワンハンドの場合はそうなりますね」

「あきらめたら試合終了だったんでしたっけ?」

「だいたいの物事がそうですね。すいません、ちょっとメニュー考えてるんで……」

「ああ失礼しましたっ」

 八月一日はフラフラとコートの中を蛇行すると、ボール入れまで行きバスケットボールを叩きながらボールに空気がきちんと入っているかどうかを確認し始めた。パンパン叩きながら、一人で「ウム」と言いながら何かを納得している。

「先生、やることないんでしょ?」

 背後から美鳩に言われ、大慌てで八月一日はボールに膝蹴りを入れ始めた。

「何言ってんですか、こうしてね、ちゃあんとボールに空気が入ってるか調べてるんですよ……」

「先生も走り込みやったらどうですか?お腹たるんでるっぽいですよ」

「本当ですか?まいったな……」

「それに、練習手伝うなら先生も体力つけとかないと。わたしと西塔さんだけだと正直キツイですよ」

「……ただ先生、腰をやられちゃっててねぇ、あまり走れないんですよ……。」

 美鳩が肩をすくめて暦を見遣った。暦は興味がないといった素振りをする。

 練習が終わり、四万都が考案したメニューをこなすと普段真面目に基礎トレをやっていなかった部員たちはかなり疲弊した様子だった。キチーキチーと口々に言い、倒れ込んで動けない者もいた。四万都が部活終了の説教を教師然として言う。

「ちょっと気ぃ抜きすぎやないかお前ら、ただ単に試合に出るとか思うなよ、お前らウチの看板を背負っとるんやけんなぁ。お前らの頑張りが後輩に繋がっていくとぜ?」

 俊二が「大げさだよぉ」とぼやく。

「大げさなことあるか。他の学校の先生方も生徒も、お前らのイメージでウチのことば判断するとぜ?お前らが上手くやれば、他の部活の参加もやり易くなろうがっ。出場じゃなくて世間に、世界に出るっちことぜ」

 生徒達は四万都の激でより疲れたようで、がっくりと体から力が抜けていった。

「八月一日先生から、何かありますか?」

 暦と美鳩の近くにいた八月一日は慌てて「え?ないですないです」と手を小刻みに振った。

「ようし、それじゃあ今日はこれまで。寮に帰っても、寝る前にしっかりストレッチばやるように、筋肉痛にならんようにな。それとユニフォームはマネージャーに預けとけ、洗濯ばしとくけん……」

 四万都がそう言うと美鳩がにこやかに手を挙げた。部員たちは慌てて自分のユニフォームの臭いを嗅ぎ、渚に「スプレー貸してっ」と囁きだす。四万都はしょうがねぇな、と八月一日を見て笑った。

「ああっと、何もないとは言いましたけど、明日練習に疲れたからといって遅刻はしないように。あと、授業中に寝ないようにお願いします。他の先生方がいい顔しませんから」

 八月一日が言うと、四万都が「そうぜぇ」と頷き、俊二が「じゃあ、英語の授業中には仮眠とっていいですか?睡眠学習ってことで」と言う。

「……テストで結果出せるんならいいですよ」

 部員たちが帰った後、八月一日は美鳩と暦と一緒に、体育館裏に設けられた洗濯場でユニフォームの洗濯を始めた。部活用の洗い場といえど、開店したばかりのコインランドリーのように小奇麗なところだった。

「すっごーい、こんな設備まであったんだウチっ」

 照明が入れられた室内を、まるで生まれて初めてホテルのスイートに案内されたみたく美鳩が歩き回る。

 八月一日が摘みながらも、時折臭いを嗅ぎながら洗濯機にユニフォームを投げ入れていく。汗とデオドラントスプレーが混じったユニフォームは、余計に臭いがきつくなっていた。

「いやぁ楽しいですねぇ」

「臭いユニフォームを洗濯するのが楽しいとか、そんな趣味があるんですかキモチ悪い……。」

 暦が洗い終わった洗濯籠のユニフォームのシワを伸ばしながら言う。

「コヨミン、いじめちゃダメだよ。先生、今日初めてまともな仕事やってるのに」

「それも余計なお世話ですよ……。」

 初夏を迎え日が暮れるのも遅くなってきてはいたが、三人が洗濯をしている場所は完全に校舎の裏になっていて、明かりをつけなければまるで真夜中のようになっている。暦と美鳩が作業を終了させると、八月一日は上機嫌な様子で戸締りをした。

「そんなに嬉しいんですか?ようやく仕事もらえたのが、犬じゃあるまいし」

 暦が不審そうに言う。

「いやそうじゃなくてですね、だんだん軌道に乗るというのはどんな仕事でも楽しいものなんですよ」

「軌道にって、まだ一日練習したばかりじゃないですか」

「最初が肝心なんだよコヨミン。……いい感じの出だしですよね、先生」

「そうですね、でも二人のおかげでもありますよ、ありがとうございます」

「そうですか?」

「そうですよ、練習だってできるようになったし、女子の目があると情けない話、男子も頑張りますから」

 美鳩は笑いながら「そこは計算通りです」と言って暦と目を合わせた。暦は「え?わたしも?」と戸惑う。

「しかし二人共仲いいですよね」

 いつもと違い髪をポニーテールに束ねた美鳩は「だって西塔さん可愛いじゃないですかぁ」と、体を動かした作用だろうか、やや高めのテンションで言いながら、後ろから暦に抱きついた。

「ちょっ、阿久津さん……」

「久しぶりにちゃんと体動かせたし面白かったよねっ」

「あ、うん」

 暦は戸惑いながらも照れ笑いをする。

「それは何よりです」

 八月一日はそんな二人のやり取りを見ながら、阿久津美鳩が自分以上に何事かを急いでいるような気がした。まるで、残された時間で最大限の感受をするような、儚い前向きさだった。

 戻る方向がお互い逆なので美鳩と暦は八月一日に挨拶をすると学生寮へと帰っていく。もう日は完全に落ちてしまい、しかも住宅地から離れた場所にあるこの校舎の周囲には何の明かりもないので、二人はほぼ真っ暗なグランドを横切りながら寮舎を目指した。

「ねぇ美鳩ちゃん……。」

「どしたのコヨミン?」

 美鳩が振り向くと、男子と違ってスプレーをかけた美鳩からは逆に爽やかな香りがした。

「うん……どうしてマネージャーに立候補したの?」

「だって楽しそうじゃん。ほかに理由いる?」

「そうだけど……どうしてわたしも?」

「えー、だから一人だとさみしいしぃ」

「……それだけ」

「ダメ?」

「ダメっていうか……」

「ずっと一緒にいたいって思ったら、ダメ?」

 暦の心臓に急に何かがぶつかった。最近はHADのコントロールも上達したので、自分から働きかけなければそこまで人の心を読むことはない。しかし、一部例外のものがある。それは純粋に自分に向けられた想いだ。肌寒さも周囲の暗さも、全てをかき消すような暖かい美鳩の距離を無視したその気持ちに、暦は呼吸のテンポを乱した。

「ダメじゃない……けど」

 暗闇の中、美鳩はどんな顔をしているのだろう。暦には目で見ることのできない存在をとても強烈に感じていた。

 寮舎まで辿りつくまで二人はそのまま何も喋らなかった。並んで歩いていたが、急に美鳩は走り出して階段を駆け上る。

「じゃあまた明日ねコヨミン、愛してるぅ」

 美鳩はそう言って冗談で投げキッスをすると、自分の部屋に戻っていった。

「……ありがと」

 次の日は予告通り、バスケ部員数名が八月一日の授業中に居眠りをしていた。八月一日は中間テストは難しいものにしようと心に誓った。

 

 少しづつ、わたし達の環境は変わっていきました。それだけで、ただそれが変わるだけで、夜の闇の、静寂の聞こえ方さえ違ってくるものなんです。指先が何かを触るその感触すらも愛おしいと思える、人にとって本当に大事なことは、きっとそんなどうでもいい些細なことの集まりにあるんだと思います。些細なことだからこそ、きっと誰でもそれに気づくことができるんです。八月一日先生がこの学校に来てから、わたし達はそれを感じ始めていました。

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