【其の拾参】いま、必要な言葉

 その日、電車で市の中央に位置する中学校に行くまで、八月一日ほずみ四万都しまとはほとんど会話をしなかった。橋元の根回しで二人のスタンドプレーを纐纈こうけつに黙認させ、さらに校長に掛け合って陸連に協議を申し込む許可を取ってから、四万都も職員室での立場が悪くなったのだろう、不機嫌そうに四万都はスポーツ紙をキオスクで購入して黙々と読んでいた。まるで一人で移動しているようだった。八月一日は、電車でつり革に掴まる四万都を意識しながらも、どうしていいのか分からず携帯でゲームをいじっていた。180の上背と、体の重心が胸部にしっかりと位置しているために、スーツをまるで硬い鎧のように着込んでいる四万都に並ぶと、中肉中背の八月一日はただ立っているだけでしょげているように見えてしまう。

「向こうにはお知り合いとか……」

「いませんよ」

 沈黙に耐えられず聞いたものの、陸連にこちらの関係者がいるかどうかを皆まで言わずにまた聞かれもせずに即答されてしまった。

 二人が陸連の関係者が集まっている中学校の一室に入室すると、そこには既に周辺校の教師たちがぎっしりと控えていた。二人は会釈をするとちょうど二人分空けられた席に着席する。周りの教師たちは、入室する前は談笑していたにもかかわらず、二人が入ると厳しい顔で、しかし顔を合わせまいと渡された資料にひたすら目を落としていた。

「ええ、はい。本日は皆さんお集まりいただいてありがとうございます。えー今日はですね、昨年開校しました蒼海学園から、我が地区の地区大会参加に関する申し入れがございまして、そのことを議案にしたいと思います。……本来、新設の学校が参加する分に至っては別に何かしら会議が必要というわけではないんですが……まぁ何と申しますか、蒼海学園は大変学校でして……こういった会議を設けさせていただいたんですが……」

 三川と名乗った、五輪の日本代表のようなブレザーを羽織り、胸に陸連の役員を示す金メッキのバッチをつけた白髪混じりの男性が、声を詰まらせながら司会を始めた。八月一日は「特殊ね……」と冷笑しながら、白々しく机に配布されたわら半紙のプリントを眺める。

「まぁ、まずここの学校の……バスケットボール部でしたね、そこの顧問の四万都先生にお話を伺いましょう」

 四万都は今日はいつもと違い上下きちんととスーツを着用してはいたし、体格の良さは八月一日と並んだ時と違い他の体育教員に比べて違和感のないものの、色黒の地肌と顔の真ん中を走る傷は否応にも人目を引く。そんな四万都がゆっくりと、周囲を威圧するように立ち上がると、八月一日はこの男は今から胸元から拳銃でも取り出して乱射するのではないかという余計な不安に駆られた。

「えーまずこのS地区校の皆様、本日こうして我が校の申し入れのために集まっていただいたことに、多大なる感謝の意を表明させていただきます、ありがとうございます」

 四万都がうやうやしくお辞儀をしたので、八月一日も座ったまま「ありがとうございます」と頭を下げた。博多弁が出ないように抑えているものの、どうもドスの効いた声色は隠せないようだ。

「先ほど三川先生が仰られたように、本日は我が校のS地区で開催される地区大会の参加を申請させていただきに参りました。我が校は昨年開校されたばかりで生徒数が非常に少なく、どの部も試合を出来るほど部員もいないのですが、バスケットボール部だけは部員が試合を出来るくらいには揃っておりまして、試合をする上で問題はございません」

 一旦間を置くと、四万都は教室の中心を囲むように並んだテーブルに座っている各学校の代表者を見渡しながら言う。

「しかし、皆さんが懸念されているのは、我が校の特殊性によるものだと存じます。ご存知のように、我が校はHADを持つ児童を多く抱える中学校です。なので必然的にバスケ部員全員もHADということになります。しかしここで履き違えていただきたくないのは、HADを所有しているからといって、必ずしも児童がHADを使用するというわけではないことです。これは反則が行為としてできるからといって、選手が使用しないのと同じであり、またHADがあるからといって、決して試合運びを有利にできるわけでもないということに留意していただきたい」

 自身の口調が段々と重くなっているのを感じながら、ゆっくりと四万都は言葉を選んでいた。すぐに援助できるように八月一日も考えていたが、あまりその必要もないようだった。四万都の斜向かいの中年の教師が挙手して質問をする。

「もちろん理屈ではわかります。しかしですね、うっかりHADを使ってしまうということはないんでしょうか?それこそ、反則を狙っていなくてもプレイの最中に偶発的にやってしまうように」

 四万都の狙い通り、「反則」という言葉に教師が反応した。四万都は咀嚼そしゃくするように頷きながら答える。

「ご質問ありがとうございます。この件に関しては二つの対策を考えています。一つはHADを使用した時点で反則を取るということです。事前にこちらから選手のHADの内容を周知しておきますので、もし該当するHADを使用した場合はそれを反則として取っていただければと思います。しかし、皆さんうちの生徒のHADを知って頂ければそもそも試合に差をつけるようなものは一切ありませんのご安心していただけるかと。そしてもう一つが……彼、八月一日先生のご協力を仰ぐことになります」

 紹介されたので、八月一日は再度会釈した。

「彼も実はHADでして……そのHADというのが他の人間のHADを使用できなくするというものなんです」

 四万都がそう言うと、一斉に教員たちの視線は八月一日を向いた。ある教員が「聞いたことないぞ、そんなの」と呟いた。

「この二つの対策を講じた上で、まだ何かご意見があればお受けしたいと思いますが……。」

 慌てて三川が「何かご意見があれば……」と、四万都の言葉を繰り返した。そして先ほどとは別の教員が挙手をする。

「まぁ、そういったHADがあるならば大丈夫だと思うんですが……実際その、八月一日先生のHADはどれほど抑えの効くものなのでしょうか?なにせ、そんなHADがあるなんて聞いたことないもので……」

「聞いたことないぞ」と呟いた教師が頷いた。

「やはりこちらとしては……万全を期すに越したことはないと……」

 八月一日には集まった職員たちの顔が纐纈に見えてきた。しかし、それでも今回は自分一人ではない、それが八月一日も気づかないうちに心の余裕となっていた。

「どちらかというと、やはり我が校の生徒達が何かしでかす可能性が気になりますか?HADで生徒達に危害が及ぶかもしれない、と」

 八月一日は挙手もしないままに話し始める。

「いえ、そこまでは……」

「それでしたら大丈夫です……、皆さんはHAD専用の特殊刑務所をご存知でしょうか?」

 これには流石に四万都も「八月一日先生……」と戸惑ったが、八月一日は手で制して話を続けた。ここの人間には、これくらいの劇薬がないと効果がない。八月一日は前歴の公表は避けるように言われていたが、ここで勝負をかけた。

「僕と同じHADを持つ者は世界で二人しか確認されておらず、一人がルーマニアそしてもう一人がこの日本にいます。そして、HADの受刑者を集めた刑務所で勤務しており、そしてそこで彼がかつて担当していたのが……皆さんご存知だと思いますが、あの芝庭真生しばにわ まことなんです」

 教師たちはざわめき始めた。日本中を震撼させたあの事件、それでもどこか自分たちには無関係だとたかをくくっていた所があったが、いざ身近な例とされると動揺を隠しえなかった。

「そうです。あの連続殺傷事件の犯人です。そのHADを持つは、芝庭のHADを抑えるために、刑務官として勤務し、そして実際あのHADで百人近い市民と警察官を殺傷した彼を、安定期を迎えるまで抑え続けていました。僕のHADはその彼と全く同じタイプのHAD何ですが……それでもまだ僕のHADにご不安な点、御座いますか?」

「えっと世界で二人というと、ルーマニアの方とその刑務官の方ということになりますが……」怪訝そうに三上が言う。

「あ、失礼っ。僕を除いて二人という意味ですね。含めると三人です」

 言いたくはなかった。口頭ではあるが、あまり口外しないように言われていたというのもあった。だがそれ以上に、自分のあれを過去の栄光であるかの如くうそぶくのが、八月一日にとっては心地よいものではなかったのである。すまんな芝庭、「使わせて」もらうよ。八月一日は心の中で謝罪した。

「でも、その、刑務所とここではわけが違うでしょう?」

「もちろん、いつ何時でも僕が生徒達につきっきりだということは難しいと思います。しかし僕は言いたい、この国の人間はあの事件以来、HADをまるで一種の凶悪犯、もしくはその温床のように考えています」

 一部の教員が横から「そんなことは……」と口を挟んだが八月一日は続ける。

「ですがウチに集まった生徒達は、本来ならば皆さんが受け持っている生徒さんたちと同じ様に、普通に学校に通い、普通に学校生活を送っていたような、何の変哲もない子供たちのはずでした。しかし彼らはその特殊性により、普通の学校に行くことを許されなかった。何より彼ら自身が、世間から犯罪者の温床であるように見られているということは敏感に感じています。まだ十代半ばの少年少女たちがです。……誰だってHADになりたくはなかったんです。傷つけたくはないし、傷つきたくもない、普通の少年少女なんです。……性善説とは言いません。しかしお願いです、彼らを信じてあげてもらえませんか、彼らのこれからの人生のために、一歩だけでもいいんです、歩み寄って頂ければ……。」

 HADの存在に抵抗を覚えつつも、彼らは警察関係者などでも安全保障に携わる人間でもない。「生徒のため」と言われると反論の難しくなる教職者たちだ。だが八月一日は意図的にそれを人質にとった。勝たなきゃあな、これは戦争ですもんね橋元さん、子供達には勝つことが全てじゃないと言えても、大人は勝たなきゃあ意味がないんだ……。八月一日の思いもしない突っ込んだ話に教員たちは言葉を失ったが、三川が何とか気を取り直して言う。

「……まぁ、我々としてはその……蒼海学園の生徒達に「是非とも」参加していただきたいとは思いますが、その……父兄の方々がなんというか、ねぇ……。」

 この「父兄の意見」という攻撃は、予想してはいたがそれを言われると弱いところがあった。ここの教師たちを上手く説得できても、「生徒の家族を一人一人説得する」などとは、例え言えても現実的な案としては弱すぎるからだ。

「それは……今回の大会でウチの学校のことをきちんとわかってもらえれば……」

「いや、それをやるのが難しいんじゃないですか、何かあったらどうするんです?」

 八月一日の脳裏にある光景フラッシュバックする。そこは法廷であり、傍聴人席には戸根木愛奈とねぎ まなの両親を始めとする芝庭事件の被害者遺族が並んでいて、ある者はただ悲しみに耐え、ある者は悲しみを憎しみに変換して被告席に座る少年を睨んでいた。その記憶が、八月一日が言葉を繋ごうとするのを妨げていた。

 しかしそこで、起立していた四万都が思わぬ発言をする。 

「もし、今回の件で、ウチの生徒がHADがらみで何か問題を起こしたならば……その時は私が顧問ですから引責し、教職を辞させていただきます」

「四万都先生……それなら僕も……」

「貴方は駄目ですよ八月一日先生。先生はウチに、どうあってもいてもらわなければならない人なんだ」

 あまりの二人の会話の深刻さに、教員たちは「いやそれは……」と何かを言おうとしたがみな一様に言葉がまとまらない。

「いやね、なにもそんな大げさに……たかがバスケじゃないですか……」

 その三川の一言、八月一日はここが締めだということを睨み、「用意してきた」最後の台詞を素早く、敢えて椅子を後ろ足で蹴るように音を立てて言う。

「彼らはその「たかが」のことすらも、これまでの人生で奪われてきたんです。お願いします、ゴールじゃないんです、スタートラインなんです。ようやく見えてきたんです、ようやくそこに向けて歩き出せそうなんです。お願いしますっ」

 八月一日が深々と頭を下げると、教員たちはその八月一日に何も言えなくなってしまった。その静寂を聞きながら、八月一日は最高の手応えを感じていた。しかし、まだ何かが足りなかった。向こうの体は抑えている、だが死に体判定をしてくれる審判がいない。何か決定的な止めが必要だった。

「八月一日先生の言うとおり、たかがじゃなんです、皆さん」

 その必要とされる拳を振り下ろしたのは、四万都だった。

「……ある生徒は大切な人を決して故意にではなく傷つけてしまい、いまでもその過去と闘っています。またある生徒は両親から疎まれ、居場所をなくし当校に来ました……」

 八月一日は誰のことかは分からなかったが、四万都が名簿に載っている生徒達の過去の話をしているのだということは分かった。

「彼らだけではありません。当校にいる生徒の、決して少なくない数の生徒達が、八月一日先生のおっしゃるように、社会からの眼差しを感じ取り、自分の持つHADによって自己嫌悪を抱かされているのです。……彼らは一度は大切な人から、社会から、何より自分からその存在を否定されています。そんな彼らに必要なのは、誰かが「君達は居てもいいんだ」と言ってあげることなんです、この社会にです。誰かがそれを言わなきゃならんのです。そしてそれをやるのが我々教師、いや、大人のやるべきことじゃないですか?今回私と八月一日先生が望んでいるのは、試合の許可ではありません。社会からのその言葉なんです」

 四万都の語りは、劇的効果と議論での優位を狙った八月一日のものと違い、たどたどしくも本気のものだった。そのむき出しの情が、反論を許さない状況を、肯定的な賛同へと一転させた。

 陸連との協議の後、斜陽が差し込む電車内でも二人は無言だった。しかしそれは、行きとはまた違う理由でのものだった。四万都は行きに買ったスポーツ新聞を、風俗情報の箇所を封じ込めるように折り畳みながら読み、八月一日は携帯のソーシャルゲームで遊んでいた。

橋爪はしづめ、引退しちゃうんですね……。」

「え?ああ、もういい加減歳ですけんね……。」

「子供の頃すごい好きだったんですよ……。」

「プロレスファンやったとですか?」

「そこそこですね、新日の深夜の中継見てました……。」

「………良かったんですか?」

「いえ、こっそり見てました」

「いえそうじゃなくて、貴方の事ですよ。HADのことはともかく、前職のことを感づかれるような……。」

「ああ、しかしそうでも言わないとあの場では……検討させていただきますなんて言われかねなかったですから……。まぁ、あんまり言わないように言われてたんですけどね。大丈夫ですよ、内部情報を漏らしてるわけじゃなしに」

 四万都はようやく笑った。顔の中心の傷が鈍く歪んでいた。八月一日は今日初めて自分に笑いかけたように思った。

「それよりもありがとうございました今日は。四万都先生の援護射撃がなければ、結構キツかったです」

「私だって、好きで教師やってますから……。」

 大人が何かを好きだというのは結構勇気がいることなのかもしれない。八月一日は耳が痒くなるのを感じた。

「……私は、教師じゃありませんでした、貴方と同じように。しかしあの学校の特殊性から、生徒達の護衛のために、あの学校に教師として配属されたんです……。」

「……あ、はい」

「……しかしそんな義務以上に、私も最初はあなたのように生徒達と打ち解けあえればと思ってました。けれど、以前言ったように、彼らと私たちでは教師と生徒という関係がどうしても築けない……。近づこうとすれば疲弊し、いたずらに傷ついてしまう……。」

 そこまで言うと、四万都は鞄に折りたたんだスポーツ紙を押し込んだ。

「だから、言い訳していたのかもしれません……。自分は自分の使命と義務を果たしているのだと、誰にも非難されないような教師なのだと……。しかし、それは自分自身に対するもので、そこに彼らはいませんでした……。見ようによっては……誠実さなどは自分に対する言い訳でしかないのかもしれません、自分が傷つきたくないためだけの。……この歳になって傷つくのが怖いとは………思春期の中学生でもないのに……。」

 八月一日は頷きながら、そっと携帯を閉じて胸ポケットにしまった。

「今日は、これからの一つの試金石になるでしょうな。私の教師としての、それからあの学校の……。」

 八月一日は四万都もまた、ただそこにたどり着いた人間ではないことを知った。そして以前から気になっていたあの事を聞くことにした。

「以前は教師ではなかったということは……そのお顔の傷はやはりその時の……?」

 四万都は八月一日を一瞥すると、遠い顔をしながらそっと指で自身の顔を走る古傷を撫でた。

「学校の先生が『バスから顔を出してはいけませんよ』と注意をしたならば、それに従っとくべきですね。これはその時の教訓です」

「ああなるほど」

 ガクリとつり革にぶら下がるように脱力した八月一日だったが、四万都のつり革を握るその手の異様さを見逃しはしなかった。一見肌荒れのようにも見受けられるが、よくよく見てみるとそれが無数の古傷だということがわかるからだ。拳で何度も何かを打ち付け傷つき、治ったあとに更に何かに打ち付けたような傷だった。

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