八月一日新一、参/終わらない冬

 芝庭しばにわ逮捕から一週間後、八月一日ほずみはK県警S南署に呼び出されていた。現行犯逮捕の際に過失があったことは確かだがあまりにも事情聴取がしつこすぎる、こちらは生徒達の容態が気になってそれどころじゃないというのに……。八月一日は自分を待ち受けている運命など全く予期せずに県警の本署に足を運んだ。

 しかし受付に用件を言うと、いつもの取調室とは違い、八月一日は署員からだだっ広い会議室のようなところへ通され、そこには二人の男が先着していた。警察関係者だとは名乗ったが、男たちはこれまで八月一日を取り調べた刑事とは違う独特の雰囲気を出していた。片方はまるで一般商社の課長のような小奇麗な出で立ちで、もう片方は警察どころか八月一日よりも年下の二十前に見える若者だった。課長のような男は自身を特殊事件対策室室長の千堂だと名乗り、若い男は川上と名乗っただけで肩書きすらも言わなかった。

「……今日は、事情聴取じゃあないんですか?」

「はい、今日はそれとは全く別の案件になります」

「はぁ……。」

 八月一日と一緒にショッピングモールへ買い物へ行った経堂中学の生徒4名は2名が死亡し、あとの二人は意識不明の重態だった。教育実習生の八月一日は警察の事情聴取に加え学校側と被害者生徒の家族への説明を連日しなくてはならない状況で、ただでさえ神経をすり減らしてるのにさらに事情聴取以外にも何かあるのだというのだろうか、八月一日は警察関係者の前で危うくため息を漏らしそうになりながら出されたお茶をすすった。若い男に至っては、そちらから呼び出したというのに白い封筒に触りながら何か考え事をしているようだった。

「……どうだい?」

 千堂が川上に訊ねる。

「……難しいですね。というかできません」

 八月一日は二人が何をやっているのか全くわからなかった。八月一日はワイシャツの胸ポケットから携帯電話を取り出して時間を確認する。

「八月一日先生、でいいんですかね?」

「いえ、まだ実習の段階ですから……。」

「じゃあ、八月一日さん。今日お呼びしたのはですね、単刀直入に申しますと、アナタのHADに関してなんです……。」

 八月一日は千堂の言っていることの意味が分からず、ただ真顔で正面の男を見返した。

「芝庭の逮捕にご協力していただいた時に使用したHADなんですが……」

「ちょっと待って下さい。僕は別にHADとかじゃありませんよ。これまで何の問題も起こしたことはありませんし……」

「そうなんです。恐らく、自覚症状はないとは思うんですが、しかし八月一日さんはHADである可能性が非常に高いんです」

「……仰ってる意味が……。」

 室長と名乗る男は軽く咳払いをするように間を置いて再度話し始める。

「HADには様々な種類があります。現在正式に確認されているだけでも27種類、しかしその発現に関しては分かっていない事のほうが多く、遺伝子や染色体、脳の構造など様々に指摘されていますが、どれも決定的なものとは言えません」

 八月一日はニュースで聞きかじった知識のおさらいのようなものだったので適当に聞き流しながら頷いた。

「八月一日さん、失礼ですがこちらの方で健康診断を拝見させていただきました。それによりますと、染色体にも遺伝子にも脳の形にも異常は見られない」

「……でしょうね、HADじゃないんですから」

 千堂が再度川村を見ると、川村は首を振った。 

「……実は、最近になって新しいHADのタイプが発見されまして……」

 千堂は空咳をすると再度間を置いた。

「……そのHADというのが、他の人間のHADを使用させないというものなんです。海外でそういった例が確認されました。……そもそもHADを持つ自体が全体に対して少数なので、そいういう発見は実に希だといえます」

 八月一日の眉毛が少し反応して動いた。

「それが……僕だとおっしゃるんですか?だって………失礼、」

「千堂です」

「千堂さん、さっき僕に異常は見られなかったって……」

「先ほど申しましたように、HADとその人個人の因果関係は明らかにされていません。それどころか、異常が全くない場合が多いんですから」

 八月一日がまだ納得のいっていないようだったので、千堂は真っすぐに八月一日を見つめながら言う。

「八月一日さん、まず私達があなたをそうだと睨んだのは、あなたの前では芝庭がHADを使えなかったということです。これは芝庭自身が証言しています。もちろん、それだけだと根拠としては弱いです。それで……」

 千堂は改めて紹介するように、自分の右側に座っている川上を掌でさした。

「彼に協力を仰いだわけです。川上君、彼はHADなんですよ。透視が出来て、これくらいの封筒なら中に入っている紙切れに何が書いてあるかわかるはずなんですけど、先ほどからどうも中が見えないらしくて……。」

 川上は改めて八月一日に頭を下げて挨拶をした。

「今日は何度もHADを使わせていただいていたんですけど……八月一日さん、あなたがこの部屋に入ってきてから僕、全く封筒の中が見えなくなってしまったんです」

「そんな……。何かの間違いでしょう?」

「まぁまぁ八月一日さん、そんなに興奮なさらずに……。私達は貴方が別にHADの人間だからといって施設に送ろうってわけじゃないです。逆なんですよ」

「……逆って?」

「単刀直入に申しますと、貴方に私達に協力してほしいということなんです。私達の、いや社会のためにそのHADを使っていただきたいんです……。」

「社会のため、ですか?」

 千堂は八月一日に対する要望をまとめるように、ゆっくりと正確に話し始めた。

「今後、芝庭真生しばにわ まことのような大惨事を引き起こすHADを持つ者が再度現れた場合、逮捕はもちろん、それ以上に身柄を拘束し続けることが難しくなってきます。薬物投与によってHADを抑えることも可能ですが、HADの不安定期を迎えるほとんどが10代の少年少女だということを顧慮すると、そういった措置は人道的にも社会倫理的にも非難されるためなるべく避けなければなりません。そこで八月一日さんのHADを使用することで、キャリアの逮捕後の拘留と刑務所での服役を容易にさせてほしいんです。……つまり、貴方にはHAD専用の特別刑務所で刑務官になっていただきたいんです」

「そんな……だって僕、もうすぐ研修終了して教職に就くんですよ?」

 千堂は「ええええそうでしょうね」という具合に頷きながら手前のお茶をすすった。

「もちろん、無理強いはしません。しませんが……有り体に言うと、我々はあなたのHADが喉から手が出るほどに欲しい」

「……いや、だって………すいませんが、他を当たってくれませんかね?」

 八月一日がしどろもどろに言うと、千堂は苦笑しながら笑う。

「他って貴方、先ほど申しましたように、HADを持つ人間自体が希ですし、それからさらに貴方みたいに、誰かがHADを使用しないと分からないHADをどうやって見つけるというんですか?」

「でもさっき見つかったって……」

「ルーマニア人の女性をこちらまで召喚しろと?」

「……ルーマニア?」

「海外ですし、何より彼女は別のHAD関連の施設で既に勤務しています。日本まで来ていただくのはまず無理だと考えたほうがいいでしょう」

「そん……な」

 卒論もめどがつき、卒業旅行を友人達と企画しながらタイのプーケットで大麻をやろうなどと冗談を言い合い、そのまま教師としての将来も約束され順風満帆の人生だったはずだ。それがほん数日の間に、船の帆をへし折らんばかりの突風が吹き荒れたのだ。二人の生徒が死亡し引率していた八月一日は責を問われ、残りの生徒は病院で予断を許さない状態、その上教師としての未来まで奪われるというのか、なんで俺ばっかり……八月一日は警察の前で頭を掻きむしりそうになった。

「八月一日さん……今日いきなりこんなことを言われて混乱してらっしゃるでしょう。数日後にまた……こちらからご連絡させていただきます。その間に気持ちの整理をつけてきてください」

 八月一日はほんの少しの時間で憔悴しきってしまった。しかし、千堂はこの期を逃してはならないと追い討ちをかける。

「八月一日さん。貴方しかいないんです。あの凶悪犯を、芝庭真生を抑えられるのは。百人近い命を奪った男から、また百人の命を救えるのは貴方だけなんですよ。その意味をよぉく考えてください」

 警察署を出ると、八月一日はそのまま家に帰らずに生徒達が入院している病院へ向かう。事件以来、毎日欠かさず通っている病院だ。何も考えがまとまらず、呆然としたまま病室へ向かうと、ここ数日間静かだった病室が随分と騒がしかった。急いで生徒の病室へ駆け込んでいる看護師もいる。八月一日がさらに病室へと近づくと、病室から叫び声が聞こえてきた。

「殺してよ!殺して!」

 しゃがれてはいるが、声自体が狂わんばかりに暴れているように激しい。何か大変な事態が起きているのではないか、不安を改めて感じながら入室しようとすると、後ろから入室しようとした看護師に「申し訳ありませんが、本日は……」と入室を断られてしまった。

「一体、何があったんです?」

戸根木愛奈とねぎ まなさんが意識を取り戻しまして……。」

「それだったら、なおさら……」

 そう言っているさなか、病室から何かが割れる音がした。

「戸根木さんはなんというか、非常に錯乱してらっしゃいまして……まと後日改めて……」

 結局その日、八月一日は面会に行くことなく帰宅した。戸根木愛奈が病院で首を吊って自殺したという知らせを受けたのは、その3日後のことだった。

 八月一日の世界は更に冷たく歪もうとしていた。

 戸根木愛奈の葬儀の日、親族たちが遺影の中の彼女こそが本当の彼女だと思おうとしたのか、戸根木愛奈の棺はついぞ開けられることがなかった。ただ芝庭事件の被害者であるということが、弔門いもん客たちにその理由を告げていた。

 担任に連れられて八月一日が戸根木愛奈の両親に挨拶をすると、彼女の父親は仇を見るかのように八月一日を睨んだ。ただ謝るしかなかった。自分が悪かったのだろうか?担任に何も告げずに、生徒達と買い物に出かけたのが誤りだったのだろうか、それとも自分だけが何の被害も無いのがいけないのか、八月一日はただ憎しみの対象となるためだけに頭を下げ続けた。「殺してよ」と彼女は叫んでいた。中途半端に助けられ、老人のようになった体で残りの青春を過せというのは、14歳の少女にとってはもちろんのこと、両親にとっても酷だったことだろう。さらに彼女は自分で命を絶ってしまった。連れて行ったことも生きながらえさせたことも、戸根木愛奈にとって、また彼女の両親の眼には八月一日の過失としか映らない。そして両親から人殺し呼ばわりされ、どうしてお前だけが無事なのかと攻め寄られ、あまつさえ教師たちからも「教育実習生の軽率な行動が引き起こした悲劇」と非難されるには、あまりにも経験の浅い八月一日には辛辣な事だった。八月一日は深層にゆっくりと沈殿していった。濁った沼に住む淡水魚のように、溜まった泥と一緒に心を潜めた。

 その二日後、千堂からの電話に八月一日は二つ返事で答えた。それはただの逃避だった。苦しみから救われんが為の、絶望への処方だった。

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