【其の拾弐】ポカリスエットと漢の汗と

 四万都しまととの喫煙所でのやり取りが終わった放課後、オレンジ色の陽が入り込む教室には、八月一日ほずみ阿久津美鳩あくつ みく、そして西塔暦さいとう こよみ辛坊透流しんぼう とおるの四人がいた。

大祝おおほうり君は、来てないんですか……。」

 愕然と八月一日が言う。

「部活で忙しいみたいですよ」

 美鳩がしょうがないという笑顔で答えた。

「え、彼部活やってたんですか?この間見ませんでしたが?」

「普段は幽霊だけど今日は行きたくなったみたいです」

「もぉ、いいです……辛坊君も来てくれたんだ、ありがとう」

 透流は暦や美鳩の方をなるべく見ないようにして頷いた。

「……西塔さんはそこまでテストの点が酷くなかったと思うけど、やっぱりもうちょっと弱点を鍛え直したい?」

「あ、西塔さんはわたしが誘ったんです」

「ああ、そうなんだ?」

「先生がHADが使えないのをいいことに、阿久津さんに変なことしないか心配だったから……」

「はははは……」

「つか先生、阿久津とマンツーマンじゃなくてがっかりしてるんでしょう?」

「そんなことないよぉ……」

 あまり教室では見せない透流の笑い方だった。八月一日に、へぇこの子はこういう顔して笑うんだ、と思わせるような、まるで少し枷が外れたような表情だった。しかし、暦にとっても美鳩にとってもそれはあまり意外ではなかった。

「ようし、成績優秀な子ばかりなら、それはそれではかどりますね。始めますか…………」

 話は2限目の英語の授業に遡る。

「木根くん、先生色々調べたんだけど、中卒で取れる資格も結構あるんだけど、やっぱり高校まで行くっていう選択肢も考えてみたらどうです?選択肢も公務員とか安定したやつがあるし、何よりHADの状況によっては、このままウチの高校に進級ってのもありうるわけだから」

 八月一日は龍兵との三者面談から一週間後、図書館で集めた本やインターネットで調べた内容をプリントアウトして龍兵に紹介した。

「思った以上に数が結構多くてねぇ……。で、この中から選ぶのは難儀だから、木根君がやりたい仕事ももちろんだけど、先生としては一番安定した仕事がいいかなと思うんです。収入的な面とか継続性とかさ、どうだろ?」

 龍兵は、資料を見ながら無言で頷いた。

「とりあえず資料を渡しとくけど、多分多すぎて分からない事が出てくるだろうから。それに目を通した後にまた先生と話そう。最初は方向性を絞っていく作業からやった方がいいだろうから」

 やはり龍兵は無言で頷いた。

「……うん。まぁまだ時間はあるわけだし、ゆっくり考えよう。焦って結論出して、それがダメでしたってなるのも何だから」

 それでも龍兵は無言で頷くだけだった。八月一日には龍兵の無言が、西塔暦の反抗心とは違い、純粋な拒絶反応に思えた。

「先生としては公務員がお勧めなんだよね、やっぱり給料もそうだし年金とかもさ、将来もうもらえないなんて意見があるけど……おおっとチャイムだ」

 八月一日は教壇に着くと、神妙な面持ちで生徒たちを見渡す。

「……人間の行動は、すべて反動として返ってきます。そして人生とはまさにその行動と反動の繰り返しの中にあり、君たちが大人になるためには、行動を起こす勇気と、そして反動を受け入れる根気が必要となります。先生は君たちには学校生活の中でこの二つを是非とも身につけていって欲しいと思ってます……というわけで、この間のテストの結果を返しますね」

 そう言いって八月一日がカバンから答案用紙を取り出すと、生徒達はやる気のない悲鳴を上げた。だが………

「で、今回あまりにも結果がかんばしくなかったので、ひとりひとり点数を発表しながら、返していくから……」

 八月一日のこの言葉で、生徒達は一斉に「ざっけんな~」「鬼~」「どS~」と口々に八月一日を罵った。八月一日はその言葉をサディスティックな愉悦に浸るように笑顔で迎えた。

「言ったろ、人生行動と反動なんだって。常日頃から勉強してたらこんなことならなりません。今日を糧に次から緊張感もって頑張れ~~」

 各所から聞こえてくる呪詛じゅその声を無視して八月一日は出席番号順に、生徒を呼び出していく。

「まず阿久津さん。……すごいな阿久津さん、96点だ。本日の最高点。君たちもちょっとは見習いなよ」

 美鳩は三者面談以来英語の勉強に熱を入れているようで、このテスト以外にも毎日の単語テストで満点を取っていた。そしてその美鳩の頑張りは、自ずと八月一日も活気づけられている。

「次は大祝君。君ちょっと酷いよ、24点だ」

 俊二は、「マジっすか」を連呼しながら答案を受け取った。

「というか君、○×問題しか正解してないじゃないか。しかも全部○って……」

「そっすね、確率分布の検証してみました」

「うん、これ英語のテストだし実質0点だね。再テスト放課後やるからよろしく」

 俊二は帰るときも「マジっすか」を連呼していた。俊二以降も成績はひどく、100点満点のテストで平均が53点という出来だった。

「ええっとね君たち、勉強という物を軽んじ過ぎだよ。勉強しなかったら馬鹿にはなるけど勉強しすぎで馬鹿にはならないから。そんなに難しい問題やってないですよ?単語だって小テストで散々やったヤツだし……」

「だってさぁ先生、そもそもどうやって勉強していいかわからないんだもん」

「じゃあ、大祝君は普段はどんなふうに勉強してるんだい?」

「いや、勉強してません」

「君……オーケー、君らが勉強しないのは勉強の仕方がわからないからというわけだね。それなら勉強の仕方から考えたほうがいいのかもね。じゃあ希望者を募って放課後に補習をしようと思うんだけど、どうだろうか?時間はたっぷりあるし、家庭教師みたいな感じで勉強の仕方や分からない事はバシバシ先生に聞いて欲しいんだけど…………」

 ……結局、その放課後教室にいたのは前述の三名だけだった。三者三様に不得意と思われる箇所のアドバイスをした後、八月一日は入試でよく使われる英単語と構文の反復練習を生徒達にさせ始めた。数時間前に授業でやった事と全く同じ問題だったので透流は不満を口にしたが、八月一日は短期間での復習こそが大事なんだと言い聞かせ、そして三人は意外なほど黙々とそれに従った。

「……阿久津さんの場合はリスニングを重視したほうが良いかもしれませんね。教材だと限度があるんで……もし夜時間があれば、NHKでラジオ英会話やってますからそれを聴くと良いんじゃないですかね」

 補習を始めて数十分、元々成績の優秀な三人だったので、指導することがなく、最初に八月一日が退屈し始めてしまっていた。

「そうですよ先生、阿久津さんの留学どうなったんですか?」

「その件なら任せてくださいよ。今校長先生も教育委員会と掛け合って今学期を目処にうちでも留学制度を取り入れる算段ですからっ」

「大丈夫なんですか、先生?」

「西塔さん、何がだい?」

「先生、安請け合いしてばっかりじゃないですか。阿久津さんのことだってそうだし、バスケ部を地区大に出すとか、本当に出来るんですか?」

「……風呂敷は大きく広げてたほうが良いんです。で、後からチョキチョキとサイズに見合わせて収縮させていけばね……」

「大風呂敷って自分で言ってるし……。」

 暦は憎たらしそうに言うが、八月一日は余裕の笑みを漏らす。それが彼女のしゃくに障った。

「西塔さん本当に留学の件は順調なんですって。だから、大船に乗った気で任せときなさいって」

「大丈夫ですよ八月一日先生。わたし、もう結果が分かってますから」

 美鳩に言われて、八月一日は「オウップ」と外人のようなリアクションをとった。

「え?阿久津さんどうなの?留学できるの」

「う~ん、それは内緒かな」

「そう、内緒です」

「先生は元から分かってないでしょ」

 暦は妙に通じ合っているように振舞う二人を見ながら軽く貧乏ゆすりをし始めた。

「西塔さん、席がゆれてる……。」

 ノートに噛り付いていた透流がおっかなびっくり言う。

「あ、ごめん」

 三人のやり取りを見ながら、午前中までの欝な気持ちが嘘かのように晴れた八月一日は、思わず含み笑いをしていた。職員会議での出来事や、病院での会話がすべて肯定的にすら思える。少しずつ、自分が過去に失ったものを取り戻しているような、そんな感覚すらあった。

「なに笑ってんですか?気持ち悪い」

「西塔さん……。いやね、自分で言うのもなんですが、先生今教師やってんなぁとか思っちゃって」

「自分で言いますか?」

「……そういえば先生は、ここに来る前はどこの学校で教えてたんですか?」

 会話に参加したくなったのだろう、透流が書き取りをしながら言う。

「……言ってなかったかな、先生はここに来るまでは学校の先生じゃなかったんだよ」

「この歳になってから先生になったんですか?じゃあそれまで何やってたんです?」

 透流もノートから顔を上げて言う。

「うんまあ、公務員ですよ。また別の……。」

「どうしてその歳になって先生になろうと思ったんですか?」

「まぁ、元々教師になりたかったからね」

「そんなに難しいんですか、教師になるのって?」

「色々あるんですよ。人間、誰しも自由に生きてるわけじゃないから……。」

 暦はHADで人の嘘と本音が分かる。そしてその経験則から、暦はHADを使用しなくても、話している相手の挙動から相手が嘘をついていたり何か隠し事をしているということを大まかに判別することができた。そして今、八月一日が自分たちに何かを隠そうとしている。

「……公務員って何やったんです?」

「うん、市役所の事務員ですよ?よくいません?窓口で受付してる人。ああいうのです」

 透流はそれに対して「へ~」と相づちをうったが、暦はそれは完全に嘘だと見抜いた。

「市役所ってどこです?都内ですか?」

 教科書とノートに目は落としていたが、意識だけは完全に八月一日に向けて暦が言う。

「ちょっとちょっと、今は補習中だからさ。別にいいじゃないですか先生の前の仕事なんて……」

「でも、先生以前おっしゃいましたよね。人と人とが理解し合おうとすることは大事なことだって。わたし達も先生のことが知りたいですよ」

「まぁ、そうですねぇ。いや、何の変哲もない窓口のお兄さんですよ?転出届書いてもらったりだとか、住民票出してあげたりだとか。あまり、話しても面白くありませんから……」

「HADがあった割には普通なんですね」

「そりゃあ先生の場合は、あまり一般人には意味がないですから」

 相手の嘘や考えていることを手に取るように分かる暦は、のらりくらりと答えてくる八月一日の話し方に、急に眼鏡を外され目の前の人間の顔すらも見えなくなってしまった人間のようにストレスを感じていた。この人はわたしが感情が読めないことをいいことに持って回ってるに違いない、あれだけ嫌っていた自分のHADだったのに、いざ目の前の人間に使えないとなると、感情が不安定になってしまうのにも暦は腹が立った。

「別に良いじゃない、コヨミン。先生の前の仕事なんて……」

「へえ、阿久津さん西塔さんのことコヨミンって呼んでるんですね」

「別に、変ですか?」

 美鳩よりも暦がなぜか食って掛かる。

「いえ、可愛いんじゃないんですか?」

「うそ」

「本当ですって」

 美鳩は八月一日と暦のやりとりを楽しそうに見ていた。

「ホントやらしいですよね、こっちがHADが使えないっていうのに……」

「だって、みんなそうじゃないですか」

 八月一日は苦笑しながら、目尻を指でぬぐった。

「何がです?」

「相手の言ってる事を本音かどうか勘ぐるのだって、ちょっとした人間関係の醍醐味ですよ」

 暦は「そんなこと……」と言ったきり何もいえなくなった。こうして接してみると、やはりこの子達は普通の中学生なのだと八月一日は思う。

「先生、これで……」

 透流が解き終わった問題を差し出して、「ちょっとトイレ行ってきます」と席を立った。八月一日は早速渡されたプリントの採点をしながら、「辛坊君て、結構しゃべるんだね」と二人に何とはなしに言う。

「今日は特に、じゃないですか」

 美鳩は意味深な言い方をする。

「『今日は』ていうのは?いい事あったのかい?」

「……日村君たちがいないから」

「阿久津さん」

「言っといたほうがいいよコヨミン。だって纐纈こうけつ先生とかじゃどうしようもないし……。」

 ……美鳩は透流がいない間にクラス内での学に対する寿たちのイジメを告発した。休み時間に根性焼きを入れられたこと、体育の時間のソフトボールでわざと顔に出血するほど強くボールをぶつけられたこと、そして大事にしていた金魚を目の前で焼かれたことなど。

「……そりゃ、イジメっていうより犯罪じゃないですか。そんな怪我させて、どうして先生方黙ってるんですか」

 傷害事件のレベルまで達している寿たちのイジメを知って、八月一日は絶句した。自分も教育実習の時にはイジメのケースなどを講習で習ったが、これは度を過ぎている。なんだかんだで普通の中学生だと思っていたのに……。一枚ベールを捲って見えた彼らの暗部に、先ほどまでの暢気な気分が吹き飛んだ。

「辛坊君がどんなに怪我してもすぐに治るから証拠が残らないっていうのと、やっぱり日村君のことが先生を含めてみんな怖いんだと思います」

「一発殴っちゃえばいいんですよあんなやつ。先生ならできるでしょ?」

 暦が本気かどうかは分からないが、かなり普通に言うので、八月一日は「ちょっと体罰は……」と、戸惑いをみせた。

「どうしてですか?日村は明らかにHADを悪用してますよ。芝庭しばにわみたいになっちゃう前に、何とかしたほうがいいんじゃないですか」

 八月一日は、腕組みをしたまま考え込んでいた。「芝庭」、その名前を聞いたとたん、八月一日の顔は先ほどとは違い、深い影を持ちはじめた。暦たちも暦たちで、八月一日の一枚捲ったベールの暗部を垣間見たような気がした。

「……八月一日先生?」

「あまり、その名前を軽々しく口にしちゃいけないよ……。」

 そうこうしている間に、透流がトイレから戻っきた。八月一日はなるべく平静を装いながら、「いいね、辛坊君。最初に教えた、時制の一致がきちんとできてるよ」と採点した箇所をみせた。透流が普通に笑っているのが、八月一日にはより悲しかった。


 補習が終了した後、八月一日は約束どおりバスケ部の練習に足を運んだ。八月一日の姿を見ると、俊二が「やっべ」と顔を隠す。

「いいですよ、大祝君。別に強制じゃないし……。」

 やれやれと八月一日がコートを見渡すと、四万都が隅でファイルに何かを記入していた。いつもの野暮ったい緑色のジャージではなく、下ろし立てのアディダスの真っ黒なトレーニングウェアを来ていた。八月一日に気づいた四万都が手を振り、部員たちをコートの中央に集める。

「今朝(部活動の開始時間を四万都は「朝」と呼んでいた)言うとったけど、八月一日先生との提案で、今年はうちも地区大会出場ば考えとる……」

 四万都の「地区大会」という言葉で部員たちは「おお~~」と声を上げた。どうやら四万都は、部活動の時間には意識的に博多弁を増やしているようだった。

「で、その前にお前達がどれくらいゲームができるか試してみようち思う」

 部員たちは何をいまさらと言いたげだったが、「HADば完全に使えん状態でするとぜ?」と言うと、部員たちから笑顔が消えた。

「もちろん、八月一日先生がおればお前らはHADが使えん。やけど、先生がおらんときも使わんでプレイばせんといかんけんな。これからその練習たい」

 四万都は、「まぁ、ゲームに影響があるのは貴方の言うように一部だし、使ったかどうか微妙なのは風間くらいですがね……」と八月一日に呟いた後、「じゃ、八月一日先生からも一言」と話を振った。八月一日は、「ありがとうございます」と四万都に言うと、咳払いをして話し始めた。

「え~四万都先生がおっしゃるように、現在職員会議で地区大出場を検討中です。先生たちも全力を尽くしますが、みんなもいざ出場となったときに、ちゃんとゲームができるようにね、これからHADを使えない状態でゲームの練習をしてもらおうと思います」

 生徒達は再度「おお~~~」と歓声を上げた。

 バスケットボール部の部員は全部で8名、三年生が3名で二年生が3名、一年生が2名だった。チームこそは組めるが部内での練習試合ができないので、四万都と八月一日が参加することで辛うじて対抗戦ができた。最初は照れの混じったプレイをしていた彼らだったが、次第に生徒達は笑顔も言葉も少なくなり、ボールが弾む音と呼吸音、パス回しの掛け声だけがコートを支配し始めるようになった。まるでいままで体に滞留していた不純物が、心臓のポンプに押し流されて彼ら自身を開放しているようでもあった。

 部員の中で群を抜いていたのは二年の風間渚だった。元々運動部だったという経歴があり、HADが使えなくても十分に部内ではプレイが上手い。四万都に対してもトラップで何度も張り合い、三回中一回は彼を抜けることができた。次に際立っていたのが大祝俊二で、上背があることもあって渚とのパスワークは抜群だが、瞬間移動をしてのダンクシュートが決められるということがあって練習をサボっていたのか、レイアップを度々失敗していた。この二人は選抜メンバーとして確定したが、他の人間はド素人の八月一日とどっこいどっこいの者や、酷いのではルールを知らない部員もいた。どうやら部活ができると言う理由で参加していたようだ。せっかく参加した八月一日は、へっぴり腰でドリブルするのがやっとな上、試合開始数十分で突き指をしてしまったので、ただ障害物として立っている程度にしか役に立っていなかった。

「……どうですか、四万都先生?正直なところ……」

 練習試合の終了後、山岳部ではあったがここまで激しい動きをしたことのなかった八月一日は体そのもので呼吸をするように、激しく体を上下させていた。一方の四万都は、まだ体力に余裕があったものの新陳代謝が異常に活発なのか、汗の量がさながらサウナ室だった。

「思っていたより酷いですね」

 四万都の周りは湿気と熱気を含んでいたので、八月一日は四万都から話しかけながらも距離をとる。

「あらあ……。」

 素人目にも、ちょっとやばいんじゃないのという感じはあったが、いざ言われるとかなり凹む。確かに、いざHADを使用できなくなった途端、渚も以前見せた、NBAの選手ほどの動きはできず、素人目にはドリブルが上手な中学生程度にしかみえなくなってはいた。俊二に関しては、アクロバティックな動きは瞬間移動があってこそなのだとつくづく痛感させられた。

「まじめに練習しなかったのというのあります……。ただ、スポーツの経験があるやつと身長が高い奴が少ないんで、すぐにチームを強くするのは難しいですね……。」

「どうしましょうか……」

 どうしましょうか、とは言ってみたものの、八月一日には何もアイディアはなかった。

「まともにゲームができないのも痛いです。3ON3は出来ますが、やっぱりみっちりフルメンバーで練習をしないと……」

 八月一日は「3ON3ね……」と相槌は打ったが何のことか分からなかった。

「もう少し……部員を集めてはいかかがでしょうか?八月一日先生」

「これからですか?」

「もちろんです。付け焼刃ですが、付け焼刃なりの対策を練らないと……。」

「はぁ……。」

 八月一日は立っているのもしんどくなったので、ベンチに座る気力もなく直接地べたに座った。確かにこれを地区大会まで毎日やらされては自分の体が持たない。

「先生、ポカリ飲む?」

 自販機に走らせた一年が清涼飲料水を持ってきた。八月一日は全学年担当しているので見知った生徒だった。

「君もバスケ部だったんだ……」

「はいっ」

 確かに四万都の言うように、この一年などは変声期すらもむかえていない女子のような声で、骨格は四万都が思い切り捻れば外れてしまいそうなくらいか細い。八月一日は体育座りをしてうつむいたまま、まいったなぁと呟いた。

「八月一日先生、今日はありがとうございます」

「いや、いいよ。あまり役に立てなかったみたいだし」

「そんなことないです、楽しかったです」

「そうかい?」

「この学校に来て初めて普通にバスケができましたから」

「ああ……。」

 八月一日が顔を上げると、ほかの生徒たちも八月一日の周りに集まっていた。皆一様に汗をかいているが、八月一日と違って随分と爽やかな印象を受ける。もしかして、彼らから流れているものと自分の額を伝っているものは全く違う成分でできているんじゃないだろうか。八月一日は汗を袖で拭ってその染み込んだものを漫然と眺めた。

「先生歳だねぇ、もうヘバっちゃったの?」

「うるさいなぁ、君らが元気なんですよ……。」 

 八月一日は清涼飲料水を一年から受け取ったが、咳き込みながら飲んだので余計に生徒達の笑いを誘ってしまった。

「先生……」

「ん、何だい?」

 俊二がハンドタオルで顔を拭きながら言う。

「俺たち、地区大出れるんですか?」

 八月一日はもう一度生徒達を見渡すと、彼らは真剣な表情で八月一日を見ていた。ただの期待以上のものが、悲壮感すらも漂わせるものが彼らの顔には浮かんでいる。

「やっぱ無理なんすか?」

「それに関しては……」

「それに関しては、今度の陸連との協議で俺と八月一日先生が申し入れをする予定だ。結果は追って連絡する」

 四万都の発言で部員たちはマジで!?と色めきたった。

「やるだけはやる。やけん、お前らもしっかり練習しとけよ。せっかく試合になったんだったら無様な試合は見せられん」

「四万都先生……」

 四万都は照れくさそうに、「いいんですよ」と八月一日に手を振った。八月一日は、多少は四万都の汗がかかっても平気な気分になった。

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