八月一日新一、壱/順風満帆の船出

「え~皆さんはじめまして。本日より一ヶ月間、皆さんと英語をお勉強させていただきます、八月一日新一ほずみ しんいちです。よろしくお願いします」

 三年一組の担任に紹介された八月一日は、自己紹介しながら自分の名前を黒板に書き始めた。

「『ほずみ』という字はね、こう、八月一日はちがつついたちと書いてほずみと読むんだけど、どうしてこんな当て字をしてるかわかんないんですよね、いつか調べておこうと思うんだけど……」

 就職活動と兼用のリクルートスーツに身を包んだ八月一日は、学校という空間にはあまりにもミスマッチなほどフレッシュマンぷりを醸し出し、極度の緊張のため教室の中に視線をさ迷わせ続けていた。自分達よりは大人だが、他の教員達と比べて遥かに若いその大学生に、生徒達の関心は容易く集中し、八月一日は頭で整理しきれないぐらいの質問攻めにあってしまった。彼女はいるのかどうか、好きな芸能人は誰か、特に女子は強い関心を持って、まるで黄色い歓声を上げるみたいに八月一日を質問をした。八月一日の耳にあるピアス痕が女子中学生達に若い大人の雰囲気を感じさせたのだろうか、休み時間にも彼女達は八月一日にまとわりついてい他愛もない話に花を咲かせていた。最初は戸惑っていた八月一日だったが、次第にその人気も快感に変わっていき、自分の教職の選択に間違いはなかったのだという喜びを噛み締めていた。

 職員室では、八月一日を含む教育実習生達は、自分のクラスでの人気を自慢し合い(お互いがお互いに腹の中では「こいつ教育実習生じゃなかったら絶対にモテなかったろうな」などと考えていたが)、そんな教育実習生の様子を見た教員達は、くれぐれも生徒と問題を起こさないように、たまに生徒とよからぬ関係になってしまう教育実習生がいるので、と釘を刺したが、この世の春を謳歌おうかしているつもりになっていた八月一日は、生徒達から見向きもされない中年男性のやっかみなのだと鼻であしらいすらしていた。安定した職に就いたからってああいった大人にはなりたくないな、こんなに若い奴らに囲まれてるってのに一体何が楽しくて生きてるんだろうか、将来の自分があそこに重なるなど、学生だった八月一日には想像できない世界のことだった。このまま問題を起こさなければ悠々自適ゆうゆうじてきに生活をして行って、定年を迎えたならば一般の職業よりも高い年金をもらいながらの老後を過ごせる。教え子とのロマンスなんかも悪くない、卒業した後なら問題はないはずなのだから、上手くやれば一回り年下の子を娶るのだって可能なはずじゃないだろうか。

 この若者のパステルカラーの世界はあとほんの数週間で狂うのだが、そんな未来などもちろん本人は予想だにしていなかった。往生にして人生には春の次に冬が、それも次の春の訪れなど永遠に来ないのではと思わせるような暗く永い死の季節がやってくる場合がある。未来を予知する力のない八月一日には、その木枯らしの予感を感じることなど到底できなかった。

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