【其の九】会議は踊る、されど教員たちは進まず

「え~、では週定例の職員会議を開きたいと思います。今日は、八月一日ほずみ先生から何かあるようで……。」

 三者面談を行なった翌週、八月一日は職員会議で自分のプランを立ち上げようとしていた。職員会議のために職員室に控えている教員は全部で15名、まだ開校して二年しか経っておらず、また高等部を含めてクラスは一学年に一つしかないため、教師の数は一般的な学校と比べてかなり少なかった。

「はい、今回議案に上げたいのは二つあります。一つは交換留学制度に関してです……」

 八月一日の発言に多くの教員たちが眉をひそめた。右も左も手探りでやっていこうとしている中で八月一日の提案はあまりにも突飛だったからだ。八月一日の隣に座っている纐纈こうけつは、下唇を少し出すようにほんの少し顎をしゃくった。

「もちろん他の多くの学校ように、生徒の知的好奇心を育てるための留学という側面が最初にありますが、ここに関しては皆さん特にご意見がないものと思います。次に我が校でやる意義ですが、この国のHADの子供達への社会の対応は非常に閉鎖的です。実態は保護という名の隔離政策ばかりで、こういった対応は生徒達が社会に触れる機会を奪うだけでなく、生徒達に自分は社会から孤立した人間なのだということを自分自身で定義させてしまいます。しかし、それが世界の全てでは決してありません。欧米では、HADの人々の社会進出や受容が日本よりはるかに進んでいることは、ここにおられる先生方には周知のことだと思います。生徒達をこういった今ある状況から、より開けた外部へと身を置かせることで、窮屈だと思っていた世界を広げる機会になるのではないでしょうか?」

 脚本を作ってまで練習した喋りだしだ。八月一日は渋りながらも反論できない同僚たちを見て手応えを感じた。

「次に方法論としてですが、EUのHADの子供達専用の学校では、既に留学制度を導入しており、多国間での学生の行き来が行われている現状です。これはもう、フォーマットが出来ている状態と言っていいものなので、後は我々がそれに乗ることを念頭に交渉を続けることで実現可能かと思います。生徒達の学生生活のためにも、また将来社会に出た時のためにも、非常に益のあることではないでしょうか……。」

 教室は静まり返っていた。しかしそれも想定内だ。八月一日は教師の同意は簡単には得られないものだと考えていたので、すぐに校長の六波羅ろくはらの方へ向き直した。

「校長、如何でしょうか?特に御意見がなければ……」

「ちょっと、待って下さい。八月一日先生、ご意見には概ね同意できますが、私の知る限り、生徒で留学を希望しているのは阿久津だったと思うんですが?阿久津あくつに関しては以前お話したと……」

 纐纈が慌てて口を挟んだ。しかし……

「はい、心得ています。確かに今のところ留学志望の学生は、中等部では阿久津美鳩あくつ みく一人です。そして彼女が海外に行けないという話も聞き及んでいます。しかしですね纐纈先生、調べましたところ、それは正確には海外に行けないのではなく、一般人よりも出国と入国の審査に手間がかかるというレベルの話です。HADがどれほどのものなのかという検査の後、海外へ行く目的や活動内容を報告すれば、まず留学程度のものなら大丈夫だということが分かっていますよ」

「もちろん、原則としてはそうです。けれど、この間お話したように、やっぱり何かあった時にどうするのかという、責任問題があります……。」

「原則のお話でしたら他の一般の留学制度がそうであるように、自己責任・自己負担の原則を当てはめればいいと思います。それに、交換留学といってもやはりHADを抱えた生徒です。留学生は特別な保護の下で勉学に励めますし、アメリカの場合だとヴァレンタイン法という、HADを私的に利用した第三者に対して適用される法律があります。日本にいるよりもむしろ安全だとはいえないでしょうか」

 既に反論を前提として、調べ物と会議用のプレゼンを用意していた八月一日に対し、纐纈は何も言い返せなくなっていた。他の職員たちも、担任の纐纈が何も言わなくなった時点でもう話は終わったものと捉え、後はどう実行に移すのかというのが問題点になっていた。

「校長、何かありますか?」

 中等部主任の四万都しまとがそう言うと、六波羅は手の甲に生えた白髪交じりのうぶ毛をいじりながらほんの少し思案した後、いとも簡単に「いいんじゃないだろうか?私も以前から留学制度は検討していたからね。より一層、普通の学校に近づけるという意味では大いに結構」と議案を通すことを決定した。

「……どうも」

 八月一日は右の口角を上げて作り笑いをしたが、しかし勝負はこれからだった。

「次の議案も、八月一日先生からなんですが……何でも部活動に関してということらしいのですが……。」

「はい、うちの学校には部活動が中等部と高等部合わせて運動部は三つしかありません。そのいずれもが生徒達の要望でできたものだと聞いています。なんですが、そのうちの野球部とサッカー部はほぼ活動していないのが現状です……」

 誰かが「部員が少ないからね……」と、呟いた。

「そうです。ウチはそもそも一学年に男子が一〇名もいません。さらに、そこからまた部活をしようというのは一部の生徒ですのでチーム編成ができません。しかし例外がありますそれは……」

 ここまで八月一日が話すと「バスケ部ですか?」とまた別の教員が口を挟んだ。

「そうです。バスケ部に関しては一学年の人数は心許ないですが、部員を合計すれば五人には到達します。つまり、他校との試合も可能となってくるわけです。何だかんだいって、運動部はゲームを試合をできて初めて生徒達のやる気が出るものです。現状ではただ無駄に生徒達の時間を潰させているだけです。なので、今回提案したいのは、ウチのバスケットボール部の地区大会参加の許可ということになります」

 八月一日が話し終わる頃、教員たちは先ほどの留学の話以上に険悪な面持ちになっていた。さっきは意見程度にものを言った纐纈だったが、今回はかなり厳しい目で八月一日を見ていた。さらに先日、八月一日と事務室で同じ話をした四万都は、その険悪さが表情からもれていた。

「……やるべき理由は二つあります。まずは彼ら自身に対してです。先ほど留学の件でも申しましたように、彼らが感じている社会からの疎外感を解消するというのが一点。次に、社会の彼らに対する眼差しを変させるといことです。この国のHADへの眼差しは一〇年前の事件以来、やはり悪化したままです。しかし彼らは決して犯罪者などではないし、接していれば皆さんもお分かりでしょうが、なんのことはない普通の中学生なんです。ですから、彼らの学外での活動を通して、もっとHADの受容を進めることができるのではないかということが、二点目の理由です」

 どうしても自分の意見が弱いことは分かっていた。一番目の議案では自信を持って周囲を見渡せたが、今度は少しのぎこちなさが入っていた。八月一日が感じる空気は一瞬で重くなる。

「何か、ご意見あれば……」

 四万都が努めて無表情で司会進行をする。

「ないならば、まず私から話させていただきます。……八月一日先生、今回の件は以前に私と話したものだと記憶しておりますが……」

「そうですね、確かに」

「ではそれを踏まえて言わせていただきますが、私だって八月一日先生のおっしゃるように、生徒達を自由にさせてやりたいというのはあります。私のみならず、他の先生方もそうでしょう。しかし、まず懸念といたしまして彼らがHADを使用するのではないかというものがあります。これに関しましては、八月一日先生がそばにいれば大丈夫だというお考えなのかもしれませんが……毎回毎回八月一日先生が試合会場にいるわけにもいきませんし、何より八月一日先生がもしご転勤なさった時や、先生のHADが安定期を迎えた時に、その時はどうするかが問題です。前例を一回作ってしまったら中々後には引くのが難しくなってしまうのではないでしょうか。次に、やはり前回もお話したように、もし彼らの対外試合が可能となったとしても、彼らに降りかかる身の危険を案じなければなりません……」

 八月一日は「はい」と頷いた。他の教員たちも、八月一日の話を聞いている時よりもさらに深く頷いて同意を示す。

「この二点がをクリアできないのであれば、まず私はこの議案に対して同意することはできません」

 八月一日はまばたきの時間を長くして、ほんの少しだけ落ち着きを取り戻そうとする。これはまだ想定の範囲内の質問なのでまだ反論できた。

「……はい、HADに関してですが、これは訓練次第で何とかなることは、専門家ではなくてもここにいらっしゃる皆さんご存知かと思いますが……。しかしもちろん、彼らが悪用しないとも限りませんし、試合という興奮状態が続く中でうっかり使ってしまう可能性もあるでしょう。ですが、皆さんは一緒くたにしてHADを見過ぎではないでしょうか。というのもです、現在バスケットボール部に所属している生徒のHADは本人たちに聞いたところ、キャプテンの風間君以外、ほぼ運動には関係がありません。例え使ってもバレてしまうものばかりです。彼らがHADを使用してゲームに影響を及ぼすならば反則を取ればいいし、もし私がいないなら、影響の強いHADを持っている生徒は心苦しいですが、メンバーから外れてもらうようにすればいいのではないでしょうか。個別具体的に対応策を考えていけば、決して試合に出られないワケじゃないはずです」

「HADによってメンバーから外すんですか?それこそ可哀想じゃないですか」

 まだ一度も会話をしたことのない社会の下柳しもやなぎが言ってきた。

「一緒くたになって試合をさせてもらえないよりは、全然いいと思います。彼らの身の安全に関してですが、行動には厳重な対応が必要かと思います。事前に集団行動の規則を定めて、それに従って行動してもらう、つまり彼らの行動をこちらで管理するということです。確かに息苦しいかもしれませんが、そこは生徒に事情を説明して分かって貰います。これは教員が複数名で対応すれば形になるかと思います。如何でしょうか?」

「それで、生徒達の安全が保証されるのなら……」

 四万都はまだ不満があるようだったが、とりあえずの納得はしたようだ。

「他に……意見のある方は?」

「では、私から……。」

 そう言って手を挙げたのは、やはり八月一日がこれまで話したことのない理科の波田はだだった。

「先ほどから八月一日先生の言い分で気になったのは、果たして今の日本社会がHADに対して本当に不適切な対応をしているかということです。海外の例をひっぱてきていましたが、その海外の例だって海外がやってるってだけで、正しいというわけではないんですから。向こうだってHADによる犯罪数自体は日本より多いはずですし、そのせいで銃規制が一向に進まないという指摘もあるくらいですよ。そんな海外がやってるからってありがたがる必要があるんでしょうか?」

 波田の質問に八月一日は急ピッチで頭を回転させた。想定外の質問だった。初めて話す人間というのもあっただろう。安物のスーツとシャツを神経質なほど折り目正しく着こなした四〇代半ばの男に八月一日はペースを乱された。しかし、それ以上に八月一日が違和感を覚えたのは波田のものの言い方だった。

「そしてもう一点、当の生徒達はこの学校や社会に不満を覚えているのかということですよね。誰だって学生の頃は学校に不満がありましたよ。それを逐一汲み取っていたら、仕事は無限に増えちゃいますよ。ついでになりますけど、生徒達を外に出すならボランティア活動のほうが、イメージを良くするにはずっといいじゃありませんか。わざわざスポーツにこだわる必要はないんじゃないですか?」

 八月一日が違和感を覚えたのは、波田が反論のための反論をしていたということだ。波田には最初から八月一日の話を受け入れるつもりがないのである。悪魔の証明のよろしく、最終的には「証拠を出してみろ」と言わんばかりの口調だった。

「……八月一日先生、波田先生の今のご意見に何かありますか?」

 しかし、八月一日は波田の意見に対してあのことを持ち出そうと思ったが、言葉にできなかった。というよりも、下手に彼の話を使ってしまうと、逆に教師たちを深刻にさせて支持を得られないと思ったからだ。

「八月一日先生?」

「……確かに、HADへの対応には何が正しいか悪いかという議論は未だ決着がついていません。しかし、彼らが部活動をしたい、と言ってるにもかかわらずそうさせないのが、果たして正しい教育と言えるでしょうか?一番やりたいことがあるのなら、それを援助できるように努力するのが我々の仕事ではないでしょうか?」

 困窮した八月一日は無作為に情に訴えてみたが、職員達は元々が否定的な意見だったので、その劣勢を覆すには至らなかった。

「確かに仰りたい事は分かりますよ?しかしね、我々は普通の学校に勤務しているわけじゃないんです。何かあった場合には、あの子達自身の人生が狂いかねないんです。大げさじゃありませんよ、事実国内でも海外でも、HADで事件が起こる場合には、普通の事件とは巻き込まれる人間の規模が違います。HADを悪用した人間がどういった扱いを受けて、その後どういった人生を送らざるを得なくなるか、貴方に想像できます……か」

 そこまで言うと、波田は言葉を痰のように喉に詰まらせた。自分を見返している八月一日が、まっすぐに自分を見ていたからだ。そこには、異様なまでに一切の感情がなかった。感情どころではない、その顔は一切の人間性が一瞬で消えてしまったようですらあった。

「アンタァ……そこから来たんだよな………。」

 八月一日の瞳の奥に映ったものに圧倒された波田は思わず言葉を崩したが、八月一日を正面から見ていなかった他の教員達は何故彼がそうなったのか全くわからない。だがそれを察した六波羅が、「まぁ、八月一日君。一つの会議で一つ議案を通せただけでも大したもんじゃないかね?とりあえず、今日のところは議案の内容が内容だけに、きっと他の先生方も混乱なさっていることだろう。またこの件は後日改めてということで……」

 結局八月一日の提案は、留学に関しては通ったものの、もう一つ、部活動の地区大会への参加は見送られることになった。

 八月一日が一時間目の授業のために職員室を去ったあと、波田は誰ともなく話しかけるように言う。

「綺麗事が過ぎるんですよ。腹をくくるべきだ。我々はただの学校に赴任しているわけじゃない。そうでしょ?このたった一年とちょっとで、それを痛いほど思い知らされたはずだ」

 纐纈は波田を気にしながら、授業の準備に取り掛かっている四万都に話しかける。

「四万都先生も八月一日先生から同じ話をされてましたか……。」

「そうですな、しかしやはりあまりにも急ぎすぎてるというか……おっしゃってることには同意できるんですが、やはりウチは普通の学校と違いますから……。」

「確かに……、しかし当の八月一日先生はそうは思っていないのかもしれません……」

「うらやましいですね……もし私たちも、あの子達が普通の子だと思えたら、どんなに素晴らしいか……。」

 決して理想がないわけではない。しかし、自分たちがここに配属された理由を痛いほど知っている彼らだからこそ、そこに向かうことができなかった。

 英語の小テストの時間、八月一日は真面目にテストすらも受けようとしない生徒たちを見ながら自問自答していた。果たして自分がやろうとしているのは生徒たちのためになっているのだろうかと。

「日村君、後でその辛坊君にぶつけた消しゴムを拾うように……。」

 彼らは問題なく楽に生活できていればそれでいいのではないだろうか。そしてそれを上の人間たちも求めているのだ。だとしたら、皆が求めるものを自分が壊す必要はないのではないだろうか。何も起らないことが幸せならば、彼らは今幸せだといえるのではないだろうか。そう考えながらも、やはり八月一日は自分の脳裏に焼きついた光景を忘れるわけにはいかなかった。

 パイプ椅子に座り、腕と足を組みながら考え事をしている八月一日に生徒達は、異様な威圧感を感じた。ある生徒は、その時の八月一日はまるで刑務所の看守のようだったと回想する。


 トラバサミにかかった獣は、たとえもう少し頑張れば罠が抜けたとしても、ぜったいにそこから動くことがないそうです。もう少し、ほんの少し体を動かして、そして痛みに耐えるだけでいいのに、獣にはそれをする勇気がありません。痛みに苦しむよりも、その場で死を待ち続ける方を選ぶのだそうです。けれどそんな獣たちにどうやって罠から助け出る勇気を持ってもらうのか、八月一日先生は模索し始めていました。

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