【其の七】カルカッタの修道女とナザレの大工の息子と公務員

「資格……じゃないとダメかな?ほら例えばさ、専門学校とか大学にいっても職業の幅は広がりますよ?公務員ってのも、かなり安定してるし……。」

 八月一日ほずみのその提案には、しかし龍兵りゅうへいはあまり明るい顔をしなかった。目の前には間違いなく自分の教え子がいるというのに、まるでその本体は硬い殻の中の、深い闇の奥にいるようだった。

「というのもね、中卒の資格だとかなり範囲が狭まれちゃうんですよ。重機の免許でクレーンとかフォークリフトとか……」

「じゃあそれで……」

「え、即決ですねまた。それだと……工事現場とか工場とかしか勤め先はないですよ?」

「いいです」

「そうですか……。」

 力はないのに食いつくように反応してくる教え子には、静かなようであって別の衝動が抑えられているようにも見える。その衝動が、HADでなくとも具現化しているようだった。

「まぁ、先生たちもね、資格に対して物凄く詳しいわけじゃないですから、こちらで調べとくんでそこから木根くんの要望に合うものを選んでいけばいいんじゃないですかね?」

「おねがいします」

「……うん」

 短期間でひとまわり以上年の離れた、立場の違う相手と分かり会おうというのが幾分おこがましいということは八月一日にも分かってはいた。結局、ほかの質問に関しても龍兵は上の空で、唯一弾んだ?会話は資格の話だけだった。一見、普通の中学生に見える彼らだが、その深淵に抱えたものは年齢には不相応なのだということは、経歴を知らずともそのHADの重大さから伺える。そして同じHADの子供とひとくくりにいっても、その受け止め方は思春期の悩みと同じく個人差はあまりにも大きい。

 面談が進めば進むほど、生徒以上に八月一日の顔に疲れが見え始めていた。纐纈こうけつは、いずれ彼も八月一日も根をあげて、自分に生徒達の経歴を教えてくれと懇願してくるに違いないと、洗礼は着々と進行しているのだと考えていた。

「纐纈先生、木根くんはいつもあんな感じですか?」

「いやなんというか、クラスメイトとは親しげに話しているんですが、あまり私たちとは……。」

「なるほど……。」

 大人嫌いか……と八月一日は内心つぶやこうとしたが、その表現もここの生徒たちにとってはぬるいのだと、さらに心の深い場所で飲み込んだ。

 それからまた二人の生徒との三者面談を経て、次に入ってきてたのは出席番号6番の西塔暦さいとう こよみだった。八月一日には彼女が入ってくる少し前から、少し纐纈が緊張しているのが見て取れた。身長が160に満たないような、どこにでもいそうなショートカットの女の子を周りが特別視するのは、まずHADゆえなのだろうとは八月一日にも予想はついた。

「よろしくお願いします」

 冷ややかに、慇懃無礼いんぎんぶれいとは言わないが、礼儀正しさというものが一種の壁であることを存分に知らしめるように少女は二人の教師にお辞儀をして席についた。

「おお、よろしく。うん……西塔さん、クラスのみんなとはどう?上手くやれてます?」

 八月一日は正面に座る、小春日和だというのに長袖を着込んだ少女に訊ねる。

「やれてないように見えるから、そう聞くんですか?」

「それは心当たりがあるかそう思っちゃうのかな?」

「疑問文を疑問文で返さないでください」

「申し訳ない。この質問はみんなにやってるんですよ、純粋に学校が楽しいかどうか気になっててね」

「楽しいと思います?」

「果たして最初から分かっていたら聞くだろうか?これは疑問文じゃなくて反語ですからね」

「……誰も楽しんでなんかいませんよ」

「やっぱり、毎日毎日同じところで同じ人たちと顔を合わせるのはしんどいかな?」

「……ホント、刑務所みたいなとこ」

 暦は部屋を見渡しながら呟いた。確かに、この部屋のみならずシンプルが過ぎるこの建物は人に圧迫感を与える。建物全体に漂う隙のなさが、ここにどれほどの視線が注ぎ込まれているかを理解させるのである。防犯のためということで建物の各所に設置されているカメラも、彼らにとっては監視カメラでしかない。

「西塔さんはぁ、「クラスの友達と何をしている時が楽しいか」って欄が空欄なんですよね。というか、ほとんど空欄だけど……」

「友達いませんから」

「それを言っちゃうとね西塔さん、友達だと思ってた人傷つきますよ?」

 すぐに暦は美鳩みくのことを思い出したが、またすぐにそれを否定した。

「人と一緒にいたくないんです。人の余計なものばかり見えるから……」

「確かに、人の中にあるのは余計なものばかりかもしれないけど、その玉石混交ぎょくせきこんこうの中に君の好きな芸術を生み出すものが含まれているわけですからね、もっと前向きに受け止めてもいいんじゃないでしょうか?」

「最初からどれが玉で石かがわかってるんなら玉だけ見ればいいんですよ。だからわたしは完成されたものしか見たくないんです」

「なるほどね……。」

「だいたいクラスの男子は授業中も誰か一人はエロいこと考えてるし……。石どころかゴミばっかじゃないですか」

「まぁ、中学生の男子なんてはだいたいそうですよ。先生だって若かかりし頃は酷かったもんです……」

「生徒だけじゃありませんから」

 八月一日は隣に座る纐纈にちょくちょく視線を送っていたが、今は視界の隅にでも入れないように纐纈と反対側へ視線を寄せた。

「ああ……そう。でもまぁ想像する分には罪はないじゃないですかね?」

「キリストは想像で姦淫を犯すものはやったも同じだと言ってますよ。だから全員ぶち込まれればいいと思います」

「……キリストが君の事知ってたら、多分もうちょっと言葉を選んだでしょうね」 

「先生もやっぱりそういうこと考えるんですか?」

「え?」

「他の人みたいに、女の人を見ていろいろ考えるんでしょ?阿久津あくつさんとか綺麗ですもんね」

「それは……、西塔さんの想像におまかせしますよ」

「八月一日先生はわからないから訊いてるんです」

「でも、普通の女の子はそうするんですよ?」

 少し、暦の顔が紅潮した。

「西塔は随分と八月一日先生につっかかるな。なんか授業に不満でもあるのか?」

「別に……授業にはありませんよ。ただ、こういう三者面談が嫌なんです」

「また、どうしてだい?」

「人のことをこういう形で理解できるなんて思いません。なんなんですか、「友達と何をやっている時が楽しいか」なんて」

「う~ん、それを言ってしまうとそうなんだけどね。もちろん、先生だってこれをやればみんなと分かり合えるとか考えてるわけじゃないですけど、ほら、一つ一つずつね、理解を進めていこうかな……と」

「そんなに人と分かり合いたいですか?人の心を知りたいですか?」

「人が人を理解しようとするのは素晴らしいことじゃないかな。マザーテレサだって愛情の反対は無関心だと言ってますし、そう考えるなら人に関心を持つっていうのは一種の愛情だと思いますけど」

「マザーテレサが私のことを知っていたら、もうちょっと言葉を選んでいたと思います」

 八月一日は纐纈を向きながら「まいったね」と、落語家のように頭をかいた。

「西塔、八月一日先生はお前の事を知ろうと努力なさってるわけだから、あまり無下な答え方しちゃダメだろぅ」

「……そうですね。八月一日先生は纐纈先生と違って、わたしのことを知りませんからね」

 暦の言葉で纐纈は射すくめられ、生唾をすり潰すように飲み込んだ。

「哀れんでくれなくったっていいですよ、別に」

 下を向いた纐纈に対して、暦は横を向いて顔をそらして言う。

「人の心を知るなんていいものじゃないと思います……。」

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