【其の伍】ほずみ先生と唇にストロベリー

 背中を軽く押されるような形で、寿ことぶき八月一日ほずみに連れられて教室に戻ってきた。寿はざわつく周囲の視線に屈辱を感じながら席に着く。

「……日村さ、火ぃ起こせなかったんでしょ」

 こよみが投げると、寿は目を向いて慌てた。

「は、何言ってんの?意味分っかんね」

 笑っているようだったが、遠目から見てもその笑顔が引きつっているのが十分に分かった。

「ほらほら、もうそういうのやめなさい」

「先生、わたしたちに何したんですか?」

「……西塔さいとうさん、口にジャムついてますよ」

「ごまかさないでください。わたしたちはもうとっくに気づいてます。それに、こんなのはフェアじゃありません」  

八月一日は最初から暦たちが何を言いたいのかその全てを察した。しかし、ほかの多くの生徒はそれよりも、こんなにも人に食ってかかる暦に驚きを隠せなかった。

「八月一日先生、わたしたちはHADの使用を禁止されています。平気で使う子もいるけど、ほとんどの子がそれが悪いことだってことくらいわかります。だから、が先生の影響なら、きちんと話してくれないとフェアじゃないと思います」

 暦は一応親指で口の右側を拭いながら言った。

 八月一日は下を見ながらしばらく考え事をしていたように見えた。しかしそれは、考え事ではなく生徒たちに対する自身の非礼を暦に指摘された反省からだった。もう、サイドメニューすらも口にしている生徒はいなかった。教室中が、暦の八月一日に対する質問の答えを待っていた。

「……うん、そうだね。いや、別に隠そうとしたわけじゃないんですよ。先生の場合は、自然とこういう状態になってしまうんでね。あと、君たちがどうHADと付き合いながら日常を過ごしているのか、想像がつかなかったんです……すみません。あと西塔さん、ジャムついてるの逆です……」

 八月一日は教壇に立とうとしたが、思い直して教員用の机の側に立った。

「これはHADといっていいのか微妙なんだけど……僕の近くにいる人間はHADが使えなくなるんですよ。まぁだから僕がここに配属させられたのは……そういうことになりますかね……。」

 すぐにクラス中の生徒が自分のHADを使おうとしたが、誰一人としてそれを使うことはできなかった。龍兵は手元のスプーンを動かそうとしたがびくともせず、透流とおるは給食のフォークで軽く指先を刺してみたがやはり元には戻らず、久しぶりに自分の流血を見て失神しそうになった。寿だけでなく、生徒たちの世界観がその一瞬で変わっていた。

 教室には窓から西日が差し込み始め、それはちょうど舞台の照明のように教室を照らしていた。


 まるでなんの足場もない、空中に放り出されたようでした。あれほど忌み嫌っていたHADだったのに、いざ使えなくなってしまうとなると、とても自分の存在を心許なく感じたことを覚えています。そしてその時からわたしたちの学校生活が始まったんです。与えられることで失っていたものを取り戻すための学園生活が。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る