日村 寿

 日村寿ひむら ことぶきはHADを保有していなければごく普通の、それどころか全くクラスでも目立たない少年だっただろう。取り立てて勉強ができるわけでもなく、また運動神経も優れているわけではなかった。ただ一つだけ違う点があるとするなら、それは彼の家が病院を経営しており、比較的どころかかなり裕福な家庭だっただということだ。彼の父は地元の病院の院長だったが、寿は決してそれを鼻をかけるつもりはなかったという。しかし寿が友人を家に招いた際、友人を自分のそれとは比較にならない大きくて綺麗な部屋に各種のゲーム機、寿の母親が持ってきてくれる小学生には発音も難しいお菓子が迎えてくれた時、それらにその友人が激しいカルチャーショックを覚えたのは想像に難くない。そしてその友人から始まり、寿の家に訪れるクラスメイトは一人また一人と、彼の家に行けばゲームとお菓子にありつけるという子供の行動原理をくすぐられるネタで次第に増えていき、いつの間にか寿が全く知らない他のクラスの人間も彼の家に来るようになっていた。寿は決して自分の家庭の裕福さを鼻にかけているつもりはなかった。しかしクラスメイトが寿に求めるのは寿の家の裕福さだった。

「今日はお菓子何出るの?」

「このゲーム機借りてっていい?」

「この漫画読んでないんだったらちょうだいっ」

「今度の新作のゲーム、日村が買っといてよ。そんでみんなで回し貸ししてあそぼーぜ」

 寿も彼らが自分に何を望んでいるかくらいは考えなくても分かった。しかし、それ以外に友人をつなぎとめておく術を考え出すには、11歳という年齢は幼すぎた。何より、「寿は人望があるのよ。クラス中の友達がウチに来てるんじゃない?」と母が食事時に話し、それを聞いて父が本気で喜んでいる。5つ年の離れた兄を持ち、その兄が有名私立校に通っている時点で両親の期待は兄にあった。しかし、その当の兄は部活もやらずただ学校と塾の往復を繰り返しているだけで、恋人はおろか友人も数える程もいなかった。だが自分は決して兄の手に入らないものを持っている。あの友達の数が日村寿の、彼自身の独自性の証明だったのである。

 そして寿は、その証明を一日で失うことになる。

 いつものように友人とその友人と、さらにその友人が寿の家に大挙した折、購入したばかりの寿のゲームを、回し貸しを繰り返すうちに誰が誰に貸したのか分からなくなって紛失したことを告げられ、さらに「別にさ、また買えばいいじゃん」と、一度もまともに言葉を交わしたこともない他所のクラスの人間に言われたせいで、さすがの寿も激怒し彼に掴みかかったのだが、しかし元々体格に優れていないという不利に加えて、寿の思惑とは裏腹に、それまで自分を慕ってくれていると信じていた友人たちまでもがその少年に加勢し寿を押さえ込んできたのである。友人たちは口々に「それくらいでキレんなよ、金持ちのくせに」「お前金持ってるってだけで態度デカ過ぎ」と、押さえつけられた寿に罵声を浴びせかけた。子供とはいえ数人分の体重に押しつぶされ寿の関節は悲鳴を上げ、罵声を浴びせる友人たちの口からは唾の飛沫が飛び寿の顔に降り注いだ。

 押さえ込まれるという屈辱、さらにいとも簡単に手のひらを返した友人たち、彼らに対する怒りと激情的な破壊衝動は寿の脳内で堝のように混ざり合った。その言葉に出来ない負のエネルギーが、寿のHADを発現させる引き金となったのである。

 最初に寿が発現させたHADは火を起こすことはできず、熱気を浴びせさる程度のもので、幸い友人たちは軽度の火傷を負っただけだったが、芝庭事件以降、HADの存在に対して敏感になっている世間は、寿に対して過剰に反応した。そしてそれは家族さえもそうだった。医者の一家にありながら、よりによって人を傷つける為にあるようなHADを持つようになった寿を両親は腫れ物のように扱い、より一層二人は兄に期待を寄せるようになったのだ。

 寿は少年期において全てといえるものを失った。

 少年は思う、これは代償でなければならないと。友人も両親も失うほどに価値のあるものを自分は身につけたのだと。

 少年の心は乗り越えるほどには強くなかった。ただ歪むことで受け入れるしか、やり方を知らなかった。

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