【其の四】ラン ほずみ先生 ラン
「こんなうまい給食初めて食べた……。」
その日の給食の時間、教壇の横の担任専用の机で
「国民の血税がこういうふうにわたしたちの舌づつみをうつわけですね……。」
「やぁめなさい」
八月一日の正面に座る
普段、教員は職員室で持参した昼食を食べるのだが、八月一日は赴任したばかり本人たっての希望ということで、教室で昼食をとっていた。イチイチ一品一品に「なにこれ?」「下味しっかりしてるなぁ」などと感想を漏らす八月一日を、生徒たちは物珍しそうに見る。
「うえ、なんだこれっ。ざっけんな!」
しかしそんな長閑な時間を破ったのは
「ん、どうした日村くん?」と、八月一日が口に肉片が入ったままに訊く。
「ハチだよっ、俺の給食にハチが入ってやがった!」
「蜂っ?」
八月一日が確認すると、確かに寿のビーフシチューへ混ぜ込まれるようにスズメバチが入っていた。すでに死んでいるようで、ピクリともハチは動かない。寿は虫入りのシチューをそぎ取るように、ポケットティッシュで舌を拭った。八月一日は内心「結構食べちゃったなぁ……」と、おかわりまでしてしまった自身の胃に異変がないか集中した。
「あ~と、みんなストップ。食べるのやめて。日村くんの給食に虫が入っていたんだけど、どこで混入したのか分かんないから」
八月一日は注意を促したが、しかしクラスメイトの食事に虫が入っていたというのに他の生徒たちは寿には関心がない。それどころか、童話にでてくる悪狼の末路を見るかのように、なんの憐憫すら持ち合わせていなかった。
「どこで入り込んだんでしょう……取り敢えず事務に報告しないとな」
「……そんな必要ないよ。センセー」
「……どうしてです?」
顔を上げた寿の目には殺意混じりの怒りがあった。
「誰だ?」
「おいおいまさか……。」
「誰が俺の食いもんに虫入れやがった!」
寿は教室中を舐めまわすように睨んだ。しかし、誰もが彼からは目を背ける。
「日村くん、ちょっとそれは
「うるせぇよ。アンタは黙ってろ。ここのルールも分かってないような新参者が」
「新参者ってボキャブラリーがあったことは褒めとくけど、教師に向かってその口の利き方はいただけないぞ」
八月一日が
「おい、
ふたつ席隣の暦は食パンにイチゴジャムを塗りながら、「わたしカンケーなくない?」と寿の言葉を突っぱねると、そのままパンを食べ始めた。
「口答えすんな、その口にあるもんと一緒に焼き目入れられてぇか」
「日村くんっ。西塔さんは無関係でしょう。だいたい疑わしきは罰せずが基本ですよ?まず給食の配給元に連絡してですね……。」
「ここと外のルールは違うんだよ。アンタだってわかってんだろ?」
「いいや、違わないよ。この国は法治国家だ。君たちだからとか、ここだからとか、そういう理屈は通らない」
「はぁ?こんなムショみたいなところに俺たちを押し込んどいて何が法治国家だ。きたねぇ理屈こねやがって」
「君の理屈も綺麗だとは思えませんね。西塔さんがどうあるのか知らないけど、まずやるべきことは犯人捜しじゃないでしょう。みんなが食べているものが安全か確認することが先決ですよ」
寿は荒々しく深呼吸すると、八月一日に向かって右手をかざし指を数本突き立てた。指は空間を掴むように爪を立てている。瞬間、寿の近くの席の生徒が一斉に席から離れた。
「……言葉遣いも然ることながら、人を指差すのも好ましいとは言えませんね」
しかし、ただ指を向けただけで何も起こらず、結果として生徒たちの目に映るのは、ただ立っているだけの八月一日に対して物々しく構えをとっている寿、という構図になっていた。寿は戸惑いながら何度も体中の筋肉を緊張させ、繰り返しいつものように周囲の温度をあげようとするが、ゴルフのイップスのように、いくら過程は正しく踏んでいるつもりでも結果が伴わない。
「あれ?」
「あれ、じゃありません。先生はちょっと怒ってますよ。クラスメイトを犯人扱いする、年長者に対しての口の利き方もなっていない、無関係の西塔さんに対して失礼なことを言う。おまけに開き直って、何ですかそのポーズは?席に座りなさい。貴重な食事の時間を台無しにされたのは君だけじゃないんですよ?」
呆然としながら、それでも寿は着席しなかった。
「食事というのはとても
「なにした?」
「……日村くん、先生話してますよ?」
寿は自分の異常事態に気づき、そして次にそのことをクラスメイトに気づかれることに恐怖した。一瞬で、彼の世界が転倒していた。彼の振る舞いの全ては、PSIがあってのものだったからだ。そして皮肉にも、親兄弟や友人から離され孤独の中にあった彼にとっては、もうこの力しか頼るものがなくなってさえいた。寿は八月一日に促されるまま着席し、影を自ら薄くするかのように小さく体を丸めた。
「配給元に問題がなかったら、配達途中やもしかしたら配膳してる時に入ったかもしれません。……あとスズメバチがこの近くに巣を作っているかもしれないというのも用心しないとね。ハチの死亡事故なんてのも毎年あるから……」
八月一日が話し続けているあいだにも、HADを発動させようとしていた寿だったが、やはり彼の周囲の小春日和がやる以上には上昇してはくれなかった。そしてその寿の焦りは周囲のクラスメイト達にも伝わった。その中で、彼の焦りの意味が正確に分かったのが、自分の意思とは無関係にHADが作用する暦と美鳩だけだった。
自分のバックボーンを失い、焦りと恐怖でただ教室で席に座っているだけでもいることすらも不可能になった寿が教室から飛び出す。
「あ、日村君、待ちなさいっ」
八月一日が日村の跡を追って飛び出した後、教室を数席隔てた美鳩と暦は顔を見合わせた。
本来だったら人並み外れた力を持ったこのクラスの生徒達は、しかし学校側によって厳しくその能力の使用を制限されているために、外の生徒以上に退屈を持て余していた。今起こっているイベントに「スゲー、青春ドラマみたい」などとぼやきながら、特にその対象が寿だったために面白おかしくそれを受け止めていたが、ある生徒の一言によって別の騒ぎに発展する。
「あのさ……、前々からちょっと気になっていたんだけど、八月一日センセーがいる時ってHADが使えなくならない?」
「あ、気づいた?わたしも小テストの時、時間が足りなかったからちょっと時間戻して書き直そうとしたんだけど、うまくできなかったんだよね……」
「日村もさぁ、何か明らかに火ぃ起こそうとしてたよね……。」
「ひょっとしてさ、これって八月一日センセーの……」
クラスが異変に気づき始める一方、八月一日は寿を追いかけていた。二人は校舎を飛び出し、人工芝のグランドを駆けまわっていたが二人の距離は一向に縮まらなかった。ただでさえ相手はこれから肉体的なピークを迎えんとする中学2年生で、片や彼は肉体の衰えが刻々と体に刻み込まれ始めた三十歳だ。追いつくどころか、みるみる離されているのが本人にもわかった。
「日村く~ん、まってぇぇぇぇ。話し合おうっ」
離されていくだけだと思われたが、グランドまで出た際に運良く?寿が足を引っ掛け転んだおかげで何とか八月一日は彼に追いつくことができた。
「なんで……なんで追いかけてくんだよっ」
人工芝のグランドで仰向けになったまま寿が叫ぶ。
「いや……君が、逃げるから、何となく……」
「オメ、犬か?条件反射か?わっけわかんねっ」
追いついた八月一日だったが寿以上に息は切れ切れになっていて、この場から居合わせた人間からしたら、八月一日の方が介抱の必要な人間に見えただろう。
「……どうして、逃げたんだい?」
「火が出ねぇんだよ……」
「……HADは、僕の前じゃ……使えないよ」
寿はさらに息を荒げながら八月一日を睨んだ。
「やっぱ、あんたの影響か」
「というか、君、僕に……HAD使おうとしたのか」
疲れと焦りで、HADがハッフォに聞こえるほど八月一日の呂律は回っていなかった。
「じゃあ俺もう……ただの人になっちゃったの?」
日村のその声はそれまでの彼とは違い、保護者の憐憫を誘う程にか弱く力のない少年のものだった。
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