芝庭事件、二

 S県のパート勤務の主婦・藤崎幸枝ふじさき ゆきえ(当時42歳)の家に警察から電話が来たのは、事件発生から2時間後の夕方だった。いつもの呼び鈴の筈なのに、その時の音は電話をとる前からとても禍々しいものだったと彼女は当時を振り返る。

 警察の要件はいまいち要領を得なかった。それは、当の呼び出している警察すらも混乱している様子だったからだ。とりあえず分かったのは、霞ヶ丘かすみがおか中学校に通う自分の息子・藤崎武のことであることと、これから警察病院に来てほしいということだった。彼女は何度も息子の安否を尋ねたが、警察は調査中ということを繰り返すばかりで、詳細を彼女に教えようとはしなかった。いや、そもそも何と説明していいかも分からなかったのだろう。とにかく警察は彼女に確認に来てほしいということだけを告げた。

 幸枝がタクシーで警察病院に向かい、受付で呼び出された内容を告げると、受付の係員は急ぎで職員を呼び出した。その係員に何が起こっているのかを尋ねてもやはり要領を得ず、さらに呼び出された職員に息子の安否を問いただしても、やはり電話口のように、彼女に告げられるのは確認をしてくださいの一点張りであった。

 職員に案内され施設の奥の部屋へと向かっていくと、見覚えのある女性たちが、これまでの人生で幸枝が見たことも聞いたことも無いような狼狽振りと嗚咽で泣き崩れていた。その光景だけで嘔吐しそうになった幸枝は、息子の安否を確認したいという気持ちから一転、恐ろしさのあまり部屋へ行けなくなってしまった。少しずつ理解し始めたのは、泣き崩れているのが息子の同級生の父兄であるということ、そして今自分が入ろうとしているのが、ほかでもない霊安室であるということだ。

「こちらへどうぞ……。」

「何が、起こってるんですか?」

「本日、霞ヶ丘中学校3年C組にて、事故……が起こりまして。生徒数名の安否の確認を取っているところです……。」

 すでに幸枝の反応の予想がついていた職員は、覚悟を決めたように、彼女の手を、半ば引っ張りながら入室させた。

 幸枝がそこで見たものは、霊安室の真ん中に保管された、博物館で展示されているようなミイラだった。ミイラの体は朽ち果てて所々がバラバラになり、ベッドの上でパズルのように繋ぎ合わされている。幸枝はまったく意味が分からなかった。なぜこの人たちは、自分をここまで連れてきてミイラなどを見せるのだろうと。だが職員は予想だにしないことを幸枝に告げる。

「藤村……武君です。」

 幸枝は呆けた顔で職員を見遣った。

「おっしゃってる……意味が分かりませんが?」

 事態が把握できていないのは職員も同じだった。しかし、職員は目をゆっくり、しかししっかりと閉じて自分自身を納得させるように言う。

「歯型が一致しています。本日霞ヶ丘中学校、3年C組の生徒全員が、このような遺体で発見されました」

「だって……何を言って……」

 そんなはずがない。息子は今朝、「生きた人間として」家を出ていったのだから。それがこんな、流木の破片を集めたような、死後百年ともいえるミイラになるはずがない。全く受け入れられなかったが、ミイラの手首にはめられた数珠を見た時、藤村幸枝は、体が溶けるように崩れ落ちた。それは息子が洒落を気取ってブレスレットがわりにつけていたものだった。虚空を見ながら、呆然と、何かを言おうにも言葉が選べず、顔には悲しみすらも張り付く暇が無かった。

 職員は、顔を合わすことができなかった。これまで幾度も遺体を遺族に引き合わせてきたその職員ですらも、その衝撃は想像だにできないものだったのだから。

 崩れ落ち口を酸欠状態の魚のように動かしながら、ようやく幸枝は声を上げた。しかし、その口から出てきた音はまるで憑き物がついたような奇怪なものだった。扉の向こうでは、別の生徒の母親が、罠にはまった獣のような唸り声を上げていた。

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