5-4
今日はいつにも増して、放課後になるのが待ち遠しかった。早く部室に行きたくて、ずっとうずうずしていた。
そんなんだったから放課後になり、自然、部室への足取りは軽快なものになる。でもスキップまではしない。この歳にもなって浮かれ気分でそんなことをするのは、さすがに恥ずかしい。
と思っていたところ。なにやら前方で、見慣れた触覚ちゃんとやらが鼻歌交じり。ぴょんぴょこ飛び跳ねていた。
「美咲先輩っ!」
「んあ? おぉーくろすけー」
部長はスキップをやめて立ち止まる。そして振り返りざまに、「よっ!」と手を上げてきた。
やっぱり、傍から見ていても恥ずかしい。スキップなんてしなくてよかった。
「ずいぶんご機嫌ですね」
「そりゃね。今日はいつにも増して充実してたからなー。楽しかったし」
僕も同感だと首肯する。
頭の後ろで手を組むと、部長はゆっくりと歩き出す。頼りになるその背中に、僕も付いて歩く。
「賑やかなのは、やっぱ楽しいな」
「そうですね。やれることが一気に増えそうな感じがしました」
「だよねー! これぞ、枠にとらわれない高校生のラジオって感じ」
「みんなも納得してくれそうですし、よかったですよね」
「くろすけのお姉さんにも、感謝しないとねー」
たった一回、姉ちゃんの話をしただけなのに、あんなにもみんなが食いついてくれるとは……正直言って僕も意外だった。
なんだかんだ言いつつ、面白ネタになったことには素直に感謝しないといけない。
階段を上り、部室がある四階へ。廊下の角を曲がって、最奥の空き教室への道すがら。
視線の正面。ちょうど真っ直ぐの目線の高さだ。部長が歩くたび、短く飛び出たツーサイドアップの触角ちゃんが、ピコピコと楽しげに踊っている。
……何を思ったか、上機嫌に小躍りするそれらに僕は両手を伸ばした。
「――ウィーリー!! 」
突如、部長は声を発して大きく仰け反る。
思わず、髪をつかんだままビクついてしまった。
「って、なにしてんだよ、くろすけ!」
「いや、なんとなくで、つい……」
意外と、部長の髪はさらさらしていた。もっとこう、美容なんかにはあんまり興味がないみたいに、がさつで大雑把な人だと思っていたのに。
これはなかなか癖になる肌触りを有している。
それにしてもノリがいいな。かなり機嫌がいいらしい。
「両手で握るんなら、胸もんでくれてもいいんだよ? 静巴も言ってたじゃん、胸もむと大きくなるってさ」
「そうですねー、なら! って、もむほどないやないかーい」なんてついノリ突っ込みをしたくなったけど……。事後を想像すると怖気がする。だから僕は、黙して語らず、お口にチャックだ。
そうこうしている内に、部室までやってきた。部長は引き戸を開けると先に入っていく。
「おっ静巴、今日は早いじゃん」
扉を閉め、僕も自分の席に着いた。
暑さのせいか、静巴先輩はぐったりとして机に寝そべっている。
開放された窓からは温い風が入り込む。それを攪拌するのは三台の扇風機。ラジオ部の部室は空き教室なため、クーラーが取り付けられていない。申請しようにも同好会では無理だった。仕方なく個々で持ち寄った扇風機を、みんなで共用しているのだ。
「掃除早く終わったから、先に来ちゃった」
ぐでーっとして少しだらしがない静巴先輩も、なんか良いな。この無防備な姿が自然体な感じがして、親近感が湧く。
「そんなこと言ってー。早く部室に来たかったから、ちゃっちゃと終わらせたんじゃないのー? このこのー」
暑さを意にも介さず元気な部長は、早速ちょっかいをかけ始めた。
「子供じゃないんだから。ひめさんと一緒にしないでください」
「んもう、つれない子猫ちゃんねぇ」
クラブのママか……。
「――もうすぐ、夏休みだねー」
しばらく演技に入るものだと思っていたら、部長は急に話題を振ってきた。
いきなり過ぎて、じゃっかん反応に戸惑う。
「そうだね。東雲先生の家で合宿って、本当にするの?」
「モチ! みんなでパジャマパーティー出来たらいいよねー。あ、くろすけは筋肉スーツ着用でねっ」
ああー、雑貨屋さんのパーティーグッズコーナーとかによく置いてある、あれねー――
「って何でですか! 暑くて死んじゃいますよ」
「さすがにクーラーくらいあるでしょ」
「いやでも、さすがに筋肉スーツは……」
動きにくそうだし、とにかく色々スベリそうで嫌だな。
「性犯罪事前防止用の目的もある」
「しませんよ、そんなことッ!」
まったく、部長はろくなことを考え付かない。教師の目と鼻の先で、そんな堂々と出来ようはずもないのに。……まあ、東雲先生の胸をもんだ僕に言えた義理じゃないけれど。
そうでなくとも、女子の中に男子が一人。部室とは違って女性の部屋だし、逆に気まず過ぎて萎縮してしまうと思う。
「でも本当にいいんですか?」
「あ、まーた余計なこと考えてるな。くろすけは変態なのか真面目なのか、よく分からんヤツだ」
変態が真面目の対照にされている!? むしろ紙一重みたいになってる。
なんだろう。行き着くところまでいってしまったような、このなんとも言えない空虚感。
「せっかく部活が盛り上がってきたんだし、ここらで親睦を深めるのも大事なことだろー?」
「そうだね。私たちだけじゃ、こんなにもラジオっぽくならなかったし」
「そうそ。きっとくろすけ以外を勧誘してても、こんなに楽しいラジオにはならなかったよ。くろすけ弄りやすいし……」
んっ!? なんか聞き捨てならない言葉が聞こえたような。
「だから、くろすけの労い会みたいなことも実は兼ねてる」
「……美咲先輩、それ、絶対にいま思いつきましたよね?」
「そ、そんなわけないだろー」
目が泳いでるんですけど。
でも、そういうことなら断るのは野暮ってものだ。二人がこう言ってくれて、内心すごく嬉しかったりする。僕のやってきたことは無駄じゃなかった。必要としてくれる人たちが、目の前にいるんだ。
そして、ラジオを聞いてくれたみんなも、認めてくれている。燻っていたあの頃の自分と違って、それが今は小さな自信になっている。
「ありがとうございます、先輩方。僕も参加します。筋肉スーツは着ませんけど」
「あ、あれは冗談に決まってるだろッ」
「なに焦ってるんですか、美咲先輩」
「ふふふっ」
静巴先輩が笑み、僕もつられて笑った。そして美咲先輩も。
三人寄れば、自然と楽しい空間になる。僕は、そんなラジオ部が好きだ。
「静巴、来れそう?」
心配そうに少し眉をひそめる部長。
「うん、先生の家だから大丈夫だと思う」
「よかった」
安心したように部長は微笑んだ。言い出したはいいけれど、きっと不安だったんだろう。
静巴先輩の家柄を考えるなら、外泊とかは許されないかもしれない。それを考慮しての免罪符として、東雲先生の家なのかも。そんなことを思った。
「くろすけ、興奮して寝られないな。だからって、静巴にちょっかい出すなよー。あ、あたしならいいよ?」
「なに言ってるんですか、しませんよそんなこと」
据え膳食わぬはなんとやらって言うけど、節度は守らないと……。耳が早い風紀に取り締まられたくないし。
そこでふと、思い出した。
「そういえば最近、彩華さん顔見せなくなりましたね」
以前は決まって放課後に、部室に注意しに来ていたのに。
ここのところ、とんと来なくなった。
いつからだろう。今週の月曜日あたりからは、もう来ていない気がする。
「夏休み前だからなー。生徒会はいろいろ忙しいんじゃない?」
「そういうものですかねー」
それとなく彩華さんのことを話してみたのに、部長はいつもどおりだ。誕生日プレゼントはまだもらってないのかな?
さりげなく、誕生日でも聞いてみるか。
「そ、そういえば、美咲先輩って七月生まれでしたっけ?」
「ん? そうだけど……、あれ。あたし誕生日教えてたっけ?」
やばい、なんか訝しんでる!
冷静に考えてみれば、そりゃあいきなりこんな会話、不自然極まりなかった。
本格的に怪しまれる前に、なんとか誤魔化さなくては。
「えっ! いや、なんていうか、そう、あれですよ! なんか夏生まれっぽいなーと思って」
「確かに、ひめさんは夏っぽいね」
「あー、やっぱり分かる? なんつうかさ、あたしって暑が夏い、夏女だからさっ」
「晴れ女とかじゃなくて、夏女なんですか?」
「まあ、晴れ女だけどねー」
夏が暑いんじゃなく暑が夏くて、夏女で晴れ女……? なんだか多重に暑苦しい響きだな。
「なに疲れた顔してんだよー。いいだろー別に、さわやかな夏晴れだよ?」
「ああ、それならまだいいですね」
要するに言葉のニュアンスだ。さっきのよりは断然、部長を的確に言い表せていると思う。
快晴の夏空……うん、部長っぽい。
「というか、なんで急にそんなこと聞き出したの? もしかして、なんかくれるとか?」
「ぅえ!? いや、特に、理由はないんですけど……」
これ以上部長に怪しまれるわけにはいかない。いくら二人の動向が気になるとはいえ、まだ部長がプレゼントをもらっていないのだとしたら、なおさらだ。うっかりバレるようなことがあれば、せっかくのサプライズが台無しになってしまう。
ここは早々に部長を巻かなくては。
「あっ、静巴先輩は冬っぽいですね」
棒読みだー! なんでこういう演技は下手くそなんだろうか。姉ちゃんに似たのか?
「私は何月のイメージ?」
よかった、静巴先輩は気にしていないようだ。
横目で見やる部長は……、小首をかしげている。
「じゅ、十二月ですか?」
「惜しい、十一月だよ」
「あーそうですねー、言われてみれば焼き芋の季節っぽいですもんねー」
「ん、それどういう意味?」
「えっ、いや違う。つまり、紅葉の季節っぽいって言おうとしたんですよー」
「あぁ、なるほど。それならよく言われるよ」
――あはははは、うふふふふ。
なんだろう、このその場しのぎのママごと染みたやり取りは。
こんなんで部長を丸め込めるのだろうか?
「なに二人で盛り上がってんのさー、あたしも混ぜてよ」
どうやら成功したらしい。部長が単純でよかった。
けれど、誕生日の話題はこのあたりで止めておいた方がよさそうだ。
それはそうと、抜け目ないのにどこか抜けている。美咲先輩は、憎めない愛すべき、我がラジオ部の部長だ。
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