5-2

 一週間のテスト期間、その全日程が終了した。週明けの七月三日、水曜日。


 危なげなくテストを終えた二人と、なんとか頑張った僕。来週に返ってくるテスト結果が少々心配だったりする。たぶん赤点は取っていないはず。それは手ごたえでなんとなく分かる。


 それはそうと、今日はラジオ放送解禁日だ。なんだかこう間が空くと、確かにテンションが上がる。放送がないとその週は退屈で仕方がない。まだ一週間とちょっとしか空いていないのに、僕もすっかりラジオ部に染まっているのだと実感する。


「さてさて、今日はどんな手で防衛してくるのかなっと?」


 いつものように、廊下の角から放送室前を窺う部長。


「前回は風紀を使ってきたんだっけ?」


 続いて、静巴先輩がその上から顔を出す。


「そうそ。発明部に頼んで上履き改造しといてよかったよ」


 あれは発明部の仕業だったのか。確かに、部長は工作とか裁縫とか、そういった細々した作業は得意じゃなさそうだ。校則に制服の規定はあるけれど、上履きに関する記述はなかった気がする。そこを巧みに突いていったんだろう。


「風紀委員の男連中、ずいぶんと幸せそうな顔してましたよね」

「出血大サービスってやつだな」


 まさにそんな感じだ。またあんなことになるのかと、不安と期待を抱きつつ、僕も二人の上からこっそりと顔を出した。

 今日は前回のように風紀委員の姿はなく、彩華さん一人だった。

 しかし、なんだかそわそわとしていて落ち着かない様子。


「どうやら一人のようですね」

「ふふん、今日は秘密兵器、ののちゃんを投入することにしよっかな」

「私ですかぁ?」


 のんびりとした声が背後から聞こえた。振り返ると、東雲先生が缶ジュースを持って立っていた。……いつの間に。パッケージの絵柄から、どうやらイチゴ味らしいそれは、よく見るとノンアルコールと表記されたカクテルだった。


「そっ。ののちゃん顧問になってからさ、特にこれといった活躍してないじゃん?」

「私もやれば出来るです!」

「よし、その意気だよののちゃん!」

「それで、私はなにをすれば……」

「そのカクテル飲みながら、彩華の前を堂々と通り過ぎてね。あっ、もちろんノンアルコールの部分は旨いこと隠してさ。きっと彩華は注意すると思うけど、それは聞こえない振りして通り過ぎること。間違っても足を止めちゃダメだよ?」

「わかりましたぁ」


 子供みたいに手を上げて返事し、先生はカクテルのプルタブを起こす。プシュっと空気の抜ける音とともに、ストロベリーの甘い香りが漂ってきた。

 本物のカクテルもこんな香りがするのかな。なんだかお酒って感じがしない。

 部長に言われたとおり、東雲先生はノンアルコールの表記を隠すようにして、両手で缶を持ち直す。


「じゃあ、行ってきますよぉ」


 そう告げて、缶に口を付けながら先生は廊下へと出て行った。

 小さな背中が少しずつ遠ざかっていく。

 僕は角から右目だけを出して、ことの行く末を見守る。

 大丈夫かな。なんだか、お使いに出した子を見守る親のような気分だ。

 すると、東雲先生にさっそく気づいた彩華さんが、部長の予想した通りに呼びかけた。


「東雲先生、それ、なんですか?」


 問いかけに、先生は作戦通りに無視を決め込む。そしてその横を通り過ぎていく。


「あ、あの、ちょっと――」


 慌てた様子の彩華さん。コンビニでも似たようなものを見たことがあるのかもしれない。あの派手なイチゴのパッケージ。明らかに訝しんでいる。


「東雲先生、それ、もしかしてお酒なんじゃ」


 肩をつかんで自分に向けさせると、彩華さんは軽く腰をかがめて先生と目線を合わせた。

 それに対し、東雲先生はちょっとムッとして眉間にしわを寄せる。


「チャンスチャンスー」


 ちょいちょいと、部長が小声で方向を示す。どうやら今のうちに放送室に入ろうと、そういうことらしい。

 三人そろって、昔のコントの泥棒みたいに壁伝いにそろりと歩く。

 彩華さんが背を向けている隙に、先頭の部長は放送室のドアを静かに開けた。


「先生、それ、どう見てもカクテルですよね?」


 先生は問い詰められ、ふるふると、幼子みたいな素直さで首を横に振る。僕たちの姿を確認すると、缶からそっと口を離した。


「これ、カクテルはカクテルでも、ノンアルコールですよぅ」


 ナイスタイミング! とでも言わんが如く、部長はグッと親指を立てる。

 先生はなにも悪いことはしていないと、彩華さんに向かって堂々と缶を突き出した。

 静巴先輩に続いて僕も放送室にスルッと入る。そして問答の行く末を見守った。


「本当、ノンアルコールって書いてある」


 納得したのか、けれど紛らわしいと頭を振りながらも、彩華さんは「失礼しました」と先生に頭を下げた。

 ――ちょうどそのタイミングで。


「あーやか」

「ひゃうっ!? 」


 部長は彩華さんの肩に触れた。冷たい手を背中に差し込まれたみたいな反応をして、彩華さんは飛び上がる。


「み、美咲っ!」

「へへーんだ。今日もあたしらの勝ちー」


 得意げに残念な胸を張る部長越しに、彩華さんはこちらをのぞき込んでくる。

 薄っすらと、彼女の目の下にくまが出来ているのが気になった。

 やられた、とも、またか、とも取れるような顔をすると、なにやら彩華さんはこめかみをぴくぴくさせ始めた。


「まさか東雲先生を手駒にして――」

「手駒だなんて人聞き悪いなー、将棋やチェスじゃないんだからさ。ラジオ部は一歩前進して、なんと! ののちゃんは我が部の顧問になったんだよっ」

「ま、まさかあの時の頼みごとって……」

「そういうことー」


 俯いてぷるぷるし出す彩華さんは、なんだか怒っているように見えた。怒りが爆発するのかと心配していると、


「し、しょうがないから使ってもいいわよ! その代わり、楽しいラジオにしなさいよねっ」


 もじもじと言うよりかはそわそわとして、顔を赤くしながら言い放つ。そして気まずそうに俯き加減で、早足で逃げるように去っていった。

 そういえば、七月が部長の誕生日だって言っていたけど。プレゼントはもう渡したのかな。それともこれからなのか。仲たがいしていると勘違いしてるけど、頑張ってほしいな。


 放送室ではすでに、静巴先輩が録音機や机、マイクを準備してくれていた。

 僕は毎度のごとく、リスナーさんからのメールを入れたバッグから紙の束を出し、机に広げる。


「くろすけ、アレは持ってきた?」

「あれ?」


 静巴先輩が何かと小首を傾げた。

 僕はこれ見よがしにわざとらしく、もったいぶるようにバッグに手を入れる。がさごそと大仰に漁り、そして、『アレ』を取り出して机に置く。


「じゃんッ」

「ジャン!」

「じゃん?」

「すぴー……」

「いや、いちいち続かなくていいです」

「って最後のなんだ! まったく、なんでののちゃんはさっきの今でもう寝てるわけ?」

「お昼のラジオが楽しみで、なかなか寝付けなかったみたい」

「小学生の遠足じゃあるまいし。いや、小学生だってその内慣れるよ?」


 東雲先生は僕の指定席前に用意された、もう一脚の椅子に腰掛けて机に突っ伏していた。可愛らしい寝息をたてて、すやすやとおねむータイムだ。

 というか二人とも、僕が机に置いた物からすっかり先生に注目がシフトしてしまっている。


「あれ、これどこかで見たような……」


 と、静巴先輩がようやく気づいた。銀色の物体を手に取り、まじまじと見つめる。


「どうしたのこれ?」

「くろすけの提案で、導入することになりました。その名も『チリン象』!」

「チリン象?」


 普通じゃつまらないと言われ、ショッピングモールで偶然見つけた『チリン象』。その名から想像つくとおり、ゾウの鼻を押し下げるとベルが鳴る仕組みになっているものだ。


「あの日の失敗を鑑みて、トークに集中しすぎると時間が危うくなるってことでねー。カチカチだけだと気づかない時もたまにあるじゃん?」

「ああ、そういうこと」


 合点がいったと静巴先輩は頷く。


「さっそく今日からこいつで遊ぶんだもんねー」

「って美咲先輩。これは先輩のためのオモチャじゃなくて、僕の仕事ですから」


 注意すると、部長はふふふんっと鼻を鳴らした。


「なるほどなるほど。くろすけはゾウさんを弄りたいと?」

「そうですよ、ゾウさんを弄ってって……違うッ!」


 つい流れで納得したけど、そういう意味じゃない。


「そういうことなら、これはくろすけに担当させてあげよう。くろすけにこそ相応しい」

「あいや、かなり語弊があるというか――」

「さ、ラジオやるよー」


 さらっと流し、部長は席に座りあぐらをかく。小首をかしげながらも、静巴先輩もそれに続いた。

 こんな部長に影響されて、いつか静巴先輩が下ネタ言うようになったら嫌だな。なんて思いながら、僕もスタンばった。


 

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