4-2

 それから僕たちは、二人で遊ぶことになった。


 彩華さんが残していったメープルパンケーキは、もったいないからと部長が美味しくいただいた。聞けば、昔はよく半分ことかして食べたらしい。その名残もあってか、回しのみとかにもあまり抵抗がないという。


 後で彩華さんに言ったら、ゆでだこみたいに顔を赤くして卒倒しかねないかな。黙っていたほうがよさそうだ。


「くろすけ、そういえば卓上ベルは?」


 二人並んでウインドウショッピングをしながら通りを歩いていると、急に声がかかった。僕がなんの袋も提げていないことからの疑問だろう。


「雑貨屋には行ったんですけどね。その時に偶然彩華さんを見つけて声かけたら、なんか成り行きでお茶に……」

「なるほど、ってことはまだかー」


 部長はどこか嬉しそうに何度もうなずいた。


「そういえば。部長こそ駅前になんの用で?」

「いやー、お使いに出したくろすけが無事にそれを果たせるのかなって思ったらさ、不安になっちゃってねー」

「僕は小学生ですか」


 いや、部長ならやりかねないかも。テレビ番組よろしく、カメラで僕の動向を追ってみたり。そしてその役目は静巴先輩だったりし――


「ん? なにキョロキョロしてんの?」

「いや、静巴先輩がカメラに様子を収めてたりしないかなって」

「バラエティー番組じゃないんだから」


 そう言って、見ているこっちが楽しくなるような軽快さで笑う。青空によく映える、さばさばとした実にいい笑顔だ。なぜだろう、心なしか気分が浮つく。


「――んじゃあ、一緒に見に行こっか!」


 それから僕たちは雑貨屋をめぐった。お目当てのものは駅前にはなく、結局、近場のショッピングモールの雑貨屋に行く羽目になった。部長はそのことを謝っていたけれど。

 僕は部長とこうして歩いて、話して。一緒に過ごす時間がすごく楽しくて仕方がなかったから、そんなことは気にもならない。


 卓上ベルを買った後、僕たちは近場の噴水公園で休むことになった。

 やっぱり、人が大勢いるところはなかなか落ち着かない。それを気にかけてくれた部長の配慮だ。こういうことは、男である僕が気遣わないといけないことなんだろうけれど……。逆に気を遣わせてしまったことに、少し情けなさを感じる。

 公園までの道すがら、部長と会話が途切れることはなかった。


「今日はけっこう歩いたねー」


 噴水を望むベンチ。そこで大きく伸びをしながら部長は深呼吸をした。

 僕も少しだけ遠慮気味に、鼻から息を吸って、そして吐く。

 緑の薫る風はまだ少しだけ梅雨くさい。でももうすぐで梅雨明け。そんな夏の足音が聞こえてきそうな、爽やかな風だった。


「そうですね、なんか久しぶりにこんな歩いた気がします」


 基本的に、休みの日は家にいることが多い。駅前なんて、忌々しい使いに出される以外で来たことなんてさほど記憶にない。他には中学の時、友達と打ち込みソフトを見に行ったり、参考にCDを買いに行ったくらいかな。


「しっかし、まだ三時かー。これからどうする?」

「部長は疲れてないんですか?」

「あたしはぜんぜん平気だけど……。もしかして、もうダウンなの?」


 彼女は少し驚いたように目を見開いた。


「パワフルですね」


 本当にそう思う。行動力、持久力、精神力、意志力。どれをとっても部長に勝てる気がしない。僕が唯一勝てることっていったら、なんだろう。たぶん探しても見つからないと思う。

 ……ああ、部長よりは真面目だ、それだけなら絶対勝てるかな。というか負ける気がしない。


「くろすけって、インドア派?」

「いやー、別にそういうわけじゃないんですけど……」


 というか、部長がただただアクティブなだけじゃ。いつも感心するくらい元気だ。


「静巴もインドアなんだよなー」

「そういえば、あんまり聞きませんね。二人が出かけたって話」

「まあ、静巴んちは特殊だからねー。あんまし遊ぶ機会ないんだよ。家は大学生のお兄さんが継ぐことになってるらしいから、静巴はわりと自由にさせてもらってるみたいだけど。それでも、一般人のあたしらから見たら、束縛ってほどではないにしろ、窮屈な生活してるんだ」


 静巴先輩にはお兄さんがいるのか。どんな人なんだろう。格式高くて歴史ある名家。そんな家に生まれた二人は、どんな生活をしているんだろう。

 部長が言うように、一般人の僕からしたら、想像もつかない苦悩があるのかもしれない。


「だからさ、学校でくらい羽を伸ばさせてあげたいじゃん。籠の鳥だって、自由に飛び回りたいもんだよ、きっと」


 そうか、だからなのか。

 一年の頃、静巴先輩の提案を、部長が身代わりみたいに自分のせいにしていたっていう話。それがその人のためになるのかどうか、賛否はもちろん分かれるところだろう。だけど、部長が自分なりに出来ることを考えた上で、静巴先輩が楽しんでくれるならと思った結果の行動だ。誰も彼女を責めることなんて出来やしない。


「あっ、これ静巴には内緒だかんね」


 白くて細長い人差し指を口元に当てて、しーっと部長はジェスチャーする。

 この人は、どれだけ仲間思いなんだろう。

 そんなことを口に出して言えば、彼女はきっと『部長だから』って返すんだろうな。

 それでも、こんなに思ってくれている人がすぐ側にいる。静巴先輩は幸せだと思う。


「あーそうそ、それより。くろすけは休みの日はお家でパスタ?」

「いきなりなんですかそれ。僕はイタリアかぶれじゃないですよ」


 話を急に戻されて、普通な返答しか出来なかった。

 ……あれ、普通でいいのかな? ラジオ部に入ってからというもの、少しでも捻った答えを返さないと、そんな思考をするようになってきた。


 そう返すと、部長は俗に言う引きこもりなその理由を、真面目に考え始めた。別に考えなくてもいいのに。いやむしろ考えないでください、惨めなんで。


 実は姉ちゃんの部屋の掃除をしているなんて、言えるわけがない。あの人、散らかしたら散らかしっぱなしだから。だからといって僕が掃除する道理は微塵もないんだけれど。やらねばならない理由があったりなかったりする。


 いや、あれは不可抗力というか、いや違うな。あれは巧妙に仕組まれた罠だ。なのになぜか証拠写真で脅されるというわけの分からない事態に陥って、袋小路で地団駄踏んでいる状況、そんな感じかな。


「――すけ、くろすけ?」


 はっとして気づく。部長の呼び声、肩を揺さぶられる振動。そして噴水の吹き上がる音、家族やカップルの話し声、鳥のさえずり。周りを取り巻くさまざまな環境音が、いっせいに鼓膜を振るわせた。どうやら周囲の音が聞こえないくらい、思考の海に没入していたらしい。


「大丈夫? 気分でも悪い?」


 ああ、まただ。また部長に気を遣わせてしまっている。確かにむかむかはしているけど、そういう気分の悪さじゃない。

 せっかくのデートなのに、嫌なことを思い出した。

 ……ん? デート? これって、デートなのかな?

 いまさら過ぎる疑問が頭をよぎった。


「あの、部長――」

「ここでお開きにする? 体調が優れないんなら、無理して付き合わなくていいよ」


 なおも気遣う言葉をかけてくれる。きっと部長が男だったらモテるんだろうな。今のままでも男女問わず人気なのが頷ける。

 それなのに、そんなことが急に気になりだして、少し申し訳なく思えてきた。


「いや、ちょっと考え事してただけなんで、平気ですよ」

「そう?」


 すると、確かめるように部長は僕の額に手を当ててきた。その仕草に少しだけ心臓がドキリと跳ねる。いきなりの至近距離に、思わず僅かに身を引いてしまった。動いた拍子に、香水の匂いがふわりと鼻をくすぐった。みずみずしい、花の微香だ。

 部長の手は、少しひんやりとしていて気持ちがいい。出来ることなら、しばらくこのままでいたいくらいだった。


「うん、確かに熱はなさそうだねー」

「だから大丈夫ですって」


 強がりだと思われないように、いたって自然に、いつもどおりの軽い口調で返事する。

 部長は少し心配性なのかもしれない。部員として大切に思われているのは嬉しいけど、それで彼女の気が滅入ったらこっちも困る。

 唐突だが、僕は話題を変えることにした。


「それより部長、一つ聞いていいですか?」

「な、なに?」


 ただならぬ気配を感じたのかもしれない。部長の体が少し強張っている。僕もなんだか目に力が入っているし。変に誤解されないか心配だけど、でも聞こう。


「これって、デートですか?」


 ぽかーん、と部長は口を開けた。

 本当にいまさらだ。もしかすると失礼だったかもしれない。それを言った後で気づく僕は、やはり抜け作で田吾作なんだろう。それでいい気もしてくる。

 でもデートなんてしたことがないから、これがそうなのか気になり出すと止まらない。心臓は忙しなく早鐘を打っている。

 ややあって、こともあろうに部長は吹き出した。


「な、なんで笑ってるんですか!」


 緊張の瞬間を返してほしい。中学の頃に、初めて告白した時くらいにはドキドキしていたかもしれないのに。


「ごめんごめん」


 部長は目じりに溜まった笑い涙を拭う。


「でも、なんで急にそんなことが気になったの?」

「なんでと言われても……」

「じゃあこれがデートだったら、くろすけはどうする?」


 どうする? なんだろう、答えがない問題を解きなさいと言われている気分だ。デートをしたことがない僕に、いったい部長はどんな答えを期待しているんだろうか?

 しばらく頭を悩ませていると、隣から小さなため息が聞こえた。

 なんだか尻の据わりが悪くなり、僕は思わず立ち上がる。


「あ、あの部長、のど、渇きませんか?」

「えっ、ああ、そだね――」

「僕、ちょっと自販機でなにか買ってきます」


 なにか言いたげな部長に背を向けて、僕は駆け出した。

 噴水から程近い遊歩道沿いの自販機で、僕はドリンクを選ぶ。その間、さっきの問いについて考えていた。


 デートだったらどうする。デートだったら。どうする、どうしたい。なにする、なにしたい。なに、する? いかんいかん、変な方向に思考が傾きかけた。そういうことじゃない。


 うーん。なんかボールがひたすら円を回っているような感じだ。堂々巡りというか、本当に出口が見つからない迷路。なんて答えを出せばいいんだろう。

 結局、答えが見つからないまま、僕は小さいペットボトルのスポーツドリンクを買って戻った。


「ずいぶん遅かったね。考え事はまとまった?」


 先の問いに悩んでいたことは、やはりばれていたようだ。それもそうか、あんなにも思わせぶりに立ち上がれば。

 小首をかしげる部長は、いつものからかう様子ではなく、なんだか悠然として見える。どんな答えでもかまわない、そんな余裕のある鷹揚な雰囲気だ。


「すみません、よく分からなかったです」


 だから僕は、正直にそう答えた。

 すると部長はうなずいて、


「それでいいと思うよ」


 そんな答えが返ってきた。

 わけがわからず立ち尽くしていると、部長は言葉を続ける。


「少なくとも、くろすけはあたしのことを気の合う仲間だと思ってくれてるわけでしょ? 気の許せる友達だって」

「はい。大切な仲間、ですね」

「あたしもそう。でもこれがもしデートだったとしたら、くろすけはいろいろ気を遣うよね? あたしに」

「それはまあ、遣わないと……」


 いや、遣うだろう。でも現に、部長に気遣われているから少し怪しいけれど。それでも、きっと気を配る。いつもの軽い感じではいられないくらいには、きっと――


「あっ」

「気づいた?」


 そうか。いままでの付き合い方が出来なくなる。きっとなにかを意識せずにはいられなくなる。部長はどうか分からないけれど、少なくとも僕は部長の見方が変わってしまうかもしれない。


「そういうことだよ。だから、いまは……このままでいいかなって。あたし、そう思うんだ」


 そう言って空を仰ぐ部長の横顔は、口元に微笑を刻んでいるものの、どこか寂しそうだった。


「いまはって、どういうことですか?」

「えっ? いや、なんでもないよなんでも。他意はないからっ」


 思わず疑問を口にすると、あたふたと部長は慌てふためいた。

 まあ僕も、仲のいい友達とただ遊ぶ体ならだいぶ気が楽だ。それに、なんだか部長は男友達といる感覚に近い。それも気軽に接せられる要因になっていることは間違いないと思う。


 でも部長は女の子で、これをデートにしてしまうとそれを強く意識してしまうだろう。

 以前、部長はこのラジオ部の空気感が好きだって言っていた。僕たちがもしそういう関係になってしまったら、部活もぎこちなくなるかもしれない。きっとそういうことを言いたいのかも。


「部長、スポーツドリンクでよかったですか?」


 自分なりに噛み砕いて解釈したことを、わざわざ口にすることもない。

 僕はまた別な話題を振ることにする。


「それ、いま聞くことー? 普通は手渡した時に聞かない?」


 うわっ、気遣いが空回りしたパターンだ。ダメ出しを食らってしまった。


「いや、すみません、ぜんぜん気づかなくて」

「くろすけらしいね」


 言いながらキャップを回し開け、そしてペットボトルに口をつける。

 白い首筋が陽に晒され、こくりと小さく喉が鳴った。


「うん、美味しい」


 部長が笑った、笑ってくれた。それだけでなんだか嬉しくなる。

 やっぱり、部長には笑顔が似合うと思った。


 僕もベンチに腰掛け、水分補給しようとキャップを開けた。ボトルに口をつけて呷る。ぷはぁーと一息つき、なぜか不意に、とある木が気になった。


 それは僕がいるここから、噴水を挟んで対角線上に位置しているベンチの奥。木陰が気持ちよさそうな割と大きな木だった。その木の向こうに見える挙動不審な後姿。見覚えがある。


 肩口まで伸びる黒のセミロング。静巴先輩の髪がきれいな鴉の濡羽色だとしたら、こっちは正に黒。光さえも反射しないような暗黒色。それは黒いブラウスに黒のロングスカートという、僕以上に『くろすけ』が似合いそうなファッションに身を包んでいる。

 その目標物が、横を向いた! やっぱり! なんでいるんだあの人は……。


「あ、あの部長っ!」

「んぐっ、ごほごほ」


 急に声を上げたからか、部長はむせて咳き込んだ。口の端からたらーっとドリンクが伝い流れる。少しだけエロっぽく見えてしまった、なんてことは言わないでおこう。


「いきなりどした、くろすけ?」


 未使用のハンカチをジレのポケットからさっと取り出す。それを部長に差し出して、僕は事を感づかれないように冷静に言葉を伝える。


「あの、なんか近所の知り合いが道に迷ってるようなので、ちょっと教えてきます!」


 我ながら沈着だ。声の震えもない。けれど焦りからか、じゃっかん語尾が強まってしまった。

 大丈夫だろうか?


「そうなの? あたしのことは心配しなくていいよ、行っといで」

「すみません」


 よかった、大丈夫そうだ。

 嘘をつくことに罪悪感はあるけれど、これもいまは必要なことだ。きっとそう。


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