3-4

 放課後になった。今日は一段と疲れているように思う。

 初のラジオ放送、それに体育倉庫の片付け、謎講義。教室の掃除当番。

 なんて密な一日を過ごしたのか。今夜はぐっすり眠れそうだ。

 部室に入ると、部長が一人。開放された窓を背に、あぐらをかいて椅子に座っていた。


「おっ、くろすけーお疲れさん」


 スタンダードなチョコレートプッキーをかじりながら、穏やかな笑顔を見せる。

 なんにも悪びれてないところが部長らしい。


「ひどいじゃないですか部長、僕を置いてくなんて」

「それはさっき謝っただろー? いつまで根に持ってんの。男ならさっさと水に流しなよ」


 お詫びのつもりなのだろうか。プッキーを三本つまんで部長はこちらへと差し出した。


「そういえば東雲先生は……」


 部室に姿が見えない。僕はプッキーを受け取りながら尋ねる。


「さき帰ったよ。そりゃ顧問してる部活の生徒におっぱい揉まれちゃったんだからねー。お子ちゃまはさすがに顔合わせらんないっしょ」


 部長は少し意地悪な顔をした。


「でもあれは僕のせいじゃないですよ」

「まあ触れたところまではねー。そっから先もみもみしたのは、間違いなく、くろすけの意思だよ?」

「ああ、はい。まあそうです」


 面目なくてつい俯く。


「しっかし、ののちゃんも意外に胸があるとは……これはうかうかしてられないなー」


 胸元を手で押さえる部長に触発されて、思わず右手をグーパーしてしまう。いまでも先生の温もりと柔らかさが――。


「くろすけ、鼻の下、伸びてるよ」

「伸びてません!」

「これはまた五十嵐先生に登場してもらった方が……?」

「ごめんなさい! それだけは勘弁してください!」

「あははっ、冗談だよ」


 その冗談はかなりきついです。生徒指導らしきものを体験した後だから、なおさらに。


「まあ顧問って言ってもさ、放課後あたしたちは特に活動らしい活動をしてるってわけじゃないじゃん? それに眠いみたいだし、帰りに事故られても困るしさ。だからね」

「先生に配慮したってことですか」

「そりゃあ駄弁ってるところに繋ぎとめるのも悪いからねー」

「さっきのこと謝ろうと思ってたんですけど……」


 起こすためとはいえ、曲がりなりにも教師と生徒。モラルに欠けた行動だったと反省した。


「まあ明日謝ればいいよ。それに、ののちゃんもそんな気にしてないと思うけどなー」

「どうしてですか?」

「あたしが教室戻ろうとした時にね、くろすけが五十嵐先生に連行される後姿見て、ごめんなさいごめんなさいって謝ってたし。きっとびっくりしただけだよ」


 いや、それは単に、五十嵐先生の生徒指導をくらう僕に同情しただけじゃ……。


「とにかく! 明日からは元通り。さっきメールしたら、静巴の体調もよくなったってさ」

「そうですか、よかった」


 これで来週からは静巴先輩がパーソナリティだ。やっぱり僕には裏方が向いていると改めて思った。確かに部長と放送するのは楽しかったけれど、自分の本来の仕事が疎かになると、いろいろな不具合が起きることがわかったから。

 そうだ、部長に提案があったんだ。


「あの、部長。今回初めてラジオに出てみて、ちょっと考えたことがあるんですけど」

「なに?」

「部長と静巴先輩って、僕がカチカチやってても気づかない時がたまにあるじゃないですか。その気持ちが分かったっていうか。やっぱり集中してると周りのことにあまり気づかないですよね」


 東雲先生が寝ていることに気づけていたのなら、ラジオもちゃんと締めることが出来たはずだ。


「たしかにねー。ところでくろすけ、もしかして、集中しすぎて自分の仕事が疎かになったとか気に病んでる?」


 なんで分かったんだろう。的を射すぎていてぐうの音も出ない。


「図星か。ののちゃんに頼りきらずに自分も気遣ってたら、グダることもなかったんじゃないかって? バッカーやろう!」


 だからそれは誰のモノマネなんですか。ぜんぜん分からない。


「そんなの気にすることないよ」

「でも――」

「くろすけさ、なんか勘違いしてない?」

「勘違い、ですか……」


 尋ねると、部長は腕組しながらうなずいた。


「そっ。あたしたちは何も、ああいう公共電波使って正式なラジオ放送をしてるんじゃないってこと。高校生の、高校生による、高校生のためのラジオをしてるんだよ。だから、少なくとも葦ヶ崎の生徒、ほか全国の高校生が楽しんでくれれば、それであたしたちは満足なわけ。プロじゃないんだからさ、失敗することだってあっていいと思うんだ。その失敗だって、このラジオの味になることだってあるんだしね」


 部長なりの気遣いなのだろう。一見おちゃらけているようでいて他人の機微に敏感で、それを思いやれる優しさ。彼女がたくさんの人から好かれる理由が、なんとなく分かる気がする。


「タグなんかに、放送事故とかグダり回とか付くのも、そんなに悪くないんじゃない?」


 部長の前向きで優しい言葉に、背中を撫で下ろされている気分だ。自分の失敗はそこまで気に病むことじゃない。少しだけ、気持ちが軽くなった。


「部長、ありがとうございます」

「な、なに急に。そんなお礼言われるようなことじゃないよ。あたしは部長だから! 部員の命はあたしが預かってるようなもんだしね!」

「それなら五十嵐先生から助けてくれてもよかったんじゃ……」


 つい、いつものノリで皮肉ってしまう。


「おっとー? 根に持つタイプだなーくろすけは。これはあたしの神がかり的な操舵でなんとか回避してかないと」

「部長に舵取り任せると、座礁しそうですけどね」

「そこまでひどかーない!」


 どちらからともなく笑顔がもれ、二人して笑いあう。

 夕日が部室に差し込んで、部長の明るい茶髪を照らし出す。染めているのに痛みもない、キラキラと反射する艶やかな髪が、窓からの南風に揺れている。

 部長の笑顔は、このきれいな光景の中でも見劣りせず、すごく絵になっていた。

 ハッとして気づく。


「あ、そうだ。忘れるところだったんですけど」

「どした?」

「カチカチに気づかないっていうのと今日の失敗を鑑見て、それならいっそのこと音鳴らしたらどうかなって」

「音?」

「はい。ラジオって基本、あんまり雑音とか入れないことが多いじゃないですか?」

「あたしらはけっこう音出してるけどねー」


 メール放り投げたり、拍手したり、机叩いたり。

 たしかに、いろんな雑音が『ひるラジ!』では聞こえる。


「生活感っていうか、リアルさがあっていいと思うんですけど、でもやっぱり最後はちゃんと締めたいじゃないですか。とりあえず体裁整えるためにも、時間管理はある程度した方がいいと思うんですよ」

「まあ、それも一理ある。『ひるラジ!』はラジオ放送で、大勢の人が聞くわけだしねー。それで、音ってのは具体的にどんな?」

「卓上ベルとかどうですか?」


 製品名を口にすると、それが何か、部長は思い出すように顎に手を当てた。


「ああ、お高いホテルのカウンターとかに置いてある、あの小じゃれたやつね」


 最近だと、バラエティ番組とかで意見する時によく使われる、銀色をしたプッシュ式のやつだ。


「まああれならチーンって音もなんか滑稽だし、いいかも?」

「本当ですか!」


 自分の意見が採用されるっていうのは、やっぱり嬉しい。つい大きな声をあげてしまった。


「くろすけってホント、ラジオ部のこと考えてくれてるんだなー。あたしはいい後輩を持てて嬉しいよ」


 そんな風に言われるとなんだか照れる。うなじの辺りがむず痒い。


「んじゃあくろすけ、今週の休みにでも買ってきて」


 えっ?


「僕ですか?」

「駅前の雑貨屋にでも行けば売ってると思うからさ」

「自腹?」

「ううん、そんな無茶なこと言わないって。後でみんなで割るから大丈夫だよ。だ・か・ら、安いやつでお願いねっ」


 茶目っ気たっぷりのウインクをされれば、嫌とは言えない男心。

 なるべく安いやつで済ませよう。ラジオ部はまだ同好会で、部費なんて出ないんだから。

 僕は二つ返事で了承した。


「あ、そうだくろすけ――」


 思い出したように、部長が僕の名を呼んだ。おもむろに彼女の顔を見返す。


「今日のラジオ、楽しかったよ!」


 はにかむ部長の頬が、ほんのりと赤く色づいていた。

 夕陽を浴びているからってだけではなさそうだ。

 ……うん、こういう一日も、悪くないかもしれない。

 気がつけば、夕陽が空間すべてを淡いオレンジ色に染めていた――。

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