3-2

 翌週水曜日。

 東雲先生が顧問になって、初めてのラジオ放送当日。

 いつものように昼休み、僕らは廊下の角で作戦を練っていた。


「彩華のやつ、ついに風紀まで使うようになったのか……」


 僕も覗いてみると、確かに、風紀委員の腕章をつけた男子が数人、放送室手前に集まっていた。

 廊下を通せんぼする形でスクラムを組む、風紀委員の男たち。

 そのすぐ後ろで、怒り顔で仁王立つ彩華さん。


 犬猿の仲の風紀をどう説得したのか。この時間によく六人も集めたものだ、と感心していたら。よく見ると、なにやら左手に各々、小さなチケットを握っていた。それは、食堂の食券だった。


 買収か。彩華さんも狡いことを考えるなあ。手段を選ばないラジオ部に感化されたのかもしれない。だとしたら悪影響だ。

 しかしよく考えてみれば、風紀の乱れを取り締まり正す委員会に属していながら、そんな賄賂に負けるっていうのはどういう了見だろう。風紀委員長に知れたら大目玉をくらうに違いない。


「ま、あたしたちには関係ないことだけどねー」

「部長、どうするんですか?」

「あれだけいたら、いつもの小細工はきかないだろうな」


 平静を装って回避するにも、きっと押し返されるはず。風紀委員は頭でっかちで有名だ。だからといって、ねずみ花火を放り投げるわけにもいかないし。一度それで五十嵐先生からめちゃくちゃ怒られたことがあるらしく。それからはずいぶんと大人しくなったって、静巴先輩から聞かされたことがある。


「となれば……」

「なれば?」

「一点突破しかないじゃないの!」


 シンプルイズベスト!

 言うなり、部長は角から飛び出した。

 彩華さん、そして風紀の男たちの視線が一斉にこちらを向く。


「部長、そういえば静巴先輩は? いくらなんでもこれじゃあ分が悪いですよ」

「静巴? まあまあ」


 言葉を濁したのには、なにか理由があるんだろうか?

 スクラムを組む風紀委員は全部で五人。今のままじゃ明らかに多勢に無勢だ。

 しかしそこは我が部長。あれらを前にして、臆するどころか口の端を不敵に吊り上げた。


「まさか、一点突破ってあれを突き破ってくわけじゃないですよね?」


 少々やんちゃだけど、女の子なんだ。怪我でもしたら大変だ。

 自分が代わりにその役を買って出ようと、口に出そうとした時、


「ふっふっふ、こんなこともあろうかと、上履きにホッピング機能をつけてあるのだー!」


 部長は屈み、以前気になった上履きのジッパーを開放する。すると抑えつけられた欲望を吐き出すかのように、ぼろんとストリングが勢いよく躍り出てきた。


 部長はすっくと立ち上がる。バネにより体が小刻みに上下動している。不安定な足元にもかかわらず、脅威的なバランス感覚のもと、その場で二度三度ポンポンと軽く跳ね――


「いっくよー! ホップ、ステップ、ジャーンプ!! 」


 軽快なかけ声とともに床を三度蹴る。

 ビョーンと間抜けな音をさせながら、助走もなしで三段跳びの選手もビックリの跳躍を披露した。


 スクラム組が、頭上を越すしなやかなカモシカを見上げる。そして、みんなで目を丸くした。

 次の瞬間、僕を含めた男連中はそこに見たものに目を瞠ることになる。

 閃いてはひるがえるスカート、その中身。


「あっ、あぁあああ! ぶ、部長、パンツ見えてますよっ!」


 し、しかも、あれは黒の――


「見たけりゃ探せ! あたしのパンツはそこにある!」

「探す手間なく、モロ見えですから!」


 大人っぽいレースだった。

 梃子でも動かなさそうな、がっちり組み合わさったスクラムはそのままに、ばたんと風紀委員の男子が一斉に横倒しに倒れた。その表情は皆、幸せそうに笑っていた。鼻から血を流して……。


 スクラムが崩壊し、一人になった彩華さん。

 部長は放送室のドアを背にして、たじろぐ彩華さんと対峙する。


「や、やるわね。まさかそんな手を使って飛び越すなんて」

「おっ、珍しく彩華が感心してる。これはラジオ部の勝利?」

「そんなわけないでしょ。こっちにも切り札があるんだから」

「切り札?」


 この期におよんでそんな大それたものが? さすが彩華さんだ。一筋縄ではいかない。


「姫川さん、その下着は校則違反よっ!」


 部長のスカートをビシッと指差しながら、裁判官に異議を唱えんがごとく、彩華さんは声高々に言った。

 それを部長はどこ吹く風で聞き流す。まったく悪びれた様子なく、


「またまた~、そんなこと言ってー。彩華も実は、ピンクの穴あきパンツとかはいてんじゃないの~?」


 わざとらしく厭らしい笑みを浮かべる。そしてさり気なく伸ばされた右手、が――

 ピラッ。

 彩華さんのスカートを一気にめくり上げた! 白い、雪原だった!


「☆×■◎※△――――!? 」


 声にならないような悲鳴をのど奥で押しつぶし、慌ててスカートの裾を押さえる。彩華さんはぷるぷる震え、顔を耳まで真っ赤に染め上げた。


「ありゃ、まさか本当に真っ白とは……。相変わらず真面目なんだなー」

「美咲のバカ! もうお嫁にいけないじゃなーい! うわぁあああぁん!! 」


彩華さんは顔を隠し、泣きながら死屍累々を飛び越えて、脱兎のごとく逃げ出した。金色の二つのおさげが、たなびいて離れていく。

 部長の顔はほっこりとし、一仕事を終えた達成感に満ち溢れていた。



「部長、少しやりすぎなんじゃないですか?」


 何事もなく? 無事にたどり着いた放送室。

 勝手に設置したバリスタでコーヒーを淹れ、それを部長に手渡した。もちろん部費なんて出ないため、みんなで出し合って買ったものだ。


「おやおや? いきなり説教とは、くろすけも偉くなったものよのぅ」


 コーヒーカップを受け取ると、部長は悪代官みたいな腹黒そうな笑みを浮かべる。


「いきなりスカートめくるのは、さすがにモラルに欠けるというか……」

「あたしのパンツも見られたから、おあいこだ」


 それは部長が勝手に見せたんでしょ。

 彼女はいつものように椅子にあぐらをかいて、伸びをするように背筋を伸ばした。

 そ・れ・に、と部長は続ける。


「女の子のああいう反応が好き! なんかほっこり癒されるんだよねー」


 ニカッと白い歯を見せて笑う。


「男子はもっこりするから、少しは自重してください」

「くろすけも? あんたも好きねぇ」


 言うなり、机に顎を乗せてべったりと貼りつき、僕の股間をジッと見つめてくる部長。


「あの、なにしてるんですか?」

「見てわかんない? 見つめてるの」

「いや、分かりますけど……、なんでですか?」


 問うと、きょとんとした顔をする。


「見てればもっこりするかなと」

「見られただけで盛り上がってたら、ただの変態じゃないですか」


 すると、部長はいきなり真顔になって、カッと目を見開いた。


「あたしの瞳はゴルゴンの瞳」

「ゴルゴンって、ギリシャ神話のメデューサですよね? あれは石化させる力であって、股間にテント張らせる能力じゃないですから……」

「あれ、そうだっけ? カチコチになるところは一緒かなってさ」


 じゃっかん巧いところが、どうにもツッコミ難い。

 返答に戸惑っていると、にしし、と部長はからかうみたいに愉快げに笑った。トレードマークである触覚ちゃんとやらがピコピコ揺れている。


「しっかし、あんなのでお嫁にいけなかったら、あたしはどうなんのって話だよ」

「もう他人様に顔向け出来ませんね」

「そこまでひどかーない」

「自覚なしですか!? 」


 僕はがっくりと肩を落とす。

 ふと、あぐらをかく部長の脚が目に付いた。やんちゃなわりに傷一つなく滑らかで、肌触りのよさそうなきれいな脚だ。以前は、短いスカートを持ち上げて縞パンを晒していたけれど。


 ――今日はあの下は黒レース、黒レース……

 先ほど見たばかりの部長のパンツが脳裏に浮かぶ。ふつふつと、少しの期待が鎌首をもたげる。


「ん? く、くろすけ、目が血走ってるよ?」


 ――黒スケ、黒の、スケスケ……

 生唾を飲み込む。耳の奥で、ゴクリと大きな音がした。


「ほ、ほら、ののちゃんも怖い顔して見てるって」


 ん? 東雲先生?

 部屋の中を見回してみる。すると僕がいつも座っている隅っこの席に、いつの間にか東雲先生がちょこんと座していた。まるで敵でも見咎めるかのような視線がちくちく刺さる。


「あれ、ていうかなんで先生がいるんですか? いつもの特等席は向こうのはずじゃ」

「ああそうそ。言うの忘れてたけど、静巴、風邪ひいて今日休んでるからさ」

「休み!?  じゃあラジオどうするんですか。もしかして、部長ぼっちでやるんですか?」

「なーに言ってんの。くろすけもラジオ部でしょーが」

「僕ですか!?  でも静巴先輩がいないんじゃ、最初っから音楽とか時間管理とかカチカチもやらないと……」

「そのために、ののちゃんがブース入ってるんだよ」


 東雲先生を見やる。

 ふんすんと息をはき、


「がんばるですよー」


 両手でガッツポーズ。こんなに張り切っている先生を初めて見た。初ラジオでテンションが上がっているのだろうか。けれどどうにも頼りない。


「ののちゃんには、構成台本を目安に時間管理してもらうことになってるから。あたしたちはラジオに集中ね」


 まあ時間管理といっても、終わり際の締めの区切りくらいしかないんだけど。コーナーでも増えればまた違うと思うけど。今はまだないから、東雲先生に任せても大丈夫かな。


「でも僕、こういうの初めてだし、静巴先輩みたいに上手く出来ないかもしれませんよ?」

「最初から上手くやろうと思わなくっていいよ。くろすけはくろすけのまま、素でやればそれで味になるんだからさ」


 パチリとウインクしながら部長は言う。

 なんだか、いつになく部長が頼もしいと思った。


「まあ、思い出作りだと思ってさ?」


 思い出作り。

 さりげないその一言に、微かな不安を掻き立てられた。

 きっと、いつ終わるかも分からないからって意味だと思う。東雲先生を先取りしたからといっても、まだラジオ部は同好会でしかない。

 生徒会から強く言われれば、断念せざるを得ないこともあるだろう。


「分かりました、出ます」


 部長の気持ちを汲み取り、僕は了解を口にした。

 瞬間、部長が嬉しそうに満面の笑みを咲かせる。


「よし! 基本あたしがリードするから、ツッコミたかったら遠慮しないでね。穴があったらいつでも入っていいから」

「どんだけ恥ずかしいことさせられるんですか……」


 幸先不安でしょうがない――。

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