Take3 初ラジオ

3-1

「ふんふんふ~ん」


 ご機嫌な様子で東雲先生は椅子に腰掛けている。

 高校生サイズの椅子では少し大きいのか。ぶらぶらさせる足がわずかに足らず、床を蹴れないところは突っ込んじゃいけない。だとすればこそ、噂が信憑性を増してくるというものだ。

 百五十センチの身長を自称しているが、実際は百四十五センチ前後しかないとかいうあの噂。


 しかし確かめることなど出来ようはずもない。なぜなら、五十嵐先生が怒るから、だそうだ。

 それを聞いてから、僕もあまり気にしないようにしている。


「機嫌いいですね、東雲先生」

「あんなに頑なだったのに、籠絡した翌日からこの有様とは。ののちゃん、お菓子に釣られる子供みたいだよ?」

「だから私は子供じゃなくて、お姉さんです! もっと言えば先生なんですぅ!」

「いや、それならまず先生を先に持って来るべきだったよ?」


 週末、金曜日の昼休み。

 部室に集まった僕たちはなんのこともない、昼食をしにきていた。

 開放された窓から入り込む生温い微風。先生の亜麻色の髪がたなびいて、シャンプーのいい香りが漂ってきた。


 改めて紹介しよう。ラジオ部先取り顧問、東雲杏子先生だ。

 その右手には六個入りのクロワッサンの袋、左手にはノンアルコールカクテル。実に優雅な昼食を持参してきた。

 先生を初めて見た時のインパクトを一言で表すなら、コーギーを見た時の違和感、プライスレスってところかな。


 要約すると、コーギーを知らない人が顔だけ見ると、「あっ、普通の可愛いワンちゃんだな」と思うところ、実際に全身図を見ると短足なことに驚く感覚に近い。


 東雲先生も顔写真だけで見るならば、かろうじて大人に見えなくもない可愛らしい女性って感じなんだけど。実際目の当たりにすると、その背の小ささに違和感を感じること請け合いだ。

 十中八九がこれじゃないと思うだろう。

 子ども扱いされるのが嫌いで、そのせいなのか。大人っぽい白いブラウスに黒のタイトミニという、ザ・女教師! みたいな服装でいることが多い。


 それもこれじゃないに拍車をかけていると思う。というより痛い。子供が背伸びしすぎて足攣っちゃったみたいな痛さかも。まあ本人がいいならいいんじゃないかなとも思うけど。

 そこで、ふと気づく。

 そういえば、今日は静巴先輩の姿が見当たらない。


「あれ、静巴先輩はどうしたんですか?」


 尋ねると、部長は弁当箱のふたを開けながら、


「ああ、今日は日直だから少し遅れるってさ」

「そうなんですか。じゃあ、先に食べてましょうか」

「そだねー」


 さっそく、僕も弁当を開けて舌鼓。

 かと思いきや。


「はいこれ」


 なんの前触れもなく唐突に、部長が箸でつまみ上げたのは、ちくわみたいに中央が抜けた物体だった。弁当箱に入っていたことから、煮物の類だと思う。

 差し出されるまま、僕はそれを指でつまんで受け取る。


「いや、はいって……。なんです、これ?」

「ちくわぶ」

「ちくわぶ?」


 ああ、これがちくわぶなのか。名前は聞いたことがある。

 実物は初めて見たけど、少し硬くてなんだか消しゴムみたいな感触だ。


「って、ちくわぶ渡されても……」

「昨日の夕飯の、おでんの残り。くろすけ、それでなんか面白いことやって」

「また無茶振りな」


 しかし、冬でもないのにおでんとな?

 部長を見やる。これから始まる手品を楽しみにする、子供みたいな瞳が返ってきた。

 面白いこと……。


 部長は期待している。自分を楽しませてくれることを。こともあろうに、この僕に!

 これは今後の僕への評価も高まる、貴重極まりない好機かもしれない。

 気合を入れなくては……。


「部長!」

「ん?」

「僕のここ、見てください」


 渡されたちくわぶを、おもむろに、これ見よがしに右胸へ。


「見てるよ」

「――乳首部ッ!」

「…………」


 反応が、ない。部室が静まり返っている。

 再挑戦。諦めてたまるかっ。

 僕はちくわぶを手のひらで包むようにして、軽く拳を握る。

 そして、おもむろに手を胸の前へ。


「――乳首が、でっかくなっちゃったあー!? 」


 拳を開くと、ぽろんとちくわぶが跳ねるようにして躍り出た。

 すかさず、部長の顔色を窺う。


「…………」


 またも無反応。まつげがふるりと震えることすらない。

 ええい、まだだ! まだ終わらんよッ!

 ちくわぶの端をつまみ、セクシービームのポーズをとる。


「ちくブィーム!! 」

「…………」


 半ばやけくその渾身作。しかしまたしても無反応。

 もう、耐えられない!


「部長、なんとか言ってくださいよ!」


 僕はたまらず声を上げた。


「それ、全力?」

「…………はい」


 憮然として放心する部長。肩を落とす、僕。

 無茶振りしてきた部長がその反応って、理不尽じゃない?


「部長、ドSですね」

「なんだとーう! 私がドSなら、キミはドMだ!」

「いや、理屈がおかしいですって! なんでイコールなんですか!」


 あはははっ! と部長はさも愉快げに笑いこける。


「ま、いいや。今度ラジオのネタにしよっと」


 さらりと聞き捨てならぬことを言う。


「やめてください、ただの恥さらしになっちゃう!」


 目に涙を浮かべつつ、僕はもらったちくわぶを口に放る。

 所謂あれだ、スタッフが美味しくいただきましたってやつ。人からのもらい物だ。好意と食材を無駄にはできない。けれど、芯が残っているような歯ごたえで、味がない。


「あれ、おでんにしては味が染みてないような」

「ああそれ、あたし嫌いだからさ。味が染みる前にお母さんの目を盗んで、こっそり全部外に出したんだー。でももったいないから、くろすけにあげようと思って」

「僕は残飯処理ですか……」


 口の中を空にし、一息ついた。

 その時、視線を感じた。ひんやりとした手で肌を撫でられ、背筋が粟立つような冷たいものだ。

 僕は反射的にそちらへ振り返る。

 見ると、部室の入り口で静巴先輩が唖然として立ち尽くしていた。


「あれ、静巴。いたんなら早く入ってきなよ」

「い、いまのは、なに?」

「いまのって?」

「乳首がなんとかいうやつ……」

「あーあれね。くろすけの一発芸だって」

「なんですとッ?」


 やりたくてやったわけじゃないのに、なんだこの自主的にやりましたな空気感。


「ののちゃんも顧問になったことだしさ、ここらであたしらがどういうことして過ごしてるかを、簡潔に紹介しとこうかなーと思ってね」

「へえ、くろすけ君がんばってるんだ」


 静巴先輩、棒読みで納得しないでください。

 いやそれにしても酷すぎる。

 一人で事故ってそのフォローもしてもらえないなんて! 対人賠償を請求したいくらいなのに!


「でも、肝心の東雲先生、寝てるけどね」


 まさかと思って先生に目を向ける。


「すーぴー……むにゃ」なんて、クロワッサンを下敷きに、思いやりの欠片もない寝息が聞こえてきた。夢でも見ているのか、幸せそうな笑顔を浮かべている。

「って、ののちゃん寝てるし!」

「初めての顧問で、今日が楽しみすぎて寝付けなかったらしいよ。美術の時間も舟こいでたし。昨夜は十一時に寝たみたい」

「……小学生か」微妙な顔をして部長がつぶやく。 


 夜九時にはおやすみしているって言ってたし。東雲先生にとっての二時間は、かなり夜更かしになるのかな? 寝る子は育つって言うけど、二十四歳だと望み薄だろうか……。


「しっかし、ちくわぶだから乳首部って、くろすけ安直過ぎるでしょー」

「僕のラジオネームを『くろすけ』にした、部長にだけは言われたくないです!」

「ぬおっ! くろすけから思わぬ反撃がッ? でももったいないなー。くろすけの恥をさらした勇士を見逃すなんてさ」


 別に恥さらしは勇ましくないです。


「いったいなにやれば正解だったんですか?」

「あれで正解だと、思うよ――くッ」


 笑いを我慢しきれずに、部長は失笑した。


「いまごろ!? 」


 ふと気になって、静巴先輩にも目を向ける。

 瞬間、


「プッ!! 」


 静巴先輩は噴出しながら横を向き、目も合わせてくれない。

 体が震えているところを見る限り、実際はウケていたことが見受けられる。

 …………。

 ま、まあ、面白かったならまだいいかな。複雑な気持ちだけど、救いはあったんだ。

 けど、この言い知れぬ喪失感は――


「もう、お嫁にいけない」


 そんな感じ。


「お嫁ならもらったげるよー。困ったらお姉さんのとこに来なさい! なんでも優しくしたげるから」


 いやお姉さんて。たまに部長は妙に年上ぶりたがる。しかし、なんでも優しく…………。


「おや? おやおやおや? 鼻の下がのびてる。発情しきったサルみたいな顔をしているぞ。さてはえっちなこと考えてるな?」

「そんな顔してませんよ!」

「してるよね、静巴?」

「してる。おかしな方向に興奮しすぎて、下半身をさらけ出す変質者みたいな顔してるよ」


 静巴先輩のほうが、言ってること何気にひどいのはこれ如何に……。

 お淑やかな大和撫子はいったいどこへ?

 先輩を見ていると、少し顔が赤いのに気づいた。


「静巴先輩、顔赤いですけど、なに照れてるんですか」

「照れてないよ。少し風邪気味なだけ」

「大丈夫ですか? 薬は飲めますか? なんなら口移しでも――」

「大丈夫心配ありがとう」


 提案を即却下された。冗談と知ってか知らずか、微笑んでいるのが少し怖い。

 けれど熱っぽい顔はそれはそれで、静巴先輩のにじみ出る色気を妙に増しているように思える。


 確かに、静巴先輩が『静御前』と呼ばれるのも分かる気がする。家柄もそうだけど、雰囲気がまさしく貴人だもんな。とにかくお淑やかそうに見える。

 でもどうしてそんな人が、ラジオ部なんてアウトローな部に所属しているんだろう……。

 動揺を悟られる前に、僕は慌てて視線を正面に戻す。

 今度は別角度からの視線があるのに気づいた。

 そちらを向く。嬉々とした瞳をする部長と目が合った。


「ああ、あたしもなんだか熱っぽいかも……」


 椅子にあぐらをかいて座り、いかにも病的であるかのようにぐったりと机に伏す部長。

 兎にも角にも演技くさい。


「風邪薬飲んだ方がいいですよ?」

「むっ、静巴とずいぶん対応が違うじゃないのさ、くろすけー」


 部長はぷぅっと頬を膨らます。部室には自然と笑いが満ちた。

 今日もラジオ部は平和です。

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