1-2
「さ、今日もラジオ放送がんばるよー! みんな、お昼はちゃんと食べた?」
「もちろん」
「抜かりないです」
静巴先輩に続いて僕も頷いた。
ラジオのない日はちゃんと昼休みに食べるのだが、放送当日はいろいろとやることがある。
ここから先は戦場だから、食べてすぐは消化に悪い。
だから基本、みんな早弁するんだ。
「よし、じゃあ、行くよ」
廊下の角から放送室前の様子を窺っていた部長が、僕たちにそれぞれ指示を出す。
「相手は今日も彩華一人だ。くろすけは、なんでもない風に自然を装って、彩華の前を通り過ぎて油断させて。静巴はそれに続いて隣の職員室へ。先生に用事があると思い込ませるための演技ね。これ、擬装用のプリント――」
言いながら、丸めて輪ゴムでとめたプリントの束を差し出した。
静巴先輩が頷きながらそれを受け取る。
「混乱しつつもきっと彩華は静巴のことが気になると思う。その隙を狙ってあたしが手前のドアを閉めるから、くろすけはさっさと放送室に入ること。いい?」
「了解」
「OKです!」
「んじゃー、作戦開始!」
その言葉を合図に、僕は普段どおりを装って廊下に出た。いつもどおりの歩幅、呼吸。
窓の外の、青々とした新緑を見ているフリをしながら、彩華さんの前をさりげなく通り過ぎる。
「あら、黒鳥君。今日は放送はなし?」
「あっ、彩華さん、どうも奇遇ですね。今日はなんか乗り気じゃないとか言って、部長の気まぐれでナシになりましたよ。困ったもんですよね、では」
一つ礼をし、僕はそのまま歩き去った。
部長たちから見て対角線上の廊下の角にすばやく身を隠し、彩華さんの様子を窺う。
辺りをきょろきょろと見渡し、警戒しているようだ。
やっぱりこの程度じゃ不信感は拭えないか。
ここですかさず第二波だ。
彩華さんがこちらを向いた瞬間に、静巴先輩が角から急ぎ足で飛び出した。
気配に気づいたのか、
「ん? ちょっと待ちなさい、御門さん」
さすがに呼び止められるか。
一年生の頃は部長と二人して強行していたそうだから、警戒されるのは当然といえば当然だった。
「なに? 私、いま急いでるんだけど。先生にこのプリントを持って行かなきゃいけないの。もしかして、代わりに持っていってくれるとか?」
「あ、いえ、そうじゃなくて……」
「じゃあ、私は急ぐから。またね、白峰さん」
「え、ええ」
静巴先輩の畳み掛けに、彩華さんは取りつく島もなく道を譲った。
そのまま静巴先輩は職員室へ。
それを見守る彩華さんの頭上には、疑問符がたくさん浮かんでいるようだ。
ここまで作戦時間は約三分。時間は無駄にしていられない。
そろそろ、部長が動く頃だ。
待ち人を探すみたいに、周囲に目を配る彩華さん。
さっき話に聞いたとおり職員室の中が気になるのか、静巴先輩の様子を窺おうと中を覗き込んだ、その時!
部長が抜き足差し足忍び足で、角からぬるっと出てきた。その手には、掃除で使うデッキブラシが握られている。
滑るような足取りで、職員室までの距離を縮めていく。
音もなく彩華さんのすぐ後ろまで肉薄すると、その背中をトンと突き、
「えっ、ちょっ……」
ガラッと職員室のドアを閉めた。デッキブラシで引き戸をつかえさせると、
「くろすけ!」
僕は駆け出し、部長が開けた放送室の中へと滑り込んだ。
「あとは静巴だけ――」
「ちょっと姫川さん、ここを開けなさい! 卑怯じゃない!」
「あらゆる手を尽くして勝ちを掴み取る。それが我がラジオ部なのだよ」
「小悪党みたいなこと言ってないで、ここを開けなさい!」
引き戸を開けようと試みるけど、彩華さんには開けられない。
ガチャガチャいう音だけが空しく響いている。
「そんなこと言っても、もうくろすけが放送室の中に入ってるからねー。今日もあたしらの勝ちだよ、彩華」
「認めない、そんなの認めないんだから~」
「まあまあそう悔しがりなさんな。来週もまたやるからさ」
「ホント?」
「――えっ?」
「いや、なんでもないわよ」
それっきり、彩華さんは黙りこくった。
生徒会との、と言っても、ラジオ部を邪険にしているのはどうやら彩華さんだけらしいのだが。その彩華さんとの決め事で、彼女を掻い潜って放送室を占拠出来たら、その日はラジオを行ってもいいというものがある。
つまり、僕が放送室に入った時点でラジオ部の勝ちなのだ。
前回は彩華さんが用事で、強行することなく勝利した。だからあの時、放送室の外で彼女がごちていたのだ。
いつもならもう少し口論しているんだけど……。
今回は意外とあっさり大人しくなった彩華さんに少し疑問を感じたが、早くセッティングしないと時間がなくなってしまう。
まず机を向かい合わせにくっ付け、ラジオ用に購入したマイクをそれぞれ二本立たせた。マイクケーブルを機器に差し込み、ついでにウォークマンも機械につなぐ。
さらに録音機器にUSBメモリを差して、あらかじめ録音ボタンを押しておく。
ウォークマンを静巴先輩の机に置き、専用のバッグから、投函されたお便りの束を取り出して机に広げた。
そして簡易キューランプも設置し、壁際の自分の机にスイッチボタンを置く。
これで準備は整った。
放送室はいつでもすぐに校内放送できるようになっているため、さほど準備には時間がかからない。まあ、彩華さんの妨害に時間を食われなければの話だけれど。
今日は思ったより時間に余裕がある。放送五分前に準備を終えられるのは珍しい。
自分の席に座ると、ちょうど部長と静巴先輩が入ってきた。
「彩華どんな感じだった?」
「すごく悔しそうだったよ。けど、なんか楽しそうだった」
「んん? 悔しいのに楽しい? よく分かんないなー。あ、くろすけお疲れ!」
「どうもです。とりあえずメールはバラしときましたけど、この量はさすがに時間内には無理ですよね」
それぞれが気に入ったネタはがきは、総数十八通にもおよぶ。
中には長文もあり、二十五分で紹介するにはかなり端折るか割愛するか、巻くかしないとどう考えても無理そうだ。
「んー、じゃあこれからはシャッフルして、ランダムに引いて読んでみよっか?」
「自分のお気に入りが読めないってこと?」
「そうそう。毎回、それぞれが気に入ったやつは自分で紹介してたじゃん? ああ、くろすけのはランダムだけどさ。お気に入りだからどうしても読みたい、けど時間がない。そういう時は全部シャッフルして、読まれなかったやつは諦める」
「なるほど、我慢も時には必要だね」
それなら公平だ。
「そういうこと。んじゃあまだ時間も少しあるし、のんびりしてよっか」
あのメールの中に、僕が選んだのも混じってる。
なんか他の物とは異質の物体。ラジオ部として僕が携わってきて、あんなメール投稿は初めて見た。だからぜひ、二人に読んでほしかったんだ。
あれはたぶん、学生じゃない。
けれど、『らじボックス』に投函されていたものだ。ということはつまりは学校関係者……。
僕としても、すごく気になっている。
「ん?」
ふと視線が気になり、職員室と繋がっている嵌め込みガラスの小窓に目をやった。
「あ、東雲先生、こっち見てますよ」
「ののちゃんがッ?」
「本当だ」
みんなの注目は、ガラスの向こうの東雲杏子先生へ。
緩やかにウェーブがかった亜麻色の髪の、女性美術教師。
柔らかな物腰と優しい笑顔、日向のような温かさの可愛らしい先生で、生徒のみならず教師からも人気がある。
僕たちが見ていることに気づいたのか、にこにこ笑って先生は手を振ってきた。
「あははっ、相変わらずののちゃん暢気だなー。今日も菓子パンかじりながら聞いてくれるのかー。面白い子だ」
あの向こうで、水面下で白鳥がバタ足するが如く、お立ち台に乗って見守っていることを想像すると、確かに笑える。
「私たちの最初のファンだもんね」
東雲先生は、部長たちが一年の頃から、なにかと世話を焼いてくれたらしい。
放送機器の使い方を教えてくれたのもそうだって聞いた。
「よし、ののちゃんのためにも、楽しいラジオにしよう!」
『おおー!』
一致団結。
こういう瞬間が楽しいと思えたのも、ラジオ部のおかげだ。
携帯を開くと、まもなく午後十二時三十分。
これから二十五分間、ラジオ放送が始まる。
僕はいつものようにスタンバった。持ってきたメールが読まれることを願って。
――三、二、一。
ノリのいい曲とともに、ラジオがスタートした。
「はい! というわけで始まりましたー。第七回『お昼の放送はラジオ部におまかせ!』略して、『ひるラジ!』のコーナーです!」
「パーソナリティはお馴染み、抹茶プリンは好き。シズと」
「みんなのアイドル、になれたらいいなっ! ひめがお送りしていきまーす。新生となってからはついに七回、ラッキーセブンだね!」
台本上の決まり文句から、フリートークへ。
「ひめさんは最近、ツイてるなって思ったことなにかあります?」
「ツイてるかー。ちょいちょい思い当たることがあるんだけどさ」
「うんうん」
「最近よく肩を叩かれるのね。それで振り返るんだけど、そこに誰もいないの」
「あぁー、これはダメなやつだぁ、はい……」
僕と同じことを想像したのだろう。
静巴先輩はじゃっかん引きつり気味で顔をしかめた。
「よくよく思い返してみると、首のストレッチする時に叩かれてる気がしてさ。なんてことはない、首を傾けた拍子にあたしの触覚ちゃんが肩に当たってたってオチだったよ」
「きゃぁー! ――ん、髪ですか? 私はてっきり幽霊の仕業かと……」
「あたしもそう思ってたんだけどねー」
「なかなか曲者だね、そのツーサイドアップ」
なぜだか分からないけど、部長はすっごくドヤ顔だ。
「ところでシズは? 最近ツイてたこと」
「私ですか。そうですね。ツイてるといえば、クリーニングに出してたブラウスを今日着てきたんだけど、襟にタグが付いたままでした」
「あるある」
パチパチと、部長は拍手を打って笑う。
「さーてさて、くせ者といえばだよ。今回もなかなか癖のあるお便りを頂戴してねー」
「アクがけっこう強いですよね」
「それを紹介していこうと思うんだけども。前回あたしからだったから、今回はシズからね」
「了解しました」
数あるメールの中から、静巴先輩は一通手に取った。
どうやら、僕が入れたものじゃないみたいだ。残念。
「んじゃいってみようかー。お悩みいろいろ相談室ー」
静巴先輩からウォークマンを受け取ってそれを操作し、僕は曲を変更する。
リズムの弾む曲が流れ、そして段階を踏んで音量を下げた。
「このコーナーでは、『らじボックス』に投函された勇気ある生徒たちからの恋のお悩みや、日常のお悩みを、サクサクっとあたしたちが解決していこうではないかという、慈善運動に似せた自己満コーナーです」
「自己満って言っちゃダメ!」
「他人の不幸は蜜の味~」
「いまもの凄いあくどい顔してるけど、大丈夫? ねえ大丈夫なの!? これ公録じゃなくてよかったね」
「とまあ要するに、皆さんからいただいたお悩みを、あたしたち二人が相談に乗るという形で、同情なりアドバイスなり、背中を押してあげるなり、ねえ?」
「そうですね。千尋の谷から蹴落とす勢いで――」
「死んじゃうっ! 勇気を後押しする体を装って崖から落とさないで! サスペンスのあの人来ちゃうから! せめて平地でドロップキックにしたげよ? っとそういうコーナーです」
結局、蹴るんかい……。
っと、若干押し気味だ。
いや、面白いんだけど、今日はぜひ僕の掘り出したメールを読んでほしい。
だから僕は、押し気味の時にはこのキューランプをカチカチ点滅させまくる!
「おっと、ランプがカチカチしてる。というわけで時間も押すので、メールを紹介していきたいと思いまーす。んじゃシズ」
「はい、じゃあ読みます。ラジオネーム、玉転がしさんからいただきました。
『こんにちは! 一年の玉転がしと申します。いつも楽しく拝聴させていただいています』」
「おぉー後輩かー、いいねー君、青春してるねー」
「『先輩方、聞いてください! 最近、好きな女の子に思いを伝えようと、手紙をしたためたのですが。普通に渡すだけでは面白みもなく振り向いてもらえないと思ったので、奇を衒ってみたんですけど――』」
「行動力はあるね、素直に尊敬するよ」
「『帰り道、待ち伏せして木の陰から、その子に向かって矢文を射てみたんです』」
「矢文!? 時代錯誤かっ! ってあぶねぇよ?」
「『そうしたら、その子が振り返りざまに矢を鞄で払い、もの凄い形相で睨み返してきました。その後なにごともなく歩き去っていったのですが、ふと足元に違和感を感じたんです。見ると、一匹の犬が僕の足に擦り寄っていました。その口には僕が好きな子に宛てた恋文が……。どうやらその犬も名前が同じだったらしく、勘違いをして自分のことを好きだと思ったようです。それからその犬は僕にくっついて離れません。僕はどうしたらいいですか?』
という、なんとも切ないというか、虚しいお悩みですけど、ひめさんはどう思います?」
「……な、なんも言えねえ。どうかそのワンちゃんと末永くお幸せに、としか」
憐れみか呆れか、どちらとも言えないようなしょっぱい顔をして部長は言った。
「ですよね。というか矢文って凄いね。私的には、挑戦状とか果たし状のイメージが強いんですけど……。その子も勘違いしたんじゃない?」
「あーなるほど。果たし状だと思って、睨み利かせたのか。だとしたら、玉転がしさんは顔覚えられちゃってるね。夜道には、くれぐれも気をつけてねー」
大して心配してなさそうな軽い口調で、部長はウインクして言った。
その挙動が見えるのは僕たちと、東雲先生だけだ。
……うん、先生もちゃんと見てくれてる。口もごもごしてるけど。
「でもその相手の子もよく振り払えましたよね。現代の侍なんじゃないです?」
「侍と言えばさ、シズはよく剣道部とか薙刀部に間違われるよね?」
「そうなんですよ。あれ、なんなんですかね? すごく勧誘されたりしたし、今でも時々あるんだけど。なにより、外歩いてる時とかも、よく外国の方に『オーサムライガール!』とかわけ分からないこと言われるんですよね。そんなに私、和っち和っちしてますか?」
「いや、それ本気で言ってる? って、わっちわっちってなに?」
「えっ、純和風な、雰囲気?」
ぽっと静巴先輩が頬を赤らめた。
「なんか可愛いなーそれ。そか、和っち和っちね。てかシズなんてどっからどう見ても和風少女じゃん、もはや総本家じゃんっ。あたしも勧誘するのを躊躇するくらいには迷ったよ。あだ名が『静御前』だし、その青みがかった長い黒髪もさ、真っ黒の瞳も」
「家が茶道の宗家ってのもそれに起因してるんですかね」
「それはあると思う」
「お抹茶、苦くて嫌いなんですけど……」
静巴先輩はげんなりしてうな垂れる。
茶道の家元の娘さんなのに、抹茶が嫌いなのか。そのくせ抹茶プリンは好きという。
一つ、先輩について知ることができた。
「てなわけで玉転がしさん、新しい恋を見つけてね! さ、次のメール読むよー」
部長が手に取ったのは、またも僕のじゃない。ランダムだと、やっぱりきついかな?
録音しているから横から口を出すわけにもいかないし。僕には念じることしかできない。
「ラジオネーム、にが栗さんから。
『私はある土管工の人に恋をしてしまいました』」
「久しぶりに女子から恋話きましたね! にしてもガテン系ですか、浅黒マッチョ好きなんですね」
「『でも彼はとってもシャイな人。私が追いかけると、いつも土管をくぐっては目の前からいなくなってしまいます』」
ん? と静巴先輩が小首を傾げる。
「『ある時、勇気を振り絞り思いのたけを伝えようと、そそくさと逃げていく彼を追いかけました。その先で見た光景を今でも忘れません! 彼は楽しそうに、頭に花を生やしたイモムシの世話をしていたのです。仲睦まじく追い駆けっこする二人は、まるで恋人同士のように見えました。それを見て、私はこの恋をあきらめ、そっと土管をくぐり持ち場へと戻りました』
……って、これ完全にマルオだよね? しかも相手がハリハナだなんて……」
「だれがどう聞いてもマルオですね。でも緑の弟の方である可能性も、無きにしも非ずですけど」
「マルオの相手がピーティーじゃないなんて、どこの変態同人誌よ? クッポも怒るわ!」
「しかも相談者がクリボーン(メス)ですね……」
唖然としている静巴先輩を見ていたら、つい噴出しそうになった。
マイクが離れているとはいえ、危なかった。
「まだノロノコならよかったんじゃん」
「え、どうしてですか?」
「いや、似たもの同士かなーって」
「んん?」
ここで下っ!? しかもどっちかというとフォルムがBLより……。
静巴先輩が不思議そうな顔をして首を傾げている。下ネタに疎くてよかった。
「というかさ、仲睦まじい追いかけっこじゃなくて、マルオは死ぬ気で逃げてるんだよ! イモムシは食う勢いで追いかけてんの! まったく、最近こんなんばっかだなー。もう少し真面目なやつはないのかねー」
呆れる部長をよそに、ポップなBGMに乗せて鼻歌交じり、マイペースにメールの山を漁る静巴先輩。その手が、目当ての物に、触れたッ!
無駄に華やかな花鳥風月の切り絵で彩られた、僕が見つけたメール。
机から前のめりになって、その行方を固唾を呑んで見守る。
それを、静巴先輩が手に、取った! やった!
僕は机の下で、小さくガッツポーズした。
「ひめさん、これまたずいぶん凝ったメールですね。くろすけ君のっぽいんだけど、期待出来そうなんで、私読みますね」
「はぁ、お願い」
いよいよだ。
ついに来る、きっと来る!
「ええと、あれ、ラジオネームが書いてないですね。じゃあ、匿名さんからいただきました。
『はぁ、私って、なんてツイてない。せっかく、ついにホテルでディナーまで漕ぎ着けたのに……』」
「ん? ずいぶんとアダルティなメールだけど、大丈夫?」
部長がこちらへアイコンタクトを取ってきた。たぶん、生放送に耐えられる内容か、という意味だろう。
僕はそれに黙って頷く。真剣な眼差しで。
「『お酒を呷っていきなり別れ話切り出すとか、どんな神経してるです? 私を振るためだけにわざわざホテル予約しますか? ふざけないでほしいですっ。期待した自分が、馬鹿だったわ……』」
ハッとなにかに気づき、
「ああ、失恋メールかー。泣けるねえ――」
部長は表向きの同情を口にしながらも、読み終わったメールの裏にせっせと何かを書き殴る。
そしてそれを破れんばかりに勢いよく広げ、僕に向かってかざした。
(コイツハ間違イナク先生ダ、探シテ脅シテ顧問ニナッテモラオウ……)
無駄にカタカナ挟むのをやめてほしかった。読みにくくて仕方ない。
それにしても、もの凄い形相だ。
丑の刻。怨み言を唱えながら藁人形を木の幹に打ち付ける女の人が、きっとあんな顔をしているに違いない。
……怖い。
「『せっかく気合入れておめかししたのに、女をなんだと思ってるです。もう二度と恋なんかしないんですからっ!』
というメールなんですけど……あの、これって――」
「シズ!」
「は、はい?! 」
「あたしたちはこの終わった恋の行方を、青ダヌキよろしく生暖かい目で見守ってあげよう」
「終わってるんなら見守る必要ないと思うんですけど」
「それえ言っちゃーお終えだぁ!」
バッサアと、山積みのメールを掴んで、部長は宙に放った。おかげで次に読むメールがなくなってしまった。
僕はそれを拾いに走る。音を立てないよう、静かにだ。
しゃがみ、その場でメールをかき集めていると、カタカナ混じりのあの一枚が、部長の椅子の下にあることに気づいた。
どうしよう。部長はここでもあぐらをかいて座っている。取ろうと思えば取れるけど……。
なんでよりにもよって椅子の真下にあるんだ。頭突っ込むわけにもいかないし。椅子の後ろに回って取ればいい? いや椅子の周りをうろうろするのもかえって怪しまれるだろう。部長の後ろに回れば、静巴先輩のスカートを覗き込んだとか濡れ衣を着せられかねない。あまり動くのは得策ではないように思う。
机の下で正座する。逡巡……。
その間、二人はフリートークで繋いでいる。
ふと、部長の重なり合った脚の先が目に付いた。
……あれ、部長の上履きがなんか変だ。ラバーと生地の境にジッパーが付いてる。いままで気づかなかっただけで、上級生のは違うのかな。
そろーっと静巴先輩の足元にも目を配った。決してパンツを覗きたいとかそういうんではなく。けれど、静巴先輩の上履きにはジッパーなんてものは施されていなかった。
「――さて次のメールにいこっかなと。あれ、まだ時間は大丈夫かな?」
頭上から声がかかった。自然、見上げて部長と視線を交わす。
不意に部長が、含んだようにニンマリと笑った。
問いに答えるため携帯を見ようと、視線を下ろし、
「ぶふぅっ!! 」
突然、視界にパンツが飛び込んできた!
部長がスカートを摘み上げ、これ見よがしに見せ付けていたんだ。
色は、白と黒の縞々だった……。
「おっと、なにかが吹き出したようだけど、みんな気にしないでねー」
慌てて落ちていたメールを拾い上げ部長たちの机に放り投げると、僕は自分の持ち場に戻る。
顔が熱い。
戻り際、ふと見たガラス窓に、珍しく東雲先生の姿がなかった。仕事かな?
抗議したい気持ちを抑え、僕は時刻を確認する。もうすぐ四十八分になろうとしていた。
読めてあと一通くらいか?
僕はぶんぶんと右手を空振りしながら、左手で一本指を立てる。空振りは音を立てられない自分なりの反抗の意を表したつもりだけど、部長は何食わぬ顔でラジオの進行に務める。
「というわけで、どうやらあと一通読めるみたいなんで、紹介したいと思いまーす」
部長は山を適当に漁る。そして一通引き出した。
「ラジオネーム、ない乳パインさんか、ら……。『ラジオ部のみなさんこんにちは、いつも楽しく聞かせていただいています。二年のない乳パインです――』」
メールを紹介する声がいつになく硬い。頬はぴくぴくと引きつっている。
「こ、こんにちは」
部長の顔色を窺うように、静巴先輩が気まずそうに挨拶を返した。
「『私には悩みがあります。それは、高校生にもなって胸がBカップから一向に成長しないことです。静御前様はけっこう立派なお胸をしていらっしゃいますが、なにかされていますか? もしよろしければ教えてください! 切実にっ!! なんでもいいです、なんでもします! お願いします!』…………くッ」
「………………」
ああっ! ラジオでやっちゃいけない沈黙がっ! 放送事故回なんてタグがついちゃう。
静巴先輩まで微妙な顔してる。この話題にどう触れていいのか、迷っているのが傍目にも分かる。
かく言う部長は……。
ずーん、って効果音が適切なくらいに影が差していた。
やがてその体がぷるぷると震え――
「んがぁー! ない乳パインー! お前はあたしにケンカ売ってるのかーっ!」
部長は涙目になりながら怒り心頭を露にした。
ばしんばしんと机を叩く。
「お、落ち着いてください、ひめさん」
静巴先輩が宥めようとするが、部長は治まらない。
鼻息荒く、机に残されたメールをバッサバッサとまた放り投げ、雷さまみたいに憤怒している。
「落ち着いてられるかっ! なんでBカップで満足できないんだ! Bもあれば十分だろッ、うぅううぅぅー」
ない乳パインさんは、部長の触れてはならない逆鱗に触れたのだ。部長に胸の話題は禁物。知らなかったのなら、この機会にぜひ覚えておいてください。
声に出して言いたいけど、発することが出来ないのがもどかしい。
「ええっと、ひめさん泣き出しちゃったので、私が代わりに……、って、私への質問でしたっけ」
「静巴まで馬鹿にしてぇええー」
「えっとえと、ない乳パインさん、えっと、マッサージとかすると、いいと思いますよ、揉めば大きくなるって聞きますし」
「揉んだだけで大きくなったら、Aカップのブラなんていらないんだよっ! 静巴、そのE乳をよこせッ」
「E乳って。しかもさっきからラジオネームじゃなくて本名呼んでるし……。まあ、あげられるものなら少しあげてもいいんですけど」
「憐れまれたっ!? 同情するならパットくれぇええー!」
「パットでいいんだ……」
しかも号泣してるし。
どんだけ気にしてるんですか、部長……。
っと、そろそろ時間だ。
僕はキューランプを二回連続で押して、時間が来たことを二人に伝えた。
「あっ、時間のようですよ、ひめさん」
「……シズがやって」
「あ、あぁ、了解しました」
返事とともに、静巴先輩は部長にハンカチを差し出した。
それを受け取ると、部長はほろほろと涙を拭く。
鼻をすする音が聞こえるが、まあ気にしないでおこう。
僕は手元のウォークマンを操作して、しっとりとしたエンディング用の曲に変更する。
「というわけで、第七回、『ひるラジ!』はいかがでしたでしょうか。皆さんからのメールが増えてきて、私自身もとても楽しくやらせていただいています――」
「乳に関するメールは送ってこないでください、切実に。来たら焼却炉行き待ったなしです」
「ひめさん……。あっ、と」
気づいたように、静巴先輩は台本に目を落とす。
そして書かれていることを読み上げる。
「『ひるラジ!』では、皆さんからのメールをお待ちしています。ふつおたやコーナー宛メール。こんなコーナーいいんじゃないですか? といったリクエストメールなどなど、どしどし投稿してください」
「お便りは校内各所に設置されている『らじボックス』に、脇に置かれている専用紙に書いて投函してね。また、公式ホームページからも受け付けてるよ。葦ヶ崎高校ラジオ部、『ひるラジ』で検索してもらえるとすぐ出てくるので、そちらからも待ってます――」
部長、テンション低っ!
抑揚なく淡々と読み上げることから、かなり精神をやられたように見受けられる。そりゃあ自分の胸の乏しさを再認識させられたラジオだったろうから、仕方ないといえば仕方ないかも……。
そして若干、部長はタメの演出。
「大事なことなんでもっかい言うけど、乳の話題は厳禁!」
「そ、それではまた次回、『ひるラジ!』でお会いしましょう」
「お相手は、ひめと」
「シズが」
『お送りしましたー』
僕はウォークマンの音量を軽く上げ、そこから徐々に下げていってアウトロをフェードアウトで演出する。
静巴先輩がマイクのボリュームを、タイミングを合わせるようにして下げていく。
各々が担当をこなし、今日も無事、ラジオのコーナーは終了した。
時刻はちょうど、十三時五十二分を回ったところだった――――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます